闇無暗黒=開幕
第一話:闇無暗黒=開幕
都内某所、自室にあるコンピュータで作業をしていた男は印刷ボタンをクリックして、やり遂げた様に伸びをした。
電子音を立てながら印刷機は次々と紙を吐いている。それを尻目に、男は今まで着ていたスウェットを脱ぎ捨て、今風の洋服を身につけた。そして机から刃渡り一五センチメートル程で、腹の辺りに山の様に刃が付け加えられたオリジナルナイフを取り出し、腰の右手側に付けられたケースへとしっかりと仕舞う。
そして、悪魔を象った指輪を一つ左手の中指にはめ、もう一つをポケットに入れた。
男はとっくに役目を終えていた印刷機から紙を回収する。
「さて、始めるか」
男、闇無暗黒はそう呟くと、先程印刷した『犯罪者リスト』から最初のターゲットを誰にするか選んだ。
「……コイツからだな」
そうするとリストを四つ折りにして左手側のポケットに突っ込み、街へと繰り出した。
外はすっかり暗くなっており、家の灯りも数える程しか点いていない。
人目やカメラに映らない場所を、コンビニに向かって近道をしているような、不自然な道順にならない様に歩く。その気になればまったく映らないように行けるが、万が一に備えてある程度写ってしまうのは仕方がないと腹を決めて道を選んだ。
こんなところで躓く訳には行かないが、困ったものを見つけてしまった。
痴漢だ。
人の容姿をとやかく言える闇無ではないのだが、たいして寒くもないのにロングコートを着て深い帽子とマスクで顔を隠している姿は非常に怪しい。
絵に書いたような痴漢だな。なんて暢気に思っているが、反面、どう処理するか悩んでいる。そもそも闇無の前で事件は起きていない。例えばだが彼は極度の恥ずかしがり屋で、肌を露出したくないだけかもしれない。もしくはそういうスリルを味わうだけで、誰にも迷惑はかけないつもりかもしれない。ならば何もしないのがこの場合は良いだろう。自分だってこれから事を起こすのだから。そういう意味では、お互いに頑張りましょうといったところだろうかと。
だが。
(ほっとけない、よな)
そう思いたち、コートの男の後をつけようと振り返る。そして物陰に隠れながら慎重に歩き出した。
しばらくして、コートの男は細い路地の街灯近くの角に隠れ、誰かが通るのを待ち伏せするようだ。ボタンを外し、すぐに中身を見せられるよう準備している。しかし、待てども待てども誰も通らない。これならば今日は大丈夫だろうとこの場を離れようとしたその瞬間、女の絹をさくような悲鳴が聞こえ、急いでコートの男の所まで戻る。
「嫌! 近寄らないでっ」
「げへへっ、良いねえお嬢ちゃん」
駆けつけると痴漢はレイプ魔へと変わりつつあった。会話も噛み合わないまま男はコートを脱ぎ捨て、女を捕まえようと奔走している。
その光景を見て、闇無は深くため息をついた。
ああ、ムカつくなあ、と。
それから後ろから音を立てずに一気に男との距離を詰め、大きく開いていた股の間から男のシンボルめがけてつま先を思い切り蹴り上げた。
「くあっ……」
男は白目を剥いて泡を吹いてその場に倒れこんだ。
「……大丈夫、ですか?」
さも悲鳴を聞いて急いで駆けつけた通りがかりの青年を装いながら、低く落ち着いた声で安心させる様に話しかけた。
女は少し戸惑いながらも、ありがとうと、か細い声で囁く。
「……もしよかったらだけど、家の近くまで送って行こうか?」
「あ……いえ、大丈夫……です」
明らかに怯えていて、大丈夫そうには見えないが、それでも闇無は、
「そう、わかった。気をつけてね」
と言った。
「はい、あ、その……お名前を聞いてもよろしいですか?」
突然の要求に戸惑いつつ応えた。
「闇無暗黒、闇が無いで闇無。君は?」
「出水、聖子」
いくらか落ち着いた様に名乗る彼女の姿をみて、大丈夫だろうと判断してその場から急いで立ち去った。
しばらくして、人の目をかいくぐり闇無は目的地にたどり着いた。高橋と表札を掲げていた門を抜け庭に入ると、手袋をして蛇口から屋根に上り、二階の窓の一つまで伝っていく。
鍵の辺りをガムテープで補強してナイフの柄の部分で力一杯殴り、音を最小限に抑えて割ると中に侵入した。
手当たり次第に部屋を確認してターゲットを探す。
何番目かの部屋で闇無はようやく人を見つけた。静かにそれに近づき、顔をリストと照らし合わせて確認する。
氏名、高橋与助。
血液型、B型。
身長、一七二センチメートル。
体重、六二キログラム。
犯罪歴、殺人。寝室にいた友人の顔をナイフでメッタ刺しにした。ただし親族に警察関係者がいて、そのため犯人として捕まることはなかった。
(ふむ、寝顔だが間違いなく本人だな)
ガムテープで口を塞ぎ、器用に手足を縛った。
「おい、起きろ」
軽く平手打ちをして寝ていた高橋を起こした。聞こえるか聞こえないかわからないぐらいの小声だ。
「ん…
「…んん!? んー!」
目覚めた高橋は、すぐに異変に気づき目の前で笑みを浮かべている闇無に抗議の視線を向けた。
闇無はそれに対してナイフをちらつかせることで応える。
騒げば殺す。
高橋にはその行為がそのような意味だと思い、闇無を強盗だと考えた。だが、実際は全然違う。
騒げば殺す。
ではない。
殺す。だ。
高橋が勘違いしていると予想した闇無は仕方なく再び声をだした。
「こんばんは、高橋与助さん。言っておくけれど、俺は強盗なんかじゃないよ」
「んん?」
何を言っているのかわからない。高橋はそんな様子で闇無の顔を凝視した。
「わからないかい? ならばそれでも良い。貴方がわからなければ、俺はなんてことないただの悪い殺人犯さ。仕方ない。しかし……本当はわかってるんじゃないのかな。わかっていて、分からないふりをしているだけじゃないのかな。俺が何を思っていて、これから貴方に何をしようとしているのかをね」
「っ!」
ナイフ、殺人、寝室。
高橋は理解した。かつて自分が行った殺人と現在の状況が同じだと。
「わかってくれて嬉しいよ。じゃあね」
本当に嬉しいのか、それともただの演技かわからない笑顔で、闇無は行動に移した。
生々しく気持ち悪い音を立てながら、闇無は無表情でナイフを高橋の顔に突き刺していく。
完全に息の根を止まったのを確認し、闇無は入ったときと同じようにその場から撤退した。
高橋が一人暮らしであったので、死体の発見は遅くなるだろうと闇無は思っていたのだが、翌朝のニュースに高橋の名前が出ていたので少し驚いた。まさかこんなに早く見つかるとは予想外だった。予想外ではあったが、闇無は少しも慌てることなく身支度を整えて再び外出した。
今はやましいことをするわけではない。そんな様子で怪しい素振りを微塵も見せることなく近所のスーパーへと向かう。
スーパーに行くのに、警察が集まっている高橋の家の前を通るのが一番の近道なので、闇無は当然の如くそこを通る。
別に、犯人は犯行現場に戻る。という精神があるわけでも、まして堂々と通る人間が犯人であるはずがないと考えさせたいわけでもない。
近道だから、だ。
感慨も不安もなく、いつものように歩いていると、
「あのっ、すみません」
若い警察官が声をかけてきた。
「私、警視庁捜査一課の星河朱莉です。少しよろしいでしょうか」
「ええ、大丈夫です」
全く言いどもることなくそう返す。星河が闇無の好きな女優に似ていたから、という理由もあるだろう。
「え……と」
道の真ん中では邪魔になるからと塀に寄りかかるように誘導されたが、星河は話をどう始めるか言葉に窮していた。
彼女は新人のようだ。なので、
「くらなしと言います。闇が無いで闇無。ここで何かあったのですか?」
「あ、はい。実は昨晩一時頃に、ここに住む高橋さんが何者かの手によって殺害されていました。その、闇無さんはこの道をよく通られるんですか?」
「ええ、すぐそこのスーパーに行くのによく通ります」
「昨晩も?」
「いえ、スーパーへは今日行くつもりでしたので」
「そう、ですか」
嘘はついていない。
確かにスーパーへは行っていない。
「もうよろしいですか?」
「はい、時間を割いていただきありがとうございました」
未熟な新人婦警にはこれ以上付き合っても良いことがなさそうだと判断し、話を切り上げた。
一応闇無が警戒しているのは警察の中でも正義感を残した熟練の刑事と、正義感に満ち満ちとあふれた新米だ。どちらも総じて大体鬱陶しい。
「あの」
数メートル歩いた所で闇無は再び声をかけられた。振り返れば先ほどの新米、星河が追いかけてきた。
「……まだ何かありました?」
「その、もしまた何かあったときのために、電話番号というか連絡先を教えていただいてよろしいですか?」
そんなことかよ、とか思わない。表情は営業スマイルだ。
「携帯電話は持っていません。なのでこちらを」
ポケットからメモ帳を取り出し、自宅の番号を書いて差し出した。
「ありがとうございます。ではまた」
「ええ」
ゆっくりとした歩調を心がけながら、今度こそスーパーへと歩き出す。
「……おっと」
(あいつが居たら今は入れないな)
スーパーが見えてきた所で、闇無は急に向きを変えて道を引き返した。スーパーには闇無と同い年くらいの男が入ったばかりであった。
帰り道、再び高橋の家の前を通ると、警察はほとんどいなくなっていて、普段の落ち着きを取り戻している。しかし、闇無は微かだが声が聞こえたような気がして庭を覗き込んだ。すると中では星河と年配の警察が話している。
「わかったな、これからは必要以上に職質するんじゃねえぞ」
「はい……了解しました」
「分かりゃいいんだ。最近はマスコミ何かやネットとかで簡単に悪評が出回るんだから気をつけてくれよ」
「……はい」
見るからに星河は落ち込んだ。
「だいたいよお、今の新入りはそういうことしたがってしゃあねえ。警察っぽいていうのか? そのせいで……」
「お取り込み中すいません。ちょっと良いですか」
流石に長くなりそうだったので、つい闇無は口を出してしまった。
「なんでえ」
「あまり彼女を責めないでくれますか」
「わりいが市民の皆さんにはかんけえのねえことなんで、口を挟まねえでくれるかい」
お呼びでないと、あからさまにわかるその口調に闇無は少し面白くなった。
本性が少し出てしまった。
「いやあ、彼女が怒られているのに少し責任を感じてしまいまして」
横目で星河を見ると、怒られたショックからかうつむいていた。
「責任?」
「ええ、彼女にしつこく事件のこと聞いたの俺なんで」
闇無は人を茶化し、まとまりかけた話をぐちゃぐちゃにするのが好きだった。
「なんだと」
年配の警官の目が一層鋭くなる。
狙い通り。
「野次馬根性丸出しでムカつくな、ヘラヘラしやっがって。人が死んだんだぞ」
「俺も犯罪者はムカつくね、全員もれなく死ねばいいと思ってます」
その言葉に警官は引っかかったのか、冷静さを取り戻した。
「あんた……昨日の晩どこで何してた?」
「それは俺が犯人だと思っている。ということですか」
闇無は小馬鹿にした様にクスクス笑いながらそう返した。
「答えろ」
「昨日は……」
考えてみたが、都合の良い嘘が思いつかなかったので、仕方なくありのまま話した。
「昨日は寝付けなくてこの辺をぶらついてましたが、それが何か問題ありますか?」
「ないな、アリバイもなさそうだし」
これで彼は闇無を容疑者として調べるだろう。
警官が戻ろうとしたとき、女が道路から闇無に対して声をけてきた。
出水だ。
「あの、昨日はありがとうございました」
場の緊張した空気を読まずに闇無に話しかけてきた。
「……いいって別に」
特に照れもせず、むしろ厄介そうに言い返した。
来訪者に警官は驚いたが、あくまで冷静に対応する。
「あの、失礼ですが貴女は」
「え……出水…………です」
厳つい顔に驚いたのか、露骨に嫌そうな顔で答えた。
「闇無さんとはどんな関係で」
混乱してしまった様子の出水に、なんとか気を持ち直した星河はさっと警察手帳を見せる。
「昨日助けてもらいました。その…………痴漢から」
「何時頃」
「夜中の一時頃でした。闇無さんは送ってくれると言ってくれたのですが。親に怒られた時に何時だと思ってるのって言われたので間違いありません」
警官は少し考えるように顎ヒゲをなで、星河をつれて帰っていった。
「出水さん、助かったよありがとう」
「いえ、そんな」
出水は可愛らしく頬を赤く染めた。
「いやいや本当にさ」
「ふふっ、なんだか大変そうですが、頑張ってくださいね」
「ありがとう」
出水に軽く挨拶すると、いつものように閑静な住宅街を一人帰っていった。
特に失敗はしていないと思うが、自分のアリバイをわざわざ証言した出水には十分警戒するべきだと判断した。
いくらなんでも庭に入ってきてまで話さなくても良かったはずだし、あの人の印象としては闇無が出ていくまで道路で待っていそうなくらいおとなしそうだし、何かしら裏があるのだろうと。
(いや、でもあの感じ……あの目もしかしたらアイツの……)
こうして、闇無暗黒の物語が幕を開けたのだった
第一話 完