町田警部の同級生
一学期の期末テストが終わった日の午後、町田警部に呼ばれた小川篤史は幼馴染二人を連れて警察署にいた。
「え? 沖縄に行くん?」
川口里奈は目を丸くする。
「あぁ…。女優の寺野圭子っているやろ?」
「美人の大女優ね」
「実は寺野圭子と同級生で、撮影に行くから一緒に沖縄に来ないかって誘われたんや」
町田警部はゆっくりとした口調で言った。
「私、行きたい!」
服部留理は沖縄と聞いてパァッと笑顔になる。
「私もっ!」
里奈も目を輝かせる。
「小川君は…?」
「オレも行くけど嫌な胸騒ぎがするねんな」
篤史はそっと自分の胸に手を当ててしんみりした表情で呟く。
「嫌な胸騒ぎって…?」
「事件が起きるんやないかなーって…」
「そんな縁起悪い事言わんといてよ」
里奈は目を輝かせるのを止めて頬を膨らませる。
「小川君の考えすぎや」
町田警部も篤史の深読みに思わず苦笑いしてしまう。
「そうやな。あまり考えへんようにする」
「それでなんの撮影なん?」
留理は空気を変えるように町田警部に撮影内容を聞いた。
「ノンフィクションの二時間ドラマの撮影らしいで。ある本を基にしてるみたいなんや」
「ノンフィクションってホンマにあった話ってこと?」
「そうや。撮影予定は八月三日からやけど僕らは十日間だけ参加していいんやって」
町田警部は自分の同級生から連絡を受けた事を篤史達に伝える。
「十日間も撮影に同行していいんやね」
「他の出演者に迷惑をかけなければとのことや」
「水野刑事は来ないん?」
「もちろん行くよ。今日は用があって署にはいないんや」
町田警部の答えを聞いた留理は納得する。
「そういえば、篤史って暑い場所が苦手やなかった?」
里奈は思い出したように篤史に聞いた。
「そうやねんな。去年も夏バテして部活どころやなくて大変やった。この時季に沖縄なんて行ったらさらに大変そうや」
沖縄に行く前から憂鬱な表情を浮かべる篤史。
「大丈夫や。夏バテしたら、私が看病してあげるから…」
留理は篤史にウィンクをしながら言う。
「なんか、留理、自信満々やな」
「そんなことないよぉ」
左右に手を振って否定する留理。
「夏バテになっても篤史は死なないから大丈夫や」
里奈はキツイ一言を篤史に言う。
「そんなことないで」
「篤史は不死身やからねぇ…。だいぶ前に事件で犯人にナイフで刺されても、鈍器なような物で殴られても死なへんかったくらいなんやから…」
「確かにそれは言えてるかも…」
里奈の言葉に、町田警部は笑いを堪えるように同感している。
「警部まで…」
篤史は言い返す言葉もなくどうしようもないという表情をする。
「水野刑事がいたら、私と同じ事を言うと思うで」
「水野刑事はそんなこと言わへん」
篤史はきっぱりと言い切る。
「なんでそんな事が言えるのよ?」
「水野刑事はいつだってオレの味方やし…」
「あ、そう…」
里奈は篤史に何言っても無理だというふうに呆れてしまう。
「そういえば、三人共、部活は大丈夫なのか?」
町田警部は部活に入っている三人の予定を気にする。
「私は美術部やし、夏休みは学校に行かなくてもいいから大丈夫やけど…」
里奈はそう言いながら、篤史と留理のほうを見る。
「私も微妙やなぁ…。毎日、休みってわけやないし…。まぁ、顧問に相談してみるけど無理なら行くのは止めとく」
留理は予定がわからないためなんとも言えない。
「オレもや」
「そうか。早くに連絡が欲しいって言われてるから、なるべく早くにお願いしたいんや」
町田警部は自分の前に両手を合わせてお願いした。
「わかった。それより寺田圭子の他に誰が出演するん?」
留理は他の出演者が気になるようだ。
「内村映子と山田透や」
「内村映子も出るんや」
「二人共、良い役者やからね」
町田警部はたまにドラマを観ているせいか、内村映子と山田透といった若手の役者も知っている。
「それにしても、警部が寺野圭子と同級生なんてねぇ…」
里奈は横目で信じられないという表情で町田警部を見る。
「中学時代、同じクラスやったんや」
「もしかして、初恋の相手やったとか…?」
留理は明るい声で何気なく言うと、町田警部は顔を赤くした。
「図星か…」
篤史はそうだったのかという表情をする。
「そ、そんなことないんや。とにかく八月二日に空港で午前九時に集合や。小川君と留理ちゃんは部活で無理なら連絡してくれ」
町田警部は早口で用件を伝えた。
八月二日、空港に集合した篤史達一行は寺田圭子と合流した。
篤史と留理は部活のほうは顧問に家の用事だと相談したところ、なんとか休みをもらって、沖縄に行ける事になったのだ。
今回のドラマは、主に寺田圭子、内村映子、山田透の三人で構成されていて、他にも色んな有名な役者が脇役に勢ぞろいしている。
裏方であるスタッフも大勢いるが、今回の事件では三人だけが関わるのだ。
その中に寺田圭子の娘も交じっていた。
「町田君、来てくれてありがとう」
圭子はテレビで見るよりもハキハキした口調で、町田警部が来た事を礼を言った。
「圭子ちゃんの頼みならなんでも聞くよ」
町田警部は照れた声を出す。
(ゲッ、圭子ちゃん!? 下の名前で呼んでるんか!?)
圭子の下の名前で呼ぶ町田警部に、かなりドン引きしてしまう篤史。
「あら? この子達は…? もしかして、町田警部のお子さん?」
圭子は町田警部の後ろにいる篤史達に気付く。
「いいや、この子達は知り合いの子達なんや。そして、こいつが部下や。また後で紹介するよ」
「そうだったの…」
圭子はほんの少し微笑んで、監督らしき人のところに駆け寄り何か話をしている。
すぐに二人は篤史達の下に戻ってきた。
監督は凄く怖そうな人で、いかにも厳格という雰囲気の男性だ。
「監督の草中です。圭子さんからあなた方の事を聞いています。参加してくれるのは光栄ですが、くれぐれも邪魔だけはしないで下さい」
低いぶっきらぼうな言い方をする。
「わかりました。この子達にも言い聞かせます」
町田警部は腰を低くして言うが、なんだか監督に負けてしまっているような感じだ。
「そろそろ出発の時間なんで、あなた方も…」
草中監督はそう言うと、スタッフのほうへと行ってしまった。
「なーんか、感じ悪い」
里奈は膨れながら言う。
「うんうん。顔も怖そうやし、役者の演技に文句つけてそうな感じがする。そう思わへん? 篤史」
「そうやな。確かに言えてるけど、あれぐらいのほうがいいと思うけどな」
篤史は草中監督がスタッフと話している姿を見ながら答える。
「まぁまぁ…三人共、そう言わずに…。僕らも行こう」
水野刑事は篤史達をなだめつつ催促する。
この時、篤史は何かを感じ取っていた。
町田警部の誘いで、同級生でもあり初恋の相手でもある女優の寺田圭子の撮影現場に、お邪魔することになった篤史の胸のどこかに、何の保障もない嫌な胸騒ぎを…。
那覇空港に到着したのは、昼過ぎだった。
大阪に比べて凄く暑いが、日陰に入ると涼しい。
空港には今回宿泊する旅館の人が中型の車で迎えに来てくれていた。
「ドラマの撮影で来られた方たちですよね?」
「はい、そうです」
草中監督が代表して答える。
「車はこちらです」
旅館の人に誘導されて駐車場へと向かう。
篤史達が宿泊する旅館は、車で約三十分の場所にある。
道が進むにつれて、徐々に辺りがさとうきび畑だらけなので、これには全員驚いてしまった。
「さとうきび畑がとても多いですね」
圭子が感心したように言う。
「えぇ、この地方は結構多いほうですよ」
「パイナップル畑はないんですか?」
これは里奈だ。
「パイナップル畑は本部半島に行かなければないんですよ。ここからだと車で沖縄自動車道を通って、約一時間ぐらいだと思います」
旅館の人は里奈だけではなく全員に親切に説明してくれた。
「沖縄は良いところですよ。撮影が終わってからでもひめゆりの塔にでも行ってみてはどうですか?」
「そうするつもりです」
草中監督はさっき出発する前に篤史達に向けた口調とはうって変わっての口調だ。
(オレらに話した口調と全然違うやん。まぁ、それはいいねんけど、ひめゆりの塔以外にも色々見学したいな。食事も楽しみやしな)
篤史は初めての沖縄に思いを馳せていた。
午後六時、旅館の大広間で夕食をすることになった。
圭子が前に出て、何かを話そうとしている。
そして、篤史達も前に出るように言われた。
「みんなも知ってると思うけど、私の中学時代の友人の町田さんと知り合いの方達です。短い間ですが、仲良くしてあげて下さい」
「よろしくお願いします」
圭子に紹介された町田警部は率先して会釈をした。
「この子達は…?」
草中監督の質問に、篤史達は順に自己紹介をすることになった。
その後、ドラマ関係者も紹介してもらえる事になった。
「さっきも紹介しましたが、監督の草中真輔です」
「監督は厳しくて業界内では鬼監督で有名なんですよ」
圭子はそっと篤史達に耳打ちをして教えてくれた。
「私はカメラマンの森本めぐみです。まだ二年目で現場にはまだ慣れていない事が多いですが、毎日が勉強になっています」
小柄でショートヘアのめぐみは、二十代で意外にも可愛らしい声だ。
「脚本家の市原雄也です。脚本以外にも小説も書いています」
裕也は五十代でおだやかな表情をしている。
「みなさん知ってると思うけど、内村映子さんと山田透さん。内村さんは女優になるまではモデルをやっていて、山田さんは歌手活動もしています。二人共、人気の役者ですよね」
圭子は二人のほうを見て言った。
紹介された映子と透は篤史達に軽く会釈をした。
「私の隣にいるのが娘の望です」
「よろしくお願いします。今、高校二年で料理部に所属しています」
望は圭子譲りのハキハキした話し方をしている。
どことなく、圭子の若い時に似ているようだ。
「紹介はこれくらいにして食事にしましょうか」
雄也は監督である真輔に言う。
「そうだな」
真輔は静かな口調で言うと、全員は料理に手を伸ばした。
「今回のノンフィクションのドラマということで、なんでも聞いて下さいよ」
そう言ってくれたのは雄也だ。
「はい。このドラマはどんなストーリーなんですか?」
最初に里奈が聞いた。
「あまり詳しく言えないのですが、多重人格の若い女性が主人公なんです」
「沖縄でそんな話が…?」
「えぇ…。この話を書いた作者の知人の娘なんです」
「今の状況はどうなんですか?」
留理は興味があるのか、身を乗り出して雄也に聞いた。
「今も多重人格に苦しんでいるらしいんですが、以前よりだいぶ症状がマシになってきているそうですよ」
留理と里奈の質問に、きちんと答えてくれる雄也。
その話に篤史以外は耳を傾けている。
篤史は何を考えているのか、表情一つ変えずにいる。
それもそのはずで、ドラマを観る前からそういう話を聞くのはどうかと思ってしまう。
「小川君、どうしたんだい?」
雄也は篤史が気になる様子だ。
「あ、いや…」
慌てて篤史は笑顔を作る。
「気分でも悪い? 今日一日、飛行機と車に乗ったからね。なんか、ずっと気分悪そうだったもん」
望は篤史の事を気遣う。
「大丈夫です。篤史は不死身なんで…」
里奈は淡々としながら言う。
「どういうことなんですか?」
望はキョトンとした表情を里奈に向けた。
「それはね…」
「それはこっちの話しで…」
答えようとする里奈を遮るように、篤史が割り込む。
「小川君って関西では有名な探偵なんでしょ?」
映子は髪をかき上げながら聞いてきた。
「な、なんでそれを!?」
ギョッという声を出して映子を見る篤史。
その篤史に映子はクスッと笑った。
「雑誌で見たのよ。でも、なんで探偵なんてしてるの? まだ高校生なのに…」
映子は若いんだからこれからたくさんやりたいことあるのに…といった口調で疑問を篤史にぶつけた。
「趣味でやってるんです。趣味っていっても生半可な気持ちではなくて、とことん自分のやりたい事を突き止めていこうかなって思ってます」
篤史は今の自分の気持ちを言う。
「そうなんだ」
「今度、ドラマで探偵の役をやるんだ。コツとか教えてくれねーか?」
そう聞いてきたのは透だ。
「いいですよ。後で山田さんの部屋に行きます」
「いや、オレが聞いたんだし行くよ」
透は遠慮するなという口調で言った。
初対面で気が合う篤史と透。
「今までぶつかった事件ってどれくらいなの?」
圭子は興味があるようだ。
「ざっと…五十くらいかな」
「結構、多いんだね」
圭子は自分の予想より篤史が遭遇した事件の数の多さに圧倒してしまった。
「最近、起こった事件ってなんですか?」
次に望が聞いてくる。
「オレらの学校で起こった事件で、ピアニストの三姉妹の…」
事件の事を話し出す篤史に、育江の顔がふっと脳裏に蘇った。
(アイツ、今頃…)
篤史は育江の事を心配していた。
そんな篤史を察してか、留理は篤史のフォローをし始めた。
「凄く大変な事件やったんです。水野刑事も襲われちゃったし…。でもね、犯人は悪い人ではないんですよ」
留理は何事もなかったかのように言う。
「襲われたってマジかよ!?」
透は驚いた口調で水野刑事を見た。
「まぁ…そうですね。一ヶ月、入院しました」
苦笑いで答えた水野刑事。
「篤史にとっては辛い事件やったけど…」
(出来れば、二人が付き合ってる事実は知りたくなかったけど、私が二人が離れてくれて良かったなんて思ってへんって言えばウソになる)
「でも、今のままでもいいんじゃないかなって思う事件でしたよ」
留理は辛い自分の気持ちを隠して圭子達に、篤史が最近解決した事件の事を話した。
(留理…)
自分の事をフォローしてくれた留理の事を申し訳なく思っていた篤史。
「みなさん、どんどん事件の事を篤史に聞いて下さいね!!」
カラ元気の留理。
篤史は最初に育江と付き合っている事を知られてしまった留理を見るのが辛かった。
「留理ちゃんだっけ? 元気良いね」
透は留理の元気さが気に入ったようだ。
「そんなことないですよ、山田さん。ね、里奈?」
「そうや。いつもは大人しいんですから…。初の沖縄ではしゃいでいるだけなんですよ」
「ハハハ…そうなのか」
留理と里奈と透の会話で、和やかなムードが部屋中に漂っている。
「小川君、一番嫌だった事件ってなんですか?」
望の質問に、ハッとなる篤史。
「オレが犯人にされた事件です」
「えーっ、犯人にされたぁ!?」
「すぐに犯人捜し当てたで」
それを聞いた全員はホッとしてしまう。
「複雑よねぇ。犯人にされちゃうなんて…」
映子はお茶を飲みながらしんみりとしている。
「小川君は探偵はいつからなったんだ?」
そう聞いてきたのは、真輔だった。
「小学校六年生からです」
「探偵以外に興味があることは?」
「サッカーです。中学まではサッカー選手になりたいって思ってました」
篤史はハキハキと答えると、真輔は頷くようにため息をつく。
「サッカーか…。他には?」
「興味というか、教師になりたいんです。小学校の教師です」
篤史は一つひとつ言葉を選びながら真輔に伝えた。
「監督、小川君に興味持ったみたいですね」
圭子は微笑みながら真輔を見た。
「そうだな。市原さん、今度、小川君をテーマにしたドラマの脚本書いてくれませんか?」
真輔は雄也にドラマの脚本を持ちかけた。
「いいんですか?」
篤史は自分をテーマにしたドラマと聞いて、緊張していた顔が緩んだ。
「いいよ。実際にいる人物のドラマを撮るのもいいなって最近思い始めててね」
真輔は自分が思っている事を伝える。
「ホンマにいいんですか!?」
喜ぶ篤史を見た真輔はタバコに火をつけた。
「あぁ…。色々と質問が多いかもしれないが付き合ってくれ。ドラマのためだと思ってな」
「はいっ!」
張り切って返事をした篤史。
「川口さんと服部さんにも少し質問をしておこうか」
真輔はあらかじめ持っていたノートとペンを取り出して、篤史が答えた事を忘れないうちに急いで書き込んだ。
「二人は夢はあるのかい?」
「私はツアーコンダクターです。専門学校で勉強したいと思ってます」
里奈はしっかりとした口調で答える。
「そうか。服部さんは?」
「私はまだ決めていないんです。まだ将来の事を考えている余裕がなくて…。高三の一学期までには決めるつもりでいます」
留理はさっきと違い、小さな声で答える。
「それでも興味を持っている事ぐらいあるだろう?」
留理の答えを聞いた真輔が強張った声になった。
「興味を持っている事…音楽です。中学から吹奏楽部に所属していて、中学はフルートで、今ではホルンをしています。習い事ではピアノを九年間やっていました」
「音楽関係の仕事に就いてみたらどうだ?」
留理の答えに、進路指導の教師みたいになる真輔。
「でも、今は全然で、まだ他にやりたい事があるんじゃないかって思えて…」
留理は今自分が何をやりたいのか、わからずにいて模索している最中だという趣旨の答えをする。
「オレは夢のない奴は嫌いなんだ。将来の事を考える余裕がない? 高校生活を半分も送っていて、今まで君は何をしていたんだ?」
真輔は留理に吐き捨てるように言った。
それには何も答えられないでいる留理。
大広間は静まり返り、気まずい空気が流れている。
「監督、そんな言い方はないんじゃないでしょうか?」
透が堰を切ったように真輔に意見した。
「留理ちゃんだって決して将来の事を考えなかったわけじゃない。今はまだ高校生だし、色んな経験が必要だと思うんです。高三の一学期までには決めると本人が言っているんだし、そこまで急がす必要はないと思います」
透は言葉を選びながらも留理のフォローをする。
「オレはただ十七年間、何をしてたんだっていうのを聞いているんだ」
真輔は不機嫌そうに言う。
留理は泣きそうな表情で座っていたが、とうとう耐え切れなくなって立ち上がり大広間を出て行ってしまった。
「留理! 留理ってば!!」
里奈が叫ぶ声。
しかし、留理には里奈の声が届かなかった。