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終着点への私信

掲載日:2026/09/04

 グレグが『主人公(そいつ)』を気味悪いと思うようになったのは、入学して三日目だった。もっと正確に言うなら、そいつ本人というより、そいつを取り巻いている世界のほうが気味悪かったのだと思う。




 入学式の日から目立つ男ではあった。孤児院で魔法の才能を見出された男、金色の髪に青い目、背筋を伸ばして歩けばそこだけ挿絵みたいに見える顔立ちで、入学早々に魔力量測定の水晶をひび割れさせた。測定官が予備を持ってきても同じ結果になり、三つ目は最初から上級生用を使ったという話まで昼には学園じゅうへ広まっていた。


 本人は恐縮していたし、壊した水晶の弁償について、なんとかして将来払いますと真剣に言って教師から笑われていたので、少なくとも鼻持ちならない天才ではないらしい。グレグもその頃は、「いるんだな、こういう奴。何かの本の主人公みたいだな」と思った程度だった。あの髪と顔なら、孤児院出身と言ったってどこかの偉いお貴族様の落胤だろう。生粋の平民で自然発生する美しさではない。






 問題は三日目の基礎魔術だった。課題は火を灯して三十秒維持する、それだけ。


 グレグは一度目で火を大きくしすぎて芯を焦がし、二度目は逆に弱すぎて教師に「蝋燭への遠慮はいらないぞ」と言われた。


 斜め前の席にいた男子は火すら点かず、「もう俺、騎士科へ転科しようかな」と半泣きになっていた。その横で『主人公(そいつ)』は火を灯したついでに、教師から試しに水球も出してみろと言われ、水、風、光まで順に浮かべ、最後には四つを同時に維持した。


 炎の熱で水球から薄く湯気が立ち、風がそれを巻き上げ、光が霧の中で虹みたいに散る。誰かが「綺麗」と呟き、教師まで少し黙ったあと拍手したので、教室全体がそれに倣った。




 グレグも手を叩いた。できる奴は素直にすごい。ただ、隣で腕を組んでいたハロルドだけは拍手しなかった。


 商会長の息子で声がでかく、寮の浴室で歌うと廊下まで響く男である。「魔力量が桁違いなら、あのくらい出来て当然じゃないか。入学三日で見世物みたいなことして、よく恥ずかしくないよな」と、本人に届きかねない声で吐き捨てた。


 グレグは横目で見ながら、そこまで言うかねえ、と思ったものの、少しだけ安心もした。どうやら全員が全員、あの男を好きなわけではないらしい。




 翌日もハロルドは「あいつ、教師に気に入られすぎだろ」と言っていた。次の日には「あの魔力ならまあ、出来るんじゃね」とやや勢いが落ち、その翌日には食堂で『主人公()』と向かい合わせに座っていた。




 グレグはそこで初めて、妙な違和感を覚えた。二人が仲良くなること自体は別におかしくない。喋ってみたら気が合ったなんてよくある話だし、ハロルドは声こそ大きいが根に持つほうでもない。ただ、食事を終えたあとに廊下で捕まえて「お前、あいつ嫌いじゃなかったっけ」と聞いたとき、返ってきた顔がなんとなく嫌だった。




「嫌いっていうか、俺が勝手に決めつけてただけだろ。話してみたら全然偉ぶらないし、俺が昨日まで色々言ってたのも知ってたのに、むしろ気を遣わせて悪かったって謝られたんだぞ。ああいう奴を生まれつき恵まれてるって理由だけで嫌うほうが、普通に性格悪いじゃん」


「それ、三日前のお前にも言ってやったら? たぶん喧嘩になると思うけど」


「三日前の俺が間違ってたって話してんだろ。お前も一回ちゃんと喋ってみろよ、変に構えてるの馬鹿らしくなるから」



 ハロルドはそう言って行ってしまった。グレグは残されて、昨日までお前が一番構えてたんだけどなあ、と背中を見送る。


 人の考えなんて変わるものだ。それは知っている。グレグ自身、入寮初日に同室のディランを「絶対面倒な奴」と思った。髪をやたら丁寧に撫でつけ、荷物から香水瓶まで出てきたからである。


 しかし三日後、ディランが毎晩母親から届いた飼い猫の絵葉書を眺めながら「モジャが俺のこと忘れてたらどうしよう」と真剣に悩んでいるのを知って、可愛いところもあるじゃんと勝手に好感度を上げ、いまでは普通に仲がいい。人間は知れば印象が変わる。けれど、ハロルドのそれは、何かが一枚まるごと裏返ったように見えた。



 そういうことが、その後も続いた。


 二年生の女子が友人と「あの人、自分が綺麗なの分かってる歩き方するよね。気取りやみたい」と笑っていた。一週間後には剣術実習の見学席で一番大きな声援を送っていた。


 魔法史の教師は提出された論文を読み、「才能がある若者ほど万能感に溺れる。まず基礎文献を百冊読んでから出直しなさい」とばっさり切ったのに、次の月には研究室へ招いて自分の私蔵本を貸している。



 極めつけは剣術科の上級生だった。恋人が『主人公(その男)』を褒めたとかいう馬鹿みたいな理由で中庭に呼び出し、胸倉を掴んで「お前みたいなのが一番嫌いなんだよ」と唾を飛ばしたところをグレグも遠巻きに見ている。その翌朝、二人は同じ卓で朝食を食べていた。




 そこでグレグは初めて、ぞっとした。




 仲直りした。それだけなら美しい話で済む。ただ、昨夜まで憎悪や嫌悪、嘲笑とか、悪い意味の感情で歪んでいた顔が、朝には柔らかく笑っている。その変化の途中を誰も知らない。


 話してみた。誤解が解けた。あいつはいい奴だった。聞けば全員そう言う。そして妙なことに、自分が以前どれほど強く嫌っていたかを指摘されると、誰もが少し困ったような顔をする。子供の頃親に着せられた趣味ではない服を見せられて「これ本当にお前の?」と聞かれたみたいに。



 昼食のスープへ月桂樹の葉が二枚も入っていた日、グレグは向かいのディランへそれとなく聞いてみた。「なあ。あの金髪って、なんか変じゃないか」と。ディランは魚の骨を避けるのに忙しく、顔も上げずに「魔力量の話なら今さらすぎるだろ」と返した。


「そうじゃなくてさ。あいつを嫌ってた奴、なんか全員すぐ好きになってない? 嫌いだったのに仲良くなった、なら別にいいんだけど、途中がないっていうか」


「考えすぎじゃないか? 俺も最初はあいつの顔を見るたび人生の不公平について考えたけど、この前魔石を落としたとき一緒に探してくれたぞ。あれだけ出来る奴なのに嫌味もないし、普通にいい奴だった」


「お前、先週『顔がいい奴は信用しない』って言ってなかった?」


「それは顔がいい奴全般の話で、あいつ個人の話じゃないから」


 ものすごい理屈で押し切られた。グレグはスープを飲み、舌に張り付いた月桂樹を指で摘んで皿の端へ置いた。厨房、二枚も入れる必要ある? そちらのほうを真剣に考えたかった。


 そもそも『主人公(あいつ)』のことを考えたところで何か解決するわけでもない。自分まで少し喋ってみたら「なんだ、いい奴じゃん」となる可能性もある。それならそれで楽だろう。そう思いかけて、やめた。


 なりたくない、と理由もなく思った。






 本人がグレグへ声をかけてきたのは、その日の放課後だった。図書棟から寮へ戻る途中、中庭の噴水の縁に座っていた『主人公』が、グレグを見るなり立ち上がる。水飛沫の向こうで金髪が夕日に照らされていて、こういうところまでいちいち絵になるの、逆に大変そうだなと思った。


「グレグだよね。前から少し話してみたかったんだ。急に呼び止めてごめん」


「なんで俺? 同じ授業を受けてるだけで、まともに話したこともないだろ」


「だからかな。君だけ、俺を見るといつも嫌そうな顔をするから、何かしてしまったのかと思ってた」


 グレグは思わず眉を寄せた。特に攻撃の意図は無いが、うっかり、いつも思っていることが漏れた気がする。


「別に何もされてないけど。というか、何もされてない相手が自分を好きじゃないってだけで話しかけに来るの、ちょっと怖くない? 全員に好かれてないと気が済まない人なのかと思うぞ」



 一瞬、相手が固まった。言い過ぎたかな、とグレグが思ったところで、『主人公(目の前の男)』は笑った。それまで見たどの笑顔とも違った。褒められたときの困ったようなものでも、女子に話しかけられたときの柔らかなものでもない。なくしたものを思いがけない場所で見つけた人間みたいな、それでいて拾うのが怖いような笑みだった。



「違う。むしろ、そのままでいてほしい。君だけは俺を好きにならないで」


「……悪いけど、それ言われて安心する人間はいないと思う。やっぱりお前ちょっと怖いわ」


 また嬉しそうに笑われた。




 そこから妙に懐かれた。本人は「友達になりたい」と言ったことがないし、グレグも友達になった覚えはない。それでも授業の空き時間になると隣へ座り、食堂で席が空いていれば向かいに来て、図書館では頼んでもいないのに高い棚の本を取ってくれる。


 内容は拍子抜けするほど普通だった。食堂の魚は骨が多いとか、校長の話は祝辞なのに途中から説教へ変わるとか、購買の焼き菓子は火曜日のものが一番うまいとか。グレグは最初こそ警戒していたが、六月頃には「火曜の焼き菓子だけは同意」と返す程度には慣れた。


 ただ、油断すると急に変な話をする。



 ある日、校舎裏の日陰で二人して購買の焼き菓子を齧っていると、『主人公(そいつ)』が前触れなく「俺が俺の力で手に入れたものなんて、たぶん一つもないんだ」と言った。グレグは口の中のものを飲み込むまで返事を待った。菓子が粉っぽかったからである。


「それを俺に言うの、嫌味として完成度高すぎない? 昨日の小テスト、三日前から勉強して七十二点だった人間なんだけど」


「そういうのが羨ましいんだよ。七十二点なら、嬉しいか悔しいか自分で決められるだろ。俺は試験を受ける前から百点になるって分かってる。

剣を持てば勝つし、魔法を使えば出来るし、欲しいと思ったものは誰かがくれる。嫌われたと思っても、少し話せば最後にはみんな笑ってる」


「……お前、それ自分でも気づいてたんだ」


 初めて、こちらの言葉で相手の笑顔が消えた。「やっぱり君にもそう見えるんだ」と静かに言われ、グレグは菓子の残りを見た。最後の一口だけ妙に砂糖が多い。


「まあ、見えるっていうか、見えすぎて怖い。昨日までお前を嫌ってた奴が次の日には『本当は優しい奴なんだ』って言ってんだぞ。俺なら自分の周りであれが起き続けたら、傲慢になるより先に世界を疑うね」


「たまに考えるんだ。俺を好きだと言う人が、本当に俺を好きになったことってあるのかなって」


「知らん。俺に聞くなよ、そういう重いの」


 そう返すと、また少し笑った。グレグはそれを見て、こいつ本当に面倒くさいな、と思う。面倒くさいし怖い。でも、焼き菓子の最後の一つを「半分にする?」と言われれば半分もらった。そこは別の話だった。





 夏になる頃、嫌がらせが始まった。最初は机の中へ泥を詰められた。次は靴紐を全部抜かれ、三度目には昼食用のパンだけが包み紙の中で見事な煎餅状になっていた。犯人の陰湿さより、毎回微妙に手間がかかっていることにグレグは感心してしまった。「これ潰すのに何分かけたんだろうな」とディランへ見せると、「食えば味は同じじゃね?」と言われ、二人でちぎって食べた。本当に味は同じだった。


 誰がやっているのかもおおよそ分かっていた。『主人公(あいつ)』の周囲にいつもいるお貴族様の何人かが、最近になって露骨にグレグを見るようになったからだ。


 本人には告げなかった。知らせれば犯人を見つけ、問い詰め、こちらへ連れてきて謝らせるだろう。そして数日後、そいつらは以前より強く『主人公()』を慕っている。そんな未来が妙に鮮明に浮かんでしまった。



「貴族に目ぇつけられてんの分かってんだろ、学園辞めようとか思わないのか?」とディランに聞かれた夜、グレグは窓辺で濡れた靴紐を干しながら鼻で笑った。


「なんで俺が辞めるんだよ。むしろ向こうが辞めればいいだろ。魔王でも出てきてくれたら、あいつ絶対勇者に選ばれるのにな。討伐へ行って数年帰ってこなければ俺も平和に卒業出来る」


「お前、たまに願い事の規模がおかしいよな。世界滅びるかもしれないのに」


「大丈夫だろ。あいついるし。なんでも出来るんだから魔王くらいどうにかするって」


 ディランは呆れて枕を投げてきた。グレグは笑いながら受け取り、投げ返す。冗談だったし、その時点では本当に冗談でしかなかった。




 ノートが燃やされたのは秋口だった。魔法史の試験前で、グレグは珍しく真面目に勉強していた。授業中に教師が口頭でしか説明しなかった箇所まで細かく書き込んであり、これさえ覚えれば八十点はいける、と自分なりに満足していた。それが放課後、机からなくなっている。忘れたかと思って教室を二つ回り、図書室まで探し、最後に中庭の裏手で焦げ臭さを嗅いだ。


 石の上に黒い紙片が散っていた。


 見覚えのある青い綴じ糸が残っている。


 グレグはしばらく何も考えなかった。試験勉強はやり直せる。面倒だし腹は立つが、友人に借りれば済む。問題は中に挟んでいたものだった。


 入学前、家を出る朝に妹から押しつけられた栞。庭に咲いていた白い花を押して、厚紙へ貼りつけただけの不格好なもので、「お金なかったから、これで我慢して」と妹はなぜか怒ったような顔をしていた。グレグは栞なんて適当な紙でいいと思っていたし、最初の一週間は何度もどこかへ置き忘れた。それでも、いつの間にか失くさないよう本を閉じる前に位置を確認する癖がついていた。


 灰を指で崩しても、白い花は見つからなかった。


 その後、自分が何を言ったかはあまり覚えていない。犯人を見つけて胸倉を掴んだらしいし、普段からは想像もつかない罵倒をいくつか口走ったらしく、後日ディランから「お前あんな語彙あったんだな」と妙な感心をされた。


 その場へ『主人公(諸悪の根源)』が来た頃には、三人いた犯人は顔色を失っていた。彼は事情を聞くとすぐに何かしようとした。灰を戻す魔法、時間を巻き戻す術式、復元に使えそうな古代術────思いつくものを次々口にしたものの、どれも出来なかった。


 初めてだった。

 彼が何かを出来ないところを見るのは。



「俺のせいで本当にごめん。ノートも、栞も、俺が何とか出来ると思ったんだけど……燃えたものを元に戻す方法がない。俺に関わらなければ、こんなことにはならなかった」


 声がひどく沈んでいる。犯人の三人より本人のほうが青ざめていて、どうしてお前がそこまでというくらい苦しそうな顔をしていた。グレグはその顔を見ながら、急にひとつの考えへ行き着いた。



 こいつが自分に執着している理由は、たぶん自分だけがこいつを好きにならないからなのだ。


 だったら、好きになればいい。


 いや、実際に好きになる必要もない。そう見せればいいのだ。周りの奴らがやっているように笑って、褒めて、大好きだと言って、そばにいたいと言う。それだけで自分も『その他大勢』になる。そうしたら興味を失うかもしれない。少なくとも、こんな馬鹿げたことに妹の栞まで巻き込まれるよりはずっといい。


 グレグは一度息を吸った。


 それから笑った。



「俺のために怒ってくれてありがとう! きみは本当に優しい人だし、俺、そういうところが大好きだよ。だからもう気にしなくていい。どうか俺も、これからずっときみの傍に置いてくれないか」


 我ながら結構うまく言えたと思った。声にも瞳にも、それらしい好意を乗せる。やれば出来るじゃん、俺。演劇部に入っても食っていけるかもしれない。そんな場違いなことまで頭の片隅へ浮かんだ。



 『主人公』は動かなかった。



「ああ……」



 肯定かと思った。


 違った。


 吐息だった。




「あ、ああ、あーー……」




 身体を折り曲げ、肺から押し出された空気が長い音になる。顔を覆うでもなく、胸を押さえるでもない。ただ笑っていた。グレグが今まで見たことのない笑い方で、嬉しいのか苦しいのか、そのどちらでもあるのか分からない。見た瞬間、背中の毛が総立ちになった。




 あ、これヤバい。


 そう思ったときには、もう遅かった。


 世界が白くなった。


 爆音すら聞こえなかった。物の輪郭だけが一瞬、鉛筆でなぞったように黒く残る。校舎の窓、並んでいた木々、石畳、犯人たちの身体。全部が線になり、その線まで消えた。



 次にグレグが意識を取り戻したとき、自分はえぐれた地面の中心へ立っていた。少し離れた場所に土の断層があり、そこから先にようやく本来の地面が続いている。見上げると空がやけに広い。建物がないからだった。学園もない。中庭も、噴水も、昼になると不味い魚料理を出す食堂も、夜中に誰かが廊下を走る寮も消えていた。もちろん人間もいない。


 そこにいるのは、グレグと彼だけ。


 金色だった髪は黒く変わり、青い瞳には赤が滲んでいる。額が焼けるように熱くなり、グレグが触れると皮膚の下で何かが脈打った。そこへ刻まれた黒い印が何なのか、その時点では知る由もない。


 彼は笑っていた。


 それだけ見て、グレグはなぜか昔、自分が言ったことを思い出した。



 魔王でも出てきてくれたら。



 ああ。



 本当に出た。




 そこから先は、後世の歴史書のほうが詳しい。女神の寵愛を一身に受けた青年が突如として堕落し、聖属性を失って闇へ転じた。


 学園一帯は一夜にして消滅し、ただ一人生き残った少年の額には魔王の印が刻まれていた。さらに奇妙なことに、魔王が失ったはずの強大な聖属性魔力はその少年へ移っている。グレグ本人としては、目を覚ました途端に神官から「あなたには女神の奇跡が宿っています」と涙ぐまれたとき、奇跡という言葉の使いどころそこか? と思ったくらいである。


 その後も世の中は勝手に話を大きくした。「魔王誕生の瞬間に女神が唯一救った少年」「魔王へ立ち向かうため選ばれた聖なる魔導士」「光と闇の因縁を背負う者」。新聞を読むたび、グレグは知らない自分が増えていった。


 王都で肖像画を売られているのを見つけたときには三枚買った。一枚は実家へ送り、一枚は酒場の的当てに使い、残りは顔が本人より男前だったのでなんとなく取ってある。後々はこれを遺影として歴史の隅にでも残してもらう予定だ。



 やがて魔王討伐のため勇者一行が結成され、グレグもそこへ加わった。


 本人に崇高な使命感があったかというと、そうでもない。あいつのことを知っている人間が自分しかいないなら行くしかない、くらいの気持ちだったし、額の印を調べたいという神殿側の思惑もあった。


 旅は物語ほど格好よくない。勇者は寝起きが悪く、騎士は料理が壊滅的で、聖職者は酒に強すぎる。グレグ自身も聖属性魔法を使えるようになったからといって人格まで高潔になったわけではなく、野営で自分の毛布を勝手に使われれば追い出すまで蹴り続けたし、これみよがしに消臭と消毒の魔法を目の前で掛けた。


 魔王城まで、あと二日の町へ着いた夜だった。


 そこは街道沿いの小さな宿場町で、魔王領が近いせいか旅人も少ない。泊まった宿の一階が酒場になっており、天井から吊るされた油灯が煤けた梁をぼんやり照らしていた。


 外では細かい雨が降り、扉が開くたび冷えた湿気が足元へ滑り込む。勇者は煮込み料理の人参を避け、聖職者は三杯目の葡萄酒を頼み、騎士は明日の行程を地図で確かめている。

 グレグは薄い麦酒を舐めながら、皿の端に残った豆を匙で追い回していた。無事に逃げ切った豆が床に落ち、横を通った給仕のヒールに潰された頃、誰が言い出したのか「魔王に会ったら何を言う」という話になった。


 騎士は「投降を勧める」と真面目に答え、聖職者から「まず攻撃されると思いますけど」と笑われた。勇者は少し考えた末、「俺は別に言葉を交わすつもりはない。あいつが何者だったとしても、今やっていることを止める」と言ったあと、グレグへ視線を向ける。


「そういえば、お前だけは昔の魔王を知ってるんだよな。学園の生き残りだって話は聞いたけど、詳しいことを聞いたことない。あいつのこと、恨んでるのか?」


 グレグは匙で豆を潰した。


「好きか嫌いかで聞かれると困るんだよな。嫌いっていうには、俺あいつと結構一緒に菓子食ったし。好きって言ったらもっと困る。あいつ、その言葉で一回世界の一部を消してるから」


 卓が静かになった。


 勇者がゆっくり眉を寄せる。「……今、ものすごく重要なことをさらっと言わなかったか?」


「言ったかも。まあ、魔王が生まれた瞬間に立ち会って唯一生き残った、って世間じゃ言われてるけどさ。たぶん俺が魔王作っちゃったんだよな」


 騎士の手から干し肉が落ちた。聖職者は飲みかけの杯を置き、勇者だけが何度か口を開け閉めしたあと、諦めたように額を押さえる。


「お前、それをなんで魔王城まであと二日の酒場で初めて話すんだよ。もっと前に報告する機会、いくらでもあっただろ。それを起点に、なんかこう……あっても良かっただろ、絆イベント的なものが……」


「説明すると長いし、俺にもよく分かんない部分多いし。そもそも『俺があいつに好きだって言ったら学園が消えました』なんて真顔で報告して、信じてもらえると思う? 俺なら信じない」


 それはそうかもしれない、と誰も言わなかったものの、全員の顔に少しだけ出ていた。厨房のほうで皿が割れ、店主が誰かを怒鳴っている。外の雨脚が強くなり、窓硝子へ細い筋を何本も作った。勇者が深く息を吐き、もう一度グレグを見る。



「それで、お前は魔王に会ったら何を言うつもりなんだ? 謝るのか。それとも、今度こそ本当に好きだって言うのか」


 グレグは麦酒を一口飲んだ。ぬるくなっていた。


「どっちもしない。たぶん俺、あいつのこと嫌いじゃないんだと思うし、だからって好きかって聞かれるとそれも違う。今でも普通に怖い。でもまあ、死ぬかもしれないなら一個くらい、昔から変わってないことをちゃんと言っとこうかなって」


 薪が爆ぜ、酒場の隅で火の粉が小さく跳ねた。仲間たちは黙って続きを待っている。グレグはその顔を順番に眺めてから、少し笑った。




「お前のそういうとこ、マジで引くからって」





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