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焼き網の上の王国

作者: さいべり屋
掲載日:2026/07/06


 じゅっ。


「貴様との婚約を破棄する……っ」

「殿下、突然なんなんですの」

「貴様の悪逆不埓な行状にはもう勘弁ならぬのだ!」

「あらあら、身に覚えがございませんわね」

「白々しいぞ、俺の育てたタン塩ばかり狙いやがって。この、悪役令嬢がっ」


 じじじ、じじ。

 わたしと殿下は、脂煙を上げる焼き網を挟んで向き合っている。


「まああ」

 わたしは令嬢らしい仕草で優雅に扇を揺らすと、立ち込めた煙を殿下の方に追いやった。

「肉は天下の廻りものですわよ。欲しければ奪い取りなさいな」

「けほっ」

 輝くような金髪の王子様は、目に涙を溜めてわたしを睨みつけた。


 かわいそうな王子様。

 わたしがいなければ生きてゆけない。

 だから、婚約破棄は冗談だ。



「網はまだいいわね。上物のカルビが手に入りましたの」

 返事も聞かず、白い網目の入った肉片を焼き網に乗せる。


 じゅわわっ。

 涙目のままの殿下の瞳が、滴り落ちる脂の糸に吸い寄せられる。


 初めて会ったときの殿下は、薄汚れて痩せた子供だった。

 死んだ目をした子供だった。

 気紛れで肉を焼いたら懐かれて、あれよという間に婚約者になった。


 王が戯れに手を付けた下女の子だ。

 卑しくて尊い、腫れ物の子だ。

 下手に野心でも持たれれば厄介。

 政略でどこぞに押し付けようにも、有難がって押し戴くには母の身分が低すぎた。


──死んでくれないかな。

 生まれながらにそう願われた子だ。


 かといって、自ら手を下したくはない。

 流れる血潮は確かに青く、政敵どもに付け入る隙を与えることになる。

 そんな思惑の隙間をくぐって、ぼんやりと死を望まれながら、どうにかこうにか生きてきた男だ。


 かわいそうな王子様。

 わたしがいなければ生きてゆけない。

 だから、婚約破棄は冗談だ。



 霜降りの肉に浮かんだ雫が、燃え盛る火に油を注いだ。

 氷をひとつ。網の上で転がして火をなだめてから、わたしは少し端の焦げたカルビを殿下の皿に移した。

「ほら、焼けましたわよ。ちゃんと野菜もお食べなさいな」

「……朕は草など食わぬ」

「偉そうに。どこぞの王子様でもあるまいし」

「どこぞの王子様なんだよ、俺は」

 焦げたカルビをサラダ菜で包んでやると、殿下は文句を垂れつつも嬉しげに頬張った。


 肉は力だ。だれかの命が、そのまま生きる力になる。

 滋味迸る肉を頬張りながら、希死念慮を抱き続けるのは難しい。

 だからわたしは、時折彼と網を囲む。




 たっぷりの栄養を与えると、殿下はみるみる背が伸びた。

 垢じみた身をゴシゴシ擦ると、輝く美貌が現れた。



 ああ、かわいそうな王子様。幼き頃の肉ひと切れで、つまらぬ女に押しつけられて。

 こんな美貌を持っているのに、彼には戀も許されない。

 網の上の肉片の、裏面の具合を推し測るように、ふたりはいつも戯れながら肉を食う。



「……おまえは、王妃になりたくはないのか」

 肉の塊をごくりと飲み込んで、殿下が言った。いつの間にか張り出した喉仏が、大きく動く。

「まああ。王位簒奪ですか。意外と野心家」

「違う」

 空のジョッキを振って合図をすると、すぐに代わりの杯が置かれた。


「おまえには、贅を尽くした晩餐が似合う。噛めば溶けるような肉が似合う。たったひとときの憐情で、こんな狗肉を押し付けていい女ではない」

 食い入るように網を睨んで、殿下が声を絞り出した。

 濛々たる煙に紺碧の瞳が燻されて、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。


「下卑た肉など棄ててしまえ。おまえが望めば、本物の妃にもなれたのに」



ちりり。

焼き網の前で小さくなるので、金の前髪に焦げ目がついた。

「……まああ」

 わたしはまた、扇で煙を押し返す。


「わたしはね、殿下」

 塩味のすこし効きすぎたカルビを、わたしは口に放り込んだ。

「──食べない肉は焼かない主義ですのよ」


 じ、じじ、じじ。

 あんまり殿下が濡らすので、七輪の火も消えそうだ。

 わたしはそれを尻目に、よく焼けた肉を頬張った。




 ああ、かわいそうな王子様。

 わたしがいなければ生きてゆけない。

 小さな網目の王国で、恋人たちは肉を食う。


最後までお読みいただきありがとうございました。


本作は「やきにく短編料理企画」参加作品です。

活動報告におかわり焼肉へのリンクをご用意していますので、ぜひお運びください。


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― 新着の感想 ―
何とも胃が痛い……ぢゃ、なかったw 何とも言い難い味わい深い逸品ですた♪ (゜д゜)ウマー 主人公も訳アリアリのアリっぽいでつぬ。主人公、元王妃候補の1人だったとか、色々捗りまつが……………「2人は…
最初の会話でギャグテイストかと思ったら、想像以上に話が重かった∑(OωO; ) 王の火遊びで生まれた王子。 死を望まれ、だけど手を下される事もなく、生き長らえた王子。 宛がわれたのは賢くて、だけど少し…
焼き網を挟んで差し向かいで焼肉というのも良い物ですね。 殿下もかなりの苦労人だったようですが、こうして信頼出来る異性と一緒に食事出来るのは紛れもなく幸福だと思います。
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