焼き網の上の王国
じゅっ。
「貴様との婚約を破棄する……っ」
「殿下、突然なんなんですの」
「貴様の悪逆不埓な行状にはもう勘弁ならぬのだ!」
「あらあら、身に覚えがございませんわね」
「白々しいぞ、俺の育てたタン塩ばかり狙いやがって。この、悪役令嬢がっ」
じじじ、じじ。
わたしと殿下は、脂煙を上げる焼き網を挟んで向き合っている。
「まああ」
わたしは令嬢らしい仕草で優雅に扇を揺らすと、立ち込めた煙を殿下の方に追いやった。
「肉は天下の廻りものですわよ。欲しければ奪い取りなさいな」
「けほっ」
輝くような金髪の王子様は、目に涙を溜めてわたしを睨みつけた。
かわいそうな王子様。
わたしがいなければ生きてゆけない。
だから、婚約破棄は冗談だ。
「網はまだいいわね。上物のカルビが手に入りましたの」
返事も聞かず、白い網目の入った肉片を焼き網に乗せる。
じゅわわっ。
涙目のままの殿下の瞳が、滴り落ちる脂の糸に吸い寄せられる。
初めて会ったときの殿下は、薄汚れて痩せた子供だった。
死んだ目をした子供だった。
気紛れで肉を焼いたら懐かれて、あれよという間に婚約者になった。
王が戯れに手を付けた下女の子だ。
卑しくて尊い、腫れ物の子だ。
下手に野心でも持たれれば厄介。
政略でどこぞに押し付けようにも、有難がって押し戴くには母の身分が低すぎた。
──死んでくれないかな。
生まれながらにそう願われた子だ。
かといって、自ら手を下したくはない。
流れる血潮は確かに青く、政敵どもに付け入る隙を与えることになる。
そんな思惑の隙間をくぐって、ぼんやりと死を望まれながら、どうにかこうにか生きてきた男だ。
かわいそうな王子様。
わたしがいなければ生きてゆけない。
だから、婚約破棄は冗談だ。
霜降りの肉に浮かんだ雫が、燃え盛る火に油を注いだ。
氷をひとつ。網の上で転がして火をなだめてから、わたしは少し端の焦げたカルビを殿下の皿に移した。
「ほら、焼けましたわよ。ちゃんと野菜もお食べなさいな」
「……朕は草など食わぬ」
「偉そうに。どこぞの王子様でもあるまいし」
「どこぞの王子様なんだよ、俺は」
焦げたカルビをサラダ菜で包んでやると、殿下は文句を垂れつつも嬉しげに頬張った。
肉は力だ。だれかの命が、そのまま生きる力になる。
滋味迸る肉を頬張りながら、希死念慮を抱き続けるのは難しい。
だからわたしは、時折彼と網を囲む。
たっぷりの栄養を与えると、殿下はみるみる背が伸びた。
垢じみた身をゴシゴシ擦ると、輝く美貌が現れた。
ああ、かわいそうな王子様。幼き頃の肉ひと切れで、つまらぬ女に押しつけられて。
こんな美貌を持っているのに、彼には戀も許されない。
網の上の肉片の、裏面の具合を推し測るように、ふたりはいつも戯れながら肉を食う。
「……おまえは、王妃になりたくはないのか」
肉の塊をごくりと飲み込んで、殿下が言った。いつの間にか張り出した喉仏が、大きく動く。
「まああ。王位簒奪ですか。意外と野心家」
「違う」
空のジョッキを振って合図をすると、すぐに代わりの杯が置かれた。
「おまえには、贅を尽くした晩餐が似合う。噛めば溶けるような肉が似合う。たったひとときの憐情で、こんな狗肉を押し付けていい女ではない」
食い入るように網を睨んで、殿下が声を絞り出した。
濛々たる煙に紺碧の瞳が燻されて、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
「下卑た肉など棄ててしまえ。おまえが望めば、本物の妃にもなれたのに」
ちりり。
焼き網の前で小さくなるので、金の前髪に焦げ目がついた。
「……まああ」
わたしはまた、扇で煙を押し返す。
「わたしはね、殿下」
塩味のすこし効きすぎたカルビを、わたしは口に放り込んだ。
「──食べない肉は焼かない主義ですのよ」
じ、じじ、じじ。
あんまり殿下が濡らすので、七輪の火も消えそうだ。
わたしはそれを尻目に、よく焼けた肉を頬張った。
ああ、かわいそうな王子様。
わたしがいなければ生きてゆけない。
小さな網目の王国で、恋人たちは肉を食う。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本作は「やきにく短編料理企画」参加作品です。
活動報告におかわり焼肉へのリンクをご用意していますので、ぜひお運びください。




