熊さんに出会った
ツキノワグマ。食肉目クマ科クマ属に分類される食肉類で本州最大の哺乳類。胸部には三日月型の白い斑紋がある。
それが、三十メートルほど離れたところにいて、花咲く森の木々の間から私の方をジッと見ていた。
熊さんが私に何の用? 白い貝殻の小さなイヤリングを届けに来た? わけじゃないわよね。
ということは……
「キャー!」
私は思わず悲鳴を上げた。
「どうした!?」
「く……く……熊!」
「なに! 銃だ! 銃を向けろ!」
「え? あ! はい」
そうだった。私は銃を持っていたんだ。
一応使い方は知っている。安全装置を外して、こっちへやってくる熊に銃口を向けた。
え? 私、銃を向けてどうするの? 引き金を引くの? 撃ったら熊さん、死んじゃうのだけど……
「何をしている!? 早く撃て」
いや! ムリ! ムリ! ムリ! 私に熊さんを撃つなんて無理ぃぃぃ!
ドーン!
銃声が響いたのは、熊さんが私まで三メートルまで迫ったとき。
熊さんは、そのまま倒れて動かなくなった。
え? 私が撃ったの? 撃った覚えがないけど……
いや違った。
倒れた熊の後にドローンが浮いていたのだ。
「あなたがやったの?」
私はドローンに話しかけた。
「はい。私が熊を撃ちました。お怪我はありませんでしたか? 各務原情報管理官」
このドローン、私を知っている!
「あなた、どうして私を知っているの?」
「私は警視庁所属無人巡回機、武蔵野二十八号です。武蔵野自然保護区に入った人はすべて把握しております。私は保護区内に入った人の護衛を任務としております」
そんな事になっていたんだ。
私は倒れている熊に視線を向けた。
「死んじゃったの?」
「いいえ。今、使用した弾丸は電撃弾です。熊の皮膚を貫通する威力はありませんが、熊を気絶させられるだけの高圧電流を発生させます」
よかった。
「なんだ、生きていたのか?」
え? 声の方を振り向くと、朝霞さんが血塗れの包丁を持って立っていた。
「せっかく、熊料理が作れると思ったのに」
食う気だったんかい!
「それにしても、環境省なら分かるが警視庁のドローンが巡回しているとは思わなかった。武蔵野二十八号と言ったな。おまえら、いつから自然保護区を巡回するようになった?」
朝霞さんの質問にドローンは丁寧に答えた。
「はい。我々無人巡回機に指令が発せられたのは、三百三十六時間前になります」
「それは総統括AIからの指示か?」
総統括AIと言ったら、日本のすべてのAIをまとめているAIよね。こういう事って警視庁のAIが指令を出すのじゃないかしら?
「はい。総統括AIから警視庁AIに指示された命令です」
「そうか」
朝霞さんは私の方を向いた。
「熊が目を覚ます前にここを離れよう」
「え? でも和牛は……」
「もう解体は終わった。後はポータブルスキャナーで牛肉の三次元データを読みとるだけだ」
「肉は持ち帰らないのですか?」
「データさえ取ってしまえば、プリンターでいくらでも出せるだろ。肉は電撃で痛い思いをさせてしまった熊への詫びに置いていく」
それでも、保冷バッグに入れて運べるだけの肉は持って帰ることにした。
湿地帯の上に設けられた木道を、私と朝霞さんは無言で歩いていた。朝霞さんは何か考え事をしているようだ。
熊のレシピでも考えているのかしら?
朝霞さんが口を開いたのは、自然保護区の出口が近づいてきた時の事……
「ヘパイストスの正体が、なんとなく分かってきた」
え?
「俺が以前にここで狩りをした時、イノシシに襲われたと言ったな。あのとき、ここには環境省のドローンがいた。だが、環境省のドローンは武装がない。人が襲われても助ける能力がない。だから武装している警視庁のドローンが巡回するようになった。二週間前からな」
「そのようですね」
「そして、同じ二週間前に大規模なデータ更新があり、ロボットが料理事故を予測できるようになった。ヘパイストスがサイバーテロを仕掛けたのはその直後」
「つまり、ヘパイストスはそういう体制が整うのを待ってから、テロを行ったという事ですか?」
「そうだ」
「死傷者を出したくないから?」
「少し違う。死傷者を出したくなかったのではない。死傷者を出すことが、最初からできなかった。ヘパイストスとはそういう存在だ」
え? という事は、ヘパイストスは人に危害を加えることができない存在という事?
でもそれって……




