4話
走る走る走る。とにかく逃げる。息が切れて血の味がする。
「リンさん頑張ってくださいーい!怪我は私が治しますから~逃げないで~!」
「はッ、う、、無理にィ、決まってるでしょ!?!?!?!?げほッ」
リンの悲痛な叫びが木霊する。
逃げ回るリンの後ろには普通の熊よりも二回りはデカい熊。ジャイアントベアと呼ばれるそれは鋭く伸びた爪を振り回し、鋼鉄のような硬さをもつ毛に包まれた身はぶつかった木を倒壊させていく。
「逃げたらもっと追いかけてきますよ。やればできる!です」
「いやこいつの爪、剣弾くし体毛硬いしぜんっぜん攻撃入んないんですけど?!?!うぉあ!?」
飛んで跳ねて鋭い爪から繰り出される斬撃をどうにかといった様子で避ける。
普段から床に寝っ転がったりコケたりしている小さい子どもたちを踏み潰さないようにと飛んで跳ねている経験が生きているのであろう。飛び散った小石や倒れてきた木片などによる多少の切り傷や打撲はあるがジャイアントベア自体の攻撃による怪我は未だ一切受けていない。
実際、熊の一撃が恐ろしいのは攻撃を喰らったことがなくとも分かるだろう。
森の中に入る前に村長に聞いた話だが、普通の熊でも顔に一撃喰らえば皮は剥がれ、顔のパーツはぐちゃぐちゃになるらしい。骨が砕け散る場合もあるそうだ。
普通の熊でもそんな被害を出すというのにジャイアントベアはそういった普通の熊よりもデカい身体、鋼鉄の毛、そして爪から斬撃を飛ばす能力を持つ。
その爪から生み出される斬撃は巨石すら簡単に切り刻む。人間の身体なんてバターを切るより簡単だろう。
そうやってあの巨熊のせいで今まで何人もの村人が死んできた。そう語った村長の瞳には深い悲しみが宿っていた。
「そろそろッ、剣が折れそッなんですが!」
ジャイアントベアがエルの方へと意識が行かないようにと離れつつ攻撃を避けて、避けれない攻撃はどうにか剣で受ける。
ヒットアンドアウェイとすら言えない防戦一方。
そんな状況を変えたのは絹を裂くような悲鳴だった。
「う、うわぁぁあああ!!!!!!!!」
「ッ!?」「あら?」
悲鳴の方へと二人の視線が集まる。その先にはもう一匹のジャイアントベアと腰を抜かしてへたり込んでいるまだ4~6歳くらいの幼い少年。
村で自分たちを遠目に見ていた子供だと、不意に思い出した。
もう一匹のジャイアントベアが叫び声を上げる子供へ爪を振り上げる。
エルはその子どもとリンのいる場所を見てこの距離だと間に合わないと思った。
それは距離的な問題でもあったしリンの目の前にいるジャイアントベアのせいでもあった。
しかし、リンの身体はそんなことを思うより先に動く。先程までもう走れないと思っていたのも忘れて少年の方へと走り出す。
『考えるより先に体が動いた』
娯楽小説なんかではよく聞く言葉だろう。だからこそ現実にはないものだと、物語の中にしかない現象だとリンは思っていた。
ああ、本当に極限状態に追い込まれた人間はあり得ないような力を使えるんだな、とどこか他人事のように思考する。
ヒビが入っていた刀身が月色に光り輝き、勢いで振るった一振りで今まで一ミリも傷付けることができなかったジャイアントベアの硬い毛を切り落とす。それどころかその刃は首にまで届きボトリと落としていた。
そのまま座り込んでいた子供を素早く左手に抱え、倒れ伏したジャイアントベアの前から飛び退き即座にエルの方まで移動する。
「聖女様この子をお願いします」
「はい、承りました」
子どもがエルにしっかり抱きかかえられたのを確認するとリンはもう一体のジャイアントベアの下へと走り出した。
「GULOOOooooo!!!!!!!」
リンの殺気を感じ取ったのであろうジャイアントベアが威嚇の咆哮を上げる。
今までの追いかけっこは相手にとってただの狩りを模した遊びだったのだろう。しかしもう一体のジャイアントベアが殺されたことによってリンを遊びではなく本気で殺さなければいけない相手として認識した。
それが故に鋭い爪が本気でリンの命を刈り取る為に振るわれる。頭、首、胸と急所を次々に狙い続けるが身を捻ってリンはそれを避けていく。
そう、先程でも間一髪で避けていたというのにそれより更に苛烈さの増した攻撃をリンは避けることができていた。
(なんで避けれてるんだ?なんか、熊の動き見てからでも避けれてる。間に合ってる?)
よそ見をする余裕すら今のリンにはあった。違和感を感じる四肢を見る。
(ていうかなんで俺の腕、真っ暗闇みたいな色してんの!?)
困惑しながらも剣を振るう。そのたった一振りで鋭い爪を携えたジャイアントベアの腕は肘から下を切り落とされる。
突如として消えた腕とその痛みにジャイアントベアは唸り声を上げる。
そして片腕を切り落とされたジャイアントベアはリンを殺そうと大きく口を開け噛みつこうと突進する。
その足の早さは目を見張るものだった。その巨体に似合わぬ早さは馬にも勝てそうな勢いだ。
(直線方向に逃げたら絶対に追いつかれる。でも障害物になりそうな巨石とかがあるのは聖女様たちがいるとこだし~ッ!)
「あっぶな!」
流石に思考に耽る時間は無いようで、突進からの噛みつきを咄嗟に飛び退き避ける。
思っていたよりも軽やかに飛べてしまったことに驚きつつ、次の動きを探ろうとジャイアントベアが突進していった方向へと目を向けた。
直後、何かがぶつかったような轟音が響く。
その音は丁度ジャイアントベアが突進していった方から鳴っていて、その方向に視線を向けると倒れ伏した巨木と頭を抑えてもんどり打っているジャイアントベア。
巨木にぶつかったのはなかなかのダメージになったようだがすぐに立ち直りこちらへと視線を向けてくる。
その光景にリンは一つの作戦を思いつく。
周囲をさっと見回し目的の物を見つけると覚悟を決めた。そして大きく息を吸い、できる限りの大声で叫んぶ。
「こっちだー!!こっちへ来てみろー!」
多分叫ぶ内容は咆哮でもなんでもよかったとは思うのだが、ぱっと思いついた言葉を適当に叫んでいた。
そのまま声を上げながら目をつけていた位置まで全力で走る。
そうやってまるで逃げるかのように走るリンをジャイアントベアは追いかけてくる。
その速度は心做しか先程よりも早いように見える。
しかし、そうやって速度を上げさせることも作戦の一つ。
目的の場所まで着くとジャイアントベアが来るギリギリまで剣を構えてリンは待つ。
(今だ!)
リンを噛み殺そうと口を開き速度を落とさないまま走り込んできたジャイアントベアを見て、そのまま垂直に飛び真上にある木の枝に一瞬掴まる。
目の前からリンが居なくなったことに驚きつつも速度を落とすことができないジャイアントベアがそのままリンが掴まっている木にぶつかり木を倒す。
馬車は急には止まれない、とはよく言うが勢いの着いたデカい物体は急には止まれないものだ。
倒れていく木とは逆にジャイアントベアの方向へと飛びリンは剣を一閃振るう。もう二度も体験したことだ。変に力を込めなくても良い。ただ振るう、それだけでいい。
「Ugololoo、ooo、o?o、?」
咆哮は途切れゴトリと首が落ちた。落ちた首を見て詰まっていた息が再開する。
「か、てた?しんだよ、な?」
恐怖と安堵が身体を震わせる。腰が抜けて座り込んでしまったリンの手は震えていた。
肉を断った感覚が身体に掛かった血の生温かさがあまりにリアルで気持ち悪さすら感じてしまう。
勝てたというのに鼓動の激しさは増し、吐き気は止まらなかった。
そんな状態のリンの肩に手を置く存在がいた。
「お疲れ様ですリンさん。お怪我はありませんか?」
「、、あ、せいじょ、さま」
「はい、エルですよ」
そういっていつものように太陽みたいに笑うエルに安心して更に力が抜けた。
震えているリンの手を包み込みエルは心配そうに眉をひそめる。
「震えていますね。でもとても素晴らしい戦いでしたよ。ほら、見てください!さっきの男の子も無事です!」
ほら、とエルに背中を押されて出てきたのは先程までジャイアントベアに襲われて腰を抜かしていた少年。
ぼたぼたと涙を流している幼い少年にはパッと見た感じ怪我をした様子はなかった。もしかしたら擦り傷くらいはあったかもしれないがエルが治したのかもしれない。
星の聖女は傷を癒やす事ができる《星の奇跡》という力を持つと聞いたことがある。
「切り傷が酷いですね、とりあえず今治せる部分はパパっと治しちゃいますね」
「あ、はい。ありがとうございます?」
そう言われて意識してみると傷がじくじくと痛み出した。今まで痛くなかったのは戦闘への興奮でアドレナリンがドパドパ出ていたからもしれない。
もしくは紙で切った傷が気づくまで痛くないのと似た感じなのかもしれない。
治すと言ったエルは普段から腰に携えている杖を取り出すと両手でしっかりと握りしめ、まるで祈るかのように目を閉じた。
すると周囲に小さい光の泡のようなものが現れ、それが傷口に触れると傷が消え始める。
その光はまるで夜空の星々のようで、だから《星の聖女》で《星の奇跡》なのかと漠然と思う。
大体の目に見える傷が癒えるとエルは祈りを止めまたふわりと微笑んだ。
「どこか痛みがある場所はありませんか?」
「はい、ないです。本当にありがとうございます」
「私がお願いして討伐して頂いてるのですからこれくらいは当然ですよ」
「いや、でも、凄かったです。傷がどんどん消えていって痛みもなくなって。始めて見たんですけど|《星の奇跡》って本当に凄いですね」
「私の力はまだまだですよ。それよりもリンさんの《月の魔法》のほうが素晴らしかったです」
「いや、俺なんてそんな、、、ん?」
「どうされました?」
当然のように出された《月の魔法》という単語にリンの思考が止まる。
言葉に詰まったリンを不審に思ったのかエルは不思議そうな顔をしていた。
「、、、《月の魔法》って、何ですか?」
「、、その説明は後でにしましょう。この子の親御さんも心配しているでしょうし」
「あ、、、はい」
確実に話を逸らされた。何か不都合なことでも聞いてしまったのだろうか。
いやしかし、先にその単語を出したのは聖女様の方だし。と狼狽しながら幼い少年の手を引きつつ村へと先行するエルの背中を追った。
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