島が灰に覆われるとき
久仁波 文寿です。
パニック小説です。ハッピーエンドではありません。
苦手な方は、ご注意ください。
夏休み。俺は大学の講義から解放され、久しぶりに実家のある島へ帰省していた。
人口わずか二百人ほど。古い神社と港しかない火山島。都会から来れば何もない不便な場所だが、海の青さと潮の匂いは懐かしく、両親と妹に会えるのは何よりも嬉しかった。
だが、その穏やかな日常は長くは続かなかった。
昼下がり、地鳴りのような轟音が島を揺らした。
最初は、単なる地震だと思った。
畳が跳ね上がり、壁が崩れ、母が悲鳴を上げる。外に飛び出すと、道は割れ、瓦屋根が次々と落ちてくる。港では漁船が鎖を引きちぎられ、波に叩きつけられていた。
次の瞬間、山頂から黒煙が立ち上った。火山が噴火したのだ。
赤黒い噴煙が空を覆い、火山弾が轟音とともに降り注ぐ。ひとつは隣家に直撃し、木材と人影が爆ぜた。
「逃げろおおおっ!」
誰かの絶叫。
だが、逃げ場はなかった。
細い路地に人々が殺到し、押し合い、罵声と泣き声が入り乱れる。
「順番だ! 押すな!」
「子供が潰れる!」
必死の叫びも虚しく、群衆は雪崩のように転び、下敷きになった人の骨が折れる音が響いた。
「お兄ちゃん!」
俺は必死に妹の真琴の手を探した。しかし見つけられない。気づけば炎と灰に囲まれ、逃げ惑う島民たちに押し流されていた。
どれほど走ったか分からない。気づけば、俺は港近くの倉庫の陰で息を切らしていた。
隣には幼なじみの和也、中学の後輩の美希、そして数人の島民がいた。顔は煤で真っ黒、誰もが震えていた。
「……俺たち、助かったのか?」
和也が呆然とつぶやく。
だが、助かったわけではなかった。
港は黒い灰に埋もれ、海は沸騰したように泡を噴き上げている。船は次々と炎に包まれ、軋む音を立てながら転覆していった。空気は熱と焦げた臭いで肺を焼き、息を吸うことすら苦しい。
「……家族を探さなきゃ」
喉が張りついて、声は震えていた。父も母も、そして真琴も──あの地獄の中で、まだ生きているはずだと必死に信じた。
「俺も行く!」
和也が声を張り上げる。恐怖で瞳を揺らしながらも、拳を握っていた。
「私も連れていって」
美希も息を荒げ、涙に濡れた顔で言った。
気づけば、そこにいた全員が立ち上がっていた。それぞれが、燃え崩れる街の中へと家族を探しに向かおうとしていた。
誰も止められない。立ち止まれば、その瞬間に恐怖と絶望に呑み込まれてしまうからだ。
炎と煙が立ち上がる集落を、俺たちはよろめきながら進む。崩れ落ちる家屋の轟音が背後から迫り、いつ頭上に瓦礫が降ってくるか分からない。喉を刺す煙の中で、何度も立ち止まりそうになる。
その時だった──。
路地の奥に、人影が揺らめいた。
「生存者だ!」と皆が駆け寄り、声をかける。
だが、それは違った。
皮膚が黒く焼け崩れ、眼窩からは灰がこぼれ落ちていた。生者ではない──ゾンビとしか言えなかった。
そいつは喉を裂くような呻きをあげ、口を異様に広げて、俺たちへと突進してきた
「ひっ!」
誰かが悲鳴を上げる。
その瞬間、そいつは美希に飛びかかり、首筋に食らいついた。血と灰が飛び散り、美希が絶叫する。
「いやあああ! 助けて!」
和也が必死に棒を振り下ろし、ゾンビの頭蓋を叩き割った。ぐしゃりと骨が砕け、血の代わりに黒い灰が噴き出す。
それでも止まらず、和也は何度も何度も棒を振り下ろした。やがて、そいつは動かなくなった。
しかし、美希も──。
悲しみに沈む余裕などなかった。
路地の奥から、新たに複数の影が揺れながら現れる。焼け爛れた顔、濁った呻き声、伸ばされる手。──ゾンビたちが群れをなして迫ってきた。
「逃げろ!」
俺たちは一斉に走った。
灰は絶え間なく降り、息を吸うたびに肺が焼けるように苦しい。
逃げ惑う中で、仲間は一人また一人と失われた。
港から船で脱出しようとした男はゾンビたちに群がられ、海に落とされた。
神社に逃げ込んだ少女は、扉を閉める寸前に足を掴まれ、絶叫を残して闇に引きずり込まれた。
やっとの思いで逃げ込んだ小学校の体育館。
そこには十人ほどの島民が集まっていた。怯えた顔で見る者、隅で泣き崩れる者もいたが、落ち着いた様子だった。
だが、外から呻き声が近づいてくると、場はすぐに崩壊した。
「お前らが連れてきたんだ!」
「違う、俺たちのせいじゃない!」
責任をなすりつけ合い、押し合い、怒号が飛び交う。
やがて扉が破られ、ゾンビたちが雪崩れ込んだ。
「いやだあああ!」
「助けて!」
狭い体育館は阿鼻叫喚と化した。ゾンビに押し倒され、血と灰にまみれた肉を喰われる。仲間を助けようとすれば、次の瞬間には自分が引きずり込まれる。
俺は和也に腕を引かれ、裏口から必死に逃げ出した。振り返ったとき、体育館の中はすでに人の姿が見えず、呻き声だけがこだましていた。
「もう無理だ! こんなの……」
俺は足を止め、泣き言を漏らした。
「諦めるな! 絶対に生き延びるんだ! 家族を探すんだろ!」
和也の怒鳴り声が鼓膜を打つ。その言葉に背を押され、俺たちは再び灰にまみれながら駆け出した。
だが──
次の瞬間、頭上から火山弾が落ち、地面ごと爆ぜた。
気づけば、和也もいなくなっていた。
俺はただ一人で、焼け落ちた家々の間をよろめき歩いていた。
辿り着いたのは、俺の実家だった。半壊し、瓦礫と灰に埋もれている。
中に入ると、黒く焼けた三つの人影が寄り添うように倒れていた。父、母、そして妹──真琴。
「……やっと、見つけた……」
俺は泣き崩れた。
そのとき、視界の端にもう一つの影があった。畳の上にうつ伏せに倒れている。隣には帰省の際に背負ってきたリュックが焼け残っていた。
俺自身だった。
思い出す。地震と噴火。屋根が崩れ、火山弾が直撃したのだ。あのとき、俺も家族と一緒に死んでいたのだ。
和也も美希も、他の島民も。皆すでに死んでいた。ただ、死を認められず、魂だけが島を彷徨っていた。
身体は透け始め、指先が灰の風に溶けていく。恐怖はなかった。ただ、家族のもとへ戻れる安堵だけがあった。
最後に見たのは、黒い灰に沈む島の姿。
約二百人の島民は、誰一人として生き残らなかった。
だが、確かにここには生きようと踠き、死を拒んだ魂の群れがあった。
その痕跡すら、やがて灰とともに静かに海へと消えていった。
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