夢で逢えたら
(1)
これは夢の話。
僕と彼女の、夢の話。
1
花粉が飛び始めたのは、四月のはじめだった。
午前の授業が終わった直後、黒板に映った文字がいつもより白く見えたのを、今でもなんとなく覚えている。隣の席のやつが笑い声を上げると、耳の奥が軽く痛んだ。喉が少しだけひりついて、目の奥に熱がこもるような感じ。その程度の、不調。
季節の変わり目だし、昨日寝る前は少し空気が冷えていた気もするし、まあそんなもんだろうと考えて、僕は保健室に行くでもなく、教室の隅で黙って昼休みをやり過ごした。
周りの会話は遠くの雑音みたいに聞こえて、窓の隙間から入り込んできた風が、春の匂いを運んでくる。
この季節は、どうにも身体がだるくなる。たぶん花粉のせいだ。いや、眠いだけかもしれない。どっちでもいい。
昼食を食べずに午後の授業をぼんやりと受け流し、いつもより早く帰ると、ベッドに横になった途端、まぶたが重くなった。目を閉じた瞬間、世界がやわらかく歪んだ。
2
その日は、やけに長い夢を見た。
だけど、内容は何1つ思い出せなかった。ただ、目を覚ましたとき、胸の奥に熱が残っていた。それが何の感情なのか、自分でもはっきりとしない。悲しいような、懐かしいような、あるいは名前のない何かの後味だった。
3
翌朝、熱を測ってみると平熱だった。咳も出なければ鼻水もない。ただ少し、身体が重い気がした。
病院に行くほどじゃないし、学校を休む理由にもならない。
4
学校までの道を、僕はいつもよりゆっくり歩いた。
春の陽射しはやさしくて、地面からの反射がやけに明るく感じられた。前を歩いている生徒の笑い声がやたらと遠く、すれ違った人の香水がやけに鼻についた。何かが、少しずつズレている気がした。
5
その夜も夢を見た。
けれどやっぱり、目覚めた瞬間にはすべてが霧の中に消えていた。ただ、前日よりも強く、誰かと会話していたという感覚だけが残っていた。誰かの声。高くて、よく響く声。名前も顔も思い出せないのに、その声だけがやけに鮮明に耳に残っていた。
6
三日目の夜、夢は輪郭を帯びた。
川沿いの道を、僕は一人で歩いていた。風は暖かく、日差しは夕方の色で、足元には桜の花びらが散っていた。
向こうから走ってきた誰かが、僕を呼んだ。
「やっと会えたね」
そう言って手を振っていたのは、僕と同じくらいの歳の少女だった。明るい髪。よく笑う目。学生服の上に、少し大きめなグレーのパーカー。
どこかで見たことがあるような気もしたけれど、思い出せなかった。
「……君は、誰?」
「誰でしょう。とりあえず、こっち」
夢の中の彼女はそう言って僕の手を取った。
その手はあたたかくて、ちょっと汗ばんでいて、現実のそれと何ひとつ違わなかった。
僕は彼女に引かれるようにして歩いた。
川沿いには誰もいなかった。空は茜色で、桜が揺れていた。足元を流れる水音と、彼女の声だけが、世界のすべてだった。
7
その夢は、そこで終わった。
目が覚めた瞬間、僕はしばらく布団の中で動けなかった。
心臓が妙に速く動いていて、体温も高かった。時計を見るとまだ午前四時で、外はうっすら明るくなり始めていた。さっきまで誰かと手をつないでいた気がする。起きてもなお、右手のぬくもりが消えなかった。
「……変な夢。」
そう呟いた自分の声が、思っていたより掠れていた。
8
不思議なのは、夢の内容をはっきり覚えていたことだった。
僕は昔から夢をよく見るほうだったけれど、そのほとんどは目覚めた瞬間に霧のように消えていった。名前も、風景も、感情さえも消える。夢を見たという事実だけが残る。
けれど今回だけは違った。彼女の笑顔も、声も、繋いだ手の感触も、何ひとつ薄れなかった。
9
朝の教室には、いつもと同じ顔ぶれがいた。友達と談笑する男子。スマホを覗き込む女子。教師の愚痴を言う声。
でも、あの夢の中の彼女の声が、教室のどんな音よりも鮮明に僕の頭の中に響いていた。
「やっと会えたね」
あれは誰だったのだろう。どうしてあんなに自然にそこにいたのだろう。
彼女はまるで「待っていた」みたいだった。僕の事を知っていて、会えるのを楽しみにしていたみたいに。
僕はその日、ずっと教室の窓の外を見て過ごした。桜の花はもうほとんど散っていて、校庭の端にピンク色の絨毯みたいに積もっていた。
夢の中の彼女は、どこから来て、どこへ消えていったんだろう。
(2)
彼女のことを、僕は何も知らなかった。
名前も、顔も、声すらも。
だけど、夢の中で出会ったあの少女は、間違いなく僕のことを知っていた。
そして何よりも― 初めて会った気がしない、というのは、たぶんこういう感覚を言うのだと思う。
僕の心は、彼女をごく自然に受け入れていた。
まるで親しい友人と再会したかのような、そんな感覚だった。
1
それからも、彼女は何度か夢に現れた。
毎回同じ川沿いの道。桜の花びらが舞う季節。水の音。風の匂い。
彼女はいつも先にその場所にいて、僕が来るのを待っているようだった。
「今日も来てくれたんだね、ありがとう」
彼女はそう言って笑った。まるで本当に、僕と約束していたかのように。
2
目を覚ますと、心が満たされているような、不思議な余韻が残った。
でも同時に、ひどく寂しくもあった。
目が覚めるたび、彼女の名前を思い出そうとして、何度も空白に手を伸ばした。
記憶のどこにも引っかからない、知らない誰か。
でも、確かにどこかで出会っていた気がする。
3
ある日、担任の先生が僕に声をかけてきた。
「悪いけど、また頼まれてくれないか?」
「昨日行ったばかりなんだけど」と悪態をついたが、「頼むよ」と差し出されたのは、授業のプリントだった。
僕の下校ルートに、病院がある。
そこに同じクラスの天野楓という子が入院している。
「おつかい」と称して、学校からのお知らせや、授業の資料を届ける事をよく頼まれている。
その子は薬の影響で一日の半分は寝ているらしい。なんだか不憫に思い、僕はついでに図書館から本を選んでは「おつかい」と一緒に渡している。読み終わると本が返却されるので、それを彼女からの近況報告だと受け取っている。
4
その日も、僕は放課後の図書館で本を一冊選んだ。
前に届けたのは冒険ものだったから、今回は少し趣向を変えて、詩集を選んだ。
内容が重すぎても読めないかもしれないし、かといって薄すぎても味気ない気がして、結局、言葉の余白が多い本を手に取った。
受付で「いつものです」と伝えると、司書の先生が慣れた手つきで貸出記録に記入してくれる。
「天野さん、感想とかくれたりしないの?」
そう言って、先生が笑った。
感想。彼女が何を思いながら読んでいるのか、知りたくないわけじゃない。
でも、知らないままのほうがいいことも、あるのかもしれない。
僕は「必要ないよ」と言い、本を受け取った。
本が返却されるということそのものが、彼女からの返事のように感じられていた。
5
病院までは、歩いて十五分ほどだった。
夕方の風はまだ少し冷たく、制服のポケットに手を突っ込んで、僕は坂を下っていく。
正面入口のガラス扉には、来客時間の制限を示す貼り紙があった。
受付で書類と本を渡すと、奥の看護師が顔を出して軽く会釈をする。
「いつもありがとうね、助かってるよ」
僕は小さくうなずき、何も言わずにその場を後にした。
帰り道、僕はふと空を見上げた。
淡い夕焼けの色が、夢の中の空に少しだけ似ていた。
6
その夜、彼女は夢に現れなかった。
布団に入って、いつものように目を閉じても、あの川辺の風景は訪れなかった。
静かな暗闇の中、僕はなかなか寝つけずにいた。
夢でしか会えない相手だなんて、ずるいな、と思った。
日常のどこにも姿を見せないのに、夢の中ではまるで僕の一部みたいに自然で。
会えないとなると、急に心に穴があく。そんな存在だった。
7
次の日も、彼女は夢に現れなかった。
二晩続けて会えないのは初めてで、それが少しだけ不安だった。
目覚めてすぐ、無意識に右手を握ってみたけれど、そこには何の温もりも残っていなかった。
8
放課後、僕はまた図書館に寄った。
何をするでもなく、ただ本棚の間を歩くだけ。誰かと話す気にもなれず、静かな場所に身を置きたかっただけかもしれない。
けれど、ふと視界の端にある棚の隙間から、誰かがこちらを見ている気配がした。
振り返ると、誰もいなかった。
空調の風がページをめくり、紙のこすれる音がかすかに響いていた。
その瞬間、胸の奥で、何かがざわめいた。
唐突に、夢の中で彼女が言った言葉が蘇る。
――「今日も来てくれたんだね、ありがとう」
僕はその場に立ち尽くした。夢と同じような言葉。
どこかで、今も彼女に見られているような気がした。
現実のどこかに、彼女の痕跡があるような。
けれど僕はまだ、彼女の名前すら知らない。
夢の中では、聞くのをためらってしまう。
現実では、尋ねるきっかけすらない。
知りたいのに、知ることができない。
その距離が、妙に心地よくもあった。
9
三日目の朝も、彼女は夢に現れなかった。
目が覚めた瞬間、どこか期待していた自分に気づいて、少しだけ肩が落ちた。
昨日も、その前の夜も、布団に入るたびに「また会えるかもしれない」と思っていた。
会える理由なんてどこにもないのに、それでも、なんとなく。
夢なんて自分で選べるものじゃないって分かっているのに。
ぼんやりと朝の支度をして、いつも通り学校へ向かう。
春の風はやけに暖かくて、少しだけ眠気を誘った。
夢の中のあの空気を、思い出すには十分だったけれど――それだけだった。
日常は、何ごともなかったかのように進んでいく。
授業の合間にふと窓の外を見て、ぼんやりと退屈を感じた。
10
その夜、夢の中でまた、あの場所を歩いていた。
川沿いの道。揺れる桜。水の流れる音。
見慣れた風景のはずなのに、そこにいるだけで、胸の奥が少しずつあたたかくなる。
ふと顔を上げると、いつの間にか隣に彼女がいた。
どうやって現れたのかも分からない。ただ、自然にそこにいる、という感じだった。
彼女は僕の顔を見ると、少し困ったように笑った。
言葉よりも先に、その笑みだけで「久しぶり」と言われた気がした。「……ちょっと、来れなかっただけ」
彼女はぽつりとつぶやいた。
僕はそれ以上何も聞かなかった。問いかける言葉はいくつか浮かんだけれど、それを口にすることは何かを壊してしまいそうな気がしたから。
「本、好きなんだね」
ふいに彼女が言った。
僕は少し驚いてから、うなずいた。
「うん、最近は……詩集とか、静かなのを読むことが多いかな」
「わかる。そういうの、頭に残るよね」
彼女は足元に目を向けて、落ちた花びらを見ながら続けた。
「私はね、ちょっと不思議な話が好き。日常に少しだけ、嘘みたいなことが混じってるやつ」
「それ、なんかわかる気がする」
そう言って、僕たちはしばらく黙って歩いた。
この時間がずっと続けばいいのに、とふと思ったけれど、それも夢の中のわがままなのだろう。
「今日は、もうすぐ終わっちゃうかも」
彼女は歩きながら、ぽつんとそう言った。
その言葉に、僕は小さくうなずいた。夢には、終わりがある。目覚めが、必ず来る。
「また、ここに来る?」
問いかけはごく自然に口をついて出た。
彼女は少しだけ顔を上げ、答えないまま視線を前に向けた。
その沈黙が、不思議と「うん」と言っているように聞こえた。
(3)
1
図書館の棚を前にして、僕はしばらく立ち尽くしていた。
何かを探しているようで、実際には何を探しているのか分からない、そんな時間だった。
夢の中の彼女の言葉がふと蘇る。
「私はね、ちょっと不思議な話が好き。日常に少しだけ、嘘みたいなことが混じってるやつ」
その声の響きが、なぜかはっきりと心に残っている。
背表紙を指でなぞりながら、僕はその言葉を手がかりに本を探した。
派手さはないけれど、どこか現実の隙間をのぞかせるような、そんな物語が詰まった一冊が目に留まった。
日常の中にひっそりとした違和感を含んだ短編集。
根拠はない。ただ、夢で聞いた彼女の好みに合う気がした。
カウンターで「いつものです」と言うと、司書の先生が穏やかにうなずいた。
そのまま本を抱えて、僕は病院へ向かう。
自分でも、なぜこんなにこだわっているのかは分からない。
ただ、あの夢の続きを、どこかで待っているだけだった。
2
特に「おつかい」もないのにここへ来たのは初めてだったから、なんとなく気持ちが落ち着かなかった。
「本だけ渡しに来ました」、「前の本が読み終わっていたらと思って」、頭の中で不自然じゃない理由探しが始まる。
入口のアルコールを念入りに塗りこんでいると、いつもの看護師さんに「今日もおつかい?」と話しかけられた。
「いえ、今日は本を渡しに」ととっさに返すと、「そう、いつもありがとうね」と笑って受付に案内してくれた。そう考える必要もなかったなと胸をなでおろして本を渡した。
3
「あの子、最近本を読むペースが早くなっているの」
看護師が少し嬉しそうにそう話すので、調子に乗って「そうだと思って、今回は短編集を持ってきました。」と得意げに言った。
看護師の話だと、薬の副作用がかなり強いらしく、起きている時間も夢の中にいる感覚になってしまうそう。今までは自分から話してくれることなんてなかったけど、本を届けるようになってから彼女なりに楽しみができて、本の感想なんかを話してくれるようになったらしい。
「君の事なんかも聞いてくるくらい、とにかく明るくなったのよ」と看護師が笑うので、「いつもありがとう」の意味がわかった気がした。
4
その帰り道、僕はいつもよりゆっくり歩いていた。
特に考えごとをしていたわけでもない。ただ、風の匂いや、街のざわめきや、少し赤みを帯びた空を、なんとなく意識していた。
今日、彼女と直接言葉を交わしたわけじゃない。
でも、彼女の中に僕のことがある、というのが、少しだけ気分が良かった。
顔も、声も、ちゃんと知らないのに。
5
久しぶりに、夢の中で彼女に会った。
川沿いの道。風はやさしく、桜の花びらがいくつも舞っていた。
彼女は、いつも通り先に来ていて、こちらを見つけてふわりと笑う。「久しぶり」
それは、ただの挨拶だったのかもしれない。
でも、妙に胸に残る言葉だった。
僕は何か言おうとしたけど、うまく言葉が出てこなかった。
代わりに彼女が話しかける。
「この前の夢、変な終わり方しちゃったでしょ。急にいなくなって、ごめんね」
「……ああ、そうだったっけ」
本当は覚えている。急に彼女の姿が見えなくなって、不安になって、目が覚めた。
でも、その不安ごと、今はもう風に溶けてしまいそうだった。
6
僕たちは、しばらく何も話さずに歩いた。
風が、彼女の髪をさらりと撫でる。光を受けて透けるようなその横顔は、どこか現実味がないのに、なぜかとても馴染んでいる気がした。
ふと、彼女が足を止めた。
「ねえ、君って、よく本を読むの?」
突然の問いかけに少し戸惑いながらも、僕は頷いた。
「うん、わりと。最近は……短編集とか、静かな話をよく読んでる」
彼女は「そっか」と小さく呟いて、少し笑った。
「……いいね。そういうの。読んでると、静かに、遠くに連れて行ってくれる感じがするよね」
「そうだね」
僕も笑って返した。
「じゃあさ」彼女が続ける。「次、夢で逢えたら、おすすめの本を交換こしようよ」
「いいね、そうしよう」
その言葉に、なぜだか少しだけ胸がざわついた。
彼女はまた歩き出し、僕もその隣をついていく。
頭によぎった可能性をすぐになかったことにした。
今はこの時間が、ただ、とても愛おしかった。
7
目が覚めた瞬間、どこか輪郭のはっきりした余韻が胸の中に残っていた。
布団の中でしばらくぼんやりしていると、夢の中の彼女の言葉がふと蘇る。
―次、夢で逢えたら、おすすめの本を交換こしようよ。
それは確かに、彼女との約束だった。
夢なんて、ただの脳の整理でしかないはずなのに。
だけど、不思議なことに、彼女と交わしたやり取りの一つひとつが、現実の言葉よりもずっと重く感じられる。
目に焼きついた川沿いの風景、春の光、風の匂い。
彼女の横顔と声―。
制服に着替えながら、僕はふと考える。
「おすすめの本」って、なんだろう。
ただ面白かった本じゃない。誰かに渡したい、と思えるような本。
そう考え始めた途端、本棚の前でしばらく立ち尽くす自分の姿が思い浮かんだ。
―選ばなくちゃ。
彼女はまた、夢に現れるだろうか。
きっとまた、川沿いのあの場所で、僕のことを待っている気がした。
8
その日の放課後、僕はまっすぐ図書館へ向かった。
春の陽射しが柔らかく差し込む館内は、いつもより少し静かに感じた。
棚の間をゆっくりと歩きながら、指先で背表紙をなぞる。
どれも既に知っている本ばかりなのに、不思議と今日はどれも違って見えた。
「誰かのために本を選ぶ」なんて、これまでの僕にはなかった感覚だ。
しかもその相手は、夢の中でしか会ったことのない少女。
それでも、彼女の言葉ははっきりと思い出せた。
「ちょっと不思議な話が好き。日常に少しだけ、嘘みたいなことが混じってるやつ」
そんな物語を探して、僕は何冊かの本を手に取っては戻し、また別の棚へと歩いていく。
ふと目に留まった文庫本。表紙はシンプルで、タイトルにも派手さはなかった。
けれど、裏表紙のあらすじを読んだ瞬間、何かが胸に引っかかった。
静かな町で起こる、奇妙だけどどこか優しい小さな事件。
その中心には、誰にも気づかれないまま存在していた、ある秘密。
―これかもしれない。
そう思って、僕はその本を抱えた。
彼女におすすめする前に、この本を天野に届けて感想をみよう。
少し利用する形になってしまうのは申し訳ないが、「おつかい」のお駄賃ということにしておこう。
いつものように「おつかいです」と司書の先生に言うと、先生は少し微笑んで、貸出記録に記入してくれた。
僕は本の裏表紙にメモを書いた紙をはさんだ。
ー感想を聞かせて
そのまま僕は、病院へと足を向けた。
僕はいつもより早く坂を上った。
9
その日は彼女は夢に現れなかった。
目が覚めた瞬間、どこか期待していた自分に気づいて、少しだけ肩が落ちた。
「また会えるかもしれない」と勝手に思っていた。
夢なんて自分で選べるものじゃないって分かっているのに。
次に夢で彼女に逢えたら、名前を聞こう。
そう決めたことで、少しだけ、今日をやり過ごせる気がした。
(4)
1
それから一週間がたっても、彼女は夢に現れなかった。
川辺の風景も、夕暮れの光も、柔らかな声も、まるで遠い出来事のように感じられる。
毎晩、布団に入るときにはどこかで期待してしまうけれど、目を閉じても何も現れず、気がつけば朝になっていた。
少しずつ、あの夢はただの夢だったのかと思い始めていた。
それでも、どこかでまた逢える気がしてならないのは、僕がただ彼女に会いたいからなのか。
2
もう一つ、気になることがあった。
天野に届けたあの本。
夢の中の彼女の言葉に沿って選んだ一冊が、どうしても気になっていた。
感想を聞きたい。それが夢のきっかけになる気がするから。
けれど、それを理由に病院へ行くのは、何かが違う気がした。
まるで答え合わせを急ぐみたいで、自分でもそのせっかちな気持ちが落ち着かなかった。
そもそも彼女が読んでくれたかも分からないのに。
そう思ってはみても、日が経つにつれて、気になって仕方がなくなっていった。
3
「最近ないけど、いいんですか?授業とか、遅れると困るし」
しびれを切らした僕は、自ら先生に「おつかい」を申し出ることにした。
「そうか、まだ話してなかったな」と先生は話し始めた。
どうやら、天野は三日後に大きな手術を控えているらしい。かなり大がかりな手術になるから、術後も回復の目途が経つまでおつかいは無しだと言う。「いつも頼ってばっかりだが、お前も面倒事から少しの間解放されるな」と先生は笑っていたが、僕としては困る。
なんでも、回復まで通常一か月ほどかかるということだ。それに順調に事が進む保証だってない。
なんとかするか、諦めてほかの方法を探すか。
不思議なことに、僕の頭の中には、天野を心配する気持ちはあまりなかった。ただ、あの本を読んだ感想、そればかりが気になっていた。
4
手術の話を聞いてから、胸のざわつきが収まらなかった。
あの本の感想を聞けないまま、時間だけが過ぎていくのがどうしても耐えられなかった。
そこで、手術の前日に、本の返却があるかどうかだけでも確認しに病院へ行くことに決めた。
5
病院の受付で本の返却を尋ねると、返却はまだないという答えだった。
しかし、看護師の一人がふと笑顔を見せながら話しかけてきた。
「彼女ね、まだその本を読んでいる途中みたいよ。経過の話をよく楽しそうにしてくれるの」
その言葉を聞いて、僕の胸の中にわずかな罪悪感が差しこんだ。
6
僕は自分の心を見つめ直した。
天野の体調を案じるよりも、本の感想を気にしていた自分が、少し恥ずかしくなった。
天野の感想がトリガーになるかもしれないとはいえ、それこそそんな保証はどこにもない。
手術が終わったらゆっくり聞けばいい。
看護師に「感想を先に聞いておく?」と聞かれたけれど、僕は「手術が成功したら、自分で聞くと伝えてください」と頼んだ。
7
その夜、布団に入ると自然とまぶたが重くなり、やがて夢の世界へと引き込まれた。
見慣れた川辺の景色の中で、彼女が静かに佇んでいた。
「また会えたね」と僕が声をかけると、彼女は柔らかな微笑みを浮かべたが、その瞳にはどこか哀しみが宿っていた。
「これで夢は最後だよ」と彼女は静かに告げた。
「なぜ?」と尋ねる僕に、彼女は少しだけ間を置いてから答えた。
「私たちが近づきすぎてしまったから」
その言葉の意味を完全には理解できなかったけれど、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような喪失感が広がっていった。
8
「おすすめの本、交換するって約束してたのに、僕はまだ用意できていないよ」
僕がそう言うと、彼女は少し寂しそうに肩をすくめた。
「いいの。まだ時間があると思っていたのは私もだから」
その言葉の裏に、僕への優しさと、どこか淡い期待が感じられた。
でも同時に、僕の胸には天野への申し訳なさも込み上げてきた。
そして、また会えるかもしれない -そんな気持ちがまだ僕の中にしぶとく残っていた。
9
「君のおすすめの本を最後に聞いておいてもいいかな」と僕が尋ねると、 彼女は微笑みながら「最後がそれでいいの」と言った。
まるでほかに聞きたいことがある僕の心を見透かしているかのように。
僕は「うん、それがいいんだ」と返した。聞けば彼女は答えてくれたと思う。だけど、聞いてしまえば本当にそれで終わってしまう気がした。
「君らしいね」と彼女は笑った。教えてくれた彼女のおすすめの本を聞いて僕は驚いた。僕が以前、天野に持って行った本だったから。
「偶然だね。僕はまだ読んだことはないけど、最近その本を手に取る機会があったんだ」
僕がそう言うと、彼女は少し嬉しそうな顔をして、「読んでみて。最後に、私からのプレゼントがあるから」と言った。
「プレゼントって?」僕が不思議そうに尋ねると、彼女は続けた。
「君が知りたかったこと」
10
僕がその意味を問いかけようとした瞬間、夢はふっと薄れて消えてしまった。
目が覚めると、胸にぽっかりとした喪失感が残った。
彼女の言葉の意味を理解する前に、ただただその感触だけが深く心に刻まれた。
(5)
1
目が覚めた瞬間、胸の奥に残るぽっかりとした空白に気づいた。
まるで、大切なものを夢の中に置き忘れてきたような、そんな感覚だった。
朝の光がカーテン越しに淡く差し込む。
けれど、その光さえどこか遠く感じた。
昨日、夢の中で確かに彼女と話した。笑って、少し哀しそうな顔をして、それから、「これで夢は最後だよ」と。
頭ではわかっている。あれで本当に最後だったんだ。
でも、どうしても割り切れなかった。僕の中に残っている彼女の声や表情が、あまりに鮮明だった。
喪失感から抜け出せず、気づけば僕の足は図書館に向かっていた。
彼女が夢の中で言っていた、短編集。
それだけが、今の僕にとって唯一、彼女との繋がりになってしまった。
2
図書館に着くと、窓から差し込んだ光がカーテンを押していた。
夢の中で彼女が言っていた例の本。場所は曖昧だけど覚えている。
天野に例の本を持っていった時のことを思い出しながら、たくさんの背表紙の中から探す。
探し物はすぐに見つかった。
3
本を受付まで持っていくと、「今日もいつもの?」と聞かれる。
「今日は自分用だよ」と返すと、「そうなんだ」と言っていた。
家について自分の部屋で短編集を読み進める。その本だけの世界に連れて行ってくれる、やはり小説はいいななんて少し感心しながら。
要所要所で彼女を感じさせるフレーズがあって、彼女はよく小説を読む子なのかなとか、こういう話が好きと言っていたから当たり前か。と一喜一憂しながら僕の中の喪失感が少しづつ膨らんでいくのを感じた。
4
彼女の言葉なんて忘れて本に没頭してしまい最後まで読み進めてしまうと、裏表紙に一枚のメモが挟まっていた。
ー「また、夢で逢えたら」
書きかけのそのメモを見て、愚かな僕は全てを理解した。
彼女だったのだ。
僕が本を届けていたのも、夢に現れて遠回しに読みたい本を注文していたのも、僕が秘かに恋心を抱いていたのも。全部彼女だったのだ。
全てが繋がって喪失感が消え去ったと同時に、彼女の現状を思い出して、そこに対する僕の気持ちを恥じた。
僕は天野のことを少しも気にしたことはなかった。病院で自分から彼女の様子をうかがうことなんてなかったし、手術をするって聞いた時も、ほかのことで頭がいっぱいで心配すらしなかった。結果として天野のことを考えていたなんて自分に言い訳ができないくらい、僕は夢の中の彼女にしか興味がなかった。
そんな僕が、なぜ今更会いたいと思って許されるのだろうか。あわよくば気持ちを伝える気でいたなんて、僕以外の誰かという設定でこの話を聞いたなら、僕はこの世に存在する否定の言葉をすべて利用してそいつを追い詰めるだろう。
恐ろしいことに、僕はこの恥と同時に彼女が実在していることへの安堵を抱えていた。実在しているのであれば、夢のあの場所以外でも、僕から会いに行くことだって可能だ、と。
人間という生き物が如何に自分勝手に作られているのかがわかる。
とりあえず、手術は今日だ。
僕の気持ちや今後の天野との関係どうこうは、明日、先生に結果を聞いてからだ。それからでも遅くない。天野なら手術なんて乗り越えられるはずだ。夢ではあんなに元気で明るい子だったんだ。きっと現実でも病気なんて跳ね返してしまうに決まってる。
醜い自分勝手な考えをまだ会いもしない彼女に押し付け、自分を安心させることしか僕にはできなかった。
5
「天野、成功したみたいだぞ」
先生の言葉が僕の耳を通り抜け、胸を撫でおろした。期待しかしていない時というのは、嬉しさよりも、安心が勝るのだとこの時思った。
「早速で悪いが、頼めるか?」といつものようにプリントを数枚渡された。僕はそれを受け取り図書館にも寄らずに病院へ向かった。『歩く』と『走る』の間のスピードで坂道を抜ける。体が熱を持ち始めて、それを冷やそうと冷たい汗が関節に流れる。
病院につくまで僕は、彼女と面会してもおかしくない自然な理由を探していた。
6
病院につくといつもの看護師さんがいた。「今日もおつかい?いつもありがとうね」と笑ってくれた。プリントを渡してしまうといつも通り帰る流れになってしまうので、僕は手術の事を聞いた。
看護師さんは少し驚いた様子で「体調は良いみたいよ。もし気になるなら彼女に聞いてみる?」と聞いてきた。いつもなら「べつに」と言って帰るところだが、手術の後のお見舞いも兼ねてということで面会できることになった。
病室へ向かう途中、看護師さんに手術の内容を聞こうとすると、「本人から聞いてあげて」と言われた。
看護師さんが病室のドアを開けると、ベッドの先にあるカーテンが少し揺れた。日当たりも良くて、空調が心地いい場所だと思った。看護師が「楓ちゃん、なにかあれば呼んでね」と言い、僕らは病室に残された。
沈黙の中で妙な居心地を感じていると、彼女が少し起き上がってこちらを向いた。
「ばれちゃったか」
夢の中と同じ声、同じいたずらな表情で彼女は言った。
「ばれるも何も、君が教えてくれたんじゃないか」
「そうだね」と彼女は笑った。夢の中と何も変わらない。まるであの川沿いに居るみたいに。それが何よりも嬉しかった。夢の中で会うという不思議な体験自体にではなく、この気持ちは彼女に抱いていることが確認できた。
それと同時に、夢の中とは違う現実にショックを受ける部分もあった。夢の中での彼女は、健康的で明るく、いかにも元気な学生といった印象だった。考えてみれば、長いこと病室で生活していて健康的な体になどなるわけがない。実際の彼女は日光をはじくほど肌が白く、枯れ落ちた木の枝のように細い腕をしていた。顔色は肌の白さに相まって青白くなっていた。まさに病人という印象を受け、僕はショックを隠しきれないでいた。
「そんな顔しないで。私はちゃんと私だよ」と悲しそうに笑う彼女に「ごめん」と謝罪した。そうだ、目の前にいるのは紛れもない彼女じゃないか。姿形など何でもない。僕はこの状況を何度も妄想し、望んできたはずだ。聞きたいことだって山ほどあるんだ。伝えたいことだって。
「私、行きたいところがあるんだ」
彼女の声が僕の思考を切り裂いた。
「行きたいところって、どこ?」
彼女は「聞きたい?」と僕に笑いかけた。いままで考えていたことや準備していた質問、ごちゃごちゃしたものが全部飛んでしまった。今この時間を大切にしたい。そう心から思った。
7
それから僕は何度も病院へ足を運んだ。学校が終わるとすぐに、無理やりこじつけの理由を考えるわけでもなく、「おつかい」でもなく。ただ、彼女に会いに行っていた。本当に、ただ、それだけ。
話題には困らなかった。今まで持ってきた本の感想や学校の話、天野が退院できたらの話。こんなに心地のいい時間はないと、僕はほぼ毎日のように入り浸っていた。天野も毎日来てくれと言っていた。病院生活での暇というのは、闘病そのものよりきつかったりするらしい。
8
天野はよく、退院したらあの場所に行きたいと話してくれた。夢の中で僕らがいたあの川沿いに。あの場所は天野が生まれ育った場所で、大好きな祖母との思い出が詰まった、特別な場所なんだと話していた。
僕が「連れてって」と頼むと、喜んだ様子で、「絶対だよ。約束だよ」と子供のようにはしゃいでいた。天野の笑った顔を見て、僕は恋心を知った。
彼女の明るさに惹かれてからというもの、僕の視界は世界を明るく捉えていた。道を歩けば花の鮮やかさに、空を見上げれば雲の形や虹の輝きに。全てが鮮明に僕の気持ちを良くさせる要因になっていた。
僕はこの時間がいつまでも続けばいいと思っていた。
彼女はどう思っているんだろうか。
9
今日は天野の体調が優れないらしく、病院に追い返された。そのまま帰るには元気が少し余っているので一度学校に戻って図書館に行くことにした。いくつか天野に持って行ってやろうと自分が読んだ本の中で一番面白かった本を1冊選んだ。これで夢の中での約束は果たせる、と夢での話を思い出しながら受付に持って行った。「久しぶりのおつかい?」と聞かれ、そうか、僕らの関係を知っているのは僕ら二人だけなんだと気づく。そう考えた方が嬉しいので看護師はもちろんカウントしない。
受付の質問に適当に答えて、家に帰って明日の準備だ。明日は何を話すのか。この本の見どころを先に話してやりたいが、それは天野を退屈させてしまうだろう。何を話そうか。
夕方、激しい雷雨が窓を光らせていた。ここの所僕は天野の事で頭がいっぱいだったから、自分の体調が良くない事なんて気にも留めていなかった。
夜中にかけて高い体温が僕を蝕み、次の日も、その次の日も僕はベッドにうずくまることになった。
発熱してから三日が過ぎてようやく少し体調が良くなり、明日は病院に行けそうだと胸を躍らせる。そういえば僕らは連絡手段がない。今どきの学生なんだから、会っていない時だって彼女と話していても何も不自然じゃない。寧ろその方が自然だ。明日、彼女と連絡先を交換しよう。そうすれば好きな時に話すことができるはずだ。
目的ができたことで、彼女に会うのがより楽しみになった。
その夜、夢を見た。
久しぶりに見る光景。でも、何度も見た光景。川沿いの道、日差しは夕方の色をしていて、暖かい風が桜の花びらを運んでいた。
「また、会ったね」
川沿いに座っていた彼女は僕の方を見てそう言った。「何度も会っているじゃないか」というと、「そうだね」と彼女は笑った。
風邪をひいてしまっていたことを話すと、季節の変わり目なんだから油断しないで、と怒られてしまった。健康を大事にしろと彼女に言われると僕は弱ってしまう。
「前に話した約束、覚えてる?」
夢の中での約束なのか、現実での約束なのかわからなかったが、僕は両方覚えているので「もちろん」と答えた。彼女はなぜだか一瞬悲しそうな表情を見せて、「そっか、ありがと」と言った。
川沿いを二人で歩きながら、彼女の思い出の話を聞いた。両親が仕事で忙しくしていた時も、誰かと喧嘩したときも、この病気にかかった時も、祖母が亡くなってしまった時も、彼女の思い出はこの場所に詰まっているらしい。行けるのなら今すぐにでも行きたいと、遠くを見つめながら話してくれた。
どうして今こんな話をするのだろうと顔に書いてあったのか、彼女は僕の顔を見て「予習だよ」と言った。何事も予習が大事だというので、今度持っていく予定の本の見どころを全部話そうとすると、やめてくれと彼女は笑った。予習なんかしなくても、僕はすでにこの場所が、この時間が、愛おしくてたまらなかった。
彼女は最後に、「ありがとう。君の事、好きだよ」と言って消えていった。目が覚めた僕は泣いていた。ぐちゃぐちゃの感情の中、彼女に渡す本が目に入った。そうだ、僕だって伝えなければ。今日は学校を休んで昼から病院へ行こう。いつもよりも話したいことがたくさんできたから。
10
病院へ着くといつもの看護師さんがいた。僕と目が合ったはずなのに奥へと逃げるように行ってしまった。不思議に思ったが、とにかく僕は天野に会いたい一心で受付に向かった。
受付で「天野楓さんのお見舞いです」と言うと、一瞬で場が凍り付いた。脇の下に嫌な冷たい空気が流れる。「お待ちください」と受付で待たされ、奥のほうで何やら話しているが内容は聞こえなかった。天野に何か良くないことが起こったのだろうか。
奥からいつもの看護師が出てきた。いつもは明るく話しかけてくれるのだけど、今日はなんだか気まずそうな雰囲気だ。「聞いてない?」と聞かれ、何の話かわからないと表情で伝えたら、「ごめんね。あの子、二日前に亡くなったの」と言われた。僕は、冷静とは違う、何か燃料がなくなってしまったような感覚に陥った。
言っている意味が分からない。言葉の意味はわかるが、言っている意味が、わからない。
ほんの数日前まで元気に僕と話していたし、昨日だって夢に出てきて僕に「予習だよ」って言ったんだ。
だめだ、思考が散らかって頭が回らない。
相当ひどい顔をしていたのだろう、看護師から借りていた本の返却と、今までのお礼を受け取って今日は帰るよう言われた。
家についても頭が理解しようとしなかった。喪失感はまだ僕を襲っていない。あるのはただの無気力と、思考が停止してただの重りと化してしまった頭だ。
夢を期待して眠ろうとしても、目が冴えてしまって眠ることができない。
わかっている。彼女はもういない。僕は彼女に伝えたいことがあった。それが叶わなかった事に、喪失感を抱いているのかもしれない。僕は最後まで自分勝手だ。彼女のことなど考えず、最初から最後まで自分の事ばかり。
もう一度、夢で逢えたら。それだけを考えて1日を潰した。
11
ろくに眠れずに朝が来てしまった。
何気なく彼女に貸していた本を手に取り、数ページめくる。そこには彼女の直接的な痕跡はないけど、僕の頭の中では勝手にそれと繋げてしまう。涙も出ないまま、最後まで読んだ。
裏表紙に、メモが一枚挟まれていた。
「また、夢で逢えたら、聞きたいこと」
数行だけ書かれたメモ。結局おすすめの本はなんだったのか、連絡先は交換しなくていいのか、好きな食べ物や趣味の話。そして、君は私をどう思っているのか。
「もう夢じゃなくても逢えるから、必要ない。それでも、また、夢で逢えたら」と締めくくられたそのメモは、僕が貯めていた涙の栓を引っこ抜いた。彼女も僕と同じ事を考えていた。それだけで僕は世界一幸せな気持ちになった。彼女はもういないけど、僕は聞きたいことの答えをもらうことができた。
もう現実では逢えなくなってしまったけど、もしまた、夢で逢えたら。そう思えば、僕はこれからを大事にする気になれた。
彼女がいつ夢に出てきてもいいように、人生を楽しく過ごす事を決めた。
12
これは、僕の夢の話。
僕が恋をした、そんな話。