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悪役令嬢にならないためのシスコンの正しい使い方

作者: 三香

「この世界は現実でゲームの世界ではない」と前世で読んだ幾つもの小説のクライマックス盛り上がりざまぁ部分でよく書かれていた台詞だが、本当にその通りだとマリリファは思った。


 マリリファには前世の記憶がある。

 幼少時に兄とダンスの練習をしていて、ドレスの裾を踏んでステーンと兄を巻き添えにして転び、頭を強く打って前世を思い出したのだ。

「マリリファ、ごめんよ。ちゃんと支えてあげられなくて……」

 巻き込まれたのに謝罪する兄であったが、前世が蘇ったために脳がオーバーヒートしているマリリファは返事などできない。乙女ゲームに登場する悪役令嬢として断罪される一生が長い物語のように脳裏を駆けぬけていく。マリリファは、そのままキュゥと奇妙な声を発して気を失ってしまった。

「うわぁ、マリリファ! しっかりして!」

 三日三晩熱で寝込んだマリリファ。

 それがトラウマとなった兄は体幹を鍛えに鍛え、熊とも一騎打ちできる筋肉鎧の立派な騎士へと成長したのだった。ゲームのメインヒーローである兄の能力値は極めて高かったようで、瞬く間に武力をカンストしてしまったのである。初めて勝利した熊を担いで血塗れの兄が屋敷に帰ってきた時に、両親である公爵夫妻がバターンと卒倒したことは有名な話だった。ちなみに公爵夫妻が卒倒しなくなったのは、熊と狼と大猪と大蜘蛛と10メートルの大蛇を経験して無の表情を獲得してからであった。


 ゲームではキラキラの麗しく優美な貴公子であるはずのメインヒーローの兄が、現実ではドンドンと2メートル級のムキムキ覇王のごとく成長したので幼いマリリファは戸惑った。もしやゲームの設定は綻んだのではないか、と。

 だからマリリファは、

「お兄様、すごい!」

「お兄様、かっこいい!」

「お兄様、素晴らしいですわ!」

「お兄様、大好き! 強いお兄様は私の誇りです!」

 と、日夜を問わず心の底から兄の変化を応援した。

 兄が15歳になって騎士団に入ってからも。

「お兄様! お兄様! お兄様〜〜!!」

 と、見学可能な練習日や試合日には駆けつけて一生懸命に応援を続けた。差し入れも欠かさない。その姿が可愛いと騎士団で人気になり、ゲームでは政略による婚約なのに現実ではレティシスに一目惚れされてゲームよりも早く婚約を結ぶことになったのだった。


 華麗な貴公子からムキムキモリモリのキングゴリラみたいな容姿への変化は予想外であったが兄はメインヒーロー、ストーリーへの影響力があるかも知れない。

 それゆえマリリファはヒロインとは関わらず、とりあえず様子見ムードで状況全体を観察することにしたのだった。

 

 この世界は「聖女と五人の貴公子」というゲームの、題名通り聖女をめぐって五人の貴公子が恋を奏でる世界であった。

 是非とも無関係な立場でいたかったのだが、五人の貴公子のうちの一人が兄で、一人が婚約者である。つまりマリリファはヒロインと対立する悪役令嬢であった。


 兄は公爵家、婚約者のレティシスは侯爵家、残る三人は伯爵家と子爵家と男爵家だった。

 平民の聖女候補のヒロインが男爵家の嫡子と知り合い、次々と相手の爵位をランクアップさせてゆき、五人の貴公子がヒロインの後見となることによって聖女の地位に立つゲームであった。

 王国における聖女とは神殿の広告塔みたいな役割であり、どの時代においても若い美女たちが十人ほど聖女となって活躍していた。魔法がない世界なのだ。もちろん治癒魔法など存在しない。献身的性格にくわえて、若さ、美貌、後見、財産など諸条件が揃えば平民であろうとも聖女の地位に就くことができるのである。実質的な権限はなく、抽象的な名義上の職だったが名誉はあった。神殿からの還俗や結婚も自由で、聖女であるというステータスを利用して高位貴族と婚儀を結ぶ聖女も多かった。

 

 ヒロインによるヒロインのためのヒロインご都合主義満載の内容のストーリーであったが、王道の甘々恋愛ゲームだったので人気もそれなりにあってマリリファも楽しく遊んだ記憶が残っていた。

 しかし、自分が悪役令嬢となるならば話は別である。兄とレティシスがヒロインに骨抜きにされて醜態をさらす姿など見たくない。それに断罪なんて断固拒否だ。マリリファは兄が好きだし、レティシスのことは愛しているのである。


 ヒロインの恋愛よりも自分の幸福を優先したいとマリリファが考えたとしても、それに文句を言う者はヒロイン以外は誰もいないであろう。


 なのでマリリファは兄とレティシスに相談することにしたのだった。

 伯爵令息まで順調に攻略したヒロインが、ゲームと同様に兄とレティシスを次なるターゲットとして接触してきたからだ。


 この時、マリリファは16歳。

 ヒロインのサビナも16歳。

 レティシスは18歳。

 兄のラファエドは21歳。

 いよいよゲームの舞台が本格的に始まる春の季節のことであった。


 葉が散り果てた木々の枝先に緑のかわりに夜空の星々が輝く冬が、そより、と日に解けて水を帯びて明るみ。

 雪溶けの水とともに花の蕾が膨らんで。

 膨らんだ蕾が花開いて絢爛たる花々が香り立ち、ゆるやかに光の角度と色が変化してやわらかな春となり。

 花々に誘われたサファイアみたいな翅の青い蝶が庭を飛び交う光景に、マリリファはうっとりと見惚れていた。


 庭には果樹も植えられていて、小鳥がついばみに来ていた。

 人間が食べるには甘さが足らず種が大きい割に果肉も薄い果実が実っていて、小鳥たちの餌となっている。長楕円形の緑の大きな葉に守られるように小鳥たちが梢にとまり、たわわな果実をつついては澄んだ囀りを空へと響かせる姿が可愛いらしい。


 マリリファがいるガゼボは、支柱を這って天井に細くしなやかな枝を伸ばす蔓薔薇に覆われていた。花びらは薔薇特有の透明感のある瑞々しい花色で、今を盛りに咲き競っている。艷やかな緑の葉は風が吹くとさやさやと葉擦れを鳴らし、緑の音楽を奏でてマリリファの耳を楽しませた。


「悪い、遅くなった」

「ごめんよ、マリリファ」

 ラファエドとレティシスの声にマリリファが振り返る。左からラファエドが右からレティシスが、マリリファの額や頬にチュッチュッと愛おしげにキスをした。

「大丈夫ですわ、お兄様、レティシス様。私、宝石みたいな青い蝶が綺麗でしたので時間を忘れていましたもの。ご覧になって? とても美しいのです」

「春らしい風景だね」

「でも花よりも蝶よりもマリリファの方が可愛いですよ」

「当たり前だ。俺の妹だぞ」

「僕の婚約者ですよ」

 ラファエドとレティシスは仲がよいが、マリリファに関してはお互いに譲らない。マリリファ強火の二人の小競り合いは日常茶飯事である。カンガルーのどつきあいみたいな乱闘を繰り広げるのだ。故にレティシスもラファエドと闘うために身体を鍛えて王国有数の強さであった。

 マリリファ自身も護身としてラファエドから手ほどきを幼少期から受けて防護術を習得していた。


「実はお兄様とレティシス様に相談があって……」

 マリリファの憂い顔に、ラファエドとレティシスが身を乗り出す。

「困り事か?」

「何でも言って? マリリファ」

「その……、聖女候補のサビナさんのことで……」

「あ~! あの付きまとい女!」

 ラファエドが嫌そうに眉を寄せる。

「彼女、ちょっと変ですよ。先日、予定が急に変更になって、なのに変更された場所に彼女がいて「偶然ですね」って言って白々しく挨拶をしてきたのです」

 レティシスの口調には隠しきれない不快感があった。

「そうなんだよ。行く先々で待ち構えていて、馴れ馴れしく腕を絡めてこようとして。キモチワルイ女なんだよ」

「平民では普通、と言って気安く身体に触れようとするのは迷惑だし、貴族がどうして平民の普通に合わせなければならないのか理解に苦しむし、非常に不愉快な女性ですよ」

「あれが聖女候補とは、神殿の権威を損なうぞ」

「まったくです。聖女候補なのですから神殿でも礼儀作法は教えているはずなのに、あの態度は貴族に対しての不敬でしかありませんよ」

 ラファエドとレティシスの愚痴が止まらない。よほど鬱憤を抱かえているらしい。


 マリリファはホッとした。

 サビナへの好感度は底辺のようだ。伯爵令息まで滞りなく円滑に攻略が進んでいたので、ラファエドとレティシスのことを心配していたのだ。

 もしかしたらラファエドは「聖女と五人の貴公子」の優美なラファエドとは体格も役職も異なるために、ゲームのキャラクターから外れてしまった可能性があった。ゲームのラファエドは宰相補佐であるのに、現実のラファエドは王国騎士団長なのだ。レティシスもラファエドに引きずられて、本来のレティシスとは怜悧と聡明さ以外の相違点が多く、そのためにゲームの強制力は二人に作用しなかったのかも知れない。

 あるいはラファエドとレティシスのマリリファに対する限界突破した愛情が原因なのかも? と。


「だいたい何故あの女は俺のスケジュールを知っているのだ!?」

「いえ、スケジュールだけではありませんよ。僕の過去も知っていました。幼少期に飼っていた犬が僕の菓子をわけて食べたところ毒殺された件です。侯爵家の親族による犯行だったので醜聞を防ぐために内密に処理されたのに、彼女は知っていたのです。「お気の毒ですわ」と言ってペラペラと詳細に喋ったのです」

「……もしや政敵の手先か? だからスケジュールも把握しているのか? 聖女候補ごときが俺のスケジュールを調べることなどできないものな」

「可能性はあります。最初は聖女になりたいがために貴族の後見人を探すことに必死なのだと思っていたのですが、行動が怪しすぎます。彼女、政敵のハニートラップではないでしょうか?」


 きな臭く不穏な会話の成り行きに、マリリファは思考を高速回転させた。

 ご都合主義のゲームの世界ではサビナはヒロインとして正しいのだろう。ヒロイン補正があり、運命はサビナの味方であった。

 しかし現実世界において、ゲーム通りのサビナの言動が周囲の目にどう映るか―――おそらく前世のストーカーの待ち伏せや押しかけや付きまとい案件である。

 いや、もっと悪い。

 魑魅魍魎が跋扈する高位貴族社会において、罠やハニートラップの類として疑うべき行動とラファエドやレティシスの認識になっていた。

 確かにマトモな貴族ならばサビナの言動は不審に感じるだろう。攻略された男爵と子爵と伯爵の令息たちが貴族にあるまじき危機管理意識の薄い花畑脳なのである。


 うむむ、とマリリファは悩む。

 これだけラファエドとレティシスに警戒されているサビナはもはや導火線に火がついて自爆寸前なのでは? とマリリファは複雑な表情を浮かべた。


「ん? どうした、マリリファ。もしかしてマリリファのことも煩わせたのか、あの女は」

「マリリファ、愛しい人。彼女に何かされたのですか?」

 ラファエドとレティシスの目に怒りが宿る。

「……よくわからないの。先日のお茶会で「悪役令嬢のくせに」と詰られたの。でも悪役令嬢って何のこと? 私、何かサビナさんにしてしまったのかしら?」

「悪役令嬢って何かの芝居か? あの女はマリリファを悪役にして自分はヒロイン気取りなのか?」

「許せませんね。マリリファは公爵令嬢ですよ、接点などない高貴な令嬢に対しての言葉ではありません」

「ええ。サビナさんとはお茶会で初めてお会いしたの。だからびっくりして……。そのことをお兄様とレティシス様に相談したくて」

「いきなり悪役令嬢と罵られて怖かっただろう。この兄に任せるといい。身分と立場の違いを思い知らせてやろう」

「うるさい羽虫でしたからね。処分してしまいましょう」


 悪役令嬢とマリリファを指差したことからもサビナは転生者で間違いない。

 つまりマリリファが断罪されることを承知の上で貴公子たちの攻略を進めているのだ。それに前世や転生が関係ないとしても婚約者がいる令息にアプローチをしているのである。貴族の婚約・結婚は利害が絡む政略であり、万が一破棄となれば家門や派閥まで波紋が広がってしまうのだ。酌量の余地はない。


「今は付きまとい程度だからあの女を処分すると神殿がうるさい。聖女候補は面倒だ」

「では彼女に自滅してもらいましょう。ちょうど王宮のパーティーがあります、どうせ彼女ものこのこと現れますよ」

「遭遇率100パーセントだからな。証人、証拠、完璧にそろっていれば神殿も文句を言えまい。公の場においての貴族への不敬は重罪だからな」

「楽しみですね」

 くっくっくっ、と悪辣に嗤うラファエドとレティシス。

 ポロッ、とサビナの名前を出しただけなのにジェットコースター並みの早い展開となってしまったことに少々驚いたものの。マリリファは可憐な鈴蘭の花のように愛らしい容姿をしているが、鈴蘭は鈴蘭でも毒のある根に近いので「ごめんね、ヒロイン」と南無南無と唱えただけで微塵もサビナに同情することはなかったのだった。


 3日後。


 マリリファはレティシスにエスコートされて王宮の夜会に出席していた。


 正直、凄く大変な3日間だった。

 自分の眼の色である緑色のドレスを主張するラファエドと、自分の眼の色である青色を譲らないレティシスがアクセル全開の激闘をして、勝負には勝ったのはラファエドだったがマリリファのドレスは青色に決定して緑色のドレスは予備となった。

 レティシスが婚約者であるのだから当然である。

「うぅ、マリリファのオムツを交換したのは俺なのにポッと出の婚約者に負けるなんて」

 とシスコン一直線の筋肉鎧のラファエドが背中を丸めて泣くので、ちょびっと鬱陶しいと思ったことはお墓まで持って行くべし、とマリリファは胸に沈めている。

 それにシスコンの正しい使い方として国王陛下直々に、欲しいマリリファを与えることによってバリバリ働くラファエドのためにマリリファは取り扱い注意と大切にされていた。

 国王陛下の甥であり、陛下の弱みを握っているレティシスが執念深く求婚を続けていなければマリリファの婚約は成立していなかった。

 諦めきれないラファエドは、エメラルドとダイヤモンドで作った花の髪飾りをマリリファに着けさせたのだった。

 それが毎回なのだから、マリリファに贈られるドレスも宝飾品も増える一方であった。

 なにしろラファエドは、

「俺はマリリファに貢ぐために生きている」

 と公言しているし、レティシスは、

「マリリファは可愛い。それが人生の唯一です」

 と溺愛まっしぐらなのだ。


「まぁ、お兄様。今夜のパーティーも夜会服ではなく鎧なのですか?」

 マリリファの言葉にラファエドがヒョイと眉を上げて微笑む。

「仕方あるまい。俺は素手の方が強いから重い鎧の拘束が必要なのだ。前回は鉄板を仕込んだ夜会服だったが軽すぎた。国王陛下からパーティーに出席する時はくれぐれも手加減を忘れずに人間を卵のごとく扱え、と命令されているからな」

 ラファエドは肉体が最強のキングゴリラなのである。鎧は武具ではなくラファエドにとって拘束服の役割があった。身長と等しい背中の大剣は物理的な重しである。

「義兄上の剛力は人間離れしていますから」

 レティシスに義兄上と言われて、ラファエドは瞬きをした。

「レティシス、気が早いのではないか? マリリファとの結婚式は来年だぞ」

「いいではありませんか、結婚式が待ち遠しいのです。マリリファを妻と呼びたいのですが、さすがに体面的に許されませんからラファエド殿をせめて義兄上と呼んで家族気分を味わいたいのです」


 マリリファたちがなごやかに談笑していると、パーティー会場を横切ってサビナが近づいてきた。サビナの後ろには攻略した男爵家と子爵家と伯爵家の令息がいる。


「ラファエド様、レティシス様」

 にこやかなサビナに、ラファエドとレティシスは眉を顰める。

「お前に俺の名前を呼ぶ許可を与えた覚えはない」

「聖女候補ならば神殿の恥となる振る舞いは控えなさい」

 冷たいラファエドとレティシスにもサビナは怯むことはない。かえって上目遣いをして媚びるように訴えた。

「そんな……。私はラファエド様とレティシス様と仲良くしたいのに……。それに私は平民です。平民だったら名前呼びは普通ですよ」 


 ラファエドは大仰に溜め息をついた。

「平民だったら? ここを何処だと思っているんだ、王宮だぞ。王宮で平民のルールを貴族に押し付けるつもりなのか?」

 レティシスの顔も厳しい。

「誰か、神殿の関係者を呼んでください。今夜のパーティーには神官も出席しているはずだから」

 王宮使用人がレティシスの言葉を受けて素早く動く。


 ラファエドとレティシスに絡むサビナたちは注目の的で、人々の輪ができていた。無数の目が冷たい。侮蔑に嘲笑。人々から醸し出される呆れと失望の空気にサビナたちは気づいてもいない。


 必死に自分の庇護欲をそそる可憐な容姿をサビナはアピールするが、ラファエドとレティシスには全く相手にされずに拒絶されて、サビナは悔しそうに睨んだ。

「悪役令嬢のくせにラファエド様とレティシス様に大切そうにされていっしょにいるなんて、こんなこと正しくない……!」

 何の根拠もなく自分に都合よく世界が回ると夢見る思考回路をしているのか、花畑ヒロインの専売特許ともいえる強メンタルによるものなのか、サビナが忌々しげに呟く。けれどもそれはマリリファの闘志に火をつけた。


 確かにサビナはゲームのヒロインであり、自分の人生のヒロインである。

 しかしマリリファも自分の人生のヒロインなのだ。

 誰であろうとも自分の人生は自分のもので、ヒーローでありヒロインであるのだから。他人に阻まれ遮られる筋合いはない。


 マリリファは静かに一歩前に進み出た。

 視界の隅に駆けつけてくる神官の姿が映る。


 サビナは常識がないというよりは現実を見ようとしないタイプのようだ。短絡的なサビナは煽れば即座に怒りで興奮するだろう。冷静さを失ったサビナは不用意な行動をする、とマリリファは予測した。

「サビナさん、落ち着いてください。少し冷静になって、ね?」

 親切口調でマリリファがサビナを優しく諭す。

「何よ!」

 狙い通りサビナが瞬時に噴火した。今までゲーム通りに簡単でスムーズであったから、もともとの性格に拍車がかかって傲慢に激昂するのだろう。憎々しげに叫ぶ。

「悪役令嬢が偉そうに! 私がヒロインなのよ!」


 サビナが右手を振り上げた。

 王宮で。

 公の場で。

 人々の目の前で。

 公爵令嬢であるマリリファに。

 目をつぶらずにマリリファの視線が右手を追う。

 風を切るサビナの右手がマリリファの頬に当たる寸前、わずかにマリリファが身をよじる。

 サビナの手はマリリファの頬を叩くことはできなかった。が。あたかも頬をぶたれたかのごとくマリリファがよろめく。


 周囲の人々の目にもサビナがマリリファの頬を打った、と真実のごとく映った。神官が真っ青になっている。


「「マリリファ!!」」

 レティシスがマリリファを抱きしめる。

 ラファエドがサビナを床に押さえつけた。


「痛いっ!」

 悲鳴をあげるサビナを助けようと男爵家と子爵家と伯爵家の令息が動くが、ラファエドが睥睨するとピタリと足を止めた。凄まじい威圧感に3人とも青ざめて顔が強張る。

「離してよ! ムキムキで好みじゃなかったのに権力と財力があるから誘ったのよ! どうしてゲームみたいに籠絡できないの!? 今までは容易くて順当だったのに!!」

 ラファエドは喚くサビナを無視して3人を促した。

「お前たちも来い。話を聞く。将来は平民希望でも今は貴族だからな」

「「「へ、平民!?」」」

「そうだろう? あの女の平民の習慣とやらに沿って行動しているんだ。貴族籍を捨てて平民になるんだろう?」

「そんなつもりは……」

「僕は嫡男だぞ!」

「違う! 聖女を妻にした方が家門の名誉に繋がると思って!」

「ふーん。そんな言い分が激怒しているそれぞれの親に通じるといいがな」

 人垣には激昂して身を焦がしている3人の父親たちがギリギリと歯を鳴らしていた。


「衛兵。この女を捕縛しろ」

 ラファエドが兵士たちに命令すると、マリリファに顔を向けた。

「マリリファ、すまん。この女の後処理に少し側を離れる。レティシス、マリリファを頼むぞ」

「はい、義兄上。バルコニーに椅子が用意されていますので、そちらで待っています」

 レティシスは返事をしたが、マリリファはレティシスの胸に顔を埋めたままだ。さも頬を打たれてショックを受けたみたいに朝露に濡れた蝶々のように儚く震えている。


 人々の目から遮断するようにレティシスがマリリファを庇いつつバルコニーに出た。角度的にカーテンが人の目を防ぐ。


 夜風が花の香を運ぶ。

 花に闇なのか。

 闇に花なのか。

 庭園の花々が夜に君臨するみたいに咲き誇っていた。


「マリリファ、本当に怪我はないかい? 避けられるとはわかっていたけれども、心臓が止まるかと思ったよ。いきなりマリリファが前に出るんだから。マリリファの意図は理解していても、あの女の振り上げた手を掴まずに見ているだけなんて血管が切れるところだったよ。お願いだ、もう危ないことはしないでおくれ」

「ごめんなさい、レティシス様。ちょうどタイミングよく神官様の姿があったから……」

 マリリファは動体視力と反射神経に自信があった。前世からジャンケンで負けたことがなかったし、ラファエドとレティシスのスピードある闘いで視力が鍛えられていた。

「サビナさん、どうなるのかしら?」

「普通の平民ならば断首だけれども聖女候補だからね。神殿で問題をおこした者は北の神殿という名の実質上は監獄での労働刑になる。たぶん今回も。20年、下手をすると30年は出て来られないだろう。ほら、男爵家と子爵家と伯爵家の彼ら、あの女のせいで婚約破棄をしているだろう。そっちからも突き上げがくるしね」 


 3件の婚約破棄と聞き、既得権益の貴族社会を舐めて身分を弁えないサビナがこれまで無事でいられた奇跡に、やはりゲームのヒロイン補正があったのではないかとマリリファは疑った。同時に胸を撫で下ろす。

 とっさに排除するために動いたのは正解だった、と。


「30年ですむでしょうか?」

「一生かもね。婚約破棄をされた令嬢たちの家は腸が煮えくり返っているだろうし、神殿も甘い刑では面子にかかわる。利害が一致している家は多いよ」

「なるべく長くがいいです」

 マリリファのおねだりにレティシスが頷く。

「そうだね。そうしよう」


 ゲームのヒロインは美しかった。

 過酷な北の神殿では美しいままにいられない。ましてや長い歳月は容赦なくサビナから若さと美貌を奪ってしまう。ゲームのヒロイン設定は崩れるだろうが、マリリファは残酷だとは思わなかった。

 少なくともサビナは、3人の令嬢の運命を狂わせたのだ。

 貴族の令嬢の結婚適齢期は短い。ましてや婚約破棄の醜聞付きとなってしまった令嬢の結婚は厳しい。マリリファは密かに手を回して令嬢たちに力添えをすることを決意した。それはマリリファにとって贖罪も兼ねていた。ゲームの内容を承知していたのに強制力を警戒してギリギリまでマリリファは動かなかったのだから。


「マリリファ、頑張ったね。あの女の暴力は怖かっただろう」

 鈴蘭の小さな花姿のように清楚なマリリファの頬にレティシスの指先が触れる。

「レティシス様とお兄様が後ろにいてくださいましたもの。恐怖は微々たるものでしたわ」

 甘く、蜜を溶かしたようにマリリファとレティシスの視線が合わさった。


 レティシスの青い瞳の中にマリリファが。

 マリリファの緑の瞳の中にレティシスが。

 お互いを見つめて微笑む。


 夜空には春の朧月。

 花嫁の薄いベールのような雲がかかった淡い月の光が、透き通った水のごとく地上に降り注ぐ。バルコニーに。レティシスとマリリファに。淡雪のように溶ける銀色の光がレティシスとマリリファを縁取り、二人だけの月明かりが紡ぐ世界を作り上げていた。


 マリリファがキョロキョロと辺りを見回す。

「お兄様がお戻りになる前に」

 と言って、マリリファがレティシスの頬に小鳥のキスをした。


 夜の吐息のごとき風がマリリファの髪を揺らす。


 耳をサクランボのように赤く染めたマリリファに独占欲の片鱗を覗かせたレティシスがお返しとばかりに熱情たっぷりにキスするのを、朧月が優しく見ていたのだった。

その直後、戻ってきたラファエドに「まだ早い。結婚するまでお触り禁止」とレティシスは空高くぶっ飛ばされました。



読んでいただき、ありがとうございました。



【お知らせ】

「筆頭公爵家第二夫人の楽しいオタク生活」

リブラノベル様より大幅加筆して電子書籍化します。

表紙絵は昌未先生です。

6月25日にシーモア様より配信します。公爵家の地雷を踏む人生ゲームのSSつきです。

7月15日に他電子書籍店配信です。

オリヴィアがヘロヘロの猫パンチなのです。


「10年後に救われるモブですが、10年間も虐げられるなんて嫌なので今すぐ逃げ出します ーバタフライエフェクトー」

メディアソフト様よりコミカライズ連載中

各電子書籍店にて配信中です。

作画は青園かずみ先生です。

テオバルトが溺愛一直線なのです。


お手にとってもらえたならば凄く嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


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