第1話◆シノラ・ト・エントス
「はっ!」目が覚めた。
冷たい、暗い世界……
辺りには明かりも何もないのに、真っ暗ではない。暗いだけで、自分を中心にある程度までは視認出来た。終幕した舞台でスポットライトを浴びているような感覚だ。
今は床に仰向けで倒れている状態だが、その床はフローリングで出来ている。そして周りは壁も見当たらない広い空間。不思議とその場所は、この世界の部屋と呼べるものではないと察することができた。
颯太は他の手掛かりを探すため、上体を起こして辺りを見渡す……しかし、視認出来る範囲には一つしか物がない。
その物というのは、イス……。木で造られた、どこにでもあるようなイスだ。
自分の最後の記憶は………車が真横にあった。そして次の瞬間、凄まじい強さの衝撃が身体全体に走った……。それ以降の記憶はなく、今に至る。
つまりここは、死後の世界……?
まさか、俺は死んでもイスしかもらえない程度の人間だったってことか? そもそも、死後の世界の床はフローリングなのか……?
……ま、いいや。もう俺なんて生きてるだけで無価値の人間だし……今後やれることって言ったら……
…………何があったんだろう?
今から考えても仕方ない。俺は死んだ。もう何も知らない、まっさらな状態で俺は生まれ変わるのだろう。輪廻転生は信じていなかったが、今は何となくそれが信じられる気がする。
颯太はゆっくりと立ち上がり、目の前にある木製のイスに座ってみた。
「…………」
そして、イスに座ると目を閉じてお迎えを待った。
ここが死後の世界なら、天国か地獄かどちらかに迎えに来てくれる天使か何かがいるはずだ。
そんなことを考えていたら……
「ちょっとちょっと! 何勝手に人のイスに座ってるの!!」大きな女性の声が聞こえてきた。壁は見当たらないものの、声は反響して聞こえる。
目を開けて声がした方を見る。上だ。
瞳は青く、髪型は金髪のロングヘアの女性が……浮いている。その女性は赤いドレスを着て、金色の杖を持っていた。
頬を膨ませながら、明らかに怒っているようだ。
「お迎えですか……?」俺は何となく聞いてみた。
「何のお迎えよ……! いいからさっさと立ちなさい! そこは私のイスなの! 寝坊して戻ってきたら……全く……」
後半は独り言のようにぶつぶつと言っていたが、しっかりと颯太の耳には届いていた。
「寝坊って……今何時なんですか?」
颯太は一応言われた通り立ち上がって、聞いてみた。
「うんと……22時ね」
ドレスの女性はそう言いながら、すぅ~っと降りてツカツカと……いや、ぺたぺたと歩いて、俺が座っていた木のイスに座る。
何で裸足……? と思ったが、なるほど。ここはコイツの部屋なのか……と察した。
「寝坊したんですよね?」
「うん……朝の10時に起きようとして、さっき起きたの」
「えっ、12時間寝坊したんですか?」
「違うもん! 11時間だもん! 30分かけてお着替えして、それから……って、何なのアンタ! 神様に向かって!!」身を乗り出して急に声を|荒≪あら≫らげるドレス姿の女性。
「はぁ?」
神様? こんな……綺麗だけど、小うるさい女が?
いや、おそらく聞き間違いだろう。念の為、もう一度聞いてみることにする。
「ええっと、神様って聞こえましたけど」
「そうよ! 女神様!」
冗談も大概にしろよ……
「それで、その神様は俺を……あ、いや、私を、迎えに来てくださったんですか?」
「あ、いいわよ。楽に話しても」ずいぶんフランクな印象の女神様。
「すいません、敬語に慣れてなくて……」
少し困ったようにそう言う颯太の顔を見ながら、脚を組む女神様。
「……それで、迎えって何の話よ?」
「え? だって俺、死んだんですよね?」
「うん、死んだね」
思っていた通りの返答だが、不自然なまでにサラッと即答されて一瞬固まる俺……
「えっと……いや、だから、天国か地獄かに連れてってもらえるんですよね?」
「何、アンタ天国とか地獄に行きたいわけ?」
「出来れば天国が良いですけど。子供の頃、閻魔大王様という怖い人が、天国か地獄か死んだ人間の行き先を決めるって聞きましたけど」
「あぁ~、私ってそんな風に言われてたんだ。何かショックだなぁ……」
女神はそう言ってイスから立ち上がり、金色の杖で床を叩くと続けて口を開いた。
「じゃあ、自己紹介するわね。私の名前はエンマダイオウじゃないわ。エン・マーディオー……輪廻を司る女神です」
は? 何だこいつ……急に真面目になったぞ。
「あっ! 今、何だこいつって思ったでしょ!!」
「いや、別に……」なんだか調子狂うな……
「ところで、アンタの名前は?」
「あ……月島颯太です」
「ツキシマ・ソータね」
「はい」
颯太がそう返事をすると、女神エンは「ふ~ん……」と言いながら、ぺたぺたと歩くと彼の横を通り過ぎて振り向き、再び口を開いた。
「そんでさ、ソータ。アンタは天国に行きたいの?」
「まぁ……出来れば」
「な~んにもないよ? ただただどこまでも、真っ白の世界!」そう言いながら、両手を大きく開いてゆっくりと一回転する女神エン。
「え? 花畑とかそういうんじゃなく?」
「お花が好きなの? それなら、地獄にあるわよ?」
イメージと違うな……
「地獄に咲く花はね、真っ赤で綺麗なの! それで、お水の代わりに罪人の血をやって育てるの!」
イメージ通りだ……
「でも、本当に天国でいいの? 転生も出来ないよ?」
「転生……輪廻転生ってやつですか?」
「うん! さっきも輪廻の女神って言ったでしょ? 実際に、私のメインのお仕事はそれなの! 私が担当してる世界で、好きな世界に転生させてあげてるんだ!」女神エンは、指で空中にクルクルと円を描きながら言う。
「担当してる世界……?」
「そう! 例えばねぇ……この世界!」
女神エンはそう言って、持っていた金色の杖を宙にかざした! ――すると、楕円型の窓のようなものが現れて、その中には風景があった。
「これが、私が担当している世界の一つよ!」
空中に突然現れた窓のような物体に驚きはあるものの、映っているに風景に興味を惹かれる颯太。
「……このでっかい建物は何ですか?」颯太は一際目立つ巨大な建物を指差して聞いてみた。
「これは……国立魔導学校トーミヨね! ここは魔導士を育成する学校で……あ、今ちょうど模擬戦やってたみたいね!」楽しそうに、戦っている学生たちを見る女神エン。
「……あ、何か黒髪の男が手から炎作ってる!」
「あっ! こらっ! そんなことしたら死んじゃうよ!!」
女神エンはその黒髪の男に対し怒っているが、当然とも言うべきなのか、黒髪の男に聞こえている素振りは無い。
そして、その楕円形の窓から男性の声が聞こえてきた!
「ヨシュアァァ………!! くらえぇッ!!」
そう言った男性は手から巨大な火の球を飛ばし、楕円型の窓の中は標的であろう一人の男性を中心とし、他二人の男女を巻き込み、三人は爆炎で包まれていた……
「あ~、ありゃたぶん三人とも死んじゃったわ……」
「……これが、あなたの世界?」
半信半疑ではあった。何せ、魔導学校というワードが出たからには魔法が存在する世界があると言われているようなものだからだ。
しかし先程、三人の学生を死に追いやったであろう黒髪の男性も、手から炎を創り出していた。あれはどう考えても魔法としか言いようがない……無理にでも信用するしかないのか?
「うん。ここが、私が担当している世界の一つなの! ……他にも、こことここ!」
そう言って、先ほどの楕円型の窓は消えて、新しく二つ、先ほどと同じ楕円型の窓を作った。
一つは、俺がいた都内の風景だ。
俺が倒れてる……周りには警察や救急隊員や野次馬が集まっているようだ……
だが悲しみなどは無く、颯太自身はテレビドラマで見たような光景だなぁと感じ、紛れもなく自分が倒れているのに、不思議と他人事のように思えた。
「この世界は、俺がいた世界ですね」
「うん、私の担当世界では一番科学力も何もかもが進歩してる世界。その代わり、科学が進歩したせいで魔法が存在しないの」
「……じゃあ、こっちは?」颯太はもう片方の世界を指差す。
指差した世界の楕円形の窓では、20代後半~30代前半くらいの年齢の青髪の兵士が木で造られた槍を持って、向かいには、それぞれ部分鎧と木剣を装備している五人の兵士が彼を取り囲んでいる。
どうやら、捕えようとしているわけではなく戦闘訓練だろう。
それを眺めていると……
「でえぇぇぇいッッ!!」
青髪の男性は眼にも留まらぬスピードで兵士の一人に接近し、槍を巧みに操り、本物の槍にも刃が付いていない反対側の石突きと呼ばれる部分で腹を一突きして吹っ飛ばし、その勢いをそのままに槍を薙ぎ払って残りの兵士全員を一瞬で吹き飛ばし、負かした。
青髪の男性はその後、五人の兵士たちの手を握って起こすと「足運びがまだまだだ」だとか「動きを目で追い過ぎだ。さっき、俺に攻撃するチャンスがあったことに気付いていたか?」など一人一人にアドバイスをしている。
彼は、この兵士たちの上司なのだろう。左目に眼帯を付けており、痛々しい傷痕がはみ出ている。ただ、彼本人は短髪のワイルドな印象を受ける男性だった。
「この世界は……やめた方がいいわ」言い淀んでいる女神エン。
「見せといて教えてくれないんですか?」
「だってここ……今まで見せた世界の中でトップクラスに危ないんだもの。アンタすぐ死ぬわ」
「もう死んでるんで……」
「分かってるわよ……」
「……そもそも、どうして俺はこんなところにいるんですか?」
「それはねぇ――」
エンの話は長かった。まるで最近のお喋りな女の子ようだった。
彼女の話を要約すると、おおよそ10歳以上の健康な男女が死んでしまった場合、こうしてこの世界“境界の内部”に呼び出し、好きな世界へ転生させてくれるようだ。
一口に健康な……と言っても、話が理解出来る人間ならば身体が不自由でも連れて来られるらしい。
ちなみにそれ以下の年齢だった場合、半ば自動的に天国へ送られるそうだ。
ただし転生するには条件が二つあって、一つが元の世界で確実に死亡していること。そしてもう一つが、その死因が自殺ではないこと。だそうだ。
自殺をしてしまった場合、輪廻転生から外され境界へ飛ばされず、魂は罪人として勝手に地獄へ向かってしまうのだそうだ……。
たまに、さっきの魔法を撃たれて殺されたであろうヨシュアと呼ばれていた男性のように、生きたまま別の世界へ飛ばされることがあるらしいが、それはエンの力によるものではないそうだ。
また、生まれ変わる場合、二つの選択肢を与えられる。転生をするか、転移をするかの違いだ。
つまり、今現在の成長した状態のまま選んだ世界に転移するか、選んだ世界で赤ちゃんからやり直すか……だそうだ。
もちろん、寿命で亡くなった場合は転移は出来ず、必ず転生になるそうだ。
「今のまま……か……」颯太はそう言って、自分の足を見る……昔に粉砕骨折して、二度と走れなくなった足だ……。
しばらく黙る颯太。足を見ていると……過去を思い出し、段々と震えてきた。
彼は太ももを叩いて気合入れ、意を決したように口を開いた。
「エン・マーディオーさん」
「うん?」
「この世界を……赤ちゃんとして転生したいです」指差した世界は、彼女が危険だと言っていた世界。
「どッ……! どうしてそこを選ぶの!?」言葉を詰まらせ、目を丸くして驚く女神エン。
「……やけくそです。俺は今まで辛い人生を歩んできました。ちょっとのことでは挫けない自信もあります!」
「やけくそって……本当に危険な世界なのよ!?」
「……実は俺、もう命に執着してないんです……俺のことを知っているかは分かりませんが」
「そりゃあ……とんでもない人数がいるわけだし……アンタ一人を知ってるわけじゃないけどさ……でもきっと、アンタよりも辛い思いをしている人だっていると思うよ?」
「そんなことは分かってます。でも、俺にはサッカーが全てだったんです……」
「だったら、サッカーが出来る死んだ世界に戻って、赤ちゃんからやり直したらどう?」
「……そうしたいのは山々なんですが……」一瞬言い淀んでから続ける。
「俺は、2歳の少し走れるようになった頃から、家にあったサッカーボールを蹴って遊んでいたそうです……しょっちゅう転んでいたそうですけどね。ハハ……」懐かしく、そして恥ずかしそうに笑う颯太。
「それから15年……17歳になった去年まで、ずっとサッカーをやって来たんです。親にメチャクチャ怒られた時も、初めて出来た好きな人にフラれた時も、友達と大喧嘩した時も、サッカーをやってる時だけは何も考えずにいられたんです」
「…………」女神エンは頷きながら聞いてくれている。
「でも、去年の試合中、相手選手のスパイクで足を踏まれて粉砕骨折したんです……手術もして歩けるようにはなりましたが、医者からは二度とサッカーは出来ないと言われました」
颯太は、その時の絶望に満ちた情景を思い出す……しかしそれをすぐに振り払うと、話を続けた。
「……俺はサッカーに人生を救われて、サッカーに人生を壊されたんです……サッカーはやりたいけど、二度とサッカーボールは見たくない……」
「……その相手選手はどうなったの……?」
「入院した俺の病室に親と一緒に来て、土下座して謝っていました。元々わざとそんな事をするような選手には見えないし、誠意を持って、そしてきっと彼の浮かぶ限りの謝罪の言葉を並べていました……しかし俺は、そんな彼をベッドから転げ落ちながらも、思い切り殴りかかりました……俺は最低な人間です。そんな俺が人生をやり直すんです。最低な人間がまともな人間になるには……この一番過酷な世界がお似合いです」
「そう……」女神エンはそう言ってしばらく黙ってしまった。
時間にしてほんの数秒の沈黙……しかし、やたらと長く感じた。
「……でもねソータ。一つだけ間違っていることがあるわ」女神エンが再び口を開くと、そんなことを言い出した。
「間違っていること……?」
「相手の選手……謝っているとはいえ、貴方の人生を壊した相手よね? その人に殴り掛かるのは確かに悪いことかもしれないけれど、当時の貴方の気持ちを考えたら……そういった行動を起こしたって良いんじゃないかって、私は思うの」
かなり真剣な表情で言う女神エン。
「いや……貴方は女神様なんですよね? そんなこと言って良いんですか?」苦笑いしながらもそう答えると、女神エンは真剣な表情のまま続けた。
「貴方は過去の行いを悔いて、自分を最低な人間だと罵った。……その優しい心は、この世界でもきっと貴方の武器になる……。でも、自分を責める必要はないわ」
そう言って女神エンは一呼吸置くと、これまでよりも強く、芯の通った声で続けた。
「貴方はこの世界に転生するのよね? この世界は、やられて黙っていられるほど甘い世界じゃないわ。心優しい貴方だもの……だからこそ伝えるわ!」
「……ツキシマ・ソータ! やられたら、徹底的にやり返しなさい!!」女神エンの強い言葉が境界の空間に木霊する。
「はっ、はいっ……!」さすがは女神と言ったところだろうか……?
フランクで軽い感じの女神様から打って変わって、かなり真剣な表情で話してくれた女神エン。
颯太は、この神様を信じてみよう……そう感じていた。
――そう感じていたのも束の間。
「よしっ! じゃー、私からプレゼントね~! ……ほいっ!」さっきまでの暗い雰囲気を消し飛ばすように明るく喋る女神エン。
きっと元気付けようとしてくれているのだろう。しかし、今の自分にとっては、それがかえってガッカリさせられるものだった。
女神エンは、持っている金色の杖を上に振った。
すると、昔懐かしいガチャガチャのようなものが颯太の眼の前に現れた。
子供の頃にやったことがある。100円硬貨を入れてレバーを回すと、カプセルが出てきて、その中には色んなオモチャが入っているのだ。
……と言っても、そのガチャガチャの本体は颯太が知っているものと比べて数十倍……いや、百倍以上大きかった。もはや“巨大”という言葉がお似合いである。
「で、でか……!」
そのサイズ感に思わず言葉が漏れる。
横へ回り込むと、とてつもない量のカプセルが入っていることが分かる。そのカプセルをよく見ると、中身は二つ折にされた紙が一枚入っているだけのようだった。
「……これ、何ですか?」
「やってみてからのお楽しみ! ほら、このコインあげるからやってごらん!」そう言うと、エンは指を弾いて一枚のコインが颯太の足元に落ちてくる。
そのコインを拾って、ガチャガチャに入れる……
そしてレバーを回す。この感触は久しぶりだな……そう感じていると、一つの金色のカプセルがコロコロと出てきた。
「ん? 色が他と違う……」
「すごい! 10万個中1個しか入ってない超激レアカプセル!!」そう言って女神エンは嬉しそうに跳び上がった。
颯太はそれを手に取って開けると、あることに気付く。……二つ折にされた紙が二枚入っているのだ。
颯太はその二枚の二つ折の紙を取り出して、それぞれ読み上げる。
「……ゴッデススキル:経験値10倍。……ゴッデススキル:天賦の才……??」
「良かったわね! ソータ!」
「えっと……10万個中1個しかないらしいし、運が良かったっていうのは分かったけど……イマイチまだ意味が良く分からないというか……」
「アンタが泣いて嫌がっても絶対に分かるわよ! この世界で12歳になった日にね! じゃ、いってらっしゃ~い!」
そう言って、手を振るエン。
「え? ちょっ……」
プツンと視界が真っ白になる……。かすかに「頑張ってね~!」と聞こえた気がした……
気付けば俺は全裸で必死に声を出していた。視界は真っ白だが目が開かない……あぁそっか、赤ちゃんだもんな……
「元気な男の子ですよぉ~!」という声が聞こえた。看護師さんか誰かの言葉かな……?