第八話 別れ話は突然に!?
前回のあらすじ:
思い出のチェンバロを通してクラリーシャとジャンの心が近づく。
「『クララ』様て……。まあなんというか、若様らしいヤボいセンスっすね」
メイドのカンナが呆れ返った顔で、ズケッと言った。
「別に野暮じゃないだろ。愛らしいだろ」
ジャンが憮然顔で反論した。
翌日早朝、馬車で登校中のことである。
「確かに愛らしいっすよ? でも『クララ』様だなんて、とても貴族のご令嬢の響きじゃないっすよ。ぶっちゃけ庶民的っすよ。普通は『リーシャ』様じゃないんすか?」
「ぐっ……。言われてみれば……っ」
カンナの鋭い指摘に、ジャンが悔しそうにしつつも納得する。
クラリーシャはくすりとしつつ助け舟を出す。
「わたくしは『クララ』という愛称が、とても気に入っていますよ」
「えっ、まじすか!?」
「そらみろ、カンナ! 大事なのは本人の気持ちだろうがっ」
「ぐぬぬっ……。無理してないすか、お嬢様? 若様が哀れで気を使ってないすか?」
「そんなことないです。むしろ『リーシャ』と呼ばれる方が微妙というか、ちょっと苦い思い出がありまして……」
ちょうどレナウン王子が、自分のことを「リーシャ」と呼んでいたのだ。
だからジャンが思いがけず別の愛称で呼んでくれたのが、心からうれしかった。
まあ、皆まで言うのはそれこそ野暮なので、理由については口を濁しておくが。
「ですので、ジャン。ぜひ『クララ』と呼んでくださいね?」
「ああ、わかった」
「呼んでくださいね?」
「……わかったよ。……クララ」
「もっと大きな声で?」
「クララっ」
「サービスでもう一声っ」
「いい加減にしてくれ、クララ!」
ジャンが半ば自棄になって愛称を連呼し、クラリーシャは満更でもない気分で破顔する。
脇ではカンナが半眼になって、「ナニこの人たち急に……犬も食わねーっすよ」みたいな生温かい視線を二人へ注ぐ。
(ですが、本当に楽しいです)
ジャンとの間に感じていた壁が、すっかりなくなっているのがうれしい。
まだ婚約を納得してくれたわけではないが、心を許してくれたのはわかる。
それで充分ではないか!
まずは人と人として、つき合っていくのが大事。お互いにわかり合っていくのが大事。
レナウンの時はそれが失敗だった。婚約とか結婚とか、所詮は形式でしかないのに、許嫁というだけで人間関係を構築できた気になっていた。
(わたくし、同じ失敗をする趣味はございませんので)
貴族の結婚に別に恋愛感情は必要ないが、友情さえ感じられないような冷え切った関係はさすがに嫌だ。
今度こそジャンと一緒に、人がましい信頼関係を育んでいくのだ。
(そう思えば殿下に婚約破棄されたことも、わたくしの成長につながっていますね!)
クラリーシャはイイ方に考えた。
どこまでもめげない女だった。
◇◆◇◆◇
ところがクラリーシャの人生紙風船ぶりの方は、とどまるところを知らなかった。
馬車が校庭の円形交差点に停まる。
今日もジャンのエスコートで降りる。
そして、何やら騒然となっている現場に出くわす。
辺境伯家令嬢コーデリアが――登校初日にからんできたあの傲慢な女が、地面に額ずいて謝っていた。
彼女の取り巻きの学生たちは、男子はボコボコにされてのされ、 女子は泡を吹いて卒倒していた。
そして、地面に額をこすりつけるコーデリアの、その後頭部を踏みつけて懲らしめている少年がいた。
クラリーシャの弟だった!
「どうしてカミーユが学校に!?」
「来ちゃいました、姉上」
あちらもクラリーシャの登校に気づくや、照れ臭そうに舌を出した。
我が弟ながらなんとも愛らしい仕種だが、辺境伯家のご令嬢の頭を踏んづけてする表情ではない!
「と、とにかくその足をコーデリア様の頭からおろしなさい早よっ、早よっ!」
「ですが姉上。私の調べによればこの女は、姉上に生意気口を叩き、不遜にもマウントをとりに来たそうではないですか。ランセンの娘を侮ればどうなるか、思い知らせてやった方がよくないですか?」
クラリーシャ同様祖母譲りの黒髪の、天使の如き紅顔の少年。
それが悪魔も逃げ出すような冷酷無比の顔つきになって、コーデリアの後頭部をぐりぐりと踏みにじった。
「だからと言って女性の頭を踏みにじるのはやりすぎですっっっ」
「私はそうは思いませんね。『貴族は舐められたら負けな稼業』だと、口を酸っぱくして教えてくださったのはお祖母様と姉上ですよ?」
「コーデリア様もきっと仕方なかったんです! わたくしが男爵家に嫁ぐと知って、『いっちょ学校での上下関係を教育したるか』ってはしゃいじゃったんです! 若気の至りなんです!」
どうしていじめっこのコーデリアを擁護しているんだろう? と自分でも滑稽に思いながら、とにかく全力でフォローした。
だってコーデリアが可哀想だった。さすがにこの仕打ちはなかった。
公衆の面前で額づかされた上に頭をグリグリ踏まれるとか、誇り高き貴族なら自刎ものの仕打ちだ。
「その結婚、ランセンは認めてないです。父上も母上も。もちろん、兄上も私も」
カミーユがコーデリアの頭から足を下ろすと、毅然と主張しながらやってくる。
弟はランセンの男の中では背が低く、クラリーシャと目線がほぼ変わらない。
そして、やはりクラリーシャの新たな婚約話こそが、田舎くんだりまできた本題なのだろう。
さっきまで踏んでいた辺境伯家令嬢のことなどもう、完全に眼中になかった。
クラリーシャはコーデリアに、今のうちに逃げるように手ぶりで合図した。
コーデリアはクラリーシャたち姉弟を、まるで化物でも見るような畏れ慄いた目で見つつ、取り巻きを残してダッシュで逃亡した。
一方、カミーユは本題を続ける。
「姉上を連れ戻すようにと言われて来ました。たとえ力づくになっても」
父は王都で社交、兄は領地で経営と、公爵家にとって欠かせないお役目がある一方、十四歳のカミーユは確かにまだしも自由の効く身だ。
「フェンス家の町屋敷ではなく学校で待ち伏せたのも、それが魂胆ですね」
「ええ、姉上お一人でも相手するのは骨が折れるのに、曲がりなりにも敵地に飛び込んでいくような蛮行はできませんね」
「むむむ我が弟ながらなんて賢しらな……」
「『目的を達成するための手段は選ぶな』『常在戦場の精神を持て』『卑怯とか負け犬の遠吠え』――これもお祖母様と姉上の薫陶ですよ?」
「ああっ、反論できませんっ」
人の言うことを素直に聞くなんてカワイイ弟なんだろう!(皮肉)
「というわけですので姉上、参りましょう」
「嫌ですよっ、わたくしは帰りませんっ」
「どうか誤解なきよう。姉上の価値も理解できず婚約破棄した、見下げ果てたあの王太子の元に戻れなどとは、父上も考えておりません」
「そうではなくて、わたくしはもうこちらのジャンと婚約したのですっ」
「ですからランセンは、その婚約を認めておりません」
カミーユはさっきから、クラリーシャのことしか見ていなかった。
すぐ後ろで、状況についていけずに当惑しているジャンのことは、あたかも路傍の石の如く一顧だにしていなかった。
「姉上はもっと釣り合いのとれる男と、ご結婚なされるべきです。父上が今、新たな縁談を進めております。もちろん今度こそ良縁ですよ」
「ええっ。わたくしとジャンの結婚は、仮にも国王陛下がご承認なさったものなのですよ?」
「関係ありません。『軽率な発言で、人んちの大切な娘を物みたいに右から左へ下げ渡した国王陛下が、あまりガタガタ抜かすようなら内戦も辞さない』と父上の仰せです」
「そんなメチャクチャな……」
普段、自分こそ周囲に「非常識すぎだろランセン家」と驚かせるような真似を連発しているのは棚に上げて、クラリーシャは絶句した。
「貴族は舐められたら負けな稼業ですから」
「それはそうですけども……」
さて困った……と冷や汗を垂らすクラリーシャ。
すると、そこで初めてジャンが姉弟の会話に入ってきた。
「僕からもちょっといいか?」
「ええ、言ってやってくださいよ、ジャン!」
突然現れ、クラリーシャを連れ去ろうとする弟に、ぜひ婚約者として「失せろ」とか「クララは渡さない」とかバシッと言ってやってほしい。
「クララが実家に帰るの、僕も賛成だ」
「あれぇ……?」
まさか自分がバシッと言われるとは思わず、クラリーシャは愕然となった。
「なんだ、意外と話のわかる人ですね」
今までジャンをガン無視していたカミーユが、急に笑顔になって受け応えた。
仮面を張り付けたような笑顔に。
「ジャン殿からもぜひ姉を説得してあげてください」
「ダメですよ、ジャン! どっちの味方なんですか!?」
「もちろん、クララの味方だよ」
ジャンはきっぱりとした口調で言った。
クラリーシャは今度こそ喜色満面となった。
「味方だから、君はもっと相応しい男と結婚するべきだと思う」
その顔のままクラリーシャは凍り付いた。
でも一瞬で解凍すると、
「なんでですか!? そんなにわたくしのこと嫌いですか!?」
「嫌いじゃない。むしろ親しみやすくて、すぐ好きになった。君はいい意味で貴族らしくない、稀有な人だ」
はにかみながらジャンは言った。
本音トークだとクラリーシャは感じた。
もう別れが迫っているから、それなら隠していても仕方がないと、素直になろうと、そんな雰囲気をジャンはありありと醸し出していた。
「君みたいな素晴らしい女性を、僕は見たことがない。つまりはこんな田舎にいていい人じゃないんだよ。まして僕みたいな釣り合いのとれていない男と結婚しても、不幸になるだけだ」
ジャンの言葉のいちいちに、カミーユが小憎らしくうなずいている。
クラリーシャは堪ったものではない。
「勝手に不幸って決めつけないでください! 幸せとは境遇で決まるものではないんです! 自分の腕力でつかみとるものなんです!」
「…………っ」
全力で訴えると、ジャンが気圧されたような顔になる。
でも、それも一瞬のことだ。
ジャンはかぶりを振ると、
「それでも、結婚するなら良縁に越したことはない。ランセン公爵のことは知らないけど、君を育てた人ならさぞや立派な人なんじゃないか? その人が進める縁談なら、間違いないんじゃないか?」
「既に一回殿下で間違ってますけどっ」
「それでも同じ失敗は繰り返さない人なんじゃないか?」
「っ、それは……わたくしのお父様ですし……」
反論できず、口調を尻すぼみにさせるクラリーシャ。
ジャンがあくまでクラリーシャのことを想って、言ってくれているのはわかっている。
彼は口調こそぶっきら棒だが、根はひどく優しい人なのだと――まだ会って間もないけれど――充分に伝わっている。
それでもクラリーシャは、「君のために別れる」と言われるより、「僕のために残ってくれ」と言われたかった。
いっそワガママなくらい求められたかった。
レナウンといいジャンといい、どうしてそう平気で手放せるのか。
(わたくしって実は女として魅力ないんでしょうか?)
そんな気持ちにさえさせられる。
やはり男勝りなこの気性が問題か。
なんでもかんでもデキるのも、かえって可愛げがないのか。
それとも男はおっぱいの大きな女が好きなのか。
クラリーシャはくよくよと考え――でも、すぐに切り替えた。
「嫌です、わたくしは帰りません」
淑女にあるまじき挙措でジャンの胸倉をつかみ上げ、この手は絶対に放さないぞとアピールした。
「フェンス家を盛り立てると、お義父様に約束しました。三代で侯爵家に成り上がってみせると、自分でも遣り甲斐を覚えました。それを他人に言われて曲げるなんて、面白くないです。ええ、面白くありません!」
ここが校庭で、周りにどんどん登校中の学生が集まっているのも構わず、クラリーシャは力強く言ってのけた。
ジャンも今度こそたじたじになって、
「ま、待ってくれよ、クララ。じゃあ僕も言わせてもらうけど……僕は正直、君には妻より友になって欲しい……っ」
「わたくしってそんなに女性的魅力にあふれてませんか?」
「ぶっちゃけ、そこはあんまり感じてない……」
「じゃあすぐに好きにさせてあげます。この世界と引き換えにしてもわたくしのことを手放したくないってくらい、狂わせてあげます」
自分でも非常識なことを言っていると自覚しつつ、でも迷わず言った。
くよくよ考えているより、よほど自分らしいと思った。
クラリーシャはどこまでもめげない女だった。
「ゆ、友人関係じゃダメだと……?」
「わたくしは別にジャンに恋愛感情は持ってませんけど、ジャンには抱いて欲しいなあ、と衝動的に思ってしまったので」
「魔女かな?」
「自分の気持ちに正直に生きるためなら、わたくしは魔王にだってなりますよ?」
己の腕力で幸せをつかみとるとは畢竟、そういうことだ。
「べ、別に友情が恋愛感情より下ってことはないだろ? むしろ友情の方が長く続くってよく言うだろ? そういう意味では、僕はとっくに君にほだされてる。それでいいじゃないか」
「ジャンは抵抗しますねえ。お義父様に似て、意外と強情ですよねえ」
「君が結婚しても、会いに行くよ。普通の貴族は社交シーズンに王都に集まるんだろ? そしたらまた釣りでもしよう。他の遊びでもなんでもつき合うから――」
とジャンはしどろもどろになりつつも、こっちの説得を続けようとした。
「ああ、それ無理ですよ」
空気を読んでか今まで差し出口を慎んでいたカミーユが、急に口を挟んだのはその時だった。
「え……?」
どういうことだと、ジャンは目でカミーユに問う。
「父上が良い縁談話を進めていると申し上げたでしょう? 仮にも一国の王太子に婚約破棄されてしまった姉上の、その埋め合わせになるものでなければ、良縁とは言えないでしょう?」
「……すまない、貴族文化に詳しくないんだ。もっとはっきりと教えてくれ」
「姉上にはホランド国の王太子との縁談話が、持ち上がっています」
ホランドは先に戦を仕掛けてきたミッドランドより西、さらに一つ隣の国だ。
「ミッドランドが再び侵略してこない保証はありませんからね。泰平の世もよいですが、そろそろタイタニアも遠交近攻の視点を持つべきと、父上はお考えです。姉上には両国の懸け橋になっていただければ、と」
「むむっ」
とクラリーシャは唸った。
これはこれで遣り甲斐を感じさせられる縁談だったからだ。
かといって初志を曲げるつもりはないが――さすが父はクラリーシャの気質をよくわかっているというか、ただ頭ごなしに従わせるつもりではないのがわかる。
一方、ジャンは呆然となってカミーユに聞き返した。
「もう……クララとは会えない……?」
「ええ。遠い異国の、しかも王家に嫁入りするとなれば、親族でもないジャン殿が会える道理はありません。これが今生の別れとなりますね」
カミーユは冷淡なまでに、ぴしゃりと断言した。
「私にとっても自慢の姉上です。あなたが慕う気持ちもわかりますよ? ですからまあ、今日いきなり連れ帰るというのも酷な話でしたね。私も鬼ではありません、二週間後にまた来ます」
その口調のままぬけぬけと言う、可愛げのない弟。
「その時こそ、どんなに姉上に恨まれても連れ帰ります。父上と兄上の命令ですから、実力行使も辞しません。ジャン殿はぜひそれまで、姉上と今生の別れを惜しんでください」
一方的に言い放って、カミーユはさっさと踵を返した。
弟もランセンの男だ。まだ十四歳でも、やると決めたら必ずやり通す気構えがある。
(これは困りましたねえ)
と額に手を当てるクラリーシャ。
自分もランセンの女だから、両者の意志が相反した時、ぶつかり合うしかない。
祖母や父の薫陶を受けた者同士で、果たして如何なる結果になるか。
だけど今、問題はジャンだ。
そう、これは未来の夫婦の問題だ。
自分一人が盛り上がっても仕方ない。それではレナウンの時と変わらない。
「どうしましょう、ジャン」
と声をかけて――気づく。
無言で立ち尽くす彼が、ひどく蒼褪めていることに。
それ以上、声をかけるのが躊躇われるほどに……。
どうするジャン!?
どうなるクラリーシャ!?
明日もぜひお楽しみに!




