第五話 イイ男だって自らの手で作り出すもの
前回のあらすじ:
クラリーシャは登校初日にして注目を浴び、マウントとりにきたカースト上位令嬢を一蹴し、凄まじいインパクトで周囲を圧倒した。
「今朝は僕のことを庇ってくれて……ありがとな」
ジャンがお礼をはっきりと口にした。
口調こそぶっきら棒だったが、照れ隠しだろう。
学校帰りの馬車のことである。
登校の時同様に対面の座席にジャンが腰かけ、クラリーシャの隣にカンナがいる。
「お嬢様に感謝は感謝で、けっこうな話っすけどね。ぶっちゃけ若様はあんだけ言われ放題で、悔しくないんすか? あーしは聞いててあの性格ブスにムカつきまくりでしたけど」
とカンナがまだ今朝のことを引きずっているのか、ぶーたれ顔でぼやいた。
上位貴族のご令嬢をつかまえて「性格ブス」と言い切る度胸と遠慮のなさが面白くて、クラリーシャは口元に拳を当ててクスクスと笑う。
「そりゃ僕だって悔しいよ……。だからってどうしようもないだろ?」
一方、カンナの度胸の十分の一でも持ち合わせるべき、情けない発言をするジャン。
「悔しい、というお気持ちはあるのですね?」
その一点を聞き逃さず確認するクラリーシャ。
「う、うん……。ま、まあ……」
「でしたらコーデリア様を見返して差し上げましょう!」
クラリーシャはにぎった拳を振り上げて力説した。
「あんたはすぐ無茶を言う! そんな簡単な話じゃないだろっ」
「確かに容易なことではございませんね。今日明日でいきなり彼女を完全に見返すなど、無茶だとわたくしも思います」
「だ、だったら――」
「ですが今日始めなければ、ジャン様は永遠に侮られたままです」
正論パンチを上から叩きつけるように、クラリーシャは断言する。
「ジャン様一人で頑張れなどと、突き放したリしません。わたくしも全力でサポートします」
一転、優しい声音と笑顔で包み込むようにする。
「…………」
ジャンはしばらく無言で葛藤していた。
でも最後には「見返したい」と、小声ながらもはっきりと口にした。
傍で見ていたカンナが「アメとムチっすねー」と半ば呆れ、半ば感心したようにつぶやいた。
◇◆◇◆◇
「というわけで、まずは身だしなみだけでもどうにかしましょうねー」
クラリーシャは意気揚々と宣言した。
椅子に腰かけたジャンの背後から、彼の髪をジョキジョキ鋏で切りながら。
帰宅後、屋敷の裏庭のことである。
他には鏡を構えたカンナがいて、四十前の一般女中もいる。
舅殿の髪を切るのは普段、このベテランの仕事だそうだ。
でも専任の理髪師ではないし、王都のファッション文化に精通しているわけでもない。
ためにクラリーシャが実演し、勉強してもらっているのだ。
「この前のところを一房残して垂らすのが、今の流行りなんです。ここです、ここ」
などと口で説明しつつ、前髪を気前よく切り落としていくクラリーシャ。
大胆な鋏捌きにもすぎるというか、当たりも全くつけずにバッサバッサと一息に切っていくため、ベテランメイドが勉強どころではない様子でハラハラと見守っている。
一方、カンナはクラリーシャの為人にだいぶん耐性がついてきた様子で、
「クラリーシャお嬢様はなんでもできるっすねー」
「武門の娘ですから。刃物の扱いは一通り嗜んでいるのですよ」
「だからって散髪もっすか?」
「要は生垣の剪定みたいなものですよ」
「僕の頭は豆黄楊か……」
「まず庭の手入れができる公爵令嬢がイミフっすよ……」
などと、ジャンとカンナの両方からツッコミを受ける。
だがクラリーシャは忍び笑いしながら(そして手元は別の生き物の如く完璧な鋏捌きを続けながら)、
「さあ、ヨレヨレの海藻みたいだったジャン様の髪型が、見違えてきましたよ!」
まるで露天商の売り口上みたいに、威勢よくカンナたちへ言う。
「多少髪を手入れしようと、ぶっちゃけ若様は若様だし、見違えはしないと思うんすけどねー」
カンナは鏡でジャンの顔を正面から映しつつ、自身も仕上がりを見物する。
そして、今までずっと伸び放題の髪で隠れていた、ジャンの人相を目の当たりにする。
男爵家に奉公してまだ二年未満だという新米メイドが、初めて若様の素顔とご対面。
「うっそーん……」
あんぐりと開いたカンナの口が、しばらく元に戻らなくなっていた。
その表情が面白くて、クラリーシャはくすっと噴き出しながらも、
「ジャン様の長身はお義父様譲りなのでしょうが、お顔の作りの方はきっと亡きお義母様譲りなのでしょうね」
と、肖像画が残されていないのを残念に思った。
◇◆◇◆◇
「髪型は整ったので、次は姿勢の矯正を目指しましょう。猫背とは今日でサヨナラです!」
「なにすんだよ、あんた! これ痛いって! 痛い痛い痛いギャアアアアアアアアッ」
ジャンが絞められた鶏のような、あられもない悲鳴を上げた。
男爵家屋敷の衣装室のことである。
今、ジャンは上着を脱いで、裸身をさらしていた。
そこへコルセットをキツく巻くことで、無理やり背筋を正そうと試みているのである。
「死ぬ! 殺される!」
「世の淑女たちが日々どれだけ苦労して体型補正をしているか、偲ばれるでしょう?」
ジャンの後ろに回ったクラリーシャは、笑顔のままコルセットを絞め上げ続ける。
しかも細腕からは想像もつかない剛力で、ギリギリと音が立つほど。
「そういうお嬢様はコルセットなんてしてないっすよね?」
「ええ、カンナさん。神様とお母様に感謝すべきことに、わたくしはスタイルに恵まれております上に、プロポーションの維持に余念がありませんから。加えて姿勢の矯正は、物心つく前から躾けられておりました。少しでも背筋を曲げると、お祖母様に乗馬鞭で叩かれて育ったのです。だから今さらコルセットは必要ありません」
「どこまでメチャクチャなんだよランセン公爵家!」
クラリーシャにギリギリと絞め上げられながら、ジャンが悲鳴混じりのツッコミを叫んだ。
「まずは一月、これを続けましょう」
「この地獄を一月!?」
「ええ、ジャン様。その後は一日装着したら一日外しましょう。それで猫背にならなかったら翌日もなしで、もし少しでも戻ってしまったらおしぉ――ではなくコルセットで矯正しましょうねー」
「今、お仕置きって言いかけたよな!?」
「えいっ」
「ギャアアアアアアアアッ」
ジャンの抗議を、クラリーシャはコルセットを絞め上げることで封殺した。
コーデリアを見返すと彼が決めたからには、甘えは許されない。絶対にだ。
だからランセンの娘の当たり前として、心を鬼にしたのである。
「後は衣服も流行りのものに倣いましょう」
そう言ってクラリーシャはカンナから上着を受け取り、ジャンの体の前で広げて合わせる。
普通は家にない男性用コルセット同様、買ってきてもらった紳士服の一着だ。
帰宅してすぐ、使用人たちのまとめ役であるサージにお願いした。
「ずいぶんと高そうなジャケットに見えるけど……よくうちにそんなお金があったな?」
「古着を買うようお願いしたので、大丈夫のはずですよ?」
「「ええっ」」
なんで中古品!? とばかりにジャンとカンナが驚声を上げる。
クラリーシャは二人に説明する。
「王都では十年前に流行ったギャバン・スタイルの紳士服が、一周回ってまた流行りつつあるのです」
しかし辺境にあるここリュータでは、まだその流行の波が来ていなかった。
ギャバン・スタイルの紳士服は十年前に廃れたまま、人々の記憶から忘れ去られている。
ゆえに古着を探して回れば、奥の方に仕舞われているのを見つけ出すことができるはず。
売れ残りだから当然、格安で購入できるはず。
クラリーシャのその読みは的中し、サージが毎日とっかえひっかえにできるほど買ってきてくれたのだ。
「あーしはそのギャバン・スタイル? っての知らないっすけど、今見てフツーにイケてるって思うすけどねー」
「一度は大流行しただけはありますよね」
女子二人でキャーキャー言いながら、中でもどれがジャンに似合いか、ああでもないこうでもないと相談する。
「僕にはどれも一緒に見えるから、早く決めてくれ……」
「ダメです。わたくし、妥協のできない性分ですので」
「コーデリアを見返すなんて迂闊に言うんじゃなかった……!」
◇◆◇◆◇
翌日。
馬車で登校したクラリーシャは、対面座席のジャンに言う。
「では、練習通りにお願いいたしますね」
「……わかってる」
「付け焼刃は事実ですけど、それでもジャンはわたくしの特訓にしっかりついてきてくださいました。だから自信を持ってくださいね? 弱気はダメです、態度に表れます。見える人には見透かされてしまいます」
「自信ねえ……」
「『貴族は舐められたら負けのヤクザ稼業』なんすからね、若様!」
「うふふ、ヤクザはよけいですよカンナさん」
等々――口を酸っぱくした甲斐があり、「もう耳タコだよ」と嫌気を起こしたジャンからは緊張の色が抜けていた。
そして馬車は、校庭の円形交差点に停まる。
言い含めておいた通り、御者が客車の扉を開けるまで座して待つ。
最初に降りるのはジャン。
そしてクラリーシャを振り返り、下車に手を貸す。
たったこれだけのことでも、されど作法は作法。女性のエスコートの基本だ。
今までジャンが蔑ろにしてきたものだ。
クラリーシャも「別に馬車から降りるくらい、一人の方が気楽でいい」と看過してきた。
(ですが、ジャンは変わりました。いいえ、変わりたいという意志を示した)
であらばクラリーシャはこの学校という社交界の縮図――すなわち貴族にとっての戦場で、勝ち抜く方策を手ほどきしなければならない。
そこで勝って、勝って、勝ちまくった先に、伯爵家や侯爵家へと成り上がる道もあるのだから!
◇◆◇◆◇
ボンボン男爵令嬢イボンヌは、コーデリアの取り巻きの一人である。
父も祖父も放蕩貴族で、家は借金まみれで没落寸前。
だから女王サマや仲間たちからの評価も低く、立場は弱い。
ていのいい使い走りにされる日々だった。
この日もまた、イボンヌは朝っぱらから女王サマのご命令を受けていた。
フェンス男爵家の馬車を待ち構え、ジャンを悪し様に罵り、周囲の笑い者に仕立て上げて、クラリーシャを嫌な気分にさせろと言われたのだ。
まあ要するに昨日コーデリアがやったことを、今度はイボンヌ一人でやれということだ。
もしまたクラリーシャに手痛い反撃を食らっても、傷がつくのはイボンヌだからと。
女王サマの身代わりになれと。
(はぁ、鬱だわ。あのダメ男を罵るのはストレス解消になるけれど、脳ミソまで筋肉でできてそうなあの女がまーた噛みついてきたら、暴力反対なアテクシはどうすればいいってのよ)
そんな身勝手なことを内心ぼやき、また女王サマの仕打ちを恨むイボンヌ。
相手が大貴族のご令嬢だから阿っているだけで、コーデリアのことは心底嫌っていた。
何度も重いため息を漏らしながら、まだ肌寒い四月の朝のロータリーで待ちわびる。
そして登校してきた学生に不審の目で見られても、なんとも思わなくなるくらい神経が麻痺したころ、ようやくフェンス男爵家の馬車が現れた。
(遅い! 相変わらずしょっぱい馬車に乗ってる分際で、重役出勤でも気取ってるわけ!?)
内心ブツブツこぼしながら、フェンス家の馬車を睨みつける。
その馬車は確かに悪い意味で目立った。
ロータリーに停車する他家のそれは、さすが貴族の令息令嬢が乗るだけあり、どれも客車にふんだんに装飾が施された代物だった。
比べてフェンス家の馬車は飾り気の一つもない。
まさしく質実剛健の家風に相応しい、それこそ軍でも使用に耐えるような頑丈な車なのだが、そんな要素はこの学校では評価されない項目なのである。
(さあ、どんな風に罵ってやろうかしら。今日は何をあげつらってやろうかしら)
イボンヌは内心舌舐めずりしながら、フェンス家の馬車の方へと近づく。
御者が開けた扉から、降りてくる少年を見据える。
そして――腰を抜かしそうになった。
馬車から降り立ったその少年が、絶世の美貌を持つ貴公子だったからだ。
そこらの女より遥かに整った、甘やかな顔の造作。
背はため息が出るほど高く、なのにスラリとしていて、蛮性と表裏一体の男臭さを感じない。
緩くウェーブを描く前髪の一房だけ垂らしているところに、得も言われぬ色気を感じる。
ファッションセンスまでいい。見たこともないスタイルのジャケットが、誰にも真似できない特別感を醸し出している。
(だ、誰よ、こいつ!? い、いえ、こんなお方、この学校にいたかしら!?)
思わず取り乱すイボンヌ。
しかし頭のどこかは冷静に、この事態を理解していた。
フェンス家の馬車から降りてきたのだから、この貴公子はジャンその人以外にあり得ないと!
あのダメ男がワカメみたいなダサい前髪の下に、これほどの美貌を隠し持っていたのだと!
確かにタイタニア一の美少年といえば、レナウン王子だともっぱらの評判。
しかし田舎の下級貴族のイボンヌは、お目通りなど叶ったことがない。
ゆえにイボンヌにとって「タイタニア一の美少年」とは、このジャンで確定してしまった。
(あああ……)
気づけばイボンヌは我を忘れ、ジャンに見惚れていた。
そのジャンが客車を振り返り、中にいたクラリーシャに手を差し伸べる。
胸を張り、背筋を伸ばし、自信に満ちた彼の所作は、滅多にない長身も相まって、世の紳士のお手本の如く堂々たるものだった。
(アテクシもあんなステキな人に、あんな風にエスコートされたい……)
思わずクラリーシャを羨まずにいられなかった!
頼りない婚約者もクラリーシャにかかればこの通り!
しかしまだまだ!!
明日もぜひお楽しみに!