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東香を置いて、オレはまっすぐ、学校へと向かった。
あと一歩でまとまりそうな、一つの推論をこねくり回しながら足を急がせていると、昇降口の前までたどり着く。
入学シーズンということもあって、そこにはいくつものプランターが置かれ、中にはパンジーやニチニチソウといった、朗らかな色合いの花々が植えられている。
緑化活動の功績か、あるいは弊害か、考え事をしているというのに、オレは一瞬、そっちに注意が移ってしまう。
プランターの花々はどれも色付きが見事で、緑が力強い。ぱっと見るだけで、この花たちを育てたのが、うちの教師連中ではなく、プロの園芸家だとわかる。簡単に言えば、花屋の花、ということだ。どうせ例のホームセンター産だろう。
我ながら偏屈な見方で花を見渡していると、ふいに、一つのプランターに目が止まる。なぜか、端っこの方に置かれたそのプランターだけには、花が植えられていない。
不思議に思って近づいてみると、そのプランターの中身は、予想だにしないものだった。
くすんだ白の長方形をしたケースの中に、土が入ったままのビニール鉢が、いくつも放り込まれている。
「……あいつ」
オレは思わず呟く。
あいつ、とはもちろん、我が緑化サークルの長のことだ。
プランターの中に放り込まれていたのは、先日東香が勝手に学校に持ち込んできて、花壇に植えようと企んでいた、花の苗鉢たちだった。ビニール鉢の表面に、先日見た時と同じ赤い値引きシールが貼ってあったから、一発であいつのものだとわかった。
花壇への植え替えが、近藤の件によって失敗した後、一体どこに持って行ったんだろうかと気になってはいたが、まさかこんなところに隠してあったとは。
左右を向いて、他のプランターと見え方を比較してみる。雑な隠し方ではあるが、こんなものに目くじらを立てるやつもいないだろう。
再び顔を下に向ける。そこにはやはり、赤いシールの貼られた苗鉢がある。
その瞬間だった。
今までなんとなく固まりきらなかったオレの思考に光が走り、霧が晴れたかのように、脳内が澄み渡った感触が降ってくる。
「そうだ……! やっぱり近藤の話はおかしい」
東香の置き土産は、どうやらオレの頭に、一筋の「ひらめき」を運んできてくれたらしい。
四角い中庭の一辺。一年三組の教室の目の前にある花壇に向かって、今日も近藤は土に水をまいていた。
そんな彼に、オレは迷いなく近付いていく。
「今日も水やりですか」
「おっ……!」
ぶしつけに声をかけたので、一瞬声を上げた近藤だったが、オレの声は覚えてくれていたらしい。
「なんだ、広くんでしたか。残念ながら、まだ芽は出てないですよ」
「今日は花壇を見に来たわけじゃないんすよ。近藤先生と、ちょっと話したいことがあって」
そう切り出してみると、近藤がジョウロを持ったまま振り返る。
「どんな用事ですか?」
「昨日、先生は東香に対して『ここにあるのは古い種だ』って言ってましたよね」
「はい。この種が芽吹くか確かめるのが、先生の目的です」
「それって……『嘘』ですよね?」
近藤は俺の言葉を聞いて、眉をひそめる。
「はて、先生には何がなんだか」
「やっぱり認めてくれませんか」
「もっと詳しく話をしてくれないと、なんとも言えませんよ」
はっきりとした返答はせず、近藤はこっちにマイクを突き返してくる。
リクエストに答えて、オレは先に、自分の考えを明かしてやることにした。
「近藤先生は、〝モチベーション不足〟だと思うんですよね」
「言っている意味がちょっと……」
「この花壇で、マリーゴールドをわざわざ種から育てるほどの動機が、先生には見当たらないって言ってるんです」
オレは人差し指で、花壇の土を示す。
「確かにマリーゴールドは、開花までが早くて、初心者向けの花だって言われるけど、それでも二、三ヶ月はとても手がかかります。当然、その間はずっと、先生が手厚く世話する必要があるんですけど、大変じゃないですか?」
「まぁ……そうですね」
「それがわかっていて、どうして急に花を育てようと思いついたんですか?」
「だからそれは、種を有効活用するためですって」
「近藤先生、やっぱり先生の言ってることは変だ」
オレはばっさりと切り捨てる。
「植物を育てるのは、めいめいの『祈り』があるからだと、知り合いが言ってました。この意見が正しいかどうかは置いておいても、確かに園芸をするのには、それなりに目的が必要だというのには、オレも同意見です」
「だから、先生の目的は、さっきから話してるじゃないですか」
「単に種の発芽を確かめることが、そんなに大きなモチベになりますかね。気温の調子がよければ、あと一週間ぽっちで叶う夢ですよ」
「それで『モチベーション不足』というのは、ちょっと暴論じゃないかな」
「なら教えて下さい。先生は種がしっかり芽吹いたとして、その後はどうするんですか?」
「もちろん、責任を持って育てる。花が咲くまでは、絶対に」
「それは、どういう動機からですか? だって、芽吹くところさえ確認できれば、先生は満足なんですよね」
「……。」
唇をすぼめて、むっとした顔で近藤が一度黙り込む。
やや間が空いて、近藤はオレから目をそらしつつ、言い放った。
「これは、大人の責任というものですよ。芽吹くのが確認できて、そこでおしまいというわけにはいかない。先生は結果だけを観測したい科学者じゃないんです、だから最後まで、絶対に面倒を見る」
神に誓うような、頑固な言い方だった。純粋な言葉のやり取りだけで、これ以上のものを引き出すのは、どうやら不可能らしい。
なのでオレは、最終手段を取ることにする。
「それじゃあ近藤先生、最後に、先生が植えた種の袋を見せてもらってもいいっすか?」
「昨日も見せたはずですが」
「別に減るもんじゃないし、今も教卓にあるんでしょう? お願いしますよ」
ぺこり、と頭も下げてみる。不良と呼ばれてから、大人に頭を下げるのはずいぶん久しぶりな気がする。
おかげで、オレに頭を下げられた近藤が、逆に慌てていた。
「わ、わかりましたよ。広さんがどうしてそんなにこの花壇に執着するのかはわからないですが、いくらでも見せてあげましょう」
窓際から教卓に手を伸ばし、近藤が種の袋を渡してくれた。
【マリーゴールド(黄)】
相変わらず質素なパッケージの表面に、緑色のシールが貼ってある。
【10%オフ】
種の袋を手のひらにのせたまま、オレは近藤の目をしっかりと見すえた。
「近藤先生、このホームセンターの値引きフェアが始まったのは、ほんの――〝二週間前〟のことですよ」
近藤の目の色が変わるその瞬間を、オレはしかと目撃した。
さっき昇降口で感じた、気付きの正体がこれだ。この値引きシールこそが、重要な鍵だったのだ。
ついさっき、昇降口で東香の苗鉢を見たとき、オレは思い出した。
彼女は自分で用意してきた十個ほどの苗に対して、こんな風に語っていた。
『例のホームセンターの、春の園芸フェアで安売りしててね』
そう、つまりはこの値引きシールは、その園芸フェアの対象商品であるという目印だ。
念のため、ここに来る途中に、スマホで正確な日程を調べておいたが、「春の園芸フェア」というだけあって、開始は今月、四月の頭からだった。
そんな直近のイベントの値引きシールがなぜか、近藤の言う「古い種」の表面に貼ってあるのはおかしい。
「近藤先生、どうしてこのシールが貼ってあるんですか?」
「それは……きっと前の値引きイベントの時のシールですよ! 春先のセールなんて、今まで何度も行われているはずでしょう」
案の定、近藤はそんな理屈で反論してくる。
そこでオレは、種を持った腕を伸ばして、よくよくその表面を見せてやる。
「ここにあるロゴ、見えます? この種は、このホームセンター独自の園芸ブランドの商品なんで、お店のロゴがプリントされてるんすよ。……だけどこのロゴマーク、去年にデザイン変更で色が変わってるらしいんです。具体的に言うと、オレンジのマークから、緑のマークに変更されたんですよ」
指先で袋の上部をつまんで、ロゴの部分がさらによく見えるよう強調する。
「この種にプリントされてるロゴは、何色ですか?」
「緑色……ですね」
「その通り。実際、園芸倉庫に置いてあった古い種にはすべて、オレンジ色の古いロゴがプリントされていました。つまり、この緑色の新ロゴが入ったマリーゴールドの種と、倉庫にある種との年代は、一致しないということになる」
近藤からの反論は、返ってこなかった。
押し黙ってしまった彼に向かって、オレはさらに詰め寄る。
「先生が植えたのは、園芸倉庫から持ってきた古い種じゃなく、最近買った新品の種だ。つまり、『古い種が発芽するか確認したいから、花壇に種をまいた』って先生の話も、嘘ってことになる」
近藤のすらりして高い体格を見上げ、オレは最後に問いかけた。
「教えてください、先生が花壇に花を植えた、本当の理由を」