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 大鮫島は、海洋の上に浮かぶ人工島なので、吹き抜ける風は塩の香りが混ざっている。

 このしょっぱい風は、植物に塩害をもたらし、土壌を悪くする。

 すると人々は園芸から遠のき、この埋立地はどんどん灰色になっていく。

 そんな現状を良しとせず、自分だけでも緑を作ろうと躍起になっているのが、青柳東香という女子中学生だ。

 今日も、塩気をはらんだ海風の風下で、彼女は植物に水をやっている。

 近藤に会ってから一夜明け、緑化サークルはいつも通りの活動に戻っていた。

 具体的には、涙橋水門の付近に、東香が勝手に設置したプランターへの水やりだ。

「てっ、てっ、ちゃらちゃらちゃらちゃら……てってっててぇー!」

 景気よく水をまきながら、東香は鼻歌として歌うにはハイレベルすぎる、ダンスチューンっぽい何かのメロディを不器用にハミングしている。

「今日は機嫌良さそうだな」

「こうやって水をまくのは楽しいからね。何より、この場所が好きなんだ」

「緑化サークル発祥の地だからか?」

「そうだよ。去年の秋頃に、ここで広くんと出会ったんだ」

 今はもう懐かしい、過去の記憶。

 大人たちへの不信感から不良に走ったオレは、まさにこの場所で、奇妙な活動に励んでいた東香と出くわした。いや、彼女に「拾われた」という方が正しいかもしれない。

 東香は、何にも価値を見つけられず、捨て鉢になっていたオレに「緑化活動の手伝い」という名目で、やることを与えてくれた。

 それから少しずつ、オレはこの世界を、そして大人たちを、受け入れられるようになったのだ。

 自分でもつくづく不良根性で嫌になるが、この恩には、一生をかけてでも報いる必要があると思っている。

「当時は、オレとお前の二人だけだったのに、今じゃ緑化サークルも結構大所帯になったよな」

「うちの生徒はもちろん、他校の生徒まで入ってくれたからね。やっぱり地道な努力は報われるものなのさ」

「そういや、他の部員たちは、今日はどこに?」

「涙橋の近くでこっそり作ってる、きゅうり畑の方を見てもらっているよ。きゅうりは塩害に強いって話だから、これからの成長が楽しみだよ」

 風にはためく、彼女の真っ赤な腕章も、その笑顔も、どんなものより輝かしい。

 この太陽のような東香の光が、社会の底辺を這いずっていたオレにまで届いたことは、オレにとって最大のラッキーであると同時に、疑問でもあった。

 ちょうどノスタルジーな気分になっていたのもあって、オレは一つ、彼女に聞いてみることにした。

「どうしてお前は、オレを見捨てなかったんだ?」

「何さ、急に」

「口も悪いし、活動にだってそれほど乗り気だったわけじゃない。最初に声をかけたのは、シンプルに部員集めのためだっただろうが、そこからはどうしてオレに構い続けられたのか、ちょっと疑問になった」

 顔をそらしながら、なるべくどうでも良さそうな声色を作った。でも本心では、どうしても知りたいことの一つだった。

 東香は水をやる手を止めて、プランターの中の、まだなんの花や実をつけるとも知れない植物たちを、愛おしそうに眺めながら口を開く。

「いつか言ったかもしれないけれど、私は別に、植物そのものが、好きで好きでたまらないってわけじゃないんだ。だけど、植物を〝育てること〟は、いつだって楽しい。……それはどうしてだと思う?」

「実がなるからか?」

「違うよ、もし花や果実が目当てなら、そこまでの九九パーセントの努力にきっと耐えきれないよ」

「答えを教えてくれ」

「うふふっ、せっかちだね。私が植物を育てるのは、そこに『祈り』をかけているからなのさ」

 東香は柔らかく笑う。

「もちろん、健やかであれ、大きく育てと祈るのは当たり前だよ? 私が言っているのはもっと『自分勝手な祈り』のことなんだ」

「自分勝手な祈り?」

「そうとも。例えば『この花は、私に幸せを運んでくれる』とか『これは金運が上がる木だから、大きく育ったらお金持ちになれるはず』とか、そういうやつだね」

「それ、妄想っていうんじゃないか?」

「妄想でいいんだよ。こうやって水をあげることに、ただ花を咲かせること以外の、目的ができればいいんだ」

 まだ明るい午後の空の下、東香は両手を前に出して、指を揺らし、風の感触を確かめるように動かす。

「私はね、一人ぼっちだった緑化サークルに入部してくれた広くんにも『祈り』を託していたんだ」

「……どんな?」

「君を真人間に戻せたら、きっと行きたい大学(ユニバーシティ)に合格できるってね!」

胸を叩いて、当たり前のように東香はそう言い放った。

「ったく聞いて損したわ。祈り、とか大層なこと言って、自分勝手な願掛けに利用してただけじゃねえか。っていうか、オレは植物と同じ扱いかよ」

「言うこと聞かない不良も、言葉が通じない植物も、同じようなものだよ」

「やかましいわ!」

「でも一応は、君は真人間になってくれたからね――」

 東香の声色が変わる。

 涙橋水門の景色が映った、透き通った瞳が、まっすぐにオレを捉える。

「今度は君に、どんな『祈り』を託そうかな?」

 息を飲んだその瞬間に、オレはなんとなく、東香の言いたいことを理解した。

 きっとこいつは、オレに期待していると、そう言ってくれているのだろう。オレに水をやり、関心を寄せれば、いつかは自分に返ってくると思いこんでいるんだ。

「あんまり期待しないでくれ」

「いいさ、君は自由に生きていい。私が勝手に、喜んだり悲しんだりするだけさ」

 ずっと前から、この青柳東香という少女は、こうやって、いやに排他的だ。他人に色々要求する割には、最終的には人は独りだと、信じている雰囲気がある。

 でもオレは、自分は東香よりはわずかばかりか、もっと他人に対して利己的になっていいと思っている派閥の人間だと思っている。

 例え東香が、独りで勝手に幸せになれる人間なんだとしても、オレは彼女にとって、有益な他者でありたい。

 その期待に応えられる男でありたい。

 言うならそれが、オレにとって、決して楽とは言えない緑化をやり続ける理由なのかもしれない。

 そう考えた時、オレの脳裏に一つの思いつきが、突然に湧き上がってくる。

 緑化のためには誰しもが、今のオレのような情熱や、それこそ「祈り」のような強烈なモチベーションが必要なのだとしたら……あの近藤という教師の言う「発芽実験」は、果たして緑化の原動力たりうるような、強力な意志なんだろうか、と。

 まだ芽吹く前の、一つの疑問の種を抱えて、オレは学校の方へと振り返る。

「悪い東香、ちょっとこれから、学校に行ってくる」

「え、今から!? さっき下校してきたばっかりじゃないか」

 困惑する東香に向かって、オレは問いかける。

「近藤の花壇の件、お前は満足してるか?」

「いや、満足してないどころか、味気がなくって大変不満だったけど……あれはもう終わった話じゃないか」

「実は、オレはそうは思ってないんだ」

 短く告げて、オレは前を見すえる。

 たった一センチでいい。

 東香の明日を、今日よりも良いものにする。

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