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聞き取り調査なんてやったことはないが、東香の命令なら仕方がない。
だって、東香は物事が自分の思い通りにいかないと、すぐにすねてしまうから。
いじけたあいつをなだめるのは、絡まった靴紐を解くのよりも、はるかに面倒くさい。
朝のホームルームが始まるまでの時間を使って、オレは一年三組の教室を訪ねることにした。その理由は単純、例の花壇から一番近い教室だったからだ。この位置関係なら、誰か関係者がいてもおかしくはない。
三年生のオレが、下級生である一年生のクラスに突撃するのは、決して褒められたことではないが、授業前なのでいいだろう。
開き直って、勢いよく教室の中に入ってみると、まだ早い時間にも関わらず登校している関心な後輩たちが何人かいた。オレはその中の一人にターゲットを絞り、声をかける。
「ちょっといいか」
その男子生徒はすぐに振り返ってくれたが、オレの顔を見た瞬間、背中に定規でも突っ込まれたみたいに背筋を伸ばした。
「ひ、広先輩!?」
「オレのこと知ってるのか、良かった」
「ひぃ、殴らないでください!」
「おい待て、お前オレにどんなイメージ持ってんだよ」
まさか、見ず知らずの後輩にまで、こんなに恐れられているとは思わなかった。
……認めよう。確かに、オレにはいわゆる「不良」として活動していた時期がある。ちょっとばかり精神を病んでいたせいで、大人たちに反抗し、喧嘩に明け暮れ、停学にもなった。
しかしそれは、東香と出会う前のことだ。あいつと出会って、緑化サークルに入会して以降は、大人に反抗するよりも、多少は面白い毎日が送れているので、もうオレは不良を卒業した……と、思ってはいる。
しかしながら、当時の悪行三昧が未だに噂になっているらしく、オレの顔と名前は今でも、こうして悪い意味で有名だ。
目の前で縮こまる後輩に対して、オレはなるべく優しい声で言い直す。
「安心してくれよ、オレはもう更生したんだ。だからちょっと話を聞かせてくれないかな」
「……いや、本当に更生した人は自分で『更生した』って言わないと思いますよ。あなたが真っ当な人間になったかどうかを判断するのは、あくまで第三者であってぇ――」
「あんまりゴチャゴチャ言ってると、花壇に埋めちゃうよ? 後輩くん」
「ひぃッ!」
「お兄さんのお話、聞いてくれるかな?」
「は、はい……」
こうして、オレは非常に真っ当なやり方で、後輩に協力を取り付けた。
まずは、この一年生の認識を確認してみることにする。
「この教室って、中庭に面してるよな?」
「はい」
「すぐ外に、花壇があるの知ってるか?」
「席が窓際なので、見たことくらいはありますよ。なんにも植えられてない、謎の花壇ですよね」
「その花壇について個人的に調べてるんだが、誰かがそこに種をまいたり、水をやったりしてるのを見たことあるか?」
「いや別に……っていうか、それって広さんたちの仕事ですよね」
後輩は急に、意表を突く言葉を投げつけてくる。
「どういう意味だ?」
「学校中で話題になってますよ、先輩らの『緑化サークル』? とかいうやつの話。東香さんと一緒に、島中を緑化して回っているんですよね」
「マジかよ、あいつの個人活動も大成したもんだな。後輩にまで知れ渡ってるなんて」
「有名なのは緑化サークルというより、東香先輩の方ですけどね」
「そりゃ、あんなドラスティックな性格してたら、悪名も知れ渡るわな」
「違いますよ」
後輩はオレの予想を、力強く否定した。
「東香先輩って、入学式の時に、誰それ構わずに勧誘してたじゃないですか。あんな美少女に校門でいきなり声かけられて、『君しかいないんだ!』みたいに熱心に勧誘されるものだから、数多くの男子の初恋を奪ったって伝説になってるんです」
「あいつが初恋って……普段の理不尽ぶっ飛び具合知ったら、絶対に後悔すると思うぞ」
「そうですかね? 僕のクラスでも、緑化サークルに入りたいって人ちらほらいますよ。東香さん目当ててで」
「うえぇ……」
身の毛もよだつ話だ。
言わせてもらうが、あいつはテロリズム気質を持った、とんだ問題児なんだぞ? 今はまだ「緑化」なんていう、頭お花畑な活動に関心が向いているが、これが「世界平和」とかに目的がシフトチェンジした日には、歪んだ思考のままに、きっと核ミサイルとか開発し始めるタイプだ。
だからこそ、オレが腕ずくでも、あいつが妙な方向に突っ走っていかないように、見ていてやらないといけないんだが……。
「あのー、そろそろいいですか?」
後輩にせっつかれて、はっと我に返る。
「もうすぐホームルームか。それじゃあもういい、時間を取らせて悪かったな」
まったく、誰かさんのせいで話題がそれて、満足に聞き取りもできなかった。
そんな逆恨みを抱えて帰ろうとしたオレを、後輩が呼び止めてくる。
「あ、ちょっと、最後に一つだけ聞いてもよろしいですか?」
「なんだよ」
「広さんって、東香さんと付き合ってるんですよね?」
オレは足を止めると、すぐさま後輩の一年坊主を見返した。
「今、なんて言った?」
「別に違ったらいいんですけど、最近の東香さん、いっつも広さんといるし、口を開けば『うちの広くんがね!』って話題ばっかりだって、部活の先輩が言ってて……」
「断じて違うわ!!!」
もう二度と、そんな根も葉もない噂が広まらないよう、なるべく大声で言っておく。
こっちは花壇について調べに来たというだけなのに、どうして東香とのありがたくもない熱愛報道を流されなきゃならないのか。
憤りのままに、もう一言くらい言ってやろうかと意気込んだオレだったが、背後からポンと肩を叩かれる。
「ちょっといいですか」
投げかけられた声に振り返ったオレは、すぐに「まずい」と思った。
そこに立っていたのが、一年三組の担任教師だったからだ。
「君は、三年一組の津川広くんですよね?」
「……そーです」
「まだ授業前だから、教室に来てもらうのはいいけど、あまり大声を出してみんなを驚かせないようにね」
まだ若い、働き盛りといった印象のその教師は、思いの外優しい口調でオレを諭した。
これは意外だ。この学校に、まだオレに優しくしてくれる教師がいたとは。
「わかりました。こんな朝からお邪魔してすみませんね、近藤先生」
彼が首から下げたネームプレートを眺めつつ、素直に頭を下げて、オレはそそくさとその場を立ち去る。
ただ、教室から出ていく途中、一度だけ振り返ってみたオレは、意外な光景を目撃した。
その男、一年三組の担任である近藤教諭が、窓辺に立って、外をじっと眺めていたのだ。
この行動に、オレは違和感を覚えた。
つい今しがた声をかけた、一応は元不良のオレのことなどすぐに忘れて、一目散に窓辺に向かって何かを見ているその姿が、異様に思えたのだ。
まさか、花壇に種を植えたのは……。
「手がかり」というより、「言いがかり」といった方がいいくらいの、根拠に乏しい疑惑を持って、オレは自分の教室へと歩いていった。