研修の幕開けと出会いの瞬間
初夏の訪れとともに、微かな暑さが部屋に広がり、そよ風がカーテンを揺らしていた。西村俊介と小林奈々は、ふたりきりの空間で優雅なひとときを過ごしていた。紅茶の芳香が室内に広がり、テーブルの上には美しいケーキが並べられていた。
西村は落ち着いた佇まいで、口に運ぶ紅茶の香りを楽しんでいた。彼の深い瞳はテレビの画面に集中し、時折微笑みを浮かべていた。奈々は優雅な口づけでケーキを味わいながら、西村の隣に静かに座っていた。
テレビの画面からは、午前の時間に発生した出来事が映し出され、その情報に耳を傾けながら、彼らはさまざまな思考をめぐらせていた。
中継映像では、香川県高松市の水神神社裏山での古墳発掘が再開される模様が伝えられていた。「今、私は水神神社裏山の古墳発掘現場に立っています。あの『赤の災害』以来、この発掘作業は中断されていましたが、本日から再開されることになりました」と中継レポーターが報告した。
スタジオのニュースキャスターが解説を始めた。「卑弥呼の死後、桃姫は争乱を避けるために、この地に身を寄せたと伝えられています。そして、今回の発掘によって、桃姫の古墳の存在が示唆されているのです」とニュースキャスターはコメンテーターに話を振った。
歴史専門家のコメンテーターが口を開いた。「まさに、その可能性は高いのです。もし発掘された墳墓の中で、卑弥呼から桃姫へと伝えられる銅鏡が発見されれば、それはまさに大発見と言えるでしょう!その銅鏡には不思議な力が秘められていると言われ、一説によれば、桃姫がこれを用いて災厄を引き起こしたとも伝えられています。さらに、卑弥呼の死後、桃姫の性格が豹変し、実は桃姫の身体に卑弥呼が、憑りついたのではないかという説も浮上しています。信じるか信じないかはあなた次第です」とコメンテーターは語り、スタジオは静寂に包まれた。
奈々はテレビを見ながら声を発した。「あ!香川県高松市は彩香さんの故郷だよ。古墳の発掘、すごいわね!」その言葉に、西村は頭の中で思考が交錯した。そう言えば、病室で見た謎めいた夢の中での会話。内容はあまりはっきりとは聞き取れなかったが、そのときの相手の名前が香川という人物だと思っていたが、実は香川県のことだったのだろうか。すると、奈々が西村の耳元で言った。「俊介君!私の話、聞いている?」西村は我に返り、「う、うん、聞いていますよ」と答えた。
奈々は時計を見て驚いた表情を浮かべながら言った。「あ!休憩時間が終わっていた。早く戻らないと。また後でね!」そして、彼女は部屋を出て階段を駆け下りていった。
ここは「ハーモニーティーハウス」の二階であり、西村は現在神谷と同居している。西村は昨日、病院を退院し、以前住んでいたアパートがガス爆発事故で住めなくなり、新しいアパートが見つかるまで、神谷と一緒に暮らすことになったのだ。
午後になって、神谷将太は店舗を訪れた。特運課の仕事の打ち合わせのため、いつもの店内の奥深くにある部屋へ西村と奈々も共に同行し、足を踏み入れた。
神谷は厳粛な面持ちで、手にした資料を二人に手渡しながら話を始めた。「この度、私たちは初めての運力向上研修を実施することになりました。そのために、厳選された研修生が二課から3名、三課から4名選ばれました。そして、その中で奈々ちゃんと西村君は、三課の候補の中から特に選ばれたのです」と神谷は告げた。
彼らは神谷の厳粛な言葉に耳を傾け、手渡された資料を真剣に凝視していました。その資料には、研修の詳細な内容と3か月という期間が記されており、学科と演習の2つの要素で構成されることが明示されていました。
「研修期間中は、運力向上のための学科と実践的な演習が行われます」と神谷は続けた。「学科では理論や技術の習得を深め、演習では実際の場面での応用力を養うことが目的です。しっかりと資料を読み込んで、準備をしておいてください」と彼は言葉を重ねました。
奈々は困惑しながらつぶやいた。「学科の危機管理政策論?難しそう…憲法、民法、刑法、刑事訴訟法、警察行政法、職務倫理、犯罪心理、郷土史。うわー、無理、無理、むり…」神谷は苦笑いしながら言った。「そうだね、僕も警察大学卒業生として、このカリキュラムに学科と演習を合わせて3ヶ月はさすがに厳しいと思う。国科研の添島主任にも話したんだけど、柔軟には対応してもらえなかったな…」西村もため息をついた。
「まぁ、来月からだから、休みの時は僕も二人に教えるよ。一緒に頑張ろう!」と神谷は言い、警視庁に戻っていった。
一方、時は同じくして、高級住宅街の一角に広がる緑豊かな邸宅の客間で、警視総監の息子である井上隆之介と2人の男女が会話を交わしていた。隆之介が二人に向かって話しかけた。「三課の生活には慣れてきたかい?」
湊が答えた。「まだなんとも言えないな。なぜ俺が警察の仕事をすることになったのか、いまだに理解できない。それに、西村さんがあのような事態になって、結局、組織は解散した。それにしても、今の西村さんの『中身』は一体何者なんだ?」
隆之介が答えた。「元々僕は、あなたたちの野蛮な組織に所属していなかったし、指示は鏡の声から来たものだから、正直なところよく分からないんだ」
すると、陽葵が口を挟んだ。「私だって、借金がなかったら、今もモデルの仕事を続けていたのになぁ。」
湊が横から笑いながら言った。「陽葵はホストにのめり込んでいたから、自業自得だよな。」陽葵は苦笑いを浮かべた。
隆之介が話に入ってきた。「さあ、今から鏡の声の指示を伝えるよ。行動中はテレグラムで指示を受け取ることになるからね。」彼は二人に説明し始めた。
一ヶ月が経過し、夏至の早朝。蒸し暑さが立ち込める中、スーツに身を包んだ西村と奈々は電車に揺られていた。奈々はドア付近の手すりにもたれかかり、西村は片手に吊革を握りながらスマホを見つめていた。その時、西村が口を開いた。「研修場所の警察大学は次の駅だね」と告げると、奈々は興奮を隠せない表情で尋ねた。「どんな大学なんだろうね」。
駅から降り立ち、15分ほど歩くと、広大な敷地に囲まれたフェンスが現れた。敷地内には木々と芝生、そして何棟もの建物が姿を現していた。ゲート脇の受付場には、制服を身にまとった人が立っていた。受付手続きを済ませると、二人はゆっくりと敷地内に足を踏み入れた。建物の周囲では、「それ!1、それ!2、それ!3、」と学生たちが声を出しながら連なって走り抜けていく様子が目に映った。その光景を見ながら、西村と奈々は期待と緊張が入り混じった気持ちで周囲をキョロキョロと見回した。
初めて目にする警察大学の風景に、奈々の心は高揚していった。壮大な建物の姿、活気に満ちた学生たちの姿、そして未知の知識と技術が詰まった教室や訓練場。これから始まる研修への期待が、二人の胸に熱い鼓動を生み出していた。
3階の教室のドアを軽くノックし、中へと足を踏み入れると、前の席には男性2人と女性1人が座っており、笑顔で会釈していた。二人も丁寧に会釈を返し、後ろの席に座った。席は7つあり、そのうち2つがまだ空いていた。
しばらくすると、教室のドアがゆっくりと開き、30代の男性講師が入ってきて声をかけた。「おはようございます。あれ?まだ、2人来ていないようだね」と言いながら、待っていると、ドアが静かに開き、ラフな格好をした20代後半の男性が声を出した。「すんません、後ろのマヌケのせいで遅くなりました」と言うと、後から続いた20代半ばの、おしゃれな女性が「だって~洋服選びにメイクと時間かかるんだもん」とぼやいた。教官はあきれた表情で「まあ、とにかく席についてください」と二人に促した。
西村と奈々は驚いた表情で二人を見つめた。すると、講師が話し始めた。「私は国家科学研究所の主任、添島です。君たちは、今日から3か月間の研修を行います。前にいる二課の3人は私の講義を受けた経験があり、警察大学を卒業しているので、大体は理解していると思います。一方、三課のメンバーはほとんどが一般の方で未経験者が多いです。しかし、この短い期間に必要な知識を身につけてもらいます。では、講義を始めましょう」
西村は、この場での自己紹介はしないことに気付いた。確かに資料には研修者の名前と年齢が記載され、それに顔写真が添えられていた。彼らの個人情報は慎重に管理されているようだ。きちんとしたプロフィールに基づいて、研修が進められるのだろう。西村は少し安心した。
添島主任がタイマーをセットして、話し始めた。「私の主な講義は、運力と運能力に関するものです。この力は、4年前の赤の災害の際に放射された未知の放射線の影響で発現したものであり、研究によって確認されました。現在も調査は進行中ですが、推測では、世界の人口の50%がこの力を持っていると考えられています。運能力は人によって異なりますが、運力が強ければ運能力もより発揮され、逆に運力が弱い場合は、運力の強い者に対し発動されないことが判明しています。ここまでの内容は理解できましたか?」
西村も奈々も何となく頷いた。しかし、西村は後ろの二人が気になり、ちょっと後ろを振り返って驚いた。あの登場からは想像もつかないほどに、真剣に講義を聞いている様子だった。講義は続いた。「まず、重要なのは運能力です。この能力は犯罪に利用される最も危険な要素です。超能力とは異なりますが、使い方次第では超能力に近いものとなり得ます。したがって、皆さんにはその使い方を理解し、能力を持つ者が犯罪に手を染めないよう守る役割を果たしていただくことになります。運能力は現在の統計から、一種類しか発動されないことが確認されています。おそらく、複数の能力を持つと運力が分散し、うまく発動できないと推測されています。」
講義は2時間が経ち、優雅な音楽によってタイマーが鳴り響いた。添島主任がタイマーを止め見上げて、「皆さん、今日の私の講義は終了です。休憩時間挟んで、次の科目では、警察の教官が講義を担当します」と宣言し、教室を去っていった。
西村と奈々は、疲労困憊の表情を浮かべていた。そのとき、後ろの席に座る男性が隣の女性に向かって、驚きの表情で声をかけた。「陽葵、あの講義を真剣に聞いていたなんて、すごいな!」微笑みながら、陽葵は答えた。「実は私、学生時代から目を開けたままでも眠る特技を持っているのよ」と述べた。すると、陽葵が突然、西村に声をかけた。「西村君、一緒に飲み物を買いに行かない?」西村は予期せぬ誘いに戸惑っていた。「え?」奈々が微妙な表情で西村の耳元で小さな声で尋ねた。「彼女は知り合いなの?」西村は慌てて首を振った、男性が西村に向かって言った。「ごめんね、彼女はいつも誰でも普通に誘っちゃうんだ」その言葉に陽葵は笑顔で答えた。「別にいいでしょ。同じ三課の仲間だし、湊も小林さんを誘えばいいじゃん」西村と奈々は内心動揺を隠せなかった。
4人は1階の休憩スペースにある自動販売機の近くのテーブルに座り、飲み物を楽しんでいた。陽葵は立ち上がり、「少しお化粧を直してくるね」と言って、お手洗いに向かった。湊が口を開いて言った。「いきなり悪いけど、彼女はいつもあんな感じなんだ。許してくれよな」二人は苦笑いしながら頷いた。
陽葵はトイレの中でスマホを手に取り、テレグラムにメッセージを打ち込んだ。「西村、接触成功」と送信した。
研修一日目が終了して、西村と奈々の二人は駅で別れ、奈々は女子寮に向かい、西村は、神谷と同居している「ハーモニーティーハウス」に向かって帰っていった。
時は同じくして、警視庁特殊運命捜査部捜査一課の課長室には、小野寺彩香と神谷将太が腰を下ろしていた。蒼井一課課長はゆったりとした表情で、研修生の二人のプロファイルをじっと眺めていた。神谷が報告する。「川田湊、年齢28歳。有村陽葵、年齢25歳。この二人の情報は明白に改ざんされています。このままでは、研修中に西村と小林が危険に晒される恐れがあると思います。研修を即座に中止すべきだと考えますが」蒼井は神谷を穏やかな口調で鎮め、話し始めた。「実は最近、警察内部の情報が外部に漏れている可能性が高まっているとの懸念から、内部調査を密かに進めている。しかし、なかなか手がかりを見つけることができない。そこで私は罠を張ることを決断したのだ。それがこの運力向上プログラム案なのさ。西村君と小林さんが危険にさらされないように、二課のメンバー3人が二人を護衛し、演習の日には一課の後藤が教官として二人を監視する事になっている」と蒼井は語った。神谷は物憂げな表情で口を開いた。「そうか、あの二課の3人は小野寺二課長の上級部隊なのに、なぜ研修生になっていたのだろうと、疑問に思っていた。この件について、最初に自分にも話してほしかったですよ」と不満を漏らした。
蒼井が答えました。「もちろん、改ざんがなければ研修は続ける予定でしたので、そのためには内密に進める必要がありましたからね」彩香が割り込んで神谷に向かって言いました。「この話を最初からしていれば、研修の重要性を真剣に受け止めなかったでしょう?」彼女は笑みを浮かべながら言うと。神谷は苦笑いして答えた。「確かに、その通りですね」蒼井が続いて話をした。「私たちは引き続き警察内部の調査を進めますので、神谷君は西村君と小林さんの研修を最後まで遂行するようにお願いします。特に私は西村君の運能力について知りたいのです」
警視庁の地下駐車場の奥に位置している。その場所には、小野寺と神谷が車の中に身を沈めていた。小野寺は助手席に座り、シートベルトをしっかりと締めている。同様に、神谷もエンジンをかけ、警視庁を後にした。
熱気を払うように、神谷がエアコンのスイッチを入れると、「蒸し暑くなりましたね。西村君と奈々ちゃんのことが心配です。護衛がついているとはいえ、相手は運能力者。どんな攻撃を仕掛けるか分からず、不安ですね」と口を開いた。
彩香は窓の外を静かに見つめながら、「多分、攻撃はしないと思うわ。あの二人も、今の西村君が何者かわからないから」と話した。ネオンの光が彩香の表情を照らし、時折、彼女の瞳には迷いが宿る。
神谷が一言だけ返答した。「そうですかね…」彩香はその続きを心の中で呟いた。もしも『過去の西村』を知っていたならば、その時は…と、彼女の胸には熱い感情が湧き上がっていた。
同じ時を刻みながら、西村は「ハーモニーティーハウス」の2階にある部屋から窓の外を静かに眺めていた。心には思いの世界が広がっていた。
あの陽葵という女性のことを思い出す。彼女はまるでモデルさんのように美しかった。その思い出に浸っていると、急に奈々さんの怒った表情が浮かび上がってきた。西村は我に返り、首を横に振りながら、外の街灯の光を見つめた。
彼の心には、自らとは異なる過去と未知の現在との葛藤が交錯していた。運命の歯車が回り始めるなか、未来へと向かう一歩を踏み出す決意を胸に秘め、西村は深いため息をついた。