偶然と必然の出会い
夜明け前、高級住宅街の一角に広がる緑豊かな邸宅。そのサニタリールームのドアの前で、隆之介は胸の高鳴りを隠しつつ、ゆっくりとドアを開けた。心を乱されるような不穏な予感が、彼の胸を駆け巡った。しかし、警戒しながらも足を踏み入れると、彼の不安は和らぎを見せた。周囲に不審な気配はなく、安堵のため息が漏れた。
鏡の中に映る自分の姿を凝視しながら、隆之介は顔を洗い、タオルで優しく拭っていくと、突然、耳元から少年の囁く声が聞こえた。
「あ〜あ、あやめちゃんの運、欲しかったなぁ〜。」
彼は驚きと恐怖を同時に抱えながら、タオルの隙間から鏡を覗き込んだ、自分以外には誰も映っていない。あの方の声だと確信した。震えながら必死に謝罪の言葉を口にした。
「ご、ごめんなさい。思わぬ邪魔者がいたので...」
囁く声は答えた。「仕方がないよね。あの玄関にある鏡は僕も入れなかったからね。あやめちゃんの運が強すぎて、まさか彼(西村)を引き寄せるとは思っていなかったんだ。それに、隆君の運能力はとても貴重だからね。なんせ周囲1キロの人間全員の視覚を奪って幻覚を起こすって、運を超えて、もうそれって超能力だよね!いいなぁー、欲しいなぁー、貰っちゃおうかなぁー」
隆之介は驚きと恐怖に歪んだ表情で鏡を見つめながら、「死んじゃう、それだけは勘弁してください」と何度も頭を下げて願った。
囁く声、「はは、冗談だよ、隆君は、僕の大事な仲間だからね。これ以上目立つ行動は危険だから、何も動かずに普通の高校生活を送っていてね!」そして、囁く声は消え去った。隆之介は安堵の表情を浮かべた。
彼はサニタリールームを出て、ダイニングキッチンへと足を運んだ。すると、母親の声が聞こえてきた。「隆之介さん、今日は学校に行くのですか?」と尋ねた。「そうだね、授業は簡単すぎてつまらないけど、気分がいいから当分は通おうかな」と彼は答えた。母親はその言葉にほっとした表情を見せた。
隆之介は彼の父親である警視総監、井上耕太郎の一人息子であり、家族全員が彼の行動を気にかけていた。その時、父親が姿を現した。「そうか、良かった!私の送迎車で学校まで送ってやろう」と上機嫌で話した。彼は父親と共に送迎車に乗り込み、車が走り出すと、父親のスマートフォンが鳴った。彼はスマートフォンを手に取り、着信メールを確認した。しばらく考え込んだ後、父親は口を開いた。「隆之介、すまないが、先に警視庁に立ち寄らせてくれ」と言い、運転手に車の進路を変更させ、急いで警視庁へと向かった。
隆之介は窓の外を眺めながら、警視庁へ向かう車の中で穏やかなひとときを過ごした。街並みが次々と流れていく中、彼の心は交錯する感情に揺れ動いていた。自身が持つ特別な運能力について、そして家族の中での立場について熟考していくのだ。
時を同じくして、警視庁の捜査室には西村俊介が立っていた。薄暗い部屋の中で、小林奈々と森田あやめ、そしてあやめの母親が彼のそばに座っていた。四人は先日の事件の容疑者の似顔絵作成に取り組んでいた。しかし、少年の顔の特徴については意見が食い違い、なかなかうまく進まない状況だった。
西村が少年の特徴を説明すると、奈々が割り込んで「違う、違う!もっと目は大きかったわよ」と口を挟む。さらに、あやめも「奈々ねぇ、私は目が細く見えていたよ」と反論し、あやめの母親も「え? 小さくてクリクリしていたような気がするけど」と追加する。似顔絵を担当する担当官も頭を抱えて、「これでは作成は難しいね」と嘆き悩んでいた。
やがて、四人は似顔絵作成を断念し、警視庁の駐車場に向かった。あの一件以来、少年は姿を現すことがなく、護衛がついているものの、あやめは無事に高校に通うことができていた。
井上親子の乗る送迎車が警視庁の駐車場に静かに到着した。父親の手が車のドアを開けると、隆之介も彼に続いて車から降りた。彼はお手洗いに行くことに決め、父親の後を追うことにした。
同じ頃、西村たちは駐車場の入口に向かう通路を歩いていた。そこで、彼らは前から来た男性とすれ違い、奈々が会釈をした。「あの方、警視総監の井上さんだよ」と奈々が言うと、西村は驚き、その男性の後ろ姿を見つめた。すると、その男性に続いて少年が現れ、「すみません、トイレはどこですか?」と尋ねてきた。奈々が親切に「この先、右に曲がったところにありますよ」と答えると、少年はお礼を言い何もなかったかのように会釈して歩いて行ってしまった。
すると、突然あやめが声を上げて「奈々ねぇ!今からいちごパフェ食べに行こうよ~」と誘った。奈々は「だめでしょ、学校の帰りね」と笑顔で応えた。しかし西村だけは、少年の顔は見えなかったが、通り過ぎた時、何か冷たい背中に刺さるような痛みを感じていた。
隆之介はお手洗いの鏡の前に立ち、怒りなのか、恐怖なのか、こわばった表情を浮かべていた。
駐車場で待機していた神谷の車に4人は乗り込み、警視庁の駐車場を後にした。あやめとあやめの母親を温かい気持ちで見送り、3人はしばらく車を走らせると、目的地の前に到着した。
西村が看板を見つけて呟いた。「ケーキ&カフェ『ハーモニーティーハウス』?」
すると、奈々が興奮気味に話しかけた。
「ここが私のアルバイト先なの。同時に、神谷さんの自宅でもあるのよ。」神谷は微笑みながら、彼女の言葉を補足した。「厳密には、叔母さんの家に、お世話になっているんだけどね。」
一行は車を降り、扉を開けて店内に足を踏み入れた。ハーモニーティーハウスは、叔母さんの温かな笑顔で迎えられた。
「こんにちは、いらっしゃいませ」と優しい声が響き渡る。店内は居心地の良い雰囲気に包まれていた。温かな光が優しく差し込み、誘惑的なケーキやパステリーが美しく陳列され、甘い香りが漂い、テーブルには鮮やかな花々が優雅に飾られていた。柔らかな音楽が心地よく流れ、まるで時間がゆったりと流れるかのようだった。
神谷は叔母さんに笑顔で声をかけながら言った。「叔母さん、奥の部屋を使わせてもらうよ」と伝えると、一行は奥の部屋へと進んでいった。部屋に漂う落ち着いた雰囲気が、不思議な空気感を加えていた。一行はゆったりと座り、神谷が話し始める。
「特運三課は一課や二課とは異なり、部署が存在せず、主に私が連絡役としてメールを送り、打ち合わせはこのお店を利用して行われるんだ。」神谷は淡々と説明した。
そして、神谷は話を続けた。「4年前の全世界のロックダウン、覚えているかい?」
西村が答える。「はい、確かあの時はKウイルスが広まって世界的にロックダウンが実施されましたね。」
しかし、奈々が目を丸くして問いかける。
「え?Kウイルス?それはどこの情報?」西村は戸惑った表情で二人を見たが、
神谷は笑みを浮かべながら言った。
「さすが動画配信しているだけあって、冗談がおもしろいね。」
西村は思い悩んだ。この世界は、自分がいた世界と違うのだろうか?覚悟を決め、彼は自分の経験を語り始める。
ある日のこと、彼は強盗に遭遇し、公園の手洗い場の前で刺される出来事に遭遇した。しかし、驚くべきことに、手洗い場の鏡が突如として光り、気がつけば彼は奇跡的に助かっていた。さらに驚いたことに、その時の様子が知らぬ間に撮影され、動画として配信されていたのだ。
それ以降、彼の姿が鏡に映らなくなった。自分がこの世界の人間ではないのではないかという疑念に苛まれていたのだ。
神谷と奈々は目を見つめ合い、静寂が部屋を包み込む。やがて神谷が口を開いた。「その話、以前に蒼井一課長や小野寺二課長に話したことはあるかい?」
西村は混乱していて、話していなかったと答えた。神谷はうなずきながら続けた。「そっか、分かった。今の内容を警視庁に持ち帰って報告しておくよ。近いうちに西村君は呼ばれることになると思うけど。」
西村は沈んだ声で「僕は頭がおかしくなったのでしょうか?」と問うと、隣の奈々が目を輝かせながら言った。
「俊介くん、見せて見せて!」とコンパクトミラーを取り出し、西村の顔に向けた。西村はあわてて顔を下に向けて言った。
「わ、わ、ちょっと奈々さん!」
神谷が慌てて止めるように叫んだ。
「ストップ!ストップ!何が起こるかわからないから、奈々ちゃんはしまって!」
奈々は渋々とコンパクトミラーをバッグにしまった。
神谷は落ち着いて話し始めた。「あの、4年前の出来事がなければ正直、疑っていたかもしれない。まずは聞いてくれ。」
内容はこうだった。
4年前、地球の近くで2つの彗星が接触し、予期せぬ爆発が起こった。その影響で強力な未知の放射線が放出され、人々はそれを『赤の災害』として知った。世界中が混乱に陥り、厳重なロックダウン状態に入った。
ロックダウン期間中、国連は各国の専門チームを派遣し、事態を調査した。その結果、人間に対する直接的な害はなく、通常の生活が可能であると判断された。そして、2年前にロックダウンが解除された。
しかし、それは報道上の表向きの話であり、実際には未知の放射線の影響によって、運の力が強い人々に特別な運気が宿ることが明らかになった。この能力は個人によって異なり、混乱を避けるために各国で厳重にシークレットにされ、調査と治安の専門チームが編成された。日本では特運課が設立され、異能力者たちの支援と安全確保に当たった。
奈々は笑いながら、「シークレットなのに、特運って名前、バレバレだよね」と皮肉った。神谷も笑みを浮かべながら、「ネーミングセンスも悪すぎるよね」と冗談めかして続けた。すると、西村は驚いた表情で「え⁉ 僕は格好いいと思っていたのに」とぽつりと口にした。
2人は顔を見合わせて笑い、軽快な雰囲気が部屋に広がった。
西村は興味津々の表情で続けて言った。
「その能力で瞬間移動したり空を飛んだりすることはできるのですか?」
神谷は考え込んだ後、微笑みを浮かべながら答えた。
「難しいかな。運気に関連しているから、高額宝くじに当たったからといって運力が強いわけじゃないみたいだし。まぁ、それを解明するのが特運課の役割だからね。特運課もまだ発足してから3年しか経っていないし、これから解明できることもあると思うよ。それについては上司に任せるしかないと思う。君の今後の仕事にも関わってくるからね。」
彼は続けた。「まぁ、特運三課は見習い期間のようなもので、現場で仕事しながら、運力と運能力を知って学んでいくことになるんだ。そして、特運課では必ずパートナーと一緒に行動することになるよ。ちなみに、君のパートナーは奈々ちゃんだよ。」
奈々は笑顔で言った。「これからもよろしくね、俊介くん」
西村は会釈しながら「よろしくお願いします」と答えた。
神谷は続けた。「運力の強さという点では、以前に西村君も河原で経験したように、僕が投げるものに当たるか当たらないかが基準になるかな」と言った。
彼は物を投げる際、特別な運を持ち、思った場所に的確に当てる驚異的な運能力を持っていた。100メートル以内で目標を命中させることができ、その投げ技は特運課の中でも一際優れている。
しかし、神谷は謙虚にも続けた。「ただし、相手の運が私の能力を上回る場合、私の運は無効となり通常の人間と変わらなくなるんだ。運の強さは人それぞれで、それを理解することが重要だ。」
西村が「神谷さん、すごい運能力だったんですね!あ、でも、あの時の石は痛かったな」と言うと、奈々が驚いた表情で「石だったの!痛そう」と口にした。
西村は奈々に向かって問いかけた。
「え?奈々さんも石を投げられたのでは?」
奈々は笑みを浮かべながら答えた。「私はスポンジボールだったよ。」
その言葉に、西村は神谷の顔をにらみつけました。
神谷は慌てて言い訳を始めた。
「いや、あれは蒼井一課長と小野寺二課長の推薦によるものだから、かなりの運力があると思っていたし。それに、石投げは小野寺さんの承認済みだったからね」と苦笑いしながら説明した。
神谷は続けた。「結果として、お二人とも当たったので、本来なら不合格なのだけど、奈々ちゃんは小野寺さんの推薦で明確な運能力も分かっている。西村君も同じ推薦枠で、運能力は今後の発揮次第だと思うよ」と話した。
西村は神谷の言葉に考え込みながら、自分の運能力の限界や未開発な部分がまだあることを感じた。彼は内心で自身の成長と新たな力の開花に期待を寄せつつ、未知の特運課の世界への道を進んでいく覚悟を固めた。
夜が訪れ、小野寺は助手席に座り、神谷が車を運転していた。静かな街が背景に広がり、二人は影を潜めながら移動していった。
神谷は小野寺に問いかけた。「西村君の報告書、読んでいただけましたか?」
小野寺は窓の外を眺め微笑み答えた。
「うん、大体ね。」
神谷は少し心配そうに話し続けた。
「あの報告書の内容から判断すると、国科研(国家科学研究所)に送られることになるのでしょうか…」
小野寺は笑みを浮かべながら答えた。
「大丈夫よ。神谷君の報告書には誤字脱字が多かったから、私が書き直して提出したから。」
神谷も微笑みながら頷いた。彼らは特運課の仲間になることの意義を深く理解していた。
西村もまた、部屋の窓越しに夜景を見つめ、神谷達に打ち明けたことにより不安もあったが、肩の荷が降りてほっとしていた。彼は自分の運命と運能力を受け入れ、特運課の一員として成長していく決意を固めたのだった。
特運課の存在は、一般の人々には知られていません。しかし、運命に翻弄される人々を救うために、特運課は常に活動しています。その中に入ることは容易ではありませんが、特運課の一員となることは、特別な力を持つことを意味しています。西村もまた、自身がそんな力を身につける可能性を秘めているかもしれません。彼は未来への希望を抱きながら、静寂な街を眺めました。