2. 同志
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結局、私の願いは叶えられることになった。とりあえず、波賀村理事には認められた。ソロダイブではなく、井ノ崎君と組むという条件付けにはなったけど、今の班やクラスメイトからは離れてダンジョンに臨むことができるようになった。
ちなみに、やっぱり井ノ崎君は【ルーキー】じゃなかったし、レベルも【八】。私よりも上だった。学園のカリキュラムに従っていれば、中等部一年で到達できるレベルじゃないのは間違いない。
それに、彼は戦い方もおかしかった。
相手が低階層のゴブリンとはいえ、紛れもない実戦で、集団相手に一人で危なげなく立ち回っていた。私のようなその場限りの立ち回りじゃなく、その後の継戦も考えた上での動き。
何だか凄くモヤモヤした。モヤモヤしてばかり。彼の動きは、明らかに訓練に裏打ちされた……反復によって積み重ねられた動きじゃない。なのに、攻守共に、その動きのすべてが急所へと集束していく感じがした。常に機先を制するというか……視線、呼吸、間合いの取り方、攻撃へ移るタイミング、防御や躱したりするのも含めて、すべてが相手を仕留めるための仕掛けみたいに感じた。
その動き一つ一つを比較すれば、明らかに身体能力や技は私の方が優れているのに……仮に同じレベルだったとしても、今の私じゃ井ノ崎君には勝てない。戦闘スタイルの相性とかじゃない。単純に勝てる気がしない。
悔しい。自分でもよく分からないけれど、今までに感じたことがないくらいに悔しい……。
別にこれまでだって、自分より才能があったり、実力が上の子はいた。先輩だけじゃなく、同級生や下級生にも。
それに、実力や能力というほど大袈裟じゃなくても、ふとした些細なことで〝この子には敵わない〟なんて風に思う場面は今までにいくらでもあったのに……どういうわけか、井ノ崎君に対しては悔しさが前に出てくるし、よく分からない……怒り? みたいなのもある。
「ふむ。芽郁よ。恐らくそれは、自分の常識にそぐわないものへの……憤りのようなものだろう。どことなしに、これまでの常識……ようは自分が正しいと信じているものを否定されたように感じているのかもしれん」
「……憤り……? 自分が正しいと信じるものを否定された……?」
お祖父ちゃんに、井ノ崎君へのモヤモヤについて相談したらそんな風に言われた。憤りと言われてもピンと来なかったけど……。
「そうだ。その井ノ崎君という子は、芽郁が見る限りにおいて専門的な技を持たないのだろう?」
「……うん。その子はこれまで特別にスポーツに打ち込むとか、武道を嗜んでいたとかはないみたい。実際に武器を振るうのは、ダンジョン学園に来てからだって言ってた」
「しかし、その子は芽郁が今までに見たことのある、〝飛び抜けた才脳がある〟ようには感じない。これまでの積み重ねもない」
「……う、うん。確かに、井ノ崎君にはそういう才能とかセンスは感じない……経験を積み重ねてできるようになったわけでもない……」
「その上で、芽郁は井ノ崎君に勝てないと感じた」
徐々にお祖父ちゃんの言いたいことが分かってきた。何となくだけど。
そうだ。私は井ノ崎君に対して、悔しいとか怒りとかよりも、〝気持ち悪い〟と感じてるんだ。初対面の時の違和感が、今ではより大きくなっている気がする。それが〝気持ち悪い〟。
「……どんなに才能のある人でも、武の道においては反復の積み重ねが絶対に必要……」
「芽郁のその考えは概ね正しい。まさに常識と言っても差支えはないだろう。だが、その井ノ崎という子は、そんな常識に当て嵌まらない。飛び抜けた才能も、長年に亘っての積み重ねもない。にもかかわらず、自然体のままに、効率的に敵を殺す動きを可能としている。ふっ。まさに常在戦場、見敵必殺といったところか?」
お祖父ちゃん曰く、私の常識から考えて井ノ崎君はあまりにも異質だから……それで、彼に憤りを感じているんじゃないかという見立て。たぶん、お祖父ちゃんの見立てが正しい。彼が〝普通の実力者〟であれば、こんな風には感じなかっただろうし、妙な対抗心も持たなかった気がする。
自分の中にあるモヤモヤの正体について何となく分かったけど……でも、このモヤモヤはどうすれば良いんだろう?
「芽郁よ。自分の常識にそぐわない明らかに異質な者を前にすれば、否定したくなる気持ちは確かに分からんでもない。だが、どれだけこちらが否定しようとも、井ノ崎君という常識外の〝実例〟は現に存在している。相手をこちらの望むように変えるのは至難の業だ。そのような〝実例〟と付き合っていくには、どうしてもこちら側の常識を広げていくしか道はない」
「……常識を広げる……?」
「そうだ。もっとも、目を瞑り、耳を塞いで、その一切を認めずに拒絶するという方法もなくはないが……その井ノ崎君はダンジョンダイブで一蓮托生となる相手。芽郁が自らの常識の枠を広げ、受け入れていくしかあるまい。それができなければ、ダンジョンの中では大怪我だけでは済まん」
いつも穏やかで優しいお祖父ちゃんだけど、戦いや武術については実践的でとても厳しい。お祖父ちゃん自身は探索者じゃないけれど、道場に通う人の中には現役探索者も少なくない。そんな人たちの実体験として、魔物やダンジョンの脅威を聞かされてきた。だからこそ、お祖父ちゃんもダンジョンダイブへの甘さはない。
でも……常識を広げろと言われても、よく分からない。
「……お祖父ちゃん。私の井ノ崎君へのモヤモヤは何となく分かった気がするけど……じゃあ、実際にどうすればいいの? 何をすれば、その常識の枠というのが広がるの?」
「ふむ。異質な常識外といえども、その井ノ崎君とて芽郁と同じくダンジョン学園に通う生徒に違いはない。ダンジョンの魔物などではなく、普通に言葉でコミュニケーションが取れる相手。ならば、まずは相手のことを知ろうとするのが一番だろうな。芽郁のモヤモヤの根本は、〝相手の事がよく分からない〟からこそだろう」
「……井ノ崎君を知る……」
お祖父ちゃんに助言を受けてから、訓練する際には井ノ崎君のことをよく見るようになった。
ちょっと不審がられてる気もするけど……。
お祖父ちゃんは『思い切って素直に話し合え』と言っていたけど、いきなり言葉で分かり合おうとするのは私にはちょっとハードルが高い。私の中のモヤモヤを上手く言葉で伝えられる自信もない。
でも、そんな風に観察しながら過ごしていたら、ちょっとずつだけど、井ノ崎君と話をするようにはなった。班の皆と馴染めなかったこと、人に合わせることが苦手なこと、誤解されて勝手な人物像や理想を押し付けられるのが多くて困っていたこと、それらを上手く言葉で表明できなかったこと……などなど。
ただ、どうしてダンジョンでの訓練に拘るのかと聞かれて、思わず言葉に詰まってしまい……
『誰かのためではなく、ただ私は自分のために自分を鍛えたい』
……なんていう、ちょっと気取ったよく分からない言葉が出てしまった。自分の気を紛らわせるために訓練を続けているだけなのに……そういうのを上手く言葉にできないのがもどかしい。
そんなこんなで、井ノ崎君と少しずつ話をするようにはなったけれど、彼に対しての〝気持ち悪い〟という感覚や憤りみたいなものは依然としてある。だけど、一度自覚したからなのか、以前よりはモヤモヤが減った気がする。
するんだけど……何気ないやり取りの中で出てくる、どこか掴みどころがなく、飄々とした軽い感じについては……常識外への憤りとかじゃなく、単純に私はそういうのがあまり好きではないというのが分かった。
私が無言で見つめているのを気にして彼が聞いてきた時には、思わず面と向かって『我慢する』と本音に近い発言をしてしまった。自分の好き嫌いを、こんな風に自覚するなんて……。
お祖父ちゃんが言う『常識の枠を広げる』というのができているのかは分からないけれど、それなりに井ノ崎君と話もするようになっていたら、あっという間に、彼は二年に、私は三年に進級する時期になってた。そして、波賀村理事との事前の取り決め通り、私はB組を外れることに。
守秘義務の誓約書もあったし、特に誰に何を言うこともなかったけれど……実は少しだけ期待してた。もしかしたら学園の発表を見て、クラスメイトや班の子たちが引き留めてくれるんじゃないかって……。こういう自分が、たまらなく嫌になる。
〝心の内を上手く言葉にできない。だから仕方ないでしょ? 皆、私の事を言わなくても分かってよ。察してよ〟
そんな自分。客観的に見たら、すごく嫌な奴。
案の定、誰も私を引き留めたりはしなかった。当たり前。自分勝手に期待していた自分が悪い。なのに、幼馴染みの武が事情を説明しろと自宅まで押し掛けて来た事については、心の底から辟易してる。
……本当に私って奴は、自分でも驚くくらいに嫌な女。
そんな諸々に対して自己嫌悪に陥ってはいたけど、どこかで自業自得だと飲み込めてもいた。そこだけは自分を褒めたい。井ノ崎君にクラスメイトや班の子の事を聞かれても、醜い毒を吐かなくて済んだ。
そうやって何とか進級直後のドタバタをやり過ごしていたんだけど……ある日、井ノ崎君がやたらと溜息をついて、その度にチラチラとこっちに視線を寄越すという……鈍い私にも分かるようなあからさまな〝構ってアピール〟をしてきた。
……うん。私、やっぱり彼のこういうところは好きになれないかも……。
「……どうしたの?」
たぶん、私が聞くまでこの鬱陶しいアピールが続くみたいだから聞いてみたんだけど……そうすると、〝あ、気を遣わせちゃった〟みたいな顔のリアクションをしてくる井ノ崎君。そんな彼に対して……何だか本当に腹が立つ。ワタシ、ヤッパリ、コウイウノ、スキジャナイ。
「いや、ちょっと勝手に凹んでるだけですよ」
構ってアピールなのに、大丈夫ですよ的な前振り発言を挟むのも……ムカつく。
「……ああそう。……気を付けてね」
子供っぽいかもしれないけど、私もお返しとばかりに素っ気なくなる。思わずの私の返しに、井ノ崎君がちょっと本気っぽく凹んだのは……品がないけど、ちょっとざまぁみろと思ってしまう。でも、そんな私のちょっとしたスカッとはすぐに立ち消えちゃった。
「ええと。鷹尾先輩。つかぬことを聞きしますが……獅子堂って知ってます?」
「…………」
井ノ崎君が〝獅子堂〟の名前を出してきた。思わず心が強張る。
「……どうして獅子堂のことを?」
「え、ええとですね。僕の同郷の知り合いが一年八棟……今は二年八棟か。まぁB組にいるんですけど、同じく二年八棟のA組とも交流があって……それで獅子堂のことを聞きました。……獅子堂の年上の幼馴染みって、鷹尾先輩ですよね?」
「…………………………」
まさか、そんな繋がりがあったなんて……普通にびっくりしてしまう。あ、言葉が追い付かない。井ノ崎君が何だか焦ってる。ええと、何か話をしないと……。
「…………そう。そんな繋がりが。確かに獅子堂は家族同士が知り合いで、昔から一緒にいることが多かった。学園都市に来てからも、家が近所で割と交流はあった。……それで、その獅子堂がどうしたの?」
「い、いや、鷹尾先輩がB組を外れたってことで、かなり荒れてたって聞いたんで……そ、それだけですよ」
やっぱり武は、学園でも癇癪を起こしていたんだ。
「……あの子、私に負けたくないっていつも張り合ってきた。でも、私からすると獅子堂の方が凄い。あの子は周りの人たちを引っ張っていく力がある。私は同じ班員の子たちとも分かり合えなかったのに……」
「お互い、無いモノねだりって感じですかね? 多分、獅子堂は鷹尾先輩の〝強さ〟みたいなモノに憧れてたんじゃ?」
……井ノ崎君に私の〝強さ〟とか言われても、素直に納得できない。言いたいことは分かるんだけど……。
「……私の強さ。君が言うと嫌味に聞こえる。私よりも強い。年下なのに。本格的な訓練も中等部からなのに……」
思わずモヤモヤしてる部分を口に出してしまう。やっぱり、井ノ崎君への妙な対抗心が拭えない。私は、自分で思う以上に〝自分の常識〟というものに固執してるみたい。そんな風にモヤモヤといじけていたら、井ノ崎君が野里教官に助けを求めたみたい。
聞けば、井ノ崎君の同郷の知り合いというのは、いわゆる幼馴染みで、武が荒れたことでその幼馴染みの川神さんという子から八つ当たり気味に彼も色々と言われたみたい。
確かにA・B組の子は自主独立や目的意識の強い子たちが多いから、H組で、特に目指すものがないという体の井ノ崎君に対して少し当たりがキツくなるのも分からなくもない。
でも、井ノ崎君がH組のままなのは、あくまで学園側の工作というか、表向きの話だし……井ノ崎君自身に目指すべき目標とかはないのかな? もし、そんなのがあれば〝彼の常識〟を知るきっかけになるかも……?
「……井ノ崎君、目標はないの?」
「特にないですね。アレがしたいコレがしたいっていうのは。強いて言えば、野里教官と同類と思われるのは嫌ですが……ダンジョンの最深部へ到達したいっていうのはありますけど」
「ふん。お前のことは気に入らんが、その目標だけは共感してやる」
うん。思っていたより〝普通〟だった。
少数派ではあるけど、A・B組の子の中にも、井ノ崎君と同じように『ダンジョンの未到達エリアへ辿り着いてみせる!』と息巻く子だっている。
『到達エリアの更新』『ダンジョンの完全制覇』……振り返ってみたら、私はそういうのを考えたことがなかった気がする。自分には何もない。周りとも上手くやっていけない。だから、気を紛らわせるために訓練に打ち込んでいた。身体を動かしていた。目標……?
「……ダンジョンんの最深部。ソコを目指すために訓練を?」
「え? え、えぇ。結果としてはそうなりますね。鷹尾先輩ほどではないですけど、強くなっていくのが面白かったりもしますけどね」
あ。今、何かが分かった気がする。
井ノ崎真君。彼のことを〝気持ち悪い〟と感じてはいたけど……いや、今も確かにそう思ってるし、お祖父ちゃんの言う〝常識を外れた存在〟へのモヤモヤや憤りだってある。
だけど……別に井ノ崎君だって、百パーセント常識外なわけじゃない。彼の中にも私や他の皆と同じような〝普通〟だってあるんだ。
「……! ……ソレは良いこと。強くなる、自分を高める、その結果がダンジョン踏破。……うん。私もその道を征く」
そうだ。同じ目標を持つ仲間としてなら……私は彼を理解できるかもしれない。お祖父ちゃんが言うような〝私の常識を広げる〟というのとは少し違うかもしれないけど……。
「……井ノ崎君。私も決めた。ダンジョンの最深部を目指す。そうだ、ただ自分を鍛えるだけじゃない。ナニかを成し遂げる為の目標があれば……その過程として強さが……」
ああ。もどかしい。何だか霧が晴れたような気がするのに、そのことを上手く言葉にできない。
私だってそうなんだ。私は周りに分かってもらえないといじけていたけど、違う。私が、周りの子たちと分かり易く共有できる目標を持てば良かったんだ。それを言葉にすれば、口に出して言えば良かった。ただ強くなりたい、訓練がしたいというだけじゃ、他の子と共有できなかったんだ。
「……今から井ノ崎君は同じ道を征く同志。私のことは芽郁と呼んでくれていい」
「は、はぁ。それじゃあ、メイ先輩と呼びますけど……僕のこともイノで良いですよ。友達はそう呼びますから……」
‼ 友達……そうか。当たり前だ。彼にだって〝普通〟はあるんだから。こんな当たり前のことにも私は気付けなかったんだ……結局、私が勝手にアレコレ考え過ぎてたんだ。
「……! 分かった。イノ君。これからよろしく」
がっちりと握手。 あれ? 何だかイノ君の手が汗でびっちょりしてるんたけど?
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