1. 出会い
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私には何もない。
昔はあった。空っぽになってしまった場所に、たくさんのモノが詰まっていたのだけは分かる。具体的にソレが何だったのかはよく分からないけど。
だけど、いつからか零れ落ちてしまった。違う。いつからかじゃない。お父さんとお母さんが亡くなった時から。あの日、あの時から。次々に零れ落ちていったんだ。
はじめは気付かなかった。気付かないフリをしていたんだと思う。
両親を亡くした私に、周りの人たちは皆が声を掛けてくれた。お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも、親戚の人も、道場に通う人たちも、学園の教官や先生、同級生たちも。それこそ武だって心配してくれてた。
でも、私は悲しいということを声に出せなかった。
たくさん泣いたし、胸が張り裂けそうな日々を過ごしていけど、お父さんとお母さんが亡くなってしまって悲しいという自分の気持ちを、上手く言葉で表現できなかった。
……今思えば、それは当然のことだったのかも。当時の私は初等部の二年生。自分の気持ちを全て言葉で表すなんてことは元々無理だったんだと思う。
本当のところは分からないままだけど、中等部に上がって周りを見渡しても、自分の気持ちの全てを声に出して表現できている人はいない気がする。
それは先生や教官、大人の人たちだって同じだとも思う。
言い訳。他の人だってできてないんだから仕方ないって……自分に言い聞かせてきた。
でも、違う。今は何となくだけど分かる。
たぶん、お父さんとお母さんが亡くなった時の〝悲しいという気持ちを声に出せなかった〟というのが、自分の中で消化しきれない嫌な記憶として残っていたんだ。
振り返ってみて、ようやく分かったような気がする。
私は自分の気持ちを声に出せなかった。咄嗟に言葉にできなかった。
本当は嫌なのに嫌って言えない。
嬉しいのにそれを相手に言葉で上手く伝えられない。
苦しい時も、辛い時も同じ。言葉を発する前に考えてしまう。
〝これは本当に自分が言いたいことなの?〟
〝本当の自分の気持ち?〟
そんな風に考えると声が出ない。言葉を出せなくなる。
モヤモヤする気持ちを振り払うのに、剣を振るのは役に立った。
集中して身体を動かすことで、色んな事を考えずに済んだから。悲しい気持ちを紛らわせることができたから。……ほんの一時のことだけど。
結局、今も昔も私は変わってない。お父さんとお母さんがいなくなったあの日から、あの場所から動けないまま。
気を紛らわせるために、その場でずっと足踏みを繰り返しているような気さえしてる。
私は学園の同級生たちとも馴染めないまま。他愛のない話をしても、班で行動をしても、一緒に勉強をしても……どうしてもズレてしまう。言葉が追い付かない。声が出なくなってしまう。
「鷹尾さんって凄いよね」
凄くない。ずっと同じことを繰り返してできるようになっただけだよ。
「ほんとほんと。ダンジョンでも全く動じてないもんね。魔物との戦闘でもメチャクチャ冷静だし」
そんな訳ない。ダンジョンダイブや魔物と戦うのは私だって怖いよ。
「いや~なんかさ、俺みたいな凡人が一緒の班だと申し訳ない気がしちゃうよ」
天性の才を持つ人は学園にはたくさんいるから。そんな人たちと比べたら、私だって凡人に過ぎないよ。
同級生や同じ班の子たちとも、どこか線を引かれていた気がする。ううん。たぶん、線を引いていたのは私の方なんだ。その線の引き方も、消し方も分からないままに。
「……え? ダイブの申請? いや、今度の休みは用事があるし……ごめん」
「今のところ授業にもついていけてるし、ダンジョンでわざわざ訓練する必要はなくない? どうせ二階層までしか許可も下りないんだし、レベルだって上がらないから行くだけ無駄だよ」
「ごめん。悪いんだけど、私らは鷹尾さんみたいになれないよ……」
「そんなにダイブしたいなら、班の解散を申請したらどう? ……お互いに清々するんじゃない?」
はじめの頃は、周りの子が何となく合わせてくれていたんだと思う。だけど、私はそんな周りの子たちの気遣いや配慮にも気付かない。気付くのはいつも後になってから。取り返しが付かなくなってから。
だから、一人で延々と訓練をするしかなかった。
別に訓練自体が好きなわけじゃない。他にやることがないからやってるだけ。
確かに、剣術や体術はやっていて楽しいと思える場面もたくさんあったけど、たった一人で、学園の野良ゲート付近で人目を避けるようにこそこそと訓練に臨むのは……どうしたって好きになれない。
だって、それはただの逃避だから。
クラスメイトや同じ班の子たちと馴染めないから逃げていただけ。
そんな時に、私は出会った。
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「…………あ」
「……」
学園敷地内の自然公園の片隅。
人目の届かない場所にひっそりと存在していた野良ゲート付近。
特異領域の恩恵を受けられる範囲に留まって、一人で訓練していた時。
ようはいつも通りの何でもない日。
野良ゲートから無造作に出てくる男の子がいた。ばっちりと目が合った。
「え、えーと。ここで何を?」
焦っているみたいだけど、普通に質問してきた。そんな彼をじっと見つめていたけど、実は私の方こそ混乱している。いつも以上に中々言葉が出てこない。
「…………訓練。そういう君は?」
「く、訓練かな?」
「…………」
私が言葉を発すると、男の子は即座に切り返してきた。
思いがけず固まってしまう。そんな風にすぐに返されても私の言葉は追い付けない。
「……野良ゲートから出てきたね」
「そ、そうみたいですね」
「……君、何年の何組?」
ごく当たり前の質問しか出てこない。その姿を見るかぎり、学園指定の制服(兼作業着)を着ているし、彼が学園の生徒なのは間違いないと思う。でも、明らかに不審人物だし、彼にとっては不味い現場を目撃された状況のはず。その程度は鈍い私でも分かる。
「えっと……一年八棟のH組。そういう君は?」
一年生が野良ゲートで何を? そもそも学生証があるから勝手にダイブなんてできないはずなのに……?
「……二年三棟のB組」
「あ、先輩なんだ。しかもB組。いや、訓練って言うくらいだからAかBは当たり前か……」
何だか知らないけど、勝手に納得している一年の男子に私は重ねて問う。
「……それで、君は何をしていたの?」
「え、えぇと…………」
困った感じや焦った感じを出してはいるけど、彼は割と早い段階で、密かに学生証を操作していた。
たぶん、誰かを呼んでいるんだろうと思ったけど……案の定、彼があれこれと状況を説明している間に、野里教官が飛んできた。
まったくの比喩でもなくて、本当に全力疾走で飛ぶように駆けてきたから、ちょっとびっくりした。
彼の名は井ノ崎真。
正真正銘のダンジョン学園の一年生で間違いなかった。H組というのも……本格的に探索者を目指すA・B組じゃないというのも本当のこと。なのに、彼は〝戦える〟。
野良ゲートの付近にいるからこそ、ダンジョンの影響力がある今だからこそ……よく分かる。
焦ったり、困ったり、野里教官に拳骨をもらったりしているけど、決定的な隙は見せない。
決して私の間合いに迂闊に入ろうとしない。不意に間合いが詰まった時も、体を半身にして防御と反撃ができる備えをしてる。
まるで道場に通う熟練の人たちみたいな動き。
ごく自然に臨戦態勢にあるような印象。
でも、体つきを見るとそれほど鍛えている感じがしない。
なんだかチグハグな感じがして、少し気持ち悪い。
聞けば【ルーキー】のソロで、ダンジョンの三階層で活動しているらしいけど……ますますおかしい。
ううん。今は彼個人のことよりも、ソロでのダイブが可能なら私もしたい。
訓練をするにしても、ダンジョンの中の方が、実戦の方がいい。……嘘。単にこれからどうしていけばいいのか、何をすべきなのかが分からないから、とりあえずのナニかが……目指すべきナニかが欲しいだけ。
でも、それでも私は、生半可な気持ちじゃなかった。真剣にダンジョンでの訓練を願っていたのは本当。
「あー! 分かった分かった。鷹尾のことも話をしてみる。当然だが口外は禁止だ。それに結果がどうなるかまでは保証できん。あと井ノ崎! お前にも詳しい事情を説明しておくから来い! 何を帰ろうとしている!」
「あー別に僕はいいですよー。鷹尾先輩に便宜をはかる相談でしょ?」
野里教官が折れてくれたのは良かったけど、何やら教官と井ノ崎君とで揉めてる。
あ、普通に帰ろうとして教官に捕まった。
流石に野里教官の動きを制するほどの実力はないみたい。
それから、私は井ノ崎君と共に本棟へ立ち入ることに。
一年生の終わり頃に、AとBの合同授業で説明を受けたことがある。
ダンジョン学園の本棟。
そこは学園の中枢に違いはないけれど、一部の人にとってはまぎれもない監獄。あるいは病院だったり、実験室だったりする場所。
その一部の人たち……つまり、学園の理事をはじめとした、ダンジョン症候群を発症した人たち。
そんな人たちの隔離場所。
話には聞いていたけど……想像以上だった。色々と対策はされているはずなのに、特異領域の外での《スキル》がこれほどのモノだなんて……波賀村理事の姿を目にするだけで……ううん、近付くだけで、心の奥底からの異様な恐怖が湧いて出てくる。怖い。この場から今すぐにでも逃げ出したい。
野里教官ですら緊張を隠せないくらいなのに……この井ノ崎君は全然動じてない。
いや、それどころかイライラしてる? 波賀村理事に突っ掛かったりもしてるし……なんでそんな風に振る舞えるの? ちょっとヒヤヒヤする。
波賀村理事から語られたのは、学園の特殊なカリキュラムやその被験者のこと。
何だかすごく物騒な感じがする話だったけど、ようするにそのサンプルとして井ノ崎君は選ばれているらしい。
波賀村理事の話では、今の学園の指導や訓練、教育課程では、探索者候補のA・Bであっても、ダンジョンの深層へは辿りつけないと判断しているという話。
ようするに学園の生徒は期待されてない。
でも、正直なところ、それは皆なんとなく分かっている。
ダンジョンの到達階層の更新が報じられなくなって久しい。
日本だけじゃなくて、世界各国でもダンジョンダイブは停滞している雰囲気がある。
でも、同時にダンジョンの死亡事故だってほとんど聞かなくなった。あくまで報じられる範囲ではだけど。
ダンジョン資源によって、世界規模でエネルギー問題は解消されつつあるし、ダンジョン関連の研究からは毎年のように新しい技術が確立されてる。研究分野での新しい発見なんかは、細かく見れば毎月のようにあるらしい。
学園の生徒の間でも、探索者を目指すのは〝将来安泰だから〟なんて話す子も多いし、何が何でも未知の階層に到達してやる! ……って考える子の方が今では少数派だと思う。
私も別にダンジョンの深層を目指すことに特別な感慨はなかった。
でも、学園関係者から〝期待していない〟と言われると……思うところもある。
「……優秀なら選ばれない……。なら、実験に選ばれた彼は彼は結果を出せているんですか? 私が代わりに実験に参加することで、より良い結果が出せるとしたら?」
「……私は別にソロダイブに拘っているのではなく、自身のダンジョンでの成長を求めているだけ。今の班、カリキュラムでは物足りないから」
気が付けば、思わずそんな言葉たちが口から出てた。……もどかしい。ダンジョン症候群の《スキル》効果や井ノ崎君への妙な対抗心もあってか、この場でも上手く自分の気持ちを言葉にできない。別に井ノ崎君を貶める必要もないのに。今の班や学園のカリキュラムに馴染めないのは間違いなく自分のせいなのに。
そんな風に自分にモヤモヤしてたら、突然に井ノ崎君と野里教官が危うい雰囲気を醸し出してる。野里教官があからさまに威圧しているけど……あッ!?
「野里教官。今のは貴女が不用意です。すまないね。井ノ崎君。……それにしても、君は本当にレベル【五】の【ルーキー】なのか? いま、何をしようとしたかは具体的には分からないが、もし彼女が飛びのかなければ……」
「気のせいじゃないですか? あ、話が長いからちょっとイライラはしていましたけどね。そのせいかもしれません」
一瞬の攻防。何でもないように言ってのけるけど……彼は野里教官に〝仕掛ける〟つもりだった。それは間違いない。私には察知できなかったけれど、ダンジョンの外とはいえ、あの野里教官が無理矢理動かされるなんて……それほどに危険な仕掛けだった?
本当にこの井ノ崎君は何者なんだろう?
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