「今」
「いつか、言ってくれると思ってたんだけどね……。待ってたんだよ?」
聞き覚えのある声が、嘆く様にぼそっと呟いた。
「待ってくれ!」
その声は届かない。
風と桜にかき消され、虚しく宙を舞う。
君の輪郭はぼやけ始め、手を掴むことは叶わない。
桜吹雪の中、君は消えていった。俺は立ち止まってしまった。
____声を張り上げていたなら、君は立ち止まってくれたのかい?あぁ、情けない。自分が憎い。いや、今ならまだ間に合うかもしれない。朧げな世界を走って、走って。
とうとう君には会えなかったけど。
____いつもお前は、遅すぎる。
____いつもお前は、弱すぎる。
____俺は、俺が許せない。
けど。そんな俺を変えれない俺が、一番意気地が無くて、根性がないんだ。
____分かってんだよ。うるさい、黙れ。
そして世界は黒く塗り潰されていった。
「なんだ、この夢……。」
酷い偏頭痛と共に目が覚めてしまった。最悪の朝だ。最近この類の夢が多い。未来に飛んだ事と何の因果関係もないようにはとても思えない。
「ふぅ。」
呼吸を整えて、リビングのある一階に降りる。母は既に朝食の準備を終えていた。
「おはよう、いい朝だねぇ。」
母が脳天気に声をかけてきた。
「あぁ、おはよう。」
母に心配はかけられない。
米と目玉焼きと味噌汁。我が家の朝食の定番だ。「そういえば響也、今日の星占いは十一位だったよ!」
「全然嬉しくない報告ありがと。ラッキーアイテムは?」
「水色のペンだってさ!響也持ってたっけ?」
「いや、持ってねぇ。」
「あら残念。じゃあ今日は不吉ねぇ。」
母は笑って言うが、俺にとっては笑い事ではない。ただの星座占いだが景気付けにいい順位は欲しかった。朝食を食べ終わった後、身支度を済ませ、朝練へと向かう。
「じゃ、いってきます!」
「いってらっしゃーい!」
間延びした声で母は見送った。どこかむず痒い。
朝はまだ冷えている。五月だというのに、鳥肌が未だに立ってしまう。昨日まで当たり前に自転車を漕いでいた道が懐かしく見える。心境の変化というやつだろうか。
「おはよ。」
「おお、夏か。おはよう。」
八重歯を覗かせて無邪気に笑う彼女を見て心底安心した。____ああ、俺は帰ってこれたんだな。未来で見た事は「今は」関係ない。今は今だ。そう思うと笑みが溢れた。
「どうしたの、急に笑って。」
「何でもない。いい朝だな。」
未来を変えるのは出来るのだろうか。
「正しき」未来に変えなければならない。
未来の俺が死なない為に。
「じゃあ俺朝練だから先に行くわ!」
そう言い放ち、再び自転車を漕ぐ。
「いってらっしゃい。」
そう言った彼女の表情は、雲一つ無かった。
「おはようございます!」
部室を勢いよく空ける。
午前七時。まだこの時間は誰もいない。
はずだった。
「おう、おはよう。」
何故かいつもはもう少し遅く来る茂がそこに居た。「どうした?珍しい。俺は常に一番乗りなんだがな。」
「いや、なんか嫌な夢を見ちまってな……。」「ん?どんな夢だ?」
茂は一息置くと、苦々しい顔でこう言った。
「お前が、死んじまった夢だ。」