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四章

 1、


 もうすぐ。もうすぐ勝負はつく。『カミサマ』は呼び出した。もうすぐここに来るはずだ。

 あいつはきっと驚くだろう。僕たちが『カミサマ』に届いたことに。

 だが不安もある。あいつは本当に『カミサマ』なのだろうか。違ったら? それこそ本当の手詰まりだ。

 まあその場合は、潔く諦めるとしよう。皆で出した結論だ。間違いはないはず。

 信じることしかできないけれど、信じることだけはできる。それでいいはずなんだ。

 迷う僕の手を、誰かが握った。真弓先輩だった。

 揺れていた心が落ち着いていく。僕は優しく、その手を握り返した。


「行きましょうか、沙羅先輩」


 下の名前で呼んでみる。すると真弓先輩は面白いぐらい驚いた顔をした。

 しかしすぐに首を振り、笑う。


「行こうか、廉くん」


 深夜の公園。他に人の気配はない。

 こちらに向かってくる『カミサマ』の足音だけが、その場に響いていた。



 2


 学校帰り。今日の部活はない。

 僕は中川と待ち合わせて今後の作戦を練ろうとしていた。真弓先輩が黒だとわかった以上、このまま真弓先輩を入れて混乱させられるのはよくない。

 場所は書道教室前。一年の教室の向かいだし、悪くはないだろう。


「お待たせしました」


 中川が出てきたので昇降口へ歩きだす。


「どこに行きましょうか」

「適当にカフェでも見つけて入る?」

「まあそれが妥当ですかね」


 そんなことを話しつつ、階段を下る。靴の入っている場所が違うので、一旦別れて外で合流する。

 靴を取っていると、クラスメイトから声を掛けられた。珍しいこともあるものだ、と心の中で驚いておく。表面上は何ともなかったかのように振る舞っているつもりである。


「さっき校門で、おばあさんがお前のことを探してたぞ。確か、丸尾綾乃って言ってたっけな」


 そう言い、校舎内に駆け込んで行ってしまう。

 丸尾綾乃? 一体誰だろう。聞いたことのない名のはずなのに、どこかで聞いたような気がする。

 この感覚が何なのかはわからない。だが、これを無視して帰ろうものなら恐らく高校の面汚しだの何だのと言われるので、声だけは掛けてみよう。話を聞くかどうかはまた別問題だが。

 昇降口の外で中川にそのことを話すと、神妙な顔つきになった。

 何か知っているのかと尋ねても、ただ黙って考えているばかりだ。

 歩いている内に校門まで来てしまったので、おばあさんを探す。高校生の中に混じった異質な存在を探すのに、そう時間はかからなかった。

 近付き、声を掛ける。


「あの、僕を探していると聞いたのですが」


 そのおばあさんはこちらを振り返った。なかなか小奇麗な、優しい顔つきのおばあさんだった。

 僕とその隣にいる中川を見て、僕に視線を戻した。


「あなたが、丸山卓さん?」

「はい、そうですが」


 答えると、おばあさんは顔を明るくしてより優しい顔つきになる。

 丁寧にお辞儀をしたおばあさんは、僕たちに自己紹介をした。


「わたしは丸尾綾乃。真弓結の祖母です。今日はあなたにお願いがあって来ました」


 僕と中川は、揃って顔を見合わせた。



 喫茶店に入った僕たちは、お茶を楽しむのもそこそこにして綾乃さんが話し始めるのを待っていた。

 お願いがある、と彼女はそう言っていた。手を引いてくれ、とでも言うのだろうか。真弓先輩のお祖母さんであるわけだし、考えられるだろう。

 こういうお店に入るのもそうそう機会がないし、いい経験になるとは思うのだが、それにしても緊張する。

 僕が初対面の人とこうやってお茶をしているだなんて、いつどこの時間の僕が想像しただろう。少なくとも一年前の僕だったら全く想像だにしていなかっただろう。


「それで、お願いなんですけどね」


 突然話を始められて、びっくりして肩が跳ねた。

 気付いたのであろう中川に右の脇腹を肘で小突かれる。シャキッとしろということだろう。

 聞き耳を立て、綾乃さんの言葉を拾う。そんな小さな声というわけではないが、穏やかで流れるような声なので、聞こうとしないとすぐに忘れてしまいそうだった。


「お願いです。わたしの孫を、真弓結を止めて下さい。もうわたしは、誰にも死んでほしくない」


 そう言って頭を下げた綾乃さんは、涙を零していた。

 言っている意味がわからなかった。


「どういう意味ですか?」


 そう問うたのは中川。その声音が気になってちらりと横目で顔を覗いてみたが、やはりというべきか、その表情には怒りが滲んでいた。

 それを制そうとすると、綾乃さんに止められた。


「いいの。おかしなことを言っているのはわかっているから。ちゃんと、説明するわ」

「おばあちゃん!」


 誰かの叫び声がする。

 声がした方を向くと、店の入り口に息を切らした真弓先輩の姿があった。

 綾乃さんと真弓先輩が見つめ合う。じっと、互いの目を見て、無言の攻防を続ける。

 やがて綾乃さんの方が折れたのか、溜息を吐いた。


「わかった。わたしは帰る。その代わり、ちゃんとあなたの口から伝えなさい。二十年前に何があったのか、その全てを」


 一万円札を置いて、綾乃さんは去って行った。先輩は綾乃さんを目で追っている。

 真弓先輩は僕たちを見ると、目を伏せた。


「先輩、見つかりましたか?」


 後ろから現れたのは、内海朔也。うっつー。

 ハッとして、中川を見る。中川もこっちを見ていた。目を丸くし、驚いているのがわかる。

 協力していたのはうっつーだった。どうして。その気持ちは一番親しくしていたであろう僕が一番抱いていることだろうし、その仲の良さを毎回欠かさず部活に出ていた中川が抱かないということもないだろう。

 しかし。それでも。恐らく僕らの想いは一緒だった。


 ――繋がった。


 わかった。わかってしまった。『カミサマ』は、『カミサマ』の正体は――

 いま、僕の目はどんな目をしているのだろう。自分では見えない。わからない。

 しかし、店の入り口にいる二人に目を戻す時に見えた中川の表情が、目つきが、きっと鏡のように僕を映している。

 その獲物を見つけた猛獣のような笑みを、僕は浮かべているはずだ。

 その隙だらけの猛獣の命を取らんとする狩人のような眼を、僕はしているはずだ。

 やっと。やっとだ……。


「『カミサマ』見ーつけた!」


 僕たちはついに、『カミサマ』に王手をかけた。



 3


 父は遺書を残していた。交通事故で死んだにも関わらず、だ。

 どういうことなのか、それは遺書を読めばすぐにわかった。父は『カミサマ』に殺されたのだ。

 遺書にはこの街で起こっていることへの疑念と、『カミサマ』を倒すべきだという父の意見が書いてあった。

 それを鵜呑みにするほど僕も幼いわけではない。


 だが、父が殺されて、母が生き返って、その母に「お前が死ねばよかったのに」と言われ、その上でその遺書を見つけた僕に、最早選択肢はなかったといっても過言ではないだろう。

 もしもいまこの状況を父が見ていたのなら、なんと言うだろう。

 よくやった、と言ってくれるだろうか。やるじゃないか、と褒めてくれるだろうか。

 そんなことを既に考えてしまうが、まだ終わったわけじゃない。王手をかけたものの、相手が詰んだわけじゃない。

 重要なのは、ここからなのだ。

 この街を変えるための一手をぶつけて、勝利をもぎ取る。

 それができなければ、いままでやってきたことは、何も意味を為さないのだから。



 先輩とうっつーは向かい側の席に座った。席の幅が狭く、僕と中川同様文字通り肩を寄せ合っている状態だ。

 一声目。これが重要。いつも何かを言おうとすると、真弓先輩に先を越された。間違ったことを言おうとすると、中川に遮られた。

 だからここで僕は、間違わない。


「真弓先輩は、全部知っていたんですね」


 そう、吐き捨てるかのように言う。責めるように、痛めつけるように。

 真弓先輩は決まりが悪いと言わんばかりの表情で目を逸らし、呟いた。


「うん、ごめん。そうだよ。最初から全部、知ってた」

「ということは岡野さんは先輩が口止めしたんですか?」


 その問いに、真弓先輩は首を横に振った。


「そうだけど、元々何も知らなかったみたい。隠す以前に何も知らないことが辛かったって言ってた。力になれない事を本当に悔しがってたよ」

「じゃあ今度会った時、助かりましたって言ってあげて下さい。別に僕はあれだけでも大助かりでしたし」

「そっか。伝えとくね」


 実際、あれは結構なヒントになった。恐らく先輩があそこで口にしたのは僕に信頼してもらうためだったのだろうが、逆に『カミサマ』と繋がっている可能性を高くしてしまっているのだ。それだけは真弓先輩の誤算だっただろう。

 そのおかげでこんなふうに『カミサマ』に辿りつけたわけだし。

 真弓先輩はこちらを真っ直ぐに見ていた。その眼差しは真剣そのもの。先輩にも譲れないものがあると言うことだろう。


「話す前にさ、卓くんがどうして『カミサマ』を止めたいと思ったのか、教えてくれる?」


 そう言われ、目を閉じる。少し考えた。何を話すべきで、何を話すべきではないのか。

 結論を出して、僕は目を開く。


「父は、とてもいい人だった。僕が生きているよりも、きっとあの人の方が生きていた方が良かった。心からそう思う」


 中川は止めようとしたのだろう。しかし、突然の僕の言葉に、伸ばそうとした手を止めている。

 真弓先輩もうっつーも、何を言っているのかわからないと言った表情だ。

 それもそのはずだ。僕は中川以外にこのことを教えていないのだから。

 最初に中川から連絡があった時、このことは他の人に言わない方がいいと言われた。それは僕の行動理由であると共に、露骨すぎる弱点でもあるから。

 でもそれは、フェアじゃない。向こうの話を聞くのに、こちらの話をしないというのは卑怯だ。

 その思いが中川にも伝わったのだろう。彼女は制しようと伸ばした手を引っこめ、静観を始めた。


「だけど、僕はいま、生きてて良かったって思う。父が僕を助けたことは間違いじゃなかったって、父が僕に『カミサマ』を止めることを託したのは間違いじゃなかったって、そう証明できる舞台に、辿りつけたから」


 隣で中川が息を飲んだのがわかった。

 ぶつけろ。全力で体当たりしてこの想いを伝えろ。そして僕が、僕がこの世界を正すんだ。


「僕はこの街の現状は間違っていると思う。人は死ぬ。犯罪も起こる。悔しかろうが悲しかろうが、その事実は変えられない。死んだなら、ちゃんと死ぬべきだ」

「それは違う」


 反論してきたのはうっつーだった。自分が『カミサマ』だと気付かれてから、肩身が狭そうな表情をしていたが、いまはそれを振り切ったかのように見える。

 うっつーに向けて視線を返す。視線と視線のぶつかり合い。

 ああ、火花が散るってこういうことなんだ。体がゾクリと震えた。癖になってしまいそうなその感覚には、身を任せない。越えてはいけないラインはちゃんと理解している。うっつーの指し方はよく知っている。自由奔放のようで堅実な手。それでいて、底抜けに強い。だからこの感覚に身を任せたら、逆にそれを利用されて持って行かれる。


「人が死なないならそれに越したことはないだろ。犯罪だって、無い方が良いに決まってる」

「そんなの当たり前だ。でも、この街ではただ起きた犯罪を無かったことにしているだけだ。死んだときの痛みもある。物を盗まれたときの悲しみもある。何も普通と変わりない。この街はむしろその試行回数を増やしているだけだ」

「だから何だ。それは悪いことなのか? この街がこうあることによって命拾いをした人もいるはずだ。この街のおかげで大切なものを奪われずに済んだ人もいるはずだ。皆がみんなこの街はおかしいと思ってたら、この街はとっくに変わってるんじゃねぇの?」

「そう。それも異常なんだよ、この街は。いや、ただ甘えているだけだ。『この街にいれば安全だ。』『この街にいれば傷つくことはない。』そうやって保険を掛けて、現実から目を背ける。そんなことが本当に正しいのか? 本当にそれが、人間の正しい有り方なのか?」

「哲学持ち出してんじゃねぇよ。そういう話じゃねぇだろ。この街のこの状況は必要か。必要ないか。重要なのはそれだけだ」

「必要ないよ。それに、この話で重要なのは要不要じゃなくてそれが正しいことかどうかだ。この街の現状は決して、正しくない」


 議論は平行線。このままじゃ埒が明かない。

 うっつーは強い。本当に敵には回したくない相手だ。

 だからここは一旦、話を別に振るべきだ。ここで中川に振るのはよくない。身内同士で話しても仕方がないから。だとするならば……。


「先輩。どうして先輩はうっつーの、『カミサマ』の味方なんですか? 真弓先輩がそっち側にいる理由は、何ですか?」


 真弓先輩は曲者だ。僕を信用させようとしたり、人を使って止めようとしたり、危なくなっても疑いが自分に向くように仕向けたり。

 じゃあどうして、真弓先輩はそっちにいるのか。その理由がまったくわからない。僕らが考えている以上の理由があるはずだ。それこそ、僕が父に託した強い想いのような。

 そうでなければ、『カミサマ』を暴かれないためにここまでするとは思えない。先輩が考えられたのは僕が部活で協力を仰いでから先輩が僕に声をかける一日足らずの時間しかないはずだ。その短い間でここまでの動きをすべて読まれていたのだとしたら。それは驚異だ。もしかしたらその読みは、局地的とはいえどうっつーを上回っているかもしれない。

 僕の言葉に動いたのは中川だった。いち早く立ち上がって通路に立ち、逃げ道を塞ぐ。幸い店の最奥の席なので、他の客の迷惑になるということはない。しかし鞄を持って体を半分外へ側へと向けていた真弓先輩を見るに、綾乃さんとの約束通りに話をする気はなかったようなので、中川の行動はファインプレーと言えるだろう。

 中川を睨み付ける真弓先輩に、うっつーが言い放つ。


「真弓先輩。いいんじゃないですか? こっちは正しさを無視した感情論を、卓は需要を度外視した正しさをそれぞれぶつけてる。先輩のそれは、こいつを叩き潰すのに充分な力になると思います」


 叩き潰す、か。僕はそんなことをする気はなかったのだが、向こうがその気なら、こちらもその気にならないといけない。そのくらいはしないと、この長考コンビは崩れない。向こうが考えている間にこちらが考えて、ノータイムでやり返す。そして狙うは……あれ? 時間切れは狙えるのか?

 うっつーも真弓先輩も長考をして、いつも時間切れを狙われることが多い。しかし現実世界でそんなことができるのだろうか。大体、持ち時間はどれぐらいあるのだろう。多すぎたら、二人が完璧に読み切って勝ってしまうこともあり得る。それをやってのける力を、二人は持っている。

 ふと、右からの視線に気がついた。落ちつけ、と言わんばかりの無愛想な表情。いつもと変わらない、平常運転。表には出していないつもりだが、彼女には伝わってしまったのだろうか。僕の焦りが、揺らぎが、迷いが。

 呆れてしまう。もちろん、自分自身にだ。迷わないと、間違わないと、そう決めたのだ。だから僕はもう――動じない。


「そう……だね。うん。それがいいかもしれない」


 攻め将棋か、受け将棋か。攻め将棋なのはうっつー、受け将棋なのは真弓先輩。この布陣を、僕に崩せるか?

 自問自答している場合じゃない。やらなきゃ、やられる。崩すしかないんだ。

 さあ……来い。


「私の両親は、『カミサマ』の願いの代償で死んだ。それはもう伝えたよね」

「でも、その死は二人にとっては本望だった」

「二人の願いは『世界から犯罪を無くすこと』。父と祖父の夢でもあったみたい」

「けどまあ、当然と言っては何だけど、父一人の命では到底叶いっこなかった」

「だから私の母は、自分の命を差し出した」

「でも、ただで死ぬのが嫌だったんだろうね。二人は私を産んだ。世界を変えた自分達の名を残そうとしたんだ」

「人間二人の命を犠牲にしてできた世界は、あまりにも残酷だった」

「結果がどうなったのかは、言わなくてもわかるはず。そう、いまのこの街だよ」

「でも私がこの街を出てしまうと、その願いの効果は消えてしまう。私は自分のいる街の犯罪を無かったことにする柱のような存在になった」

「だから私は修学旅行にも行かなかったし、基本的に市外に行くような行動は避けた。行ったとしても数時間。半日も開かないようにしていたつもりだった」

「でも全国大会の日だけはちょっとミスっちゃってね。ちょっと長くこの街を離れすぎちゃった」

「私がこのことを知ったのは、中学生に入ったぐらいのことだったかな」

「父が使っていたという部屋で本を読んでいたら、私に向けての手紙が入ってるのを見つけたんだよ」

「そこで私は全部知ったんだ」

「父が自殺してしまった祖父の想いを受け継ぎ、犯罪を無くそうとしていること」

「その手段として『カミサマ』を選んだと言うこと」

「確かに卓くんものっちゃんもすごいよ。あんなに少ない情報から、『カミサマ』に辿りついちゃうなんて」

「でも、私の両親、丸尾廉と真弓沙羅はそれ以上にすごかった」

「二十年前、本当に何も無い状態から『カミサマ』を探し始めて、少ない手がかりから『カミサマ』が誰かを導き出した」

「丸尾廉は一人で探すことに限界を感じてそのときは言っていた囲碁部の面々に協力をお願いしたの。そこで全部自分の考えていることを吐きだしたらしい」

「でも結果は芳しくなくて、協力してくれたのは、母、真弓沙羅だけだった」

「ほぼゼロの状態からスタートしたのに、二人は諦めなかった」

「まあでも、『なごさん』っていう父のチャット相手の人からの情報がほとんどだったみたいだけどね」

「岡野さんのところに行っても、何の情報も得られなかった。神社に言って願掛けもしたみたいだけど、いくら探しても、決定的な証拠は見つからなかったみたい」

「でも、二人は見逃していなかったんだよ。些細な『カミサマ』のミスを」

「そういえば、私の父もあの石階段から落ちたらしいよ。父の場合は風に煽られただけらしいけど」

「そうそう、私のおばあちゃん。いまはあんなふうに元気だけど、二十年前はそうじゃなかったらしいよ」

「卓くんのところと似ているのかもしれないけど、ちょっと違うらしい。おばあちゃんの場合は半年間ぐらいずっとだったらしいしね」

「心が壊れてたんだって。心ここにあらず、みたいな状態で、さっき言った父が階段から落ちたことで、自分を取り戻せたんだって。もしかして卓くんのお母さんもそうだったりするのな」

「えーと、何の話してたっけ。あ、そうだ。『なごさん』と協力して、『カミサマ』が誰かを考えて、結論を出したみたい」

「そしてそれは、見事当たっていた」

「これが、二十年前に起こったことだよ」

「その手紙にはね、父と母の想いも綴られててね。凄くそれに心を打たれたの」

「私は二人の想いを知っている。二人が作りたかった、救いたかった世界を知っている。だからね。私は結果的にこんな中途半端な世界になっちゃってはいるけれども、父と母が作り出した世界を守りたい。もしこの世界を壊そうとする人がいるのなら、私は何をしてでも止める」


 僕と同じだ。変えたい理由も、変えたくない理由も、全部一緒。親から託されたものを貫こうとしているところも。

 だけど、いや、だからこそ。


「僕も僕で、譲れないものがあるんです。父が、角山真織が僕に託した正しさを、失うわけにはいきません」

「…………おい」


 うっつーが低い声で言った。

 何だろうと目を向ける。どうかしたのだろうかと目を向ける。その表情にはじわじわと焦りが滲み出ているのがわかった。

 そして僕は思い出す。父は『カミサマ』にその死を祈られて死んだのだ、と。

 それはつまり、その願いを受け入れたのは――


「お前、だったのか……」


 その一言で察したのだろう。うっつーはひどい顔をした。まるで誰かを殺めて血に染まる手を見たかのような表情だ。

 僕はうっつーが『カミサマ』であることを突き付けられ、今更ながらに胸が締め付けられた。

 その事実はつまり、父の死がうっつーの手によるものだということを示している。たとえ父を殺したのがあの運転手だとしても、その引き金を引くように促したのは、うっつーだということだ。

 うっつーが父を殺した。その想像以上の重さに顔を顰める。さすがの僕も苦しいと言わざるを得ない。うっつーは紛いなりにも僕の親友だ。親友に父を殺される痛みというのは、いざ圧し掛かるとキツい以外の言葉が思い浮かばなくなる。

 でも、我慢だ。いまはその恨み辛みを噛みしめろ。それに身を任せて暴力でも振るおうものならこちらの詰みは確実だ。王手どころか読みの必要ない三手詰めにすらなりかねない。


「卓くんは、自分のやろうとしてること、わかってる?」

「どういう意味ですか?」


 俯いたまま、僕は応じる。歯を食いしばって、どうにか自分を抑えないと、詰めれる手を逃してしまうかもしれない。どうにか考えろ。どうすれば崩せる?

 いま攻めるべきはうっつー。しかし、真弓先輩がこうして自分の主張を通そうとしている以上、それを通すわけにもいかない。その間にうっつーに吹っ切られでもしたら、それこそ勝機はなくなってしまう。


「卓くんは、何を代償にできるのかな」

「………………!」

「私の両親は、命を懸けたよ。二人分の命を懸けたよ。その代償を、二人がそうまでして作りたかった世界を、卓くんはどうやって壊すの?」


 まずい、と思った。ここで何かを言わないと、相手のペースに持っていかれる。ここで何かを言えれば、相手を納得できる理由を言うことができれば。


「二人の想いを、覚悟を、ふいにする覚悟はあるの?」

「…………あります」

「本当に?」

「…………はい」


 ここだ。ここでうっつーにぶつければ。そうすればきっと――

 そう思ってうっつーを見た僕の視線と、顔を上げたうっつーの視線が交わる。そこで僕は、希望的観測をしていたことを思い知らされる。

 もうその表情に、迷いも後悔も見られなかった。


「お前の父親を殺したのは確かに俺だ。直接手は下していなくても、きっかけになったのは俺だ。間違いない。でも、それとこれとは話が別だ」 


 待て。

 待ってくれ。

 もう少しで届いたかもしれないのに。

 どうして、どうしてお前はいつも、僕の一歩先を行くんだ……!


「お前の覚悟はすげぇよ。尊敬する。俺は親父が死んでも、たぶん託されたことをやり遂げようだなんて思わないからな。でもなぁ。俺はお前の覚悟より、先輩の覚悟の方が上だと思ってる。だからな――」


 チクショウ。勝てないのか。僕には無理だったのか。

 ここまで助けてもらって、場を作ってもらって、最後の最後でしくじるのかよ。

 ちらりと横目で中川を見た。中川も負けたのがわかったのだろう。塞いでいた道を譲り、僕と目を合わせようともしない。失望した、とでも言いたげな表情だった。

 うっつーの言葉はそれほどまでに、的確に僕らの心を折りに来ていた。


「――俺は絶対に、お前の願いを叶えない」


ここで一つ、ネタバラシ。

既に気付いている方もいるかと思いますが、このお話では過去と現在が入り乱れて話が進んでいました。各章内を数字で区切っていたかと思いますが、数字の後に「、」が付いているのが過去のお話になります。見返すと違和感が解消されるかもしれません。

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