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二章

  1


 レードーファーソドラーソドラーと携帯がメールの着信を知らせたのは、なんとも間の悪いことに授業中だった。しかも設定を変え忘れていたため、展覧会の絵のメロディが教室に大音量で響き渡るという事件が発生した。

 鞄の中に入れていたからそこまでの被害はなかったものの、ポケットの中だったらと考えると恐怖で夜もぐっすり眠れる。気絶しているのかもしれない。

 皆が見る前で苦笑いを浮かべながら携帯を取り出し、音量の設定を変える。ついでにマナーモードにしておいた。授業担当の先生には思いっきり睨まれたが苦笑で押し通した。

 どさくさ紛れにどんなメールが来たのか確認した。


《こんにちは。

 ご連絡いただきありがとうございます。

『カミサマ』の件ですが、ネットには載せたくないと仰っている情報提供者の方がいるので、名前だけの紹介となっています。

 情報提供者の方がもしよかったら直接お会いしてお話をしたいと言っているのですが、どうでしょうか。『カミサマ』について調べているのなら、参考になるかと思います。   管理人》


 願ったり叶ったりだった。これでようやく一歩、と言ったところだろうか。

 しかしいきなり直接会いたいだなんて、怪しくはないだろうか。そもそも情報提供者がその人だけだった場合、都市伝説として成り立つのだろうか? さらに言えば、情報提供者が一人情報を載せたくないというだけで、ここまで情報が完全にないというのは一体どういうことなのだろう。それはただのその人の妄想なんじゃないだろうか。

 いや、僕がその名を知っている以上、都市伝説であることは間違いないだろう。それなのに情報がない。これが一体どういうことなのかはわからないが、それこそ都市伝説的なパワーが働いているのだと納得して思考を再開する。


 僕がいまやらなければいけないことは何だ?

 そんなのは決まっている。このメールに対する返信だ。とりあえず、いきなり会うのは無し。できればネット上のどこかで話をしたい。

 あとは何だろう、僕が『カミサマ』をどう思っているかを定めておかなければいけないだろうか。

 情報提供者が『カミサマ』を好意的に見ている場合、僕が嫌悪感丸出しだと何も語らないかもしれない。逆に嫌っていた場合は僕が好意的に見ている発言をしたらアウトだろう。

 だとするならば、中立的な立場を取るのがいいのだろうが、それは中途半端と言われてしまうかもしれない。悩ましいところだ。

 でもまあ、近付こうとする理由をしっかりと持っていれば大丈夫だろう。その点は何も心配いらない。僕にはちゃんと、『カミサマ』に近付く理由があるのだから。

 話し合える場が欲しいという旨のメールを、僕は授業が終わってすぐに送った。



 返信があったのは、その日の昼休み。

 予想よりも早い対応に驚きつつ、本文を確認する。


《お返事ありがとうございます。

 チャットの件について情報提供者の方に打診して見たところ、了承を頂けましたので、勝手ながら特別にチャットルームを作らせていただきました。

 情報提供者の方のハンドルネームは「なごさん」IDは○○○○○○○○○となっています。

 基本的にこのチャットルームのチャットは「なごさん」さんと「まるるん」さん以外に見ることはできませんが、一方的な攻撃があった場合などに対応するために管理人が会話の内容を閲覧できることをご承知下さい。既に情報提供者の方には了承を頂きましたので、参加していただける場合は以下のURLからお願いいたします。   管理人》


 想定以上の対応に涙を禁じえない。それにしても、特別なチャットルームとは有り難い。恐らく相手側の都合だろうが、こちらとしても好都合だ。不特定多数の人に自分が『カミサマ』について探っていると思われるのは正直言って嬉しくない。「まるるん」だなんていうハンドルネームは僕の名前も最近の動きも知っている人から見れば一目瞭然なのだから。

 了承を伝える旨のメールを送って、記載されていたURLをクリックする。ただチャット欄があるだけの、白と肌色を基調としたシンプルな作りだった。恐らく大急ぎで作ってくれたのだろう。しかし、話せる場所があるというだけで喜ばしい限りなので、特段文句をいう余地もない。


 相手が来るかはわからないし、とりあえずどんな仕様になっているか確認しておこう。

 いま表示されているのは、《「まるるん」さんが入室しました。》という青い文字。出入室はしっかり確認できるようだ。その文字の上に他の文字がないところを見ると、お相手さん――確か「なごさん」だったかな――はまだ入ってきていないようだ。

 何か文字を打ち込むか。


《まるるん:廉》


 よし。どうやら一人のときにも発言はできるようだ。向こうに見えているかはわからないが。表示された文字の色は青。僕が青で、お相手の「なごさん」は別の色なのかもしれない。対比できる見やすい色としては赤が候補に挙がるだろうか。

 そんなことを考えていると、ポン、という無機質な電子音と共にチャット欄に文字が表示された。


《「なごさん」が入室しました。》


 文字の色は赤。予想通りだ。わかりやすくて助かる。

 ひとまずしっかりと挨拶だけはしておく。


《まるるん:こんにちは。はじめまして、まるるんです。よろしくお願いします。》

《なごさん:こちらこそはじめまして。なごさんと申します。どうぞよろしくお願いします》


 すぐに反応があった。かなり早い。向こうはキーボードか何かで打っているのだろうか。携帯だとしたら恐らく向こうは学生だろうか。最近の若者は携帯のボタンを叩く速さが頭おかしいから困る。僕も学生だし、若者ではあるんだけど、そこまで早く打てる気がしない。

 第一声をどちらが上げるか、互いを牽制しあうような何かがそこにはあって、なかなか発言がし辛い。

 ひとまずその雰囲気を壊すべく、僕は文字を打った。


《まるるん:なごさんは、『カミサマ』についてどう考えていますか?》

《なごさん:野放しにしてはいけない、危険な存在だと考えています。まるるんさんはどうお考えですか?》


 これまたすぐに反応があった。

 僕の考えを問われると、少し返答に困るところがある。僕が『カミサマ』を追うのは一身上の都合のようなものだし、一体どう答えるべきだろうか。

「なごさん」が『カミサマ』に対して好印象を抱いているとは思えない。だから「とても素晴らしい存在だと思います!」なんてことは口が裂けても言える訳がない。かといって、嫌いだと明言してしまったら、なぜ追っているのかわからなくなってしまう。

 そんなことを考えているのを察したのか、ポン、という音と共にチャット欄にメッセージが表示される。


《なごさん:別に怒るとかないので、正直に言ってもらっていいですよ》


 本当かなぁと疑いの目で見つつ、しかし安堵した。

 よっぽどのことを言わない限りは大丈夫だろう。言質ももらったことだし。


《まるるん:正直に言うと、どっちつかずの状態です。まだその実態もよくわかっていませんし、どうにも判断が付きません。なごさんは、どうやってそういった判断をされたんですか?》

《なごさん:……………………》

《なごさん:あまり人に言いたくはないのですが、お話しましょう》


 何か深い事情がありそうだ。僕が踏み込んでいいものなのだろうか。だけど、それが『カミサマ』に近付くための重要な情報だというのならば、聞かないという選択肢はあり得ない。

 僕は「お願いします」と打ち込み、なごさんが話すのを待つ。

 弁当を頬張りながら考える。これから『カミサマ』を探すにつれ、一人でやるのは辛くなってくるはずだ。なごさんの協力を仰げたとしても、それだけでは足りないだろう。誰ならば協力してくれるだろうか。思い浮かぶのは、やはりうっつーや囲碁部の面々。ひとまず今日の放課後、ダメもとで頼んでみるとしようか。

 ポン、という音で現実に引き戻され、携帯の画面を覗き込む。


《なごさん:『カミサマ』が代償と引き換えに願いを叶えるものだということはご存知ですか?》

《まるるん:いいえ、知りませんでした。それは確実ですか?》

《なごさん:はい。間違いありません。なぜなら私の友人はその代償によって――》


 そのとき、昼休み終了の鐘が鳴った。一度チャット部屋から出るということを伝えて、ちゃんとお礼を述べてから退出した。

 衝撃的だった。なごさんが『カミサマ』を毛嫌いしている理由があの一言で否応なくわかる。当たり前だ。僕だってそんなことになったら『カミサマ』を嫌い、憎み、情報をネットに載せたくないと願うだろう。

 なごさんはこう言ったのだ。


「私の友人はその代償によって――死にましたから」と。




 放課後。部活に行こうと思って鞄を持ち、その重さに行くべき場所があることを思い出す。

 夏休みに借りていた本を返しに行かなくては。

 そう思って図書室に足を運ぶと、見知った人の姿があった。昨春に全国大会にまで行った部活の先輩で、なぜだか引退したはずなのに部活に顔を出している、受験生の風上におけないような存在。

 とは言うものの部室まで来てやっているのは勉強なので、実は部活と勉強を両立している受験生の鏡、なのかもしれない。

 その先輩の名は、真弓結という。長い黒髪とほんの少し茶が入った瞳、僕より頭一・五個分低い背丈。清楚系の見た目をしていて、事実模範生徒。そんな女子高生してないけど高校生らしい姿をした学年二位の秀才がこの人である。さらに言えば、文化部に入っているからといって運動ができないというわけでもなく、一年、二年と持久走のタイムで学年上位に潜り込んでいる。

 天才とあえて呼ばないのは先輩の実力が努力の賜物だからだ。僕みたいに努力の足りない学生が気安く天才呼ばわりしてはいけない。それはもはや侮辱行為に値するだろう。


「卓くん、本返しに来たの?」


 話しかけられたので、適当に応対する。


「はい、結局全然読めませんでしたけどね。他のことに熱中してて」

「えー、何々、何やってたの?」

「秘密です」


 真弓先輩はいまの時代では珍しいガラケー持ちだ。当然、クラスの連絡はSNSを介して行われるので、SNSを使っていない真弓先輩が一人だけあぶれるという状態ができ上がるのだが、それは真弓先輩の人間性のおかげか、ちゃんとメールをしてくれる人がいるというのだから羨ましい限りだ。

 僕なんかスマートフォンを持っていても頭数に入っていないというのに。

 嫌われてるんだか忘れられてるんだか。どちらかはわからないが、大して気にしていない。。


「ありがとうございました」


 一応お礼を言い、本を返却する。図書委員の人はその大量の本に顔を顰めたが、渋々ながらもその処理を行っていた。

 用はそれだけだったので、さっさと撤退しようとすると、真弓先輩に声を掛けられた。


「今日は何も借りないの?」


 たぶん読む時間ないんで、と短く答え、図書室を出る。足音に振り向けば、先輩も荷物を持って出てきたようだった。

 部室である書道教室に辿り着く。まだ鍵が開いていないので、鍵を職員室へと取りに行く。

 真弓先輩は何を思ったのか、追求してきた。


「読む時間ないって、何かあったの? 大変なら手伝うけど」

「手伝うって、受験勉強しなくていいんですか?」

「そりゃあするけどさ。でも、困っている卓くんも放っておけないよ」


 そんなに僕は困り顔をしているだろうか。確かにいろいろあって疲れてはいると思うが、むしろやる気に満ち溢れていると言った方がいいような気がするのだが。

 それを口に出して伝えると、真弓先輩は嬉々とした表情で僕を見た。


「だって卓くんは隠し事とか嘘つくのとか苦手じゃん。それに何か無理してる感じがするし」

「…………」


 驚きを通り越して呆れ果てた。僕はそこまで父の特徴を受け継いでしまったというのか。

 これは早くどうにかしないとまずい。僕の考えていることが全て表情に出ているとなったら一大事だ。でもそれはひとまず置いておこう。いま考えるべきはこの性質をどうするかではなく『カミサマ』をどう追い詰めるかだ。

 ここは嘘偽りなく、しかしお茶を濁すとしよう。


「あとで部活の皆に話すつもりなので、そのときでいいですか?」


 僕がそういうと、約束だぞ、と言わんばかりの表情で僕を見て、頷いた。

 職員室に着いて鍵を貰おうとしたときには、もう既に別の誰かが持って行ってしまったのか、そこになかった。



 入れ違いになったのだろう。小走りで書道教室に舞い戻ると、既に教室が開けられていた。

 そこに二寸盤を一人で運んでいる中川ののかを見つけ、荷物を置いてそれを手伝う。


「ありがとうございます」


 不貞腐れるように顔を背けてそう言う中川に頷き、周りを見やる。他にはまだ誰も着ていないようだった。


「他の一年は?」

「さあ。またサボリじゃないですか?」

「そっか」


 なぜか部長だなんていう役を任されているから、一応確認だけはしておく。

 中川ののかは一つ下の後輩。真弓先輩が「のっちゃん」と呼んでいて、それを本人が嫌がってもいないようなので、部活ないでは「のっちゃん」の愛称が定着しつつある。しかし僕に限って怒るのはやめてほしい。それなのに入学前から僕のことを知っていたようで、たびたび父のことについて聞いて来る。父に興味があるのだろうか。

 髪は赤めで肩にかかるぐらいの長さ、背丈は真弓先輩より少し高いぐらい。つり目で基本的に無表情なその顔は、つっけんどんな印象を受ける。何もかもお見通しと言わんばかりの瞳も特徴的だ。


「先輩。スマホ買ったので、アドレスと番号、教えてください」


 駒を並べていると、中川からそんなことを言われた。特に断る義理もないのでそれに応じる。僕との交換が終わると真弓先輩の方に向かって行き、同じくアドレス交換をしていた。

 やることもないので適当に寄せの本を読んでいると、うっつーが書道教室に侵入してきた。うっつー、本名を内海朔也という。うっつーは同い年、この学校に入って出会った友人だ。かなり天才肌で筋がよく、前優勝したときの大会では四戦全勝とチームの勝利に大きく貢献してくれた。僕は生憎三勝一敗だった。いままでなんとかうっつーと張り合って来たが、そろそろ限界を感じてしまう。


「なぁ丸山、こいつどう思う?」

「ん?」


 そう言い、ゲーム画面を見せてくる。体の距離が近くなって、違和感に気が付く。観察してみれば、夏の大会で会った時より背が伸びているように思える。

 背が伸びたか尋ねると、嬉々として「何か最近伸びてるんだよねぇ」と答えている。まだ伸びるのだろうか。こいつの才能のように。才能と比例して背が伸びるなんて聞いたことがない。いや、たぶん関係はないんだろうけども。

 ひとまず、ある程度メンバーが集まるまで一局指すことにした。



 結果は惜敗。どうにも相性が悪い。半年前に公式戦でやったときは勝てたというのに、どうして部活中だとこうまで差が出るのか。


「わからん」


 それは独り言だったのだが、うっつーはそれを負けた理由だと思ったのか、駒を動かし始めた。


「ここでこうされてたらやばかったぞ」

「あ、本当だ。全然見れてなかった」


 本当に読みが浅くなってしまっている。やはり『カミサマ』のことを四六時中考えてしまっているのが原因だろうか。恋は人を弱らせるとはよく言ったものだ。僕のは恋じゃないけれど。

 そう思いながら駒を戻していると、いつも部活に来る面々が集まっていた。

 全員がいるとわかるや否や、僕は何の前置きもなく言う。


「えっと、ちょっと皆聞いてくれる?」


 僕のその言葉に、部員の首が全員分こちらを向いた。

 それを見て、僕は続ける。


「これは僕の個人的なお願いなんだけど、僕は理由があって、『カミサマ』を探しているんだ。できたらでいいんだけど、『カミサマ』の正体を突き止めるのに協力してもらえないかな?」


 僕のその言葉に対する反応は二つに分かれた。怪訝そうな顔をする者と、何を言っているかわからないと言った様子の者。後者は恐らく『カミサマ』の存在自体を知らないのだろう。

 前者の反応を示したのは十一人中三人。うっつー、真弓先輩、そして中川。示し合わせたかのように同じ反応をしているので、地雷を踏んだかと不安を感じてしまう。それとも、何か知っていることがあるだろうか。

 僕が何かを言おうとするより先に、口を開いたのは真弓先輩だった。


「そんなこと言うと、『カミサマ』に怒られちゃうよ?」


 怒られる? 『カミサマ』に? 『カミサマ』は意思を持っているということだろうか。まだ確定したわけではないが、それなりに重要な情報ではあるだろう。

 不機嫌そうな声音の真弓先輩に、僕はそんなことは恐れていないと言う。すると先輩はさらに不機嫌そうな表情になり、黙ってしまった。


「『カミサマ』って、確か何日か前に俺に聞いてきてたやつだよな? やめとけって言ったぞ、俺は。都市伝説なんか調べても何の得にもならねぇよ」


 うっつーにそう言われると少し傷つくが、実際正論なので反論のしようがない。

 中川も何か言いたいことがあるのかと思ったが、ただこちらを見るだけだった。目を合わせようとするとふいっと逸らされる。しかし僕のことを見ているのは確かだ。その何かを探るような、見定めるような目で。


「先輩、そんなことより部活やりませんか?」


 その一年の一言で、皆がわらわらと動き始める。結局その日は先ほどの勝負を含めて四局指して、勝てたのは中川との一局だけ。僕も中川もひどいミスを連発し、その上での辛勝だった。いつもは他の人に比べて真面目に感想戦をやる中川だが、今日に限っては心ここにあらずといった様子だ。それはまあ僕も同じだったのだろうが。

 最後にやった顧問の先生との指導対局はなんとか頭を集中させて考え、苦戦の末に結局惨敗した。先生にまで調子が悪いと言われてしまう始末。それだけ、協力を断られたのが心にきていたということなのだろう。



 そんな心境だったからだろう。足は自然と、その場所へ向かっていた。父との思い出の場所。僕が僕でいられる場所。

 目を閉じる。

 深呼吸をする。

 目を開く。

 前を向く。

 目に映るのは、夕焼けに染まる街。


「よしっ」


 気合いを入れ直す。

 誰も協力してくれる人がいないのなら、それはそれでいい。一人で死に物狂いで頑張れということだろう。ならば、僕の答えはこうだ。


「やってやる」


 例え、誰も協力者がいなくても。

 例え、誰も僕のやることに賛同する人がいなくても。

 例え、この街の、世界中の全ての人を敵に回すことになっても。

 僕は必ず――

 そんな僕の決意の水を差すように、腰ポケットに入れていた携帯が震えた。


「電話? 誰だろう」


 突然の電話に応じる。こんな時間かけてくる人など、いや、僕なんかに電話をかけてくる人などいないと思っていたが、案外そうでもなかったようだ。

 電話で話した事の趣旨を一言でまとめるとこうだ。


『カミサマ』の件、手伝います。


 それを聞いたときの喜びは、これ以上ないぐらいのものだった。



 3、


 翌日、放課後の部室。真弓先輩との一局が嫌に長引いたので、他の部員を先に帰らせた。

 何かを言いたげなのっちゃんが帰って、部室に残っているのは僕と真弓先輩だけ。

 足音が聞こえなくなるのを待って、僕は切り出した。


「まさか、先輩が協力してくれるとは思いませんでした」

「私も『カミサマ』には興味があったし、やっぱり可愛い後輩が困っている姿を放っておけないよ」

「まあ、大方そんなところだろうとは思ってましたよ」


 先輩が打った手が甘かったので、厳しい一手を打ち込む。

 それに「あっ」と悲痛な叫びを上げた真弓先輩はこちらを恨めしそうな目で見ながら、また考え始める。


「真弓先輩は現時点で何か『カミサマ』について知っていることはありますか?」


 何かを思い出そうとしているのか、首を少し右に倒した真弓先輩は黙り込んだ。

 先輩が熟考モードになると洒落にならない時間を掛けかねないので、棚から対局時計を持ってくる。盤面はもう終盤に入りかかっているから、残り十分でいいだろう。

 ピッという対局時計の開始音に、真弓先輩の肩が跳ねた。時間切れで負けることが多いからか、拒否反応を起こしているのだろう。

 急かされるようにして打たれた先輩の手は、想像通り甘い。どうだ、言わんばかりのドヤ顔が、一瞬のうちに焦りに変わる。


「ごめんね。何にも知らない。こんなので協力しようだなんてちょっと考えが甘かったかな」

「いえ、部活で言ってみたのはダメでもともとだったんで、手伝うって言ってくれるだけで全然嬉しいです。まあ、他に頼る人がいるかと言われれば、いないと答えるしかないんですけど」

「他のみんなは呆れてたもんね。逆に聞くけど、何か知ってることはある?」


 そう問われて、僕は脳内情報を整理する。いまわかっているのは『カミサマ』が代償と引き換えに願いを叶える都市伝説だということと、その情報があまりにも少ないこと。

 後者のは情報とは言い難いが、『カミサマ』の何かが関わっているかもしれない不思議な部分だ。

 しっかりと情報を整理して考えてみると、本当にまだ調べ始めたばかりなのだと実感する。これだけの情報でどうやって『カミサマ』に辿り着こうというのか。反吐が出る。


「そういうことは自分で言うものじゃないよ。でも確かに、情報不足なのは否めないね。どうして情報がここまで極端に少ないのかも気になるし」


 どうやら考えが漏れていたようだ。厄介この上ない。この性質は一体いつになったら改善されるのだろう。どうにか高校を出る前には直しておきたいものだ。

 それはさておき、これからどうしようかと相談をする。


「やっぱりまずは情報収集ですかね」

「そうだね。私の知り合いに知ってる人がいないか確認しとこうかな」

「お願いします。僕もチャット相手の人にもう少しねだってみたいと思います」


 僕の言葉に、先輩は首を傾げた。

 そういえば言っていなかったっけ。


「都市伝説のサイトに問い合わせをして、そこの情報提供者と話をさせてもらっているんですよ。さっきの代償とかの話もその人から聞きました」

「ということは、さっきの情報の信憑性もちょっと怪しいわけだね」

「まあ、そうなりますね」


 真弓先輩は考えるような素振りを見せ、考え込む。

 僕は対局時計を見た。残り時間が五分を切っている。僕の方はまだ九分以上ある。盤面を見る。やや押され気味だろうか。しかし、まだ起死回生の一手がないわけではない。

 それは恐らく、いまの僕の状況も同じだ。思いついていないだけで、『カミサマ』に近付く妙手は見えているのかもしれない。どこだ、どこにある。

 真弓先輩が打った石は、僕の急所を突いてきた。僕は目で時計に促し、先輩が軽くパン、と時計を押す。僕の番だ。難しい。もっと考えなければ。


「直接会ってみるっていうのはどう? 逃げれないようにして話してもらったらどうかな?」

「先輩って、意外と怖い事言いますよね」


 そう言いつつ、自分が一度その提案を蹴ったことを思い返す。一度歩み寄りを拒否された相手に、会ってくれる気になるだろうか。考えられるのは、難色を示されるか喜ばれるかの二択。

 ちらりと時計を見る。残り七分。相手の意表を突く一手はどこにある。探せ。探すんだ。

 なごさんはどう言えば、僕の提案に答えてくれるだろうか。『カミサマ』に友達が殺されたとでも言うのはどうだろう。いや、それはダメだ。実際に会ったときに僕の心の声が漏れていた場合、嘘が見つかってすぐに怒って帰ってしまうだろう。じゃあどうすれば、どうすればいい?

 残り五分。一度引いて、俯瞰的に盤面を見る。囲碁盤にいまの自分達を重ねる。僕、真弓先輩、なごさん、うっつー、のっちゃん、部活の皆、そして『カミサマ』。

 ゆっくりと石を握る。打つのなら、そこしかない。勝ちに行くのならば。


「まあでも、お願いしてみますね」


 時計を叩く。真弓先輩の番だ。残りは二分。危なかった。答えが出なければ、時間切れで負けていたかもしれない。でも、時間は切れなかった。全体を眺めて、そこで考えてようやく好手を見出した。それができたのだから、万々歳だ。

 先輩は僕の手に驚くでもなく、疑問視しているだけだ。だから真弓先輩は、安全手を打つ。堅実に、負けないように。僕はそうすることを、ちゃんと読んでいた。だから何の迷いもなく、次の手が打てる。

 石の音が響く。十手と経たないうちに、僕の手は味を出してくる。それに気付いた真弓先輩の様子は見物だった。目を丸くして、食い入るように盤面に見入った。

 嵌められたことを悟った先輩は、少し不貞腐れた表情を見せる。

 それでもまだ諦めがつかないのか、足掻こうと次の一手を打とうと石を握る。そんな先輩を、無機質な音声が邪魔した。


「ピー、時間切れです」


 糸が切れるように、張りつめた空気が瓦解する。相談というのは、囲碁を打ちながらするべきものではない。

 あの手を見つけられなかったら、それなりの差で負けていただろう。しかし、先輩が打つ手すらも読み切って、僕は勝った。

 いまの碁のように、『カミサマ』を探すのも上手くいくはず。僕の読みは、どこまで当たるだろうか。


「ねぇ、受験真っ只中の先輩をボコボコにして楽しい?」


 がっくりと項垂れていた真弓先輩が、こちらを見て不満そうな声を上げた。

 楽しいです、と笑顔で答えておく。それを聞いて先輩が困り顔をしたことは一応記しておく。

 さて、ここからだ。僕の読みには他の人の行動に左右される部分があるから完璧とはいえない。だからといって、こんなところで躓いていてはいけない。まず最初の布石は、先輩。先輩を、信じるのだ。


「真弓先輩、知り合いに都市伝説に詳しい人っていますか?」


 それを聞いた先輩は思い当たる人がいたのか、パァっと顔を明るくした。

 まずは第一段階、成功だ。その人が何かを知っていればもっと早く話は進むのだが、期待しすぎるのはよくない。


「いるよ、いる! 都市伝説のサイトの運営をやってたはず!」

「じゃあその人に話がしたいっていうことを伝えて下さい。僕の名前も出しちゃって構わないんで」

「うん、わかった。お願いしてみるね」


 まさか先輩の知り合いに都市伝説のサイトを運営している人がいるとは思わなかった。真弓先輩の顔の広さを舐めていたかもしれない。本当は芋づる式に辿って行って知っている人を探そうかと思っていたのだが、少し手間が省けそうだ。


「僕は僕でチャット相手の方に会って話ができないか相談してみます」

「うん。了解」


 石を片付け、棚に戻す。最終下校時刻も迫っていたので、忘れ物が無いかをチェックしてから部室を出た。

 鍵を掛けて職員室へと急ぐ。階段の踊り場に、人影が見えた。

 向こうもこちらに気付いたようで、壁に寄り掛かっていた体を起こす。見知った顔だった。


「のっちゃん、どうしたの? こんな時間に」


 隣にいた真弓先輩が声を上げる。確かに疑問だ。なぜこんな時間に彼女はここにいるのだろう。

 彼女は僕と先輩を交互に見て、俯く。


「『カミサマ』に関わるのは、やめた方がいいと思います」


 そういう彼女の顔は、酷いものだった。何を思い出しているのかはわからない。しかし、それが辛い記憶であるのは確かだろう。

 僕ですらそう読み取れるほど、彼女の顔は苦しそうだった。


「のっちゃん、どうしたの?」


 先程と全く同じ文言。しかし、その意味は全く違う。

 そう問われても、彼女はただ俯くばかりだ。何も答えないつもりなのだろうか。

 彼女が言葉を発するまでにかかった時間は、恐らく五秒とないだろう。しかし、僕にはそれを待つ時間がひどく長く感じられた。

 さっき先輩と話していたときとは違う、張りつめた空気がとても息苦しかった。


「火傷しますよ。『カミサマ』に関わると、火傷します。したくなかったら、いますぐ手を引いて下さい」


 それだけ言うと、彼女はその場から走り去ってしまった。

 残された僕と真弓先輩は追いかけることもできず、ただ顔を見合わせるばかり。

 彼女が言った言葉の意味を考える。要約すると、火傷するから『カミサマ』には関わるな。ここで言う火傷とは、実際の体の火傷ではないだろう。きっと、心の話だ。彼女は『カミサマ』について何か知っているのだろうか。だが聞こうにも、あの様子では恐らく答えてもらえないだろう。それは残念だが、仕方がない。恐らく彼女は、火傷したのだ。

 真弓先輩も考えさせられる部分があったのだろう。ただ黙って思案に耽っている。

 しかし先に口を開いたのは、先輩の方だった。


「日にち、決まったら連絡するね」


 その声音は真剣そのもの。表情も何か決意を固めたかのようだった。

 恐らく先輩は、彼女の言葉を聞いて『カミサマ』を探すことに火が付いたのではないだろうか。遊び半分から、興味本位からだったものが、探さなければいけないという思いにシフトしたのだろう。それではいけないと、思い直したのだろう。

 いい表情をしていた。いままでで一番やる気を出しているように見える。

 それは決して思い違いではなかったと、すぐに証明されることになる。

 翌日の放課後、約束を取り付けたというメールが真弓先輩から送られてきた。



 4


 真弓先輩が僕に教えてくれた日時は、その週の土曜日だった。特に用事もなかったので、いまこうして待ち合わせの駅にいる。

 残暑が厳しく、立って待っているだけでも体力が持って行かれる。

 しかし今日に限ってその心配はない。先輩は僕と同じ電車に乗っていたのだから。


「ごめん、待った?」


 僕が同じ車両に乗っていたことに気付いていなかったのか、先輩はそう言いながら近づいて来る。


「いえ、今来たところです。同じ電車でしたし」

「え、何号車?」

「三号車です」

「…………」


 先輩が硬い顔で黙り込んでしまった。そんなにショックだったのだろうか。

 ひとまず声を掛けておく。


「別に気にしてないですよ。行きましょう」


 僕のその言葉に安堵したのか、表情を和らげた真弓先輩は先導して歩き始めた。

 先輩の方向音痴は折り紙付きなので、少し不安は残るが、僕は先方の家ないし会社がどこにあるのかを知らない。だから真弓先輩の後を付いて行くしかないのだが、本当に大丈夫だろうか。

 バスやタクシー乗り場を通り過ぎ、大通りへと進んでいく。どうやら徒歩圏内にあるようだ。忘れているだけとかいうオチは勘弁してもらいたいので、一応尋ねておく。


「バスとかは使わなくていいんですか?」

「うん、ここから五分ぐらいのとこだから」


 そう言いつつ脇道に入っていく。本当にこっちで合っているのだろうかと不安になりつつも進む。

 周りにはところどころに鳥居が見え、どうやら裏通りは神社が多いようだ。


「そういえば、卓くんのお母さんって何してるの?」

「何って、仕事ですか?」

「うん」


 母の仕事、か。何をしているんだったか。思い出そうと記憶を探る。僕が小学生に上がる前の記憶だから、かなり思い出すのは苦行だ。確か、花屋をやっていたような気がする。

 そう伝えると、先輩は驚いた顔をした。


「へぇー、意外。もっとこう、IT系の企業にいるのかと思ってた」

「先輩のご両親は?」


 そう尋ねると、真弓先輩は顔を伏せてしまう。

 しまった。禁句だったか。


「すみません、何か」


 僕が頭を下げると、先輩は慌てて手を振った。


「いやいや、別にいいよ。両親が死んじゃってるのは、卓くんには全然関係ないし」


 言葉を失った。何も言えなかった。どんな言葉を返してほしいのかも、想像がつかなかった。

 そうこうしているうちに、先輩の足が止まった。


「ここだよ」


 確か岡野洋さん、だっただろうか。表札を見る。「おかの」と平仮名で書いてあった。同じ岡野という違う人の家でないことを願いたい。

 門のすぐ横に付いているインターフォンを真弓先輩が押す。ピーンポーンという音が聞こえた。

 目の前の建物を見る。どうやら最近建てられたようで、小奇麗にまとまっていた。敷地はそこまで広いわけではなさそうだが、一人や二人で過ごすにはこのぐらいで十分なのだろう。僕の家はもう少し狭いけれど。

 暫くするとガチャリという音がして、玄関の扉が開いた。見るからにオカルト好き、みたいな恰好をしているわけでもない女の人が出てきて、僕らを見る。

 僕がペコリと頭を下げると、女の人は穏やかな笑みを見せた。それから真弓先輩に目を向けて、軽く片手を上げた。真弓先輩も軽く礼をする。


「入れよ」


 綺麗なアルトの声でそう言うと、門を開けてくれた。どうやらこの人が岡野洋さんで間違いないらしい。

 思っていたより気さくな人で安心する。このまま何事もなく情報がもらえればいいのだが。


「お邪魔します」

「狭いが我慢してくれ」

「いえ、僕の家に比べたら広いので」

「そりゃよかった」


 皮肉と取ったのか、苦笑気味にそう言う。実際中に入ってみたら、外から見るよりもはるかに広く感じられる。僕の家は母から流れてくる空気も相まってどこまでも窮屈だ。

 リビングに通され、ソファに案内されたので真弓先輩と並んで座る。岡野さんはというと、キッチンの方にお菓子とお茶を取りに行ったようだ。

 前のテーブルに置かれたお茶に手を付ける。よく冷えていて、美味しい。

 水分補給をして、早速本題を切り出す。


「えっと、先輩からはどんな風に聞いていますか?」


 真弓先輩がどう岡野さんに話したのかがわからないので、確認はしておく。

 岡野さんは真弓先輩をちらりと見て、真弓先輩は頷いた。話していいということだろうか。


「自分の知り合いが『カミサマ』について調べてる。協力してほしい。こんなとこだ」


 なるほど。その認識に間違いはないし、特にそれについて言及すべきことはないだろう。


「それで、岡野さんは何か、『カミサマ』について知っていることはありますか?」


 僕がそう言うと、岡野さんは目を伏せた。あまり芳しくないということだろうか。

 やがて顔を上げた岡野さんは、僕とは目を合わせず、申し訳なさそうに言った。


「悪いね。全然見つからなかった。『カミサマ』の情報は一切といっていいほどない。他のサイトを運営している奴にも訊いてみたが、全然ダメだった」


 それは手が早いことで。そこだけ見れば悪くはないはずなのに、結果は最悪だ。しかし、わざわざ一つ一つ訊きに行く手間は省けたという点だけで言えば、悪くないと言える。

 まさかこんなところで読み違えるとは思わなかった。甘かった、か。

 ここで手が詰まっているなら、他のアプローチをしなければいけない。ひとまず、いまある疑問の一つでも解消できないだろうか。ダメ元だが、訊いてみることに意味はあるはずだ。


「二十年前、一度『カミサマ』の都市伝説が流行ったみたいなんですけど、そのときのことを覚えている人はいましたか?」

「いや、二十年前も同じだ。全くといっていいほど情報はなかった」

「情報がないことに関しては、何かわかりませんか?」

「わからない。正直言って見当もつかない」


 何も収穫なし、か。正直言ってここまでとは思っていなかった。もう少し、もうちょっとは何かがあると思っていた。期待しすぎたのだろうか。もしかしたら、と思っていたのだろうか。そんな甘い考えを、読みに含んでいたというのだろうか。

 だからといって手詰まりだというわけでもない。ひとまずここは、岡野さんがどう考えているのか聞いてみよう。


「岡野さんは、『カミサマ』についてどう考えていますか?」

「さぁな。正直言ってよくわかんねぇ。だが別に、お前みたいに血眼になって止めようとする必要はねぇんじゃねぇかと思う」

「それはどうして?」

「どうして、って言われてもな……。特に根拠はないよ」


 根拠はない。ならば、僕がそれを受け入れる義理はない。


「情報がないことについては、何が原因だと思いますか?」


 その問いに、岡野さんは悔しそうに俯く。その表情に、僕は違和感を抱いた。

 もし本当にわからないならば、こうやって訊かれたときに不思議そうな表情をするだけでいいはずだ。

 岡野さんの普段がどうなのかはわからないが、人に頼まれたことで何の成果を得られなかったぐらいで、こんな表情をすることがあるだろうか。


「わからない。力になれなくて、本当に申し訳ない」


 もしかしたら、岡野さんは口止めをされているのかもしれない。『カミサマ』から僕たちに情報を渡せないようにされているのかもしれない。

 訊きたかった。確かめたかった。しかし寸前で、目の前で倒れたのどか先生の姿が脳裏をよぎる。

 同じ過ちを二度犯すことは、避けたかった。


「二十年前、丸尾廉が私のところに来た」


 突然話し始めた岡野さんに、僕は目を剥いた。何の成果も得られないのではないかと思っていた矢先だったために、その驚きも一入だった。

 丸尾廉。初めて聞く名前に、心が躍る。

 それは一体誰だ。『カミサマ』なのか。それとも、『カミサマ』へ繋がる道標となる人なのだろうか。そんな期待を込めた目で岡野さんを見つつ、続きの言葉を待った。

 すると、岡野さんの目が真弓先輩に行っていることに気が付いた。

 つられて真弓先輩を見やる。

 どうやら丸尾廉という名前に心当たりがあるのか、なんとも言えない表情になっている。しかしそれは疑念や郷愁のそれとは違う、諦念のような表情にも取れた。


「丸尾廉は、私の父です」


 真弓先輩は苦しそうに、悔しそうにそう言葉を捻り出した。

 それがなにを意味しているのかわからない僕は、ちらりと岡野さんに目を向ける。

 岡野さんはその視線に気づいてか、僕の方を向いた。そして、僕にその事実を告げる。


「丸尾廉と真弓沙羅。この二人は二十年前、『カミサマ』を追っていた。いまのお前たちと同じようにな。まさか二人が結婚したとは思わなかったが」


 そのとき、ふっと僕はここにくるまでにしていた会話を思い出した。

 何を話していただろうか。確か真弓先輩は、両親は死んだと言っていなかったか?

 岡野さんは真弓先輩の表情を見て何かがおかしいと察したのだろう、立ち上がって先輩に詰め寄った。


「あの二人に、何かあったのか?」


 肩に手を置き、じっとその瞳を見つめる。真弓先輩はただ黙っているばかりだ。

 答えない先輩に痺れを切らしたのだろう。キッとした目つきで僕を見た岡野さんは、目を逸らした僕の肩を揺さぶった。

 どういうことだ。あの二人に何があった。

 その答えを、僕は紛いなりにも知っている。しかし、それを僕が明かしてしまっていいのだろうか。その二人に全く関係のない僕が、その残酷な現実を打ち明けるようなことをしていいのだろうか。

 迷っている間にも時間は過ぎていく。

 静寂が部屋を満たす。誰かが口を開くまで、それは途切れることはない。


「二人は、死にました」


 それを破ったのは、僕、ではなく真弓先輩だった。

 岡野さんの注意が僕から先輩に移行する。解放されたことに安堵しつつも、僕は真弓先輩が心配でならなかった。辛そうだった。思い出したくもないほど嫌な過去なのかもしれない。


「二人は『カミサマ』の代償で、死んだんです」


 代償。普段使わないその物騒な言葉に、僕は眉をひそめた。

 岡野さんは何とも言えない表情で固まっている。それを見てか見ないでか、先輩は続けた。


「私は二十年前、父と母に何があったのか、その真相が知りたくて、卓くんに協力してるんです。どうか他に二十年前に何があったか知っていたら、教えて下さい」


 本来ならば話す気はなかったのだろう。僕の手伝いと称してその真実を知れれば、それでよかったのだろう。じゃあなぜ、いま話したのか。それは、真弓先輩がいまこの事を話しておくべきだと判断したからに他ならないだろう。ここで情に訴えれば、もう少し情報が引き出せるかもしれない。ただ言わないだけで隠しているのなら、どうにか教えてくれるかもしれない。

 そんな希望的観測の許、しかし必要に駆られたからこそ、そうしているのだろう。

 岡野さんは僕の期待の視線に気づいたのだろう。不貞腐れたように言った。


「そんな目で見ても何も出ねぇよ。さっき言った通りだ。何も知らないし、何もわからない。ただ……」

「ただ?」

「丸尾廉は、とても強い思いを持っていたと思うぞ」


 入り込んできた西日に目を焼かれそうになり、僕らは岡野さんの家を後にした。

 

 

 一体いつになったら、『カミサマ』に近付くことができるのだろうか。どうすれば、この街を変えることができるのだろうか。

 その問いかけに応じるものはいない。溜息を吐き、転落防止の柵に寄り掛かって眼下の夜の街を望む。

 この世界を変えたのは丸山廉。そして真弓沙羅。この二人だ。これは確定事項でいいだろう。

 そんなことをした理由を問うことができるならば話は容易いのだが、最早それは叶わない。言うまでもなく、死んでしまっているからだ。

 真弓先輩のあの様子を見るに、どうやら詳しいことを知っているわけではなさそうだ。僕に協力して『カミサマ』を探そうとしているぐらいだし、まず間違いはないだろう。


 考えていると、矛盾に気が付いた。

 時系列がおかしいのだ。この街は変わったのが二十年前。しかし、真弓先輩が生まれたのはその二年後。本当に命を取られているとするのならば、真弓先輩は生まれていないはずだ。

 先輩の様子を見るに、真弓先輩の両親がもうすでに故人であることは事実だろう。ならばどうやって真弓先輩は生まれたのだろうか。さすがに死者から子供が生まれるほど壊れてはいないと信じたいが、この街の異常さを知っているものからしたら、簡単に否定はできないのが痛いところである。

 生まれるはずだった子供が親なしで生まれてきた。これもおかしな話だ。到底あり得るとは思いたくない。

 ならば、考えられるのはその時点では丸尾廉と真弓沙羅が死んでいなかったということだろうか。死ぬまでの時間に時差があった。そう考えれば、父のこともあるし納得できる。それが二年以上というのは少しばかり、苦言を呈したいが。

 丸尾廉と真弓沙羅が命を投げ売ってでも変えようとした街。本当に、二人はこんな状態を望んでいたのだろうか。二人だけの命じゃ足りなかったら、こんなおかしなことになってしまっているんじゃないだろうか。

 恐ろしい考えに思い当り、僕は首を振る。まさか、そんな、有り得ない。子供を、そんな理由で産むだなんて。

 そんな僕の思考を中断させるように、腰ポケットに入れていたスマートフォンが震える。誰からかと思って画面を見れば、中川だった。


「もしもし」


 僕から零れ出た声は震えていた。先程の抜けきっていないのだろう。そのおぞましさに、身の毛がよだつような思いだった。

 僕の声音が揺れたのに気付いたのか、中川は問うてきた。


「何かありましたか?」

「いや、別に」

「嘘ですね」

「………………。な――」

「何でとか言わないで下さいよ。私じゃなくても声でわかりますよ」


 やはり僕は誤魔化すのが下手なのか。不便だ。どうにかしなくては。

 中川は僕が何かを言うのを待っているのか、喋らない。

 好都合だった。僕はいまの会話をなかったことにして、中川に問う。


「どうしたの? こんな時間に。何か用?」

「だんまりを決め込むっていうならわかりました。さっさと要件を済ませましょう」

「――――」

「――――」


 通話を終える。また忠告された。中川はやたらと僕が『カミサマ』に関わることを嫌がっている。何か都合が悪いことでもあるのだろうか。

 中川は自分の働いている神社に来いと言った。

 一応このことは真弓先輩に伝えておこう。協力してもらっているのだし、情報は渡すべきだろう。

 家に戻ると、母が珍しく話しかけてきた。


「明日もどこかに行くの?」


 嫌悪感を隠さないその声音に多少苛立ちを覚えたが、僕がその態度を示すわけにはいかない。

 我慢比べではないが、耐えきれなくなった方の負けなのだ。こういうのは。


「神社に行く」

「どこの?」

「烏天宮神社」


 それを聞くと、母は誰かに電話を始めた。一体何をしようというのだろう。

 正直、この人――角山奈緒は一番の不安要素だ。なぜなら、僕はこの人に邪魔をされたら為す術がないのだから。保護者という権力を振りかざされたらどうしようもない。

 机に置かれた夕食用の金をかっさらい、再び外へ出る。

 左腕の腕時計を見る。九時を過ぎていた。まだどこか、空いている店はあっただろうか。



 5、


 二十四時間営業のファストフード店に入り、一番安いメニューを頼む。

 空いているカウンター席に陣取り、携帯を取り出した。

 折角用意してもらったチャットルームをほとんど利用していないのを思い出し、入室する。二人だけだと、次にいつ話すか決めておかないと話せなくなってしまう。前回は時間がギリギリだったから決めることもなく終わってしまったが、今日は一応どれだけ遅くなっても大丈夫なので、待てるだけ待ってみよう。

 とは言うものの、明日も神社に出かけなければいけないから、しっかりと睡眠はとっておきたいところだが。


《「まるるん」さんが入室しました。》


 青色の文章が表示されている。上にスクロールしてログを確認する。なごさんはどれぐらいこのチャットルームに入っていたのだろう。

 かなり上に移動したところで、《「まるるん」さんが退室しました。》のメッセージがあった。そこから下は、赤色と緑色の文章が続いている。


《「なごさん」が退室しました。》《「なごさん」が入室しました。》《なごさん:来てませんか。次に空いていそうな時間を教えて下さい。私が合わせます。》《「なごさん」が退室しました。》《「なごさん」が入室しました。》《なごさん:やっぱり来ていませんか。管理人さん、連絡をお願いできますか?》《管理人:わかりました。やってみます。》《「なごさん」が退室しました。》《「なごさん」が入室しました。》《なごさん:管理人さん、どうでしたか?》《管理人:連絡が付きませんでした。フリーのアドレスで、アカウントを消されてしまったみたいです。》《なごさん:そうですか。気長に待ちますね。》《管理人:力になれず、申し訳ありません。》《なごさん:いえいえ。助力感謝します。》《「なごさん」が退室しました。》《「なごさん」が入室しました。》《「なごさん」が退室しました。》《「なごさん」が入室しました。》《「なごさん」が退室しました。》《「なごさん」が入室しました。》


 なんだか申し訳ない気分になってくる。メッセージの横にある時間を見ると、四時間近く黙って僕が入室するのを待っている時もあったようだ。

 僕は赤字の一番下の文を見る。


《「なごさん」が入室しました。》


 いま、なごさんはこのチャットルームにいる。そうわかった時、咄嗟に謝罪の言葉を打った。


《なごさん:お久しぶりですね。忙しかったんですか?》

《まるるん:すみません。いろいろと予定が入っていて、来られませんでした。》


 なごさんの方が先にメッセージを送ってきていた。僕が入室したことにすぐに気付いたのだろう。

 たまたまとはいえ会話になっているのを見て、少し安心する。


《なごさん:予定というと、『カミサマ』について調べ物をしていた、といったところでしょうか?》

《まるるん:はい、まあそんなところです。残念ながら、あまり芳しくない結果になってしまっていますが。》

《なごさん:前回は時間がなく、あまり多くのことをお話しできませんでしたが、今回は前回よりはじっくりと話すことができるかと思います。》

《まるるん:そうですね。なごさんはまだあの情報の他にも何か知っていることがあるんですか?》


 少し、時間が空いた。話すか話さないか迷っているのだろうか。だが、その迷いはまだ話していないことがあると言っているようなものだ。

 しかしそれをわかった上で、僕は何も言わなかった。ここは駆け引きが必要だからだ。この時間に追求するような真似をしてはいけない。それをしたら、なごさんは恐らく口を閉ざしてしまうだろう。いまは待って、相手の決断に身を委ねるしかないのだ。強硬手段に出るべきなのは、いまじゃない。

 五分。十分。無言の空間が続く。そろそろ一旦家に戻ろうかと思った時、ポンという音が鳴った。

 メッセージが送られてきた証である


《なごさん:すいません。乗り換えてました。情報については、仰る通りです。まだまるるんさんに伝えていないことが一つあります。》


 理由が本当かどうかはわからない。しかし、この言い分だと情報を渡してくれるのだろうか。

 ポン、という機械音が再び聞こえてくる。

 僕はその赤色の文に目を向けた。


《なごさん:ですが、それを教える前にまるるんさんが『カミサマ』を追う理由を教えて頂いてもいいですか?》


 どう答えるべきだろう。正直に答えてしまっていいものなのだろうか。嘘を吐いて滅茶苦茶になったら元も子もない。

 そう考える僕の許へ、再び無機質な音が届く。


《なごさん:あなたは『カミサマ』に、何を願うつもりですか?》


 訊かれて、僕は思わず衝動的に打ち込んでいた。メッセージを送った後に、後悔する。言わなければよかったと、友達を失ったというなごさんにこんなメッセージを送ってはいけなかったと、気付く。


《まるるん:僕が願うのは、この世界の正しさです。そのためだったら、僕は何を犠牲にしても構わない。自分の過去だって、自分の気持ちだって、例え僕が壊れようと、その願いが叶うなら僕は何だって代償としてささげるつもりです。》


 沈黙。静寂という恐怖が身に沁みる。画面を通しての会話だからそこまででもないが、面と話していたらと考えるとぞっとする。僕は逃げることなくその場に居続けることができるだろうか。

 逃げたい。逃げたい。しかし、それは許されない。言ってしまったのだ。吐き出してしまったのだ。こうなったら正面からぶつかって、説得するしかない。


《なごさん:わかりました。あなたの覚悟は、とても、とても立派です。》


 赤字の文は続く。


《なごさん:お教えしましょう。私の知っていることを。『カミサマ』の正体は――人間です。》


「……………………やっぱりかぁ」


 呟きが漏れる。

 最初から考えていたことだった。『カミサマ』の正体は人間じゃないだろうか、と疑ってはいたのだ。だから最小限の人間にしか僕が『カミサマ』を探しているとは教えずに、今まで探してきた。

 しかし、こうやって直にその事実を突き付けられると、案外胸に堪えるものがある。

 心を落ち着かせるために、疑問を呈す。『カミサマ』は人間の皮をかぶった化け物なのか、それともただの特殊な能力を持った人間なのか。

 僕はそれを問うてみた。


《なごさん:超能力者、と呼ぶ方がわかりやすいのかもしれません。『カミサマ』は願いを叶える力を持った、ただの人間なんです。》

《まるるん:誰が『カミサマ』なのかっていうのは、わかっているんですか?》

《なごさん:いいえ。残念ながら、そこまでは。》


 誰かはわかっていない、か。いや、わかってはいるけれど教えてくれないだけかもしれない。どちらにせよ、いまはわからないのだ。

 しかし、訊くだけは訊いてみよう。


《まるるん:ちなみになごさんは怪しいと思っている人はいますか?》


 少し間があいた。どう返すかに迷っているのだろうか。

 そう思っているうちに、ポンという音が鳴る。


《なごさん:いるにはいます。ですが、ここで伝えるのはやめておきます。》


 なごさんは続けた。


《なごさん:今度、一度会って話をしませんか?》


 それは、直接面を向かって話をしたいということ。いつ切り出そうかと思っていた僕にとっては、願ってもいない提案だった。

 だが、ここで喜びを露わにするのはよくない。足元を見られてしまう。ここは冷静に、言葉を選んで返そう。


《まるるん:構いませんが、お互いの住んでいる場所も違うでしょうし、少々難しいのでは?》


 僕のその言葉を予測していたかのように、なごさんはメッセージを返してきた。

 その内容は、僕の背筋を凍らせるには十分すぎる内容だった。

 拒否権はないような気がした。脅迫されているような、そんな気分だった。


《なごさん:私はあなたを知っています。一方的で悪いですが、明後日の放課後、学校最寄りの駅でどうでしょうか?》


 どうやら、なごさんは僕の通う学校のことを知っているようだ。

 もしかしたら、学校の知り合いの誰かかもしれない。



 6


 翌日。僕はまた真弓先輩と待ち合わせをしていた。真弓先輩がどうしても付いて来たいと言い出したのだ。


「ごめん、待った?」


 先輩はそう昨日と同じセリフを口にしながら改札を抜けてきた。


「同じ電車でしたよ」

「え、嘘! また?」

「嘘です」

「もー、やめてよ。びっくりしたじゃん」

「でも先輩が電車に乗り遅れたところは見ました」

「………………」


 途中駅で階段から駆け上がってきて無情にも扉に阻まれた先輩の姿を目撃した。

 黙り込んでしまったということはやはりあれは真弓先輩だったのだろう。


「さ、行きましょう」


 既視感のある光景だが、ひとまず神社へと向かう。

 鳥居から歩いて五分。やっと本殿である。大きな石階段を上り、本殿へと入る。僕は神に祈るつもりなどなかったのだが、真弓先輩が、


「折角だから願掛けをしておこうよ」


 というので仕方なく十円を放り込んだ。願ったのはこの世界の正しさ。それ以外に僕が望む物など、ありはしないのだ。

 本殿を出て、今日ここに来る原因となった中川の姿を探す。

 真弓先輩がおみくじを引きに行ってしまったので、その後に着いて行く。


「一回お願いします」


 真弓先輩に応じたのは、無愛想な少女の言葉だった。


「なんで真弓先輩までここにいるんですか?」

「別に一人で来いとは言われてないし」

「何なんですか。デートですか。後輩に仲睦まじく神社にきたところをみせて楽しいですか?」


 あまりの剣幕に押されてしまう。不機嫌なのか、こちらを見る視線も心なしか厳しい。普段あまりしゃべらない中川が饒舌だと、こっちの調子が狂ってしまいそうだ。

 真弓先輩は巫女服姿の中川に目を瞬き、そして言った。


「のっちゃん、こんなところでバイトしてたの?」

「悪いですか? 三島先生に紹介してもらったんですよ」


 勉強でもしていたのか、中川はそう返しながら紙と筆記用具を奥の戸棚の上に持っていった。

 そういえば、いま中川は何と言った? のどか先生に紹介してもらったと言わなかったか?


「先生に紹介してもらったの?」

「はい。先生も昔ここで働いていたらしいです」


 のどか先生が巫女服を着ている姿を思い浮かべてみる。あ、意外と似合うかも。

 って、そうじゃない。どうして中川は、僕をここに呼び出したんだろう。

 それを尋ねようとする前に、中川が僕に言った。


「仕事の邪魔なんで、これ引いたらさっさと帰って下さいね」


 中川が目で訴えかけてくる。話はまた今度だ、と言いたげである。そんなに先輩と一緒に来たのがダメだったのだろうか。

 百円を受け取った中川はこちらに木箱を押し付けてくる。そして、楽しそうな顔で木箱を振る先輩に向かって見定めるかのような目を向けた。


「さ、早く引いて下さい」


 僕も木箱を振り始める。よく混ぜておかなければ。

 真弓先輩が出てきた板に書いてある番号を中川に見せる。それを見て、中川は若干悔しそうな顔をしつつ、その番号の紙を棚から取って先輩へ渡した。


「やった! 大吉!」


 跳びはねそうなぐらいの真弓先輩は、その中身を読みながら中川に尋ねる。


「そういえばさ、のっちゃんは何か『カミサマ』について知っていることはない?」


 それを聞き、中川は表情を硬くし、警戒心を露わにした。こうやって見ていると、案外表情が変わっているのがわかる。そこまで無愛想ではあっても、無表情ではないようだ。

 僕は二人の会話に耳を傾けながら周りを見る。お守りや熊手、御神酒、いろいろある。ふと先程登ってきた石階段の方に目を向けると、想定外のものが目に映り、動揺する。

 そこにあったのは、こちらを見る僕の母の姿だった。目が合いそうになったが、逸らされる。

 一体こんなところで何をしているのだろう。何をしようというのだろう。今日僕がここに来るというのはわかっていたはずだ。それなのに来るということは――


「卓くん、どうかした?」


 真弓先輩に声を掛けられ、我に返る。

 二人の会話の内容を思い返す。確か中川は何も知らないと答えたのだったか。それに対して先輩は本当に知らないのかと追求し、中川が知らないと再度拒絶の意思を見せた。


「いつまで振ってるんですか」


 そう言われ、やっと木箱をひっくり返す。

 番号を伝えると、中川に微妙な顔をされた。


「引き直した方がいいですよ」

「いや、いいよ」

「…………」


 不満げな中川から渡されたのは、凶の運勢のおみくじ。

 だから言ったじゃないですか、と言わんばかりの視線に苦笑いして、その中身を見ていく。運勢が悪くとも、中身が悪くなければきっと大丈夫なはず。


 願望:叶わない

 縁談:破談する

 交際:よく考えないと失敗する

 産児:心配ない

 病気:重くはならない

 転居:避けた方がいい

 事業:理解者を探すと吉

 試験:慢心すると失敗する


 踏んだり蹴ったりな結果だった。願望は叶わないし縁談は破談。交際もよく考えないと失敗すると来た。

 渋々もう一枚百円玉を取り出して、中川に渡した。再び木箱を振る。

 ピロリロリロ。ピロリロリロ。どうやら携帯の着信音のようだ。僕のではないし、中川も仕事中だから持っていないのではないか。だとすると残るは。


「あ、私だ。ごめんね。ちょっとあっちで電話してくる」


 そう言いながらその場を離れた真弓先輩を目で追いつつ、木箱を逆さまにする。

 出たおみくじは、大凶だった。しかし願望は耐え忍ぶと吉とあるし、事業は理解者が見つかるとある。交際も待ち人来たると書いてあるし、そこまで悪くないではないのだろうか。

 そう思い、百円玉を中川に渡す。中川はそれを受け取るとまた木箱を渡そうとしてきたが、僕はそれを中川に押し返した。


「中川も引いてみなよ」

「はぁ。わかりました」


 不景気そうな顔とは裏腹に、出たのは大吉だった。羨ましいなぁと思いつつ、その中身を見る。願望は叶うとあるし、交際も想い人と結ばれるとある。他も至って悪いところがないし、かなり良い。

 見ていてこっちが嬉しくなってきてしまい、笑みがこぼれる。


「先輩、気持ち悪いです。何で先輩が喜んでるんですか」

「羨ましいなぁと思って」

「そうですか。あ、先輩はちゃんと結んでいってくださいよ。悪運はここに留めておいた方が安全だと思います」


 確かに凶を二つも引いちゃっているし、しっかり結んでおかないとなぁ。下向き、だったっけか。確か聞き手と逆で結ぶといいのだったか。試しにやってみる。そこまで難しくはないな。あ、上向きになってしまった。やり直し。また上向き。やり直し。三回目でようやく下向きに結べた。もう一つのを結ぶのには四回かかった。

 僕がおみくじを結び終わると、中川の許へと舞い戻った。

 横目で真弓先輩をみる。まだ電話中のようだ。結構な長電話だが、どうしたのだろうか。急な用事が出来たのなら、別に僕に構わず帰ってしまっても大丈夫なのだが。

 中川はどこに隠し持っていたのかわからない黄色の財布から百円を出して押しつけた。先程のおみくじの料金だろう。


「私、もう上がるのでちょっと待っていてください。折角なんで一緒に帰りましょう」


 そう言うと、中川は奥へと引っ込んでしまった。真弓先輩もまだ電話が終わっていないようだし、待つのは構わない。

 しかし、中川は一体今日ここに呼び出してなにを話そうとしていたのだろう。中川は昨日、電話では出来ない話だと言っていた。それは僕が電話を切って逃げ出してしまうからか、それとも、自分が電話を切ってしまうからか。

 どちらかはわからないが、ともかく直接会わないと話せないほど、言うのに勇気が必要なことなのだろう。

 勝手にそう解釈して、中川と真弓先輩、二人が戻ってくるのを待った。



 上ってきた大階段の上から景色を眺める。年明けだと異様に長い行列が拝めるのだが、いまはまばらに人がいるだけ。しかしそのおかげで素の景色が見れるので案外悪くない。


「お待たせしました」


 中川が着替え終わったのだろう。そんな声が聞こえた。声がした方に振り向こうとしたとき、僕の背中を強い衝撃が襲った。

 体が宙に浮く感覚。二度目だがやはり慣れない。


「卓先輩!」


 中川の悲痛な叫びが耳に飛び込んでくる。

 時間が妙にゆっくり流れているように思えた。

 僕はなんとか首を後ろに向ける。目を丸くする真弓先輩、いつもの無愛想を崩し絶望に染まった顔を見せる中川、そして――


「ふざけるな! 角山奈緒!」


 その叫びが心の中だったのか、声に出ていたのか、僕にはわからない。

 ただ、自分で子を突き落としたのにも関わらず呆然とした表情を見せる母――角山奈緒に対する怒りがあったのは紛れもない事実だろう。

 死にたくない。

 強く、そう強く願いながら、僕の意識は暗転する。

 僕はまだ死ぬわけにはいかないのだ。父の無念を、晴らすまでは。

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