序章
初めまして? お久しぶりです?
何はともあれお読みいただきありがとうございます。
あらすじ欄にも記載しましたが、本作は以前電撃大賞で4次選考まで進んだ作品を改稿したものとなります。
直近の電撃大賞では1次落ちしているので期待しすぎると損します。それを踏まえてどうぞ。
僕の両親はとても気前がよかった。いや、実際には母の方はそうではなく、ただ父に押し切られていただけだったというのが後にわかったのだが、少なくともそのときの僕は自分の両親を気前がいい両親だと思っていた。
その日も、僕が部活の大会で友達と共に賞を取った祝いという名目で旅行に来ていたのだ。
忙しくしていた父も母も休みを取り、久しぶりの一家団欒だった。生憎の雨で視界不良気味だったが、何の問題もなく宿泊先のホテルに到着した。
「父さんはどう? 仕事の方は。企画通りそう?」
僕がそう尋ねると、父はその縦長の朗らかな顔をくしゃくしゃにして笑った。父の癖だ。嘘を吐くときによくそうする。恐らく、厳しいのだろう。最近は残業も続いていて、家に帰ってきてからもいつも難しい顔をしてパソコンに向かい合っていたし。いや、それは今日こうやって旅行に来るためかもしれないのだが。
折角のお盆の休暇だと言うのに、仕事の話を出してしまって申し訳ない気持ちになる。
「そっか。なんかごめんね」
「え、ばれてた? あちゃー。ダメだなぁ僕も。ちゃんとこういうときは頼もしいお父さんでありたいのに」
自分では気付かれていないと思っているのだから、これまた不憫だ。
しかし、僕も父が嘘を吐くときの癖に気が付くのにはかなりの時間を要したので、他の人は気付いていないのかもしれない。
「十分だよ。そうやって僕たちを安心させようとしてくれるでしょ? しかも、僕たちには父さんの嘘が見抜けるから、そうやって安心させようとしてくれてるのも伝わってくるし」
僕がそう言うと、父は苦笑した。でも実際、とても頼もしいと思っていた。こういう父の人間らしいところが、僕には安心できたのだ。
そのときに父が冗談半分で「嘘がばれるんじゃあ、おちおち浮気もできたもんじゃないなぁ」と言って母がぎょっとし、ちょっとした修羅場になったのもいい思い出だ。
父は所謂普通のサラリーマンだった。歳は四十代前半で社内での信頼は厚く、一応課長クラスまでは出世している。背も高くスタイルもよく、ちょっと抜けているところと服のセンスが壊滅的なところを除けばまあ悪くない男だったと思う。
だから皆が皆、生き残った落ちこぼれの僕を責めた。なぜ、あの人が死ななきゃいけなかった。お前のせいだ。そんなことを言われた。散々な言われようだった。
父はこうなることを望んでもいないし、予期してもいなかったのだろう。いや、わかっていたのかもしれない。わかっていてその上で、自分を犠牲にして僕を救ったのかもしれない。まったく、本当に物好きな人だ。僕が父のような、他の人から必要とされるような人に化けるわけがないだろうに。
「散歩に行こう」
雨の降りしきる窓の外を見てそう言った父を、僕は止めるべきだったのだろう。しかし、久しぶりの遠出に僕は舞い上がっていて、冷静な判断をすることができなかった。いや、これはただの言い訳だ。舞い上がっていようがいまいが、僕はきっと父を止められなかった。父は周りを巻き込んで動けるような、そういう人間だったから。
母は濡れるのが嫌だとか言う理由でついてこなかったが、恐らく体力を使うのが嫌だったのだろう。夜のために。一応僕も高校生だ。そのぐらいは理解できていた。母が今日はやる気だと言うことを、僕も父もなんとなく察していた。だから、ついてこないことに対して僕らは何も言わなかった。もともと母は体力がある方ではなかったし。
外は夜だということもあって暗く、それに拍車をかけるように雨が視界を塞いでいた。歩いている僕たちはいいが、車に乗っている人たちからは歩行者など見えなかったのだろう。いや、こんな雨の中を歩いている人がいること自体を想定していなかったのか。だから、あんなことが起きてしまった。
しばらくは無言で歩いた。何かを話そうにも雨音がうるさくて届くとも思わなかったし、そもそも言葉がないだけで雰囲気が悪くなるような関係ではない。
だから話をするとすれば、信号を待っているようなやることがない時間なのである。
「お前は最近、何か面白いことあったか?」
「え、何? 全然聞こえない」
傘に打ち付ける雨の音で、全然父の声が聞き取れなかった。
父もそのことがわかったようで、苦手だろうに大きな声で話し始めた。
「最近、何か面白いこと、あったか?!」
面白いこと。そう言われて真っ先に思いついたのは、先日の大会の優勝だった。
しかし、それは父も知っていることなので、それ以外のことで何かあったかと問われているのだと判断し、他に何かあったかと考えた。
結局特に思いつかなかったので、僕は直近の嬉しかったことを答えることにした。面白いことではなくなってしまったものの、そんな些細なことを追求するような人ではないことを知っていたから。
「今日ここに来れたことが一番嬉しいよ!」
大声で返す。すると父は、僕の答えに感激したのか、涙を流し始めた。
自分が濡れることも厭わずに傘を放り出し、僕を抱き上げる。
濡れた父の手で僕の服は濡れてしまったが何も言わない。だって、それは無粋だから。ちゃんと息子として、親孝行しないと。そう思って父の温もりを感じながら目を瞑っていた。
――それが仇となる形だった。
甲高い音を聞いて気付いたときには、僕は宙を舞っていた。背中から地面に打ち付けられ、息ができなくなる。
それでも無理矢理に体を持ち上げ、辺りを見渡す。まず目に映ったのは銀色の車。父の姿は見えなかった。しかし、交通事故が起こったのだということは理解できた。父が僕を投げて、僕を助けようとしてくれたこともわかった。僕は身長の高さからしてみれば体重が足りない痩せ形だった。運動をして筋肉のある父が僕を投げるのは、容易ではないとはいえ不可能ではなかったのだろう。火事場の馬鹿力と言うやつかもしれない。
近くにあった電信柱に手を伸ばし何とか立ち上がる。目を凝らして銀色の車の向こうに見えたのは、父だったモノ。すぐに父だとは認識できた。しかし、それは僕の知る父の姿ではなかった。ニュースの怖い言葉で言うと、全身を強く打ち、だろうか。
僕は息を整えつつ、自分の腰ポケットから右手でスマートフォンを取りだした。何を血迷ったのか、警察に連絡するよりも先に車のナンバープレートをメモしていた。結果的にこれが功を奏したのだから、何とも複雑な気持ちになった。
メモを終わらせたと同時に、車のエンジンがついたのか、車はその場から大急ぎでその場から離れていった。いままで出てこなかったのは、エンジンを掛けるためかよ、と内心で愚痴をこぼしながら、警察へと電話をする。父が助からないことはわかっていたから、救急車を呼ぶのは遅かった。父の首は、体から分離を終えてしまっていた。
そのときは不思議と涙も出なかった。震えも何もなかった。母に連絡してすぐに来てもらったし、警察もすぐに到着した。無論、死亡確認用の救急車も。
その場で死亡が確認されて、その場に居合わせた僕に事情聴取がされた。僕は車のナンバーをメモしたスマートフォンを警察の人に見せ、一日と経たぬ間に父を轢いた男は逮捕された。
僕は恨めしそうにこちらを見るその男と目が合って、ふっとそのまま意識を失った。精神的に耐えきれなかったのだろう。
目覚めてみるとそこは自室のベッドの上だった。翌日は葬式だから手伝いをするようにと、久々に会った祖母に言われた。母はと言えば、塞ぎ込んでいた。このときはまだ、何も始まっていなかった。
恙無く(僕なりの皮肉である)通夜も葬式も終わり、そこで泣かなかった僕に親戚から薄情者だとかお前が死ねばよかっただとか言われたけれど、何も感じなかった。僕はこのとき、心が麻痺していたのだと思う。一人だけ、とても青い顔をしていた人が印象的だった。
そして葬式の片づけを終わらせて母と家に戻る途中で、母が車に撥ねられた。それでもまだ、僕は冷静でいられた。こうやって次々に僕の周りの人が死んでいくのだと、そう悪い方へと思考を運べるくらいには。
ふと周りを見た。人が一人撥ねられたというのに、皆素知らぬ顔で歩き去っていく。日常茶飯事だとでも言うのか。警察に電話しようとすら思っていないようだ。人間はこんなに薄情な生き物だったのか。そう思いながらも、僕はスマートフォンをポケットから取り出し、そして取り落とした。
母が無傷で立ち上がっていた。立ち上がっているその場所に血痕は残っている。その量が、色が、臭いが、それがいまここで起こった現実だということを疑いようもなく証明している。
それなのに。そのはずなのに。母は来ていた服を汚すこともなく、ただ鬱陶しいといわんばかりの表情で車が過ぎ去った方向を見つめていた。
目を疑った。捻じ曲がった世界を垣間見た気がした。しかし、この街で流れていた噂を思い出し、狂い出しそうになる自分を辛うじて正常に繋ぎとめる。
この街には、『カミサマ』がいる。そのおかげで、死んだ人は生き返り、盗られた金も返ってくる。
僕はそんな話を信じてはいなかった。幸か不幸か、僕の身の回りではそんなことが起こらなかったから。しかし、認めるしかない状況がいま目の前で起こっていた。
本来であれば母の生存を喜ぶべきなのだろう。しかし、僕の心はそれを認めようとしなかった。なぜ、母は生きているのか。なぜ、父は死んだのか。停止していた脳がぐるぐると思考を再開する。父が死んでから麻痺していたものが動き始めて、そのせいで逆に頭がおかしくなりそうになる。
「ほんと、お前が死ねばよかったのに」
耳に届いたのは、いつの間にか僕の傍まで来ていた母の、身も凍るほど冷めきった声。
何かが砕けた気がした。何かが失われていくような感覚がした。ガラガラと、僕の手にあったものが音を立てて崩れ去っていって――
最後に残ったのは、『カミサマ』を止めなければいけないという使命感。考えに考えて、一周回って母が生きていることに疑問を覚えた。
死んだならちゃんと――死ぬべきだ。
そう思った僕は、この馬鹿げた世界を壊すために動き始めることを決意する。
『カミサマ』とは何者なのか。死者が生き返るような滅茶苦茶な街だ。おとぎ話に出てくような魔女だったり、妖怪の類だったりするかもしれない。それこそ、その名の通りの『神様』だということも十二分に考えられる。
いまは何の手がかりもない。だが、絶対にその正体を暴き、この街を元に戻す。
それができるかどうかはわからない。でも、一つだけ言えることはあった。
それは、僕に諦める気がないということ。
僕が――丸山卓が壊れていくその様を、どうか見ていてくれ。
自分の過去も、気持ちすらも捨てて、『カミサマ』を止めることに執心した、哀れな少年の物語を。
そう宣言したくせに、何もできなかった僕のことを、笑ってくれ。
既に完結済みの作品のため、エタりがちな私でも完結しないということはありません。
改稿で納得がいかずペースが遅くなることはあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
加えて注意点。読んでいるうちに、矛盾点にいくつか気づくと思いますが、読み流していただけると幸いです。物騙の中核なので。