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幽導灯火伝  作者: 惟霊
76/82

76 伝説のライブ




 突如として体育館の真ん中に踊り出でて四方に殺気を放つ鬼女の存在に、誰もが目を奪われて息を飲んだ。気の弱い者はそのまま卒倒したので学校関係者もひたすら対応に追われた。


 一見しただけで誰もがその正体を認めることができた。気を失って倒れた者はまだ幸せ者であろう、悪寒を覚えて出入口に走った者達も圧倒的プレッシャーを感じ、常人は指一つ動くことができなくなった。まるで見えない重力に押さえつけられたかのように皆その場に釘付けとなっている。


 二本の赤い角を額に持ち、燃えるような赤髪をたなびかせる絶世の美人など、この世界に一人しかいない。四凶の一角にして紅一点、鬼女高姫。現代に生きる死の伝説である。その名を聞いただけで子供は泣き止み、大人は震え上がるという存在が、今まさに目の前で屹立(きつりつ)しているのだ。


 気まぐれな性格で出会った者の中には僅かばかりの生還者もいるが、その大半は生き血を啜られて殺されると噂されている。体育館の温度が一気に下がったかのような錯覚を覚え、夏の暑さなど忘れ去られていた。


 高姫の威圧は、たかり屋達のみならず善悪関係なく平等にのしかかる。このままではこれだけで死人が出てもおかしくない。床に膝をついて呼吸困難に陥る者も現れ始め、事態は一刻を争う状況となっていた。


 お富さんや藤原、金剛地ら教員にしてみれば、その辺のゴロツキなどものの数ではなかったが、相手がいわくつきの鬼女だとそうにもいかない。だがそれにもまして、なんで高姫がこの場に急に現れたのか皆目見当がつかなかった。教師陣も額に冷や汗を浮かべながら、どう対処すべきか判断に迷っていた。滑川が思わず叫ぶ。


「あいええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! なんで! 高姫様なんで!」


 体育館に集った一同が驚愕していると、根性のあるチンピラの手下が高姫に食って掛かっていた。顔面蒼白になりながらも仲間を助けようとする姿は、ある意味では義理堅いとも言えた。


「あ、兄貴を離せ、この野郎!」


 手下の男はきつく拳を握り締めて睥睨する高姫目掛けて右ストレートを放つが、次の瞬間には吹き飛ばされて体育館の端まで転がっていった。壁に激突する鈍い音が響き、男はぴくりとも動かなくなる。高姫の前にはいつの間にか黒髪メイド服の鬼女が立ち、その冷たい瞳は感情の欠片も宿していないようだ。高姫が片眉を上げて聞く。


「黒姫、お前まさか止めるつもりか?」


「いえ滅相もない。加勢いたしますわお姉様」


「くくくそうか、やはりお前は妾の妹よ。さて、己の都合の良いことばかりぬかすこ奴らをどう料理してくれようか」


 高姫が左手の赤い尖った爪を自由に伸ばすと、ならず者達から悲鳴が上がった。爪は刃物のように鋭く、照明を反射してぎらりと光る。幸い標的は彼らだけであるようだが、このままでは由緒ある灯士の学び舎たる新宿灯青校で凄惨な殺戮が繰り広げられてしまうことは想像に難しくない。床に這いつくばるチンピラ達は、もはや先ほどの威勢など微塵も残していなかった。


 しかし誰が彼女を止められようか。いや、止められない。止めようがない。学校関係者の灯士達でも校長の野田信厳をもってしても役不足である。


 だが一人、そんなこともお構いなしに飄々と舞う蝶のように割って入る少年がいた。彼は人好きのする爽やかな笑顔で近所の顔見知りに挨拶するように気楽に声をかける。


「やぁお二人とも、一別以来でございます。ご機嫌いかがですか?」


「良いわけあるか! なんだ光太郎、妾はお前達のために不届き者らを成敗しようというのに、邪魔立てするつもりか!」


 高姫の怒りは火を吹くが如く強烈だが、光太郎は意に介せず言葉を続けた。


「灯士は神仏のとりなしをなす者であり、人を裁きは致しません。それよりも高姫様、せっかくのお目見えの機会です、もっと楽しいことをしませんか?」


「……はぁ? お前はなにを言ってーー」


「では先輩方、お願いします!」


 光太郎が一際大きな声を上げるとステージに降りていた緞帳(どんちょう)が上がり、ドラム、ギター、ベースといったバンドの編成が現れた。スポットライトが楽隊を照らし出し、雰囲気を一変させる。


 会場をつんざき唸るギターに続いて腹まで響くベースの重低音、情熱のドラムソロが鳴り響き、恐怖に色を失った世界が一気に華やいで活力を取り戻す。


 音楽の振動が体育館の空気を震わせ、人々の心に希望の光をともしていく。高姫は呆気に取られてぽかんと口を開け、鬼術が解かれたためにたかり屋のリーダーがどさりと床に這いつくばる。どうやら命に別条はないようだ。


「こ、光太郎。これはなんじゃ」


「はい、あれに見えますは当校が誇る少女灯歌劇隊しょうじょともしびかげきたいのメンバーです。喫茶店での一件で僕は思ったんですよ、高姫様は素晴らしい歌と踊りの才能をお持ちであるのにそれを披露する機会がないのは残念だなと。ですがそんな僕の元へある日天神様が現れてこう告げました。高姫様のためにライブステージを用意せよ、と」


「あっ……かっ、な、なんだと? 妾の、ために?」


 高姫の面差しに初めて見る感情が宿った。それは純粋な驚きと、長い間忘れていた喜びだった。


「そうですよ、高姫様の影響を抑えるための秘法も伝授していただきましたので、お気の召すままに歌って踊っていただいて結構です」


 高姫は自分の動かなくなった心臓がドクンと跳ねた気がした。開いた口はふさがることを知らぬまま、目の焦点は泳ぎに泳ぐ。光太郎の提案は麻薬以上に蠱惑的に高姫の心情に作用した。何百年という長い時を生きてきた彼女にとって、黒姫以外の誰かが自分のために何かを用意してくれるなど、いつ以来のことだろうか。動揺する気持ちを落ち着け、ようやく出て来た言葉は否定的なものだった。


「だ、だが、妾は四凶と呼ばれる鬼女じゃ。誰がそんな女の歌を聞いて喜ぼうか……」


 その声には長年積み重ねてきた孤独の重みが滲んでいた。人々から恐れられ、忌み嫌われる存在である自分が、まさか今更歓迎されるはずがないという諦念が心を支配していた。


 だが次に南結子が興奮して勢いよく立ち上がった。彼女の目は輝き、まるで子供のようにはしゃいでいる。


「はいはいはい! 私、聞いてみたいです! 高姫様が歌うの見てみたい!」


 高姫はちらりと横にいる黒姫を見た。彼女は嘆息して言う。その表情には呆れと共に、姉への確かな親愛が隠されていた。


「はぁ、どうぞお姉様のお気の済むままに」


 桜井咲が舞台上でマイクを取り姉妹を誘う。その声は明るく、温かい歓迎の気持ちが込められていた。


「さぁお姉様方、こちらにおいでください!」


 高姫はしずしずと黒姫の手を引いて体育館のステージ上へと昇った。その足取りは初めて舞台に上がる少女のように、おずおずとしていた。


「お集りの皆様、はなはだ急ではございますが、只今より高姫様黒姫様を加えた新編成で新宿少女灯火歌劇隊の特別講演を行います! どうぞお二人に盛大な拍手を!」


 体育館はあまりの急展開にしんと静まり返っていたが、咲の呼びかけに真っ先に反応して立ち上がった野田信厳によって大きな拍手が返されると、次第にその音は大きくなり、万雷の声援がステージ上の高姫に向かって降り注いだ。会場の恐怖は期待へと変わり、人々の顔に好奇心と興奮が浮かび上がる。沢田父も困惑と安堵の表情を浮かべながら、妻と共に拍手を送っていた。


 高姫は歓喜に打ち震えていた。この瞬間、彼女は四凶の鬼女ではなく、一人の表現者として認められようとしていたのだ。メンバーのドラム担当がスティックをくるくる回しながら話しかける。


「聞きましたよ、うちらの曲を全部歌えるそうですね! なんの曲でも行けますよ!」


 ベースを持つリーダーも高姫を促す。


「ぶっつけ本番ですが、咲が太鼓判を押すくらいだから期待してますよ! よろしくお願いします!」


「あっ、あぁ……」


 咲は今に至っても心ここにあらずな高姫に無理やりマイクを押し付けて、にこりと笑う。


「さぁ高姫様、みんなが姫様の歌を心待ちにしていますよ」


 高姫が会場を見渡すと、先ほどまでの恐怖を忘れて皆一様に興味津々な様子で舞台上を見守っていた。学生達も目を輝かせ、大人達も身を乗り出している。遠くにはこっそりと脱出しようとしているならず者達が通報により駆けつけた警察により連行されているところが見える。彼らの顔には無事に生きて帰れる安堵と逮捕される不安が入り混じっていた。


「光太郎君、準備オッケー?」


 体育館脇にいる光太郎は祈りながら頭上で大きく幽導灯を振り回した。無言のうちに薄く青白い清らかな結界が体育館全体を包み込み、これにより準備は万端整った。聴衆の期待はいやがおうにも高まった。


「最初の曲はなんにしますか?」


 咲の質問に高姫が振り返り小声で曲名を告げると、ドラムはスティックを打ち鳴らしてカウントを取り、後に伝説となった一夜限りのライブコンサートが幕を開けたのだった。





 ※ちなみにこの時高姫が歌ったのは「色は匂へど散りぬるを」や「指先チョコレイト」「月に叢雲華に風」「Bad Apple!!」などです

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