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幽導灯火伝  作者: 惟霊
75/82

75 説明会の波乱



 怪異による連続神隠し事件の解決から時が過ぎ、六月の梅雨は傘を閉じて汗と灼熱の七月が訪れた。アスファルトが陽炎を立ち上らせた日の午後、新宿灯青校の体育館は冷房設備があるとはいえ集まった人々の熱気で蒸し暑さを増していた。


 官民合同で行われた慰霊祭も終わり、新宿灯青校において土曜の夕方に改めて説明会が開かれるに至った。体育館の中央には司会者側の長机が設置され、それに向かってパイプ椅子が整然と並べられている。椅子の脚が床と擦れる音が時折響き、集まった人々の緊張感を物語っていた。


 この会には事件に巻き込まれた当事者達が招かれており、官公庁の許可の元、被害者により詳細な内容が語られる手筈となっている。会場の入り口では受付の職員が参加者名簿と照らし合わせながら、一人一人を丁寧に案内していた。


 あらゆる媒体の記者も揃っていたが、椅子が足らなくなるのでマスコミは最小限に抑えられていた。それでも後方にはカメラマンが三脚を立て、記者達も手帳を広げて待機している。


 しかしなにかとコネのある月刊灯青校記者の南結子は当然のように最前列のいい席を確保していた。彼女は涼しげな白いブラウスに紺のスカートという出で立ちで、膝の上に置いた資料をチェックしながら鋭い視線で前方を見つめていた。


 司会進行は演台に立っている教頭の藤原で、彼の額には既に汗が浮かんでいる。横の長机には校長の野田信厳が涼しい顔で座り、その隣には担任の依子が背筋を伸ばして控えていた。事務員など学校代表者も神妙な面持ちで席についている。光太郎達学生の当事者は後方で見守っていた。これは個人情報の保護のためでもあるし逆恨みから生徒を守るためでもあった。


 体育館の壁には児童連続失踪事件説明会と書かれた横断幕が掲げられ、その下には献花台が設けられていた。白い菊の花が静かに頭を垂れ、線香の煙が天井へと立ち昇っている。


 説明会は時刻通り午後六時に始まった。藤原教頭が咳払いをして口を開く。


「本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。まず初めに、今回の事件で犠牲となられた方々に哀悼の意を表します」


 会場全体が静まり返り、一分間の黙祷が捧げられた。その後、事件の概要説明が淡々と進められていく。プロジェクターには事件の経過を示す図表が映し出され、藤原の説明に合わせてスライドが切り替わっていった。


 アクシデントなく進んでいたが、質疑応答に及んでしばらく経つとにわかに不穏な雰囲気が漂い始めた。会場の中ほどから手が挙がり、マイクが回される。立ち上がったのは金髪に染めた髪を逆立て、派手な柄シャツを着崩した男だった。その自称被害者であるという父親がマイクを持って学校側を糾弾する。


「だからお前達がもっとしっかりしてたらこんなことにはならなかったんじゃねーぇのかっつってんだよ!」


 その男は見るからに胡散臭そうな不良のいでたちで、酒臭い息を吐きながら大声でまくしたてるものだから、隣に座っている男性も迷惑そうに身を縮めていた。男の首筋には派手な刺青が覗き、指には金の指輪が幾つも光っている。


 藤原教頭は眼鏡を直しながら冷静に応じた。


「……新宿灯青校は国が運営する灯士養成校ですから要望があればそちらへ申し出てください。では次の方」


「俺の話は終わってねーぞ! てめぇらの不始末で俺の子供がいなくなったケジメをどう考えてんだっつーの!」


 男の怒号が体育館に響き渡る。すると彼の周囲から同調する声が上がった。


「誠意を見せろよ誠意をよぉ!」


「そーよそーよ!」


 よく見ると不良男が座る一帯には同じようにガラが悪そうな男女が座っており、まるで示し合わせたように悪態を吐いている。女は派手な化粧に露出の多い服装、男達は皆一様に威圧的な態度を取っていた。体育館はにわかに剣呑(けんのん)な気配に包まれていた。


 藤原教頭は目を細め、額の汗を拭いながらも毅然とした態度を崩さない。


「ですから賠償が欲しいのであれば警察でも裁判所でも自由に行って下さい、止めませんので」


「おうおうそんな言い方はねぇんじゃねぇか? こっちが下手に出てりゃあいい気になりやがってよぉ!」


 不良男とその一派が勢いよく立ち上がると、椅子が大きな音を立てて倒れた。周りに座っていた父兄達が急いで離れていき、会場にざわめきが広がる。子供を抱いた母親が怯えたように場を離れ、記者達もカメラを構えて事態の推移を見守っていた。


 その時怒声とともに立ち上がって糾弾する者がいた。沢田秀一の父である。


「いい加減にしろお前達! 誰が命をかけてわざわざ魔界に出向いて問題を解決してくれたのかわからないのか! 大体あんたらがそんな風だから子供達も嫌になって攫われたんじゃないのか?」


 沢田父の顔は怒りで紅潮し、拳を握りしめて震えていた。息子を失った悲しみを乗り越え、今は灯士達への感謝の念を抱いている彼にとって、この不良達の態度は許し難いものだった。


「なんだてめぇは、言いたいこと言いやがって! お前から先にぶっ殺されてぇのか!」


 不良男が拳を振り上げて沢田父に向かって歩き始める。その巨体が迫る度に床が軋むような音を立てた。


「あなたやめて!」


 沢田母が必死に夫の袖を引いて下がらせようとしていたが、沢田父は怒りに震えて相手を睨みつけていた。彼の心中には、息子の遺志を汚されたことへの憤りが燃えていた。


 異変を感じて最後尾で見ていた光太郎達が立ち上がった。八塩も滑川も中田も佐々木も、皆一様に緊張した面持ちで前方を見つめている。しかし、近くにいたお富さんがそれを制した。彼女は相変わらずの豪快な笑みを浮かべながら、太い腕で生徒達を押し留める。


「あんた達は十分すぎるくらい仕事をしたんだからここはあたし達大人に任せときな、ねぇ金剛地先生」


 名指しされた金剛地が立ち上がり、その巨躯が影を作る。筋骨隆々とした体格は、不良達にも劣らない迫力を放っていた。


「うむ! 人間相手は久しぶりだから腕が鳴るなぁ! ガハハ!」


 滑川が心配そうな表情を浮かべた。


「えぇ……穏便にお願いしますよ先生方」


「そいつは相手方次第だろうねぇ」


 お富さんがニヤニヤ笑って指を鳴らす。パキパキという音が不気味に響き、他の先生方も立ち上がり始めた。頼もしいやら止めた方が良いのやら生徒達が困惑している中、文字通り事態は急変した。


 ターゲットを変えて不良男が沢田父に殴りかかろうとしたその時、突如として悪漢は宙高くに浮いて両足をばたつかせた。まるで見えない手に首を掴まれたかのように、地面から三メートルほどの高さで苦しそうにもがいている。不良男は苦しそうに首元を両手で掴んでなにやら喚いているが、まるで抵抗できていない。


 会場が一瞬にして静まり返った。誰もが息を呑み、宙に浮く男を呆然と見上げている。そして皆が気づいた。いつの間にか騒動の真ん中に、一人の女性が立っていることに。


 それをなしたのは黒東校の先生方でも光太郎でもなかった。いつの間にか優雅に扇子を振る妙齢の美女が一人、いや鬼女が一人中央に現れた。彼女は黒いドレスに艶やかな赤髪を高く結い上げている。その美貌は人間離れしており、妖艶という言葉がこれほど似合う存在もないだろうが、今は酷薄(こくはく)な微笑を浮かべ、周囲の空気は一瞬にして凍り付いた。


「黙って聞いておればたかることしか知らぬ卑しい雑魚どもが忌々しい、この高姫を怒らせたこと、あの世とやらで後悔するがよいわ!」


 刹那として高姫の瞳孔が獰猛な獣のように細くなり、額に赤い二つの角が生えた。その角は血のように赤く、尖っている。彼女の周囲は怒気で空間が歪み、禍々しい邪気が渦を巻いて広がっていく。


 会場をパニックが襲った。悲鳴が上がり、鬼気に当てられてある人は貧血のような状態で倒れ、ある人は出口に向かってひた走った。


 椅子が倒れ、書類が舞い散り、恐れおののく人々の悲鳴や足音が戦場のように鳴り響いた。記者やカメラマン達も仕事を放り出して逃げ出そうとしたが、南結子だけは最前列で震えながらも、その光景を凝視していた。彼女の心には恐怖と同時に、ジャーナリストとしての興奮が宿っていた。


 阿鼻叫喚(あびきょうかん)の舞台となった説明会はここに来て、最悪な時を迎えようとしていた。

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