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幽導灯火伝  作者: 惟霊
74/82

74 弔問2




 依子が口を開き、その台詞は静かに、しかし確かな重みを持って玄関に響いた。


「――尊き使命に命を捧げて尽くされたことを顕彰し、ここに哀悼の意を表します。ご遺品をお受け取り下さい」


 光太郎は恭しく校旗が乗せられた桐箱をそのまま父親に渡した。桐箱の木肌が差し込む朝の光を受けて鈍く輝いている。父親が目線で開けて良いかと問うてきたので、目礼で返す。


 震える手で沢田父が桐箱を開けると、中から鞘に入った吉祥降魔灯が姿を現した。


 降魔灯は幽導灯には劣るとはいえ、神仏を宿す神籬であり灯士の魂だ。遺体は帰ってこなかったが、その魂は無事に帰還したのだ。父親は涙ながらにそれを胸に抱いて呟いた。


「秀一……よく帰って来たな。えらいぞ」


 その声は掠れていたが、息子への深い愛情に満ちていた。父親の様子が遠巻きに見ている聴衆に伝わって、そこここからむせび泣きが聞こえてきた。


 年配の女性が袖で目元を拭い、若い母親が子供を抱きしめながら涙を流している。しかし黒東校弔問隊は毅然とした態度で直立していた。白い制服の背中だけが朝日を受けて眩しい。


 沢田父は桐箱の中にもう一つ、年季の入った学生ノートが入っているのを見つけた。使い込まれた様子から、息子が大切にしていたものだとわかる。


「これは?」


「秀一君が霊界での出来事をまとめていたノートです」


 光太郎の声は落ち着いていたが、その瞳には深い敬意が宿っていた。


「これにより迅速に生き残った被害者の子供達を親元に返すことができました。学校を代表しまして厚く御礼申し上げます。最後のページをご覧ください。秀一君の遺言が書かれています」


 父親が震える指でページを繰り息子の遺書を読もうとするが、涙で文字が滲んでとても読めそうにない。眼鏡を外して目元を拭うも、新たな涙が次々と溢れてくる。打ちひしがれている妻に渡そうとするも、彼女はまるで現実を受け入れることを拒むかのように激しく頭を振って拒否をした。


 そこで父親は光太郎を見上げて懇願する。


「代わりに読み上げてはもらえませんか?」


「はい、喜んで」


 光太郎は両手でノートを受け取ると、該当のページを開いた。沢田少年の筆跡は几帳面で、最後まで乱れることなく綴られていた。深く息を吸い込んでから、光太郎は読み上げ始めた。


「では沢田秀一君の遺言を代読させていただきます。拝啓お父さん、お母さん、お元気でお過ごしですか。僕は今、急いでこれを書いています。同じ灯青校生の仲間達が来てくれたので、ようやくこの霊界から脱出する希望が出てきました。でも問題が解決しても、もう自分はそちらには帰れません。それほどまでに長い時間をここで過ごしてしまいました」


 母親の肩が小刻みに震え始めた。嗚咽を必死に堪えているのがその背中から伝わってくる。


「ただ一つの心残りは母さんと仲たがいしたままになってしまったことです。母さんは僕が灯士として活動することを最後まで反対していましたが、僕は後悔していません。僕でなければ光太郎君達を案内することはできなかったし、少なからず仲間となってくれた子供達に希望を与えることはできなかったと思います。結果としてお父さんお母さんよりも先に旅立つことになりましたが、僕は誰も恨んではいません。だからどうぞ二人ともこれからの人生を前向きに楽しんでください。どうかそれが僕への供養になると思って下さい」


 門前に集まった人々の間からも、押し殺した泣き声が漏れ始めた。


「庭の金木犀は元気ですか? 母さんはあの香りが好きでしたね。金木犀は挿し木でないと増えません。人の善意が無いと育たないのです。母さんは灯士が憎いと思いますが、どうか恨まないでください。これからは温かく見守ってください。あなたの息子もまた、灯士なのですから。僕は二人の子供に生まれてこれて幸せでした。心よりの感謝を伝えます。ありがとうございました。敬具……以上です」


 光太郎は遺品のノートを丁寧に差し出し、沢田父は震える手でそれを受け取った。古びた表紙に残る息子の温もりを、確かめるように撫でている。重い沈黙が流れる中、光太郎以外の全員が声を殺して泣いていた。滑川も、八塩も、担任として普段は気丈な依子でさえも、頬を涙が伝っていた。


「先生、号令を」


 光太郎の静かな促しに、依子ははっと我に返った。


「……はい! では総員気を付け! 抜灯! 捧げ灯火! そのまま英霊に対し……敬礼! 黙とう!」


 依子の号令に己の任務を思い出した弔問小隊は、慌てて各々の佩灯を抜いて眼前に構えると、敬礼しながら三分ほど故人の冥福を祈って黙とうした。降魔灯から放たれる淡い光が、朝の空気に溶け込んでいく。


 依子の直れの声で黙とうを終え納灯して最後に全員で一礼すると、回れ右をして退去しようとしたが、

そこに沢田母が追いすがってきた。よろよろと立ち上がり、光太郎達の背中に向かって叫ぶ。


「あなた達も死ぬような思いをしたんでしょう! なんでまだ灯士を続けられるの? ねぇなんでなの!」


 それは悲鳴に近い絶叫だった。二年間の苦悩と、息子を失った悲しみと、理解できない世界への怒りが入り混じった慟哭。光太郎は静かに振り返ると、真っ直ぐに母親の目を見つめて語り始めた。


「灯士は誰でもなれるものではありません、ましてや神様や人類のためになら喜んで死ぬくらいでないと人を救う神通力を授からないのです。だから僕は、もしこの先死んでしまったとしても本望です」


 光太郎の言葉は静かだったが、そこには揺るぎない信念が込められていた。


「いつか僕達が倒れる時があっても灯火は受け継がれていきます。法灯は連綿と紡がれ続けて終わることがありません。やがて一隅を照らす灯火が集まり大きな火柱となった時、全ての悲劇は報われるでしょう。秀一君の志は確かに受け取りました。僕達は必ずこれを後世に伝えます。どうぞ安心してお健やかにお過ごしください」


 母親の表情に、悲しみと共に戸惑いが浮かんだ。息子と同じ年頃の少年が語る言葉の重みに、心が揺れているのが見て取れた。


 光太郎の台詞を受けて、滑川が一歩前に出た。普段の傲慢な態度は影を潜め、真摯な表情で語り始める。


「秀一君のお母さん、僕は実は彼のことが苦手でした。自分より家格が下なのに人気があって実力もあって面倒見も良くて……正直嫉妬していました」


 滑川の告白に、中田と佐々木が驚いたように顔を見合わせた。


「ですが今回自分も騒動に巻き込まれて大いに助けられ、反省しました。僕は、僕達は秀一君の分まで粉骨砕身の覚悟で任務に臨むつもりです。今すぐわかって下さいとは言いません。でもいつかは認めてあげてください。誇りに思って下さい。あなたの息子さんは最後の瞬間まで立派でした。それを忘れないでください。よろしくお願いします」


 最後に滑川が深々とお辞儀をすると、沢田母の表情が変わったように見えた。嘆きと悲しみに満ちていた顔に、僅かながら理解の光が宿り始める。そして遂に堪えきれなくなったかのように、その場に泣き崩れた。


「秀一……秀一……」


 母親の慟哭はもはや怒りではなく、純粋な悲しみと息子への愛情に満ちていた。夫は優しく妻に寄り添い、光太郎達に向かって何度も感謝を述べた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


 弔問隊が再び隊列を整えて歩き始めると、門前に集まっていた人々が自然と道を開けた。誰もが無言で頭を下げ、手を合わせている。


 学校に帰る道すがら、弔問隊は思わぬ施しを受けることになった。最初は商店街の角で待ち構えていた初老の男性だった。


「おい、あんた達ちょっと待ってくれ!」


 酒の匂いを漂わせながら近づいてきた男性は、ポケットからくしゃくしゃの千円札を数枚取り出した。


「どうせパチンコでスッちまうから使ってくれ。若い灯士さん達の足しにでもしてほしいんだ!」


 依子は困惑した表情を見せたが、男性の真剣な眼差しを見て小さく頷いた。


「お気持ち、ありがたく頂戴いたします」


 光太郎も深く頭を下げた。すると、それを見ていた八百屋の主人が大きな紙袋を抱えて駆け寄ってきた。


「これ、今朝採れたばかりの野菜だ。みんなで食べてくれな!」


 袋の中には瑞々しいトマトやきゅうり、葉物野菜がぎっしりと詰まっていた。


「でも、こんなに沢山」


 依子が遠慮しようとすると、主人は首を横に振った。


「いいんだよ。俺っちも昔は灯士になりたかったんだ。こういう時くらい、何かさせてくれよ」


 その後も次々と人々が近づいてきた。金券を差し出す主婦、神事用に日本酒を渡そうとする老人、小銭を握りしめた幼児まで。


 思わぬ喧騒に戸惑いながら、光太郎は一人一人に丁寧にお礼を言っていった。八塩も最初は戸惑っていたが、次第に表情が和らいでいく。滑川も人が変わったように素直に感謝の言葉を述べていた。


 駅に近づいた頃には、弔問隊の手には様々な施し物が抱えられていた。依子が苦笑いを浮かべながら振り返る。


「なんだか宝船に乗った七福神みたいになっちゃったね」


 皆が顔を見合わせて小さく笑った。重い任務を終えた後の束の間の安らぎだった。


 ふとその時、光太郎は視線を感じて振り返った。集まった人々の外、街路樹の木陰に一人の少年が立っていた。沢田秀一だった。


 霊体となった彼は、生前と変わらぬ優しい笑顔を浮かべていた。制服は真新しく、まるで入学したての頃のように瑞々しい。ここで出会えたのはおそらく不動明王による粋な計らいであろう。光太郎と目が合うと、沢田少年ははにかんで笑った。


 それで光太郎も微笑みながら軽く頷きを返した。言葉は交わさない。交わす必要もなかった。思いの全ては伝わっていたのだから。


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