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幽導灯火伝  作者: 惟霊
70/82

70 吉三




 高姫は慌てて黒姫を説得する。赤い髪を振り乱しながら妹分に追いすがった。


「これ! いつ誰がお前にそんなことをせいと頼んだ! いいから早く帰るわよ!」


「お姉様のお言葉と言えど、こればかりは聞けません」


 黒姫の声は静かだったが、その中には鋼のような意志が込められていた。大鎌を構える手に一切の迷いはない。


「えぇい聞き分けのないことを言うな! なぜじゃ!」


 目をしばたかせながら高姫の全身から鬼気が放出され、額からは二本の赤い角が生えてきた。普段の妖艶な美貌が一変し、まさに鬼女の名に相応しい恐ろしい姿となった。しかし黒姫は微動だにしない。むしろその決意は一層固まったかのようだった。


 一方の光太郎はお取次ぎによる霊的消耗が激しく、もう戦う力は残されていない。


 姉の怒りに心を惑わせることなく黒姫はやっとの思いで立つ光太郎の目の前で大鎌を振りかぶる。黒姫が纏う妖気で怪しく光る刃は死神の鎌を彷彿とさせた。


 それを阻むように飛び出して来たのは誰あろう、松本姉妹だった。華が叫ぶ。


「お姉ちゃん、なんでそんなことするの!」


 小さな体を震わせながらも、華は勇敢に黒姫の前に立ちはだかった。ロリータ服の裾を握りしめ、涙を浮かべながらも決して退かない。


「……そこをどきなさい」


 黒姫の声には僅かな戸惑いが混じった。


「しないでしょ……しないよね!」


「どきなさい!」


「いや!」


「どきなさい!」


「どかない!」


 華の必死の抵抗に、黒姫の大鎌を持つ手が微かに震えた。望はじっと黙っているが華の少し前に立ち、何かあった時に妹を守れるように構えている。姉として、そして光太郎の家族として、彼女もまた覚悟を決めていた。


 二人の意を決した行動に動揺した黒姫は、ここにきて初めてたじろいだ。子供達の純粋な勇気は、時として常人の理屈を超えることがある。黒姫の瞳に一瞬、迷いの色が浮かんだ。


 すると黙って見ていた光太郎が優しく姉妹を下がらせてから跪いて合掌した。その動作は緩慢だったが、不思議と威厳があった。


「どうしてもと言われるのであれば是非もありません、しかしどうか僕の命だけでご容赦下さいませ。他の皆々はお見逃しの程、何卒よろしくお願いします」


 光太郎はそう言うと項垂れて安らかに目を閉じた。それはすでに覚悟の決まった様子で、真摯(しんし)静謐(せいひつ)であった。死を前にしても恐れることのない、諦観(ていかん)の境地であった。


 ならばと再び大鎌を振り上げた黒姫だったが、次の瞬間にはその凶刃を手放して己が頭を包み込んだ。大鎌は地面に落ち、甲高い金属音を立てた。


 彼女の瞳は光太郎を見ているようで見てはいない。その視線は虚空を彷徨い、やがて光太郎の背後に向けられた。そう、なにを隠そう光太郎の背後には一人の剃髪した僧侶が姿を現して、じっと黒姫を見つめていたからだ。


 その僧侶は漆黒の僧衣を纏い、神妙な面持ちをしていた。彼は咎めるでもなくただ静かに、なにかを乞い願うように黒姫を注視して合掌している。その姿は半透明で輝いており、まるで菩薩のようだった。


「あ、あなた様は、吉三(きっさ)様。そんな……どうして」


 黒姫の声は震えていた。普段の冷静な彼女からは想像もつかないほどの動揺が、その全身から溢れ出ていた。まるで過去の亡霊を見たかのように、いや、実際にそうなのかもしれない。彼女の瞳には恐れと、懐かしさと、そして深い後悔が入り混じっていた。


 その視線から逃れるように狼狽してヨロヨロと後退した黒姫は、ふいっと黒い瘴気の渦を呼び出して自分一人で逃げてしまった。メイド服の裾が闇に溶けるように消え、あっという間にその姿は見えなくなった。


 高姫はようやく見えてきた目でそれを確認して悪態を吐く。角を引っ込めながら、憤慨した様子で地団駄を踏んだ。


「えぇい薄情者め! 妾を残してさっさと一人で逃げよってからに! 待たんかこらぁ!」


 プリプリと激高した高姫は急いで黒姫を追いかけて行ってしまった。扇子をくるりと回して同じように黒い渦を作り消えていく。その後姿はどこか滑稽でもあり、同時に姉妹の絆を感じさせるものでもあった。


 鬼女らがいなくなりほっと安心した一同は、緊張した体をほぐした。滑川は苦い顔をしてうなだれた。額から流れる冷や汗を拭いながら、深いため息をつく。


「なんだったんだ今のは、心臓に悪い……」


 中田と佐々木も腰を抜かしたように地面にへたり込んでいた。命の危機が去ったことで、急に力が抜けたのだろう。


「なにはともかく命拾いしたようですね、光太郎さん、立てますか?」


 八塩が心配そうに光太郎の顔を覗き込んだ。


「ごめんね八塩君、どうにも無理みたいだぁ」


 跪いたそのままコテンと横になった光太郎は力なく笑った。どうやら本当に体力気力の限界であるらしい。花子との戦いで受けた傷は深く、さらに精神的な消耗も回復にはほど遠い。


「えぇいしょうがない。暁君、僕が背負うからおぶさるがいい!」


 滑川が勢いよく立ち上がり、光太郎の前にしゃがみ込んだ。


「悪いね滑川君、お世話になるよ」


「ふん、礼などいらない、困った時はお互い様だ! さぁ行くぞみんな! 僕に続け!」


 滑川の背に光太郎を背負い、一同は崩壊する霊界からの脱出を急いだ。周囲では天井が次々と崩れ落ち、地面には大きな亀裂が走っていた。


「お迎えが来ていない子供達も早く!」


 沢田は天からの使者が来ていない一部の子供達を連れて門の先へと促した。自分達の避難よりも目下の子供達を優先するのはさすが灯士と言えた。出迎えが来なくて不安がっていた子供達は必死に走った。


「よし、ここにいた子供達はあらかた避難したな、僕達も急がないと!」


 滑川が呼びかけたが、沢田少年の足が途中で止まった。振り返った彼の表情は複雑な思いをものがたっていた。


「どうしたんだ沢田君、早く行こう!」


「滑川君……君達だけで行ってくれないかい、僕はここに残るよ」


「なっ! なにを馬鹿なことを!」


 滑川の声が裏返った。光太郎を背負ったまま、信じられないという表情で沢田を見つめる。


「この霊界に来てからすでに長い年月が経っているんだ、僕の肉体寿命はもうとっくに尽きているから現世に戻っても浮遊霊になるだけなのさ、だから、ここでお別れだよ」


 そう言うと沢田は寂しそうに笑った。




八百屋お七

黒姫の正体は江戸時代に放火して処刑されたお七をモデルにしています。

小説や演劇などで話の筋は色々ですが、本作では寺の坊主である吉三に在りし日の黒姫が恋をして、女人禁制の寺に入るには放火して避難するしかないと思いついて実行し、それを人に見咎められて入牢しているところに吉三が火事被害者の襲撃によって刺殺され、失意のうちに自分も処刑されたという筋書になっています。

詳しく書くと長くなるし、しかし今後話に出せるか疑問なので小話として置いておきます

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