64 乱入
崩れ落ちた城の瓦礫が山のように積み上がり土煙が立ち込める中、八塩が必死に叫んだ。
「光太郎さん、返事をしてください! 光太郎さん!」
八塩をはじめ沢田や滑川達が懸命に呼びかけるが反応がない。大理石の破片や折れた柱が無造作に積み重なり、先ほどまでの豪華な城の面影は微塵も残っていなかった。重苦しい沈黙が流れる中、誰もが最悪の事態を想像し始めた時だった。
突然、瓦礫の一角が青白い光を放ちながら吹き飛び、その中から光太郎が何食わぬ顔で飛び出してきた。学生服には多少の埃がついているもののその表情は相変わらず涼やかで、ある種の余裕さえ感じられた。
「光太郎さん、無事ですか!」
八塩が安堵の声を上げると、光太郎は軽く埃を払いながら答えた。
「僕は平気だよ、でも花子さんの説得は失敗だ。余計頑なにさせてしまったよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、瓦礫の山が激しく震動し始めた。赤黒い瘴気が噴き出し、石礫が四方八方に飛び散る。そして禍々しさを増した花子が、まるで地獄の底から這い上がってきたかのように姿を現した。
先ほどまでの少女らしい面影は消え失せ、その瞳は憎悪と怒りで真紅に染まっていた。赤いケープは引き裂かれ、黒髪は逆立ち、全身から立ち昇る瘴気は形を成して無数の怨霊のように彼女の周囲を舞っていた。花子さんは怒りに震えながら光太郎を指さす。
「お前は何者だ! ただの灯士じゃないな!」
花子の声は地の底から響くような重低音を帯び、その一言一言が空気を震わせた。しかし光太郎は動じることなく穏やかに答える。
「あなたと子供達を救いたい、そう願っているだけですよ」
「減らず口を!」
花子さんは忌々しげに光太郎を睨んだ。そして次の瞬間、彼女は苦しげに呟く。
「……この手は使いたくなかったけどしょうがない」
花子が指をパチンと鳴らすと、どこからともなく三つの影が彼女の背後に現れ、宙に浮かび上がった。それは望と華、そして福だった。
「みんな無事だったかい? 酷い扱いはーー」
光太郎はそう言いかけて、思わず言葉を止めた。
見ると二人と一匹は、まるでマリー・アントワネットの宮廷から抜け出してきたかのような、きらびやかなロリータファッションに身を包まれていたからだ。
望は淡いピンクのドレスに白いレースのエプロン、頭には大きなリボンのついたヘッドドレス。華は水色のジャンパースカートに幾重にも重なったフリル、足元には白いニーソックスとエナメルの靴。二人の髪はセットされ、薄く化粧も施されていた。
そして福に至っては、頭に白いボンネット、首元には豪華なジャボまで装着されていた。ただ本猫的には遺憾のようで、望に抱かれながら耳を伏せ、鋭い眼光で花子の背中を睨みつけている。
「ーーされてないみたいだね」
光太郎が安堵の息をついた時、花子が高らかに宣言した。
「この子達を傷つけたくなかったら大人しくしなさい!」
「くっ……卑怯だぞ! 正々堂々勝負しろ!」
滑川が憤慨して叫ぶが、花子は耳を貸さない。
「卑怯? そんなのあたしわかんな~い、きゃはははははは!」
狂気じみた笑い声と共に、花子の放った無数の赤黒い蛇が津波のように光太郎に襲いかかった。光太郎は海王丸で防御の構えを取るが、人質を取られている以上、むやみな反撃に転じることができない。必死に躱し、受け流し、逃げ惑うことしかできなかった。
「逃げちゃダメでしょ~? この子達がどうなってもいいの?」
花子さんは嘲笑を浮かべながら攻撃の手を緩めない。蛇の群れは執拗に光太郎を追い詰め、逃げ場を奪っていく。その時、宙に浮かぶ華が叫んだ。
「やめて! どうしてこんなことするの? せっかくきれいなお洋服着せてくれたのに! お兄ちゃんなにも悪いことしてないよ!」
純粋な訴えに、花子の表情が一瞬歪んだ。しかしすぐに怒りに塗り替えられる。
「うるさい! 私の居場所を奪おうとするやつは敵だ! 灯士は全員敵だ!」
「お兄ちゃんは違うよ! 話をすればきっと花子さんもわかってくれるはずだよ!」
望も必死に訴えかけるが、花子の怒りは頂点に達していた。
「うるさい黙れ! 黙らないとほんとにお前達から潰すよ!」
花子が殺意を込めた視線を松本姉妹に向けた、まさにその瞬間だった。
静かに霊気を練り上げていた福が、突如として目を見開いた。その瞳は一瞬、深く青白い霊光を帯び、まるで古の龍神のような威厳を放つ。福は装飾品を一瞬にして振りほどき鋭い牙を剥き出しにすると、霊的呪縛を一気に突破した。
白い稲妻のような軌跡を描きながら福は花子の眼前に躍り出た。その小さな体からは想像もつかないほどの霊圧が放出され、周囲の空気が震えた。
「ニャァァァァァァン!」
凄まじい咆哮と共に、福は必殺の爪撃を繰り出そうと花子に飛びかかった。その爪は青白く輝き、まるで神剣のような鋭さを帯びていた。
「だめだよ福ちゃん!」
光太郎の制止も間に合わず、あわや花子が討たれようとしたその時ーー
突如として世界が暗転した。
瞬時に広がった暗黒の中で、望と華、福は気がつくと八塩達のそばに転移していた。そして花子もまた、無傷のまま元の場所に立っていた。
思わず自分の首筋を撫でて安堵した花子さんは、いつの間にか目の前に立っている二人の女性を見て、その顔が恐怖で引きつった。
一人は黒いメイド服に身を包んだ黒姫。もう一人は胸元が開いた艶やかなスリップドレスの高姫である。彼女は優雅に微笑んでいるがその存在感は圧倒的で、まるで空間そのものが彼女たちに跪いているかのようだった。
「お、お二人はまさか。黒姫様に……高姫様?」
花子さんの声は震えていた。妖魔の世界でも圧倒的格上の存在、四凶の一角として恐れられるニ姫を前に、先ほどまでの威勢は完全に消え失せていた。
「はぁい、その通りよ。初めましてかしらぁ? うふふふふ」