63 花子さん 挿絵有り
城門をくぐり抜けた光太郎達の目に飛び込んできたのは、白亜のヨーロッパ風の内装だった。大理石の柱が天井まで伸び、壁には精緻な彫刻が施されている。だがシャンデリアは埃を被り、かつては豪華だったであろう絨毯も色褪せていた。静寂が支配する空間はまるで時が止まったかのように薄暗く寂れており、人の気配は全く感じられなかった。
光太郎は足音のみを響かせながらエントランスホールの中央へと進み、静かに、しかしはっきりとした声で呼びかけた。
「花子さん、いらっしゃいますか?」
返事はない。だが光太郎はもう一度丁寧に呼びかける。
「花子さん、いらっしゃいますか?」
その声が高い天井に反響して消えかけた時、どこからともなくけだるげな少女の声が聞こえてきた。
「……はぁーい」
瞬間、城内の明かりが一斉に灯った。眩しいほどの光に目を細めた一行が改めて周囲を見渡すと、千人は入ろうかという広大なエントランスホールにぎっしりと子供霊達がひしめき合い、自分達を完全に包囲していることに気づいた。
そして血が滴るような赤い絨毯が敷かれた大階段の上、豪華なソファーに一人の少女が優雅に座っていた。赤色のケープを羽織り、同じく赤いスカートを身に着けたおかっぱ頭の黒髪の少女。見た目は十二歳ほどだろうか。足を組み、頬杖をついて光太郎達を値踏みするように見下ろしている。
滑川達は思わず身構えたが、光太郎だけは落ち着いた様子で少女を見上げていた。
「呼ばれてもいないのに勝手に来るだなんて、だから灯士は嫌いなのよ」
花子と呼ばれた少女は、苛立ちを隠そうともせずに言い放った。その声には大人びた響きがありながら、どこか子供特有の移り気な感情の色が滲んでいた。
「こんにちは花子さん。僕は暁光太郎です。子供達を返してもらいにきました」
光太郎の穏やかな挨拶に、花子は片眉を上げた。
「返したらとっとと帰ってくれるの?」
「今後二度と誘拐しないと約束してくれるのならば、神仏にとりなしを頼んでみましょう」
その言葉を聞いた瞬間、花子の表情が一変した。
「神仏? ふふふ、あははははははは! あはははははっはははははっははははっはっあはははあははっははは!」
狂ったような哄笑が城内に響き渡った。その笑い声はあまりにも常軌を逸しており、配下の子供達までもが怯えて身を縮めた。花子の体から禍々しいオーラが立ち昇り、エントランスホール全体を不穏な気配で満たしていく。
「神や仏がなにをしてくれたって言うの? ここにいる子供達はみんな親や社会に見捨てられた子ばかりなのよ? 私が救ってあげたの! 神様じゃなくてこの私がね! 私達はいつまでもここで楽しく笑って暮らすの! それを邪魔しようっていうのなら容赦はしない!」
花子の激情が頂点に達した時、その怒気が実体化した。赤黒い無数の蛇となって光太郎に向かって襲いかかる。毒々しい牙を剥き出しにした蛇達は、まるで生きているかのようにうねりながら獲物を狙う。
「みんな下がって!」
光太郎は仲間達に鋭く指示を出すと、海王丸を抜いた。青白い聖なる光が蛇達と対峙する。
襲い来る蛇の群れを光太郎は信じられないほど優雅な体捌きで躱していく。まるで舞を踊るかのように身をひねり、最小限の動きで攻撃を回避しながら海王丸の一閃で蛇達を次々と浄化していった。その涼しげな表情には汗一つ浮かんでおらず、まるでダンスでもしているかのような余裕さえ感じられた。
花子は苛立ちを募らせ、さらに攻撃を激化させた。光太郎が諭す。
「確かに辛い目にあった子供達もいるでしょう、でもこのままこの霊界にいると輪廻転生することもできず魂が成長しません。人がなぜ生まれ変わり死に変わりするかといえば、魂を成長させ進歩向上発展させるためなのです。このままここで暮らすのは幸せかもしれませんがそれはまやかしです、人間として真の幸福には決して至りません」
光太郎の言葉は、激しい戦闘の中でも明瞭に響いた。
「なにをごちゃごちゃと訳の分からないことを! 今が良ければそれで良いに決まってるじゃない!」
花子の怒りはもはや制御不能となり、その攻撃は光太郎だけでなく周囲をも巻き込み始めた。大理石の柱は粉々に砕け、壁は大きく抉れ、天井からは瓦礫が降り注ぐ。あれほど豪華だった城がわずかな時間で廃墟と化していく。
「もうやめてよ花子さん! 危ないよ!」
配下の子供達からも悲鳴が上がった。
「うるさい! お前達のために戦っているんだ! 黙って見てろ!」
鬼気迫る花子さんの様子に、子供達は恐怖で何も言えなくなった。
その時、激しい戦闘で損傷した天井の一角が大きく崩れ、配下の子供達の頭上に落下してきた。子供達は恐怖で身動きが取れない。
しかし間一髪のところで沢田が滑り込んできた。降魔灯を高く掲げ、赤い光で結界を張って瓦礫を防ぐ。
「みんな大丈夫かい!」
子供達は驚愕の表情で沢田を見上げた。
「ど、どうして守ってくれたの? 今まで散々意地悪してきたのに」
「そんなの当たり前じゃないか、僕は誘拐をやめさせたかったのであって君達を灯滅したいんじゃないからね。全ての人の希望になる、それが灯士だ」
沢田の真摯な言葉に、子供達の目から涙がこぼれた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「いいんだ、さぁここから離れて安全な所へ」
沢田が子供達を誘導している最中、花子の攻撃の余波が襲いかかった。赤黒い衝撃波が沢田を直撃し、彼の体は宙を舞って壁に叩きつけられる。
「うわぁ!」
全身を打ち抜かれ、まるで壁に縫い付けられたようになった沢田に、さらに花子が出した蛇が襲いかかろうとした。
だがその瞬間、滑川が決死の覚悟で飛び出した。降魔灯を振るいかろうじて蛇を跳ね返すと、倒れた沢田に手を差し伸べる。
「大丈夫か!」
「ありがとう、滑川君」
沢田は痛みに顔を歪めながらも、滑川の手を取った。
「礼はいらない、仲間を助けるのは当然だから」
「ふふそうかい、でも嬉しいよ。僕は君を誤解していたようだ」
滑川は恥ずかしそうに俯いた。
「それは僕のせいだ。君の人気に嫉妬して勝手に機嫌が悪くなっていただけなんだから。あの時のことを謝らせてくれないか」
「それこそ謝る必要なんてないさ。君は滑川財閥の後継ぎで立場があるからね、仕方ないよ。でも、当時こんな風に話せていたら友達になれていたかもしれないね」
「今からでも遅くはないさ、ここを抜け出して一緒に帰ろう!」
「……うん、ありがとう」
沢田は曖昧な笑顔を滑川に返すと、二人で支え合いながらその場を離れた。
城はすでに原型をとどめないほどに破壊されており、轟音と共に次々と崩壊していく。花子と光太郎の激闘は続いていたが、ついに巨大な梁が落下し、二人の姿を飲み込んだ。そして城全体が大きな音を立てて崩れ落ちた。
土煙が立ち込める中、滑川達は必死に瓦礫から距離を取りながら、光太郎の名を呼び続けた。