6 大鬼術 挿絵有り
全てが終わってほっと一息付いた光太郎であったが、その直後にぞくりと悪寒がした。
誰かに覗かれている。そう直感してから呪縛をかけられるまでが早かった、とっさに幽導灯を振ろうとしたが間に合わず、地面に落としてしまう。
「がっ! ……これ、は」
「ニャ、ニャニャニャーン!」
飼い主の異変を察知した白猫が慌てて駆け寄って来た。他の誰にも見えぬ呪縛の正体も彼女には分かっていた。これは高等鬼術の一種であると。
「ニャニャ! ニャニャニャニャ!」
「……うん、分かってる、別の鬼人の仕業だよ。きっと、どこかで僕達の戦いを見ていたんだ、ぐっ!」
「ニャー!」
「君、大丈夫かね!」
「お兄ちゃん!」
眉間を掴んで苦しそうに呻く光太郎は、脳内をぐわんぐわん揺さぶられる錯覚に陥り、とても立っていられなくなった。
依然として何者かの視線を感じる、そして透けて見えるのは好奇の念だ。見ず知らずの鬼人がなにを思ったか自分の記憶を盗み見ているのは間違いない。だがそれがなぜなのかは全く分からない。
はっきり分かっているのは攻撃を仕掛けているのが偉大なる師よりお墨付きをもらっている光太郎をしてもなお、まるであらがいようもない力を持つ強敵だということだ。
一方の高姫は遠く離れた所で目を瞑りながら少年の記憶の中をたゆたうように眺めていた。
幼くして訪れた両親の死、親戚筋に邪険にされながらも病弱な姉と二人で懸命に生きてきた場面を走馬燈のように見つめていく。
「ほほう、これは若い身空で中々苦労してるわね。あら親戚共は両親がいないのを良いことに家を乗っ取ろうとしてたのね、浅ましいこと」
そして場面はついにあの忌まわしき夜へと移る。
六年前、冬の富山県は氷見市で起きた惨劇は高姫も噂で聞いていた。だが実際見た者の記憶で追体験するのと四方山話に見聞するのでは訳が違うのだ。
とうに人を捨て鬼女と成り果てた身の上と言えども正視しがたい酸鼻たる情景が続いた。自然と高姫の目元も険しくなる。
「まったく邪鬼めらがやらかすのはいつもこうだ、さんざ脅かし食い散らかし、玩具にしてはすぐ飽きる、下品で下賎で野卑にして粗野! 雅さの欠片もないわ忌々しい、見ているだけで吐き気がする」
追憶の中で吐き捨てるように愚痴をぶちまけるものの、この先の顛末が気になって仕方が無い高姫は、嫌悪感よりも好奇心が勝って先へ先へと場面を進めた。
そしてついに決定的場面に遭遇した。それは最愛の姉が自分を犠牲にして最後の別れを告げているシーンであった。
姉は弟の為に命をかけて鬼人大将の元へと参ろうとしている。弟は必死に叫ぶが邪鬼共らに取り押さえられて動けない。
だが暗がりの中で少年の目はしかと怨敵の顔を捉えた。およそ人とは思えぬ鬼の顔を。
「悪刹魔王 鬼雲ぉ……やはりあれは貴様の仕業であったかよ」
高姫はその顔に見覚えがあった。彼女の中では氷見の一件がそうではないかという疑念を抱いていたが確証はなかった。それが今真実を知り、在りし日の思い出が蘇る。
それは鬼女の心に今も残る激しい怒りの記憶であった。邪鬼頭の鬼雲は少年の仇であるとともに、高姫にとっても忌まわしい存在であったのだ。
しかし久しく思い出さなかった敵を不意に思い出した時、僅かに鬼術の支配が揺らいだ。光太郎はその隙を見逃さなかった。
一瞬にして彼は気を張り心身の支配を取り戻すと、幽導灯を拾って逆袈裟斬りに虚空を切り上げた。
「はあっ!」
青白き灯身に渾身の力を込めて身に纏う邪気の支配を振り切ると、ようやく完全に光太郎の身体は解放された。一灯の元に高姫の鬼術はふりほどかれたのだ。
しかし大きく精神と体力を消耗した光太郎は、荒い息をついてその場に倒れ込んでしまう。
「お兄ちゃん、大丈夫? 具合悪いの?」
「救急車をこっちに回せ、早く! 大至急だ!」
光太郎は薄れ行く意識の中でなお幽導灯を手放さなかった。残された気力を振り絞り彼方を睨み続ける。
鬼術を破られた高姫は、その反動により掲げた白妙の美しい右手に一筋たらりと鮮血を滴らせていた。これに黒姫が激高する。
「おのれ小僧! お姉様に手傷を負わせるとは許しがたい!」
途端にぶわりと膨らむ邪気、目は殺気に血走り浅黒い肌に怒りで血管が浮かぶ。このまま放っておけば必ず争いになったであろうが、意外にもそれを止めたのは高姫だった。
彼女はくっくっと笑いながら妖艶に傷口を舐めた。
「よいよい、今は捨て置きなさい」
「しかしお姉様!」
「見てごらんあの坊やの姿を、もうとっくに限界が来ているのに少しも闘志を失ってないわ。あれは子供の顔じゃない、なりは幼くとも正真正銘の兵よ。ふ、ふふふ、ふはははは!」
「ど、どうなさいました?」
「なに、たかが九才の在家小僧がここ数年で、どれだけの修練を積めばあそこまでに至ったのか、少し興味が湧いたのよ。記憶の続きを見たくもあるけれど、それはまたにするわ。さ、行くわよ黒姫。フルーツ食べ放題は女の花戦、元を取らねば鬼女の名が廃るわぁ」
「あ、ま、待って下さいお姉様! もう!」
高姫はさっと身を翻すと、風と共に姿を消してしまった。慌てて後を追う黒姫もそれに倣う。
かくして上京早々に遭遇した絶体絶命の危機から、からくも光太郎は逃れたのであった。