58 宵闇小学校
小学校の正門前に立った光太郎一行は、その異様な佇まいに息を呑んだ。錆びついた鉄門は半開きになっており、その向こうには朽ちかけた校舎が薄闇の中に浮かび上がっている。窓ガラスの多くは割れて散らばっており、不気味な靄がかかりその全容を窺い知ることはできない。
「お兄ちゃん、なんか怖い……」
望が光太郎の袖を掴んで小さく呟いた。華も普段の元気さは鳴りを潜め、姉の背中に隠れるようにしている。福だけは警戒しながらも堂々と歩を進めていた。
「大丈夫だよ二人とも、健太君もきっとこの中にいるはずなんだ、みんな離れないようにね」
「ニャアン」
光太郎が先頭に立って門をくぐると、ギィィと耳障りな音を立てて扉が大きく開いた。三人と一匹は慎重に入口のエントランスへと向かう。足元には枯れ草が生い茂り、所々に朽ちた遊具が陰気な影を落としていた。
玄関の引き戸を開けると、カビ臭い空気が鼻を突く。下駄箱から薄暗い廊下が奥へと続いており、天井からは蜘蛛の巣がいくつも垂れ下がっている。
「ひひひひ、よく来たな!」
「これで一緒に遊べるね~」
「ずっとずっと!」
どこからともなく子供たちの笑い声が響き渡る。その声は楽しげでありながら、どこか狂気じみた響きを帯びていた。
突然、背後でバタンという大きな音がした。振り返ると、開いていたはずの入口扉がぴたりと閉まっているではないか。光太郎が戻って扉に手をかけるが、まるで岩のようにびくともしない。
「ニャアッ!」
福が鋭く鳴いて警戒を促した。その瞬間、廊下の奥から複数の足音と叫び声が聞こえてきた。
「うわぁぁぁ!」
「やっやめろぉ! こっちに来るな!」
慌てふためいた声と共に、四人の少年が廊下の角から飛び出してきた。その後ろからは、先ほど光太郎が倒したものよりも面妖な妖怪変化の群れが、唸り声や笑い声を上げながら追いかけてくる。
がむしゃらに先頭を走っていた滑川が光太郎の姿を認めて目を見開いた。
「あ、暁光太郎! なんで君がここに……って、そんなことより逃げるんだ!」
「心配ご無用」
光太郎は落ち着いた声で海王丸を抜くと、追ってくる邪鬼達の前に立ちはだかった。青白い清廉な光が廊下を照らし出す。
「南無観自在菩薩」
静かな祈りと共に、光太郎の幾筋もの剣閃が走る。狭い廊下という制約も物ともせず、的確な斬撃で妖魔を次々と浄化していく。恐れを知らぬその戦いぶりに圧倒され、滑川一行は呆然と立ち尽くしていた。
だがその時、どこからか小さな泣き声が聞こえてきた。
「えーんえーん、お母さん、どこぉ……会いたいよぉ」
華がこれに気が付き声の方を向いた。薄暗い廊下の奥に、五歳くらいの女の子が膝を抱えて座り込んでいるのが見えたのだ。
「あ、あの子泣いてるよ」
「華、待って!」
望が制止しようとしたが、華はもう走り出していた。優しい心を持つ華には、泣いている子供を放っておくことなどできなかった。
「ねぇ大丈夫? でも心配しなくていいよ、お兄ちゃんがねーー」
華が女の子に手を伸ばした瞬間、その子供の顔がゆっくりと上がった。涙で濡れているはずの頬は乾いており、口元には不気味な笑みが浮かんでいる。
「つかまえた」
女の子の口が耳まで裂け、醜い姿に変化した。それは華を勢いよく掴むと、背後に開いた暗い穴へと引きずり込もうとした。
「きゃあああああ!」
「華!」
望が妹の手を掴むが、引きずり込む力は想像以上に強い。福も華の服を咥えて必死に引っ張る。
「ニャアアア!」
しかし、影の力は二人と一匹をまとめて飲み込んでしまうほどに強大だった。望も福も、華と共に暗い穴の中へと消えていく。
「望ちゃん! 華ちゃん!」
光太郎が振り返った時には、すでに空間の穴は跡形もなく消えていた。まるで最初から何もなかったかのように、古びた廊下の床板が続いているだけだった。
邪鬼を全て倒し終えた光太郎は、拳を握りしめて彼女達が居たところを見つめる。そこに滑川が恐る恐る近づいてきた。
「お、おい……今の女の子達は?」
「連れて行かれたみたいだね、でも大丈夫、福ちゃんも一緒だから。それより皆はなぜここに? それに八塩君も」
光太郎は冷静さを保ちながら、滑川達に向き直った。中田と佐々木は震えており、八塩は暗い表情で俯いている。滑川が額の汗を拭いながら答えた。
「僕達は任務でパトロールをしてたんだ、そしたら勇が急に子供の声を聞いたとか言い出して」
八塩がビクリと肩を震わせる、光太郎が優しく声をかけた。
「勇君、大丈夫だよ。詳しく聞かせてくれるかな」
「……確かに聞こえたんです。子供の声で、助けてって。それで声の主を探していたらいつのまにか暗闇に襲われて皆でここにいたんです」
滑川が苦い顔をして言った。
「いつもの任務だと思ったら、まさかこんな事に巻き込まれるなんて思いもしなかったよ! さすが落ちこぼれの十三班の一員だっただけのことはある! 班を抜けたいと言うからこの僕が温かく向かい入れてやったというのになんたる仕打ちだ!」
くすくすと、どこからか子供たちの笑い声が響く。
「へぇ〜、灯士のお兄ちゃん達、まだ生きてたんだ〜」
「でも女の子達はもうダメ〜、花子さんのところに連れて行かれちゃった! きゃははは!」
「……花子さん?」
光太郎が声の主に問いかけるが、答えは返ってこない。ただ嘲笑うような笑い声だけが、古い校舎にこだまし続けていた。