57 健太を追って
光太郎と福、望と華の姉妹は突然神隠しにあった健太の行方を追って共にまだ見ぬ敵の霊界へと侵入した。
暗いトンネルをものすごいスピードで落ちていく。光太郎は必死に二人と一匹を抱きかかえて耐え忍ぶと、やがて地面らしきものが見えた。光太郎は姉妹に自分自身を掴まらせると、幽導灯を抜いてゆっくりと異界の大地へと降り立った。
そこは一面夜のようなところであった。薄暗くて遠くの景色はよくわからないが、地面は続いているらしい。空気は淀んでおり、風も吹かない不気味な空間だ。
光太郎は怖がる姉妹を勇気づけるために手をつないで歩きだす。華は余裕が出てきたのか鼻歌を歌ってご機嫌だが、姉の望はなおも不安そうに周囲の様子をきょろきょろ伺っていた。
「望ちゃん、心細くなるのはわかるけどやたら怖がってはいけないよ。怖がっているとその分だけ悪霊にやられてしまうから相手の思うつぼなんだよ。だからたとえ何があっても神仏を信じる心が大事なんだ。環境に支配されちゃいけないよ、逆に支配するくらいでないとね」
「うーんよくわかんないけど、華みたいにしてるのがいいってこと?」
「ふふふそうだね、華ちゃんは大物だね」
「ニャア、ニャアニャア」
福は鞄から乗り出して自分もいるから心配するなと肉球でぺしぺし望に触れた。
「うん、ありがと福ちゃん、なにかあったらよろしくね」
「ニャア~」
のどかな鳴き声で望を安心させると福は望に撫でられてくすぐったそうに目を細めた。そうして歩いていくと、開けた場所に出た。やはり暗くて全容が判別できないが、砂地の運動場のようだ。周囲を警戒していると、どこからともなく姿は見えないが耳障りな幼い声が沢山聞こえてきた。
「見て見て、また誰か来たよ!」
「ほんとだほんとだ、女の子だ」
「猫もいるけども、もう一人いるのは……と、灯士だ! 学生灯士がいる!」
くすくすと笑っていた声たちが一転し、今度は不穏な雰囲気が流れ出す。
「灯士がいるなら逃げないと!」
「別に関係なくない? あいつらは大したことなかったし、こっちもそうだよきっと!」
「そうかな?」
「そうそう、そうだって!」
光太郎は姿なき幼い声達に向かって恐れることなく呼びかける。
「こんにちは君達、健太君を知らないかい? さっきここに連れてこられたはずなんだ」
「健太~? 誰それー知らなーい、知ってても灯士になんて教えてあげなーい」
「ふふふ、あははは! これでもくらえ!」
一際下品なあざ笑う声が聞こえて来ると、周囲に大小の邪鬼の群れ十数体が召喚された。光太郎は胸元から素早くお守りを二つ取り出してそれぞれを望と華に渡す。
「二人ともこれを持っていてね、もし何かあってもこれがあれば安心だよ。さ、少し下がって待っていて、福ちゃんもお願い」
「ニャアン」
「うんありがとう、お兄ちゃん」
「ありあと!」
光太郎は海王丸を握り直し、一歩前へと踏み出した。望と華は息を飲み、光太郎の背後に隠れるように身を寄せた。福は気丈に低く喉を鳴らし、鋭い眼光で背後からの攻撃を警戒している。
湧き出た邪鬼らは唸り声を上げながら光太郎達を取り囲み、目を生者への恨みで満たし雲霞の如く押し寄せた。
光太郎は静かに正眼に構えた。その手には銘灯海王丸が青白い燐光を放ちながら握られている。邪鬼達が獣のような咆哮を上げ、四方八方から同時に襲いかかろうとした、その刹那。
「南無観自在菩薩」
瞑目した光太郎の口から漏れたのは、気合というにはあまりにも静かな祈り。だが次の瞬間、彼の姿は霞んだかのように揺らぎ、海王丸から放たれた青き閃光が暗がりを切り裂いた。
一番槍をつけんとした邪鬼の眉間に、吸い込まれるように灯身の切っ先が触れる。声もなく邪鬼は黒い霧となって霧散した。間髪入れず左右から迫る二体の邪鬼。光太郎は体捌き一つ、最小限の動きでその凶爪を紙一重でかわすと、海王丸が流麗な弧を描く。一閃、また一閃。二体の邪鬼もまた断末魔を上げる暇さえ与えられず、聖なる光に浄化されていった。
「お兄ちゃん凄い」
「ほ、ほんとだね」
松本姉妹がか細い声を漏らす。目の前で繰り広げられるのは、戦いというよりはまるで鍛え抜かれた舞手による演舞のようであった。
残る邪鬼達は仲間が一瞬にして屠られたのを見て、わずかに怯んだように動きを止める。だがすぐに頭領格らしき体格の良い一体が野太い奇声を発すると、再び狂ったように光太郎へと殺到した。
光太郎は動じない。腰を落とし海王丸を構えるその姿は、まるで泰山の如く微動だにしない。だが邪鬼達がその間合いに入った時、静から動への転換はあまりにも速かった。
海王丸が唸りを上げる。それは破魔の風切り音か、あるいは龍のいななきか。青き残像が幾重にも走り、邪鬼達の群れの中を縦横無尽に駆け巡る。
ある邪鬼は突きを喉笛に受け、ある邪鬼は胴を薙がれ、またある邪鬼は肩口からの袈裟斬りに聖なる光で焼かれるようにして消え去る。光太郎の足運びは水面を歩くが如く滑らかで、邪鬼達の攻撃はことごとく空を切り、軌道を逸らされていく。
「いけいけお兄ちゃん!」
「頑張れー!」
圧倒する光太郎に向けて幼い姉妹からの激励が飛ぶ。福はゴロゴロと喉を鳴らし、信頼しきった目で主の戦いを見守っている。
十数体いた邪鬼の群れは瞬く間に数を減らしていく。光太郎の動きには一切の無駄がなく、一灯ごとに一体、また一体と邪鬼が浄化されていく様は、達人のそれとしか言いようがなかった。
ついに最後の大きな邪鬼が恐怖に駆られて逃げ出そうと背を向けた。だが光太郎は見逃さない。
「青海波!」
裂帛の気合と共に、光太郎が振るう幽導灯から青白い半月の光線が飛び出すと、逃げる邪鬼の背後を強襲した。
「ギャ……」
短い呻き声を最後に、最後の邪鬼もまた黒い煙となって闇に溶けていった。
戦いはほんの数分で終わった。光太郎はゆっくりと海王丸を鞘へと納め、静かに息を整える。その額には汗一つ浮かんでいない。彼は振り返り、息を飲んで見守っていた望と華に優しく微笑みかけた。
「大丈夫だよ、もう終わったから。怖くなかったかい?」
その声は先程までの戦いの激しさを微塵も感じさせない、いつもの穏やかな光太郎のものだった。
「全然平気! お兄ちゃんかっこよかったよ!」
「凄い! すごーい!」
「ニャアン」
パチパチと手を叩いてはしゃぐ姉妹と、まぁ当然だなといった風に鳴く福。光太郎はにこやかに頷いた後、前方にそびえる建築物を見た。そこから風に乗って幼い声が届く。
「ここまでおいで~べろべろばー!」
「ぎゃははははは!」
目を凝らすと眼前には古い小学校と思しき建物が重苦しい雰囲気を纏いながらぽつんと立っていた。今回の戦いの舞台はどうやらあそこであるようだ。