56 神隠し霊界
しばらく身動きができなかった康夫だったが、良枝の介抱を千代と加代にお願いして光太郎に話しかけた。康夫自身冷静さを保っているが、異常事態に冷や汗が止まらない。ずれた眼鏡を震える手で直しながらも問いかける。
「光太郎君、こ、これは一体どういうことなんだい?」
「一瞬ですが凄まじい邪気を感じました。どうやら神隠しの犯人は結界の中であれ日中であれ所かまわず子供を攫っていけるようですね、あるいは最近になって力が増しているのかもしれません。相手が自分の霊界に閉じ籠っている以上、こちらからは容易に手が出せないでしょう」
「そんな! それじゃあ健太は! うちの子はどうなるんですか!」
「……少しお祈りさせて下さい。康夫さん、お部屋をお借りしてよろしいですか?」
「もちろんさ、奥を使っておくれよ」
「ありがとうございます」
光太郎は幽導灯を携えてただ一人店内の奥にある倉庫のような部屋に籠った。その間に子供達は解散させて店は臨時休業とし、店内には康夫と千代と加代の他は松本姉妹、猫の福、健太の母である良枝が残った。
カッチカッチと古時計が時を刻む音がして、光太郎を待つ面々は神妙に彼が出て来るのを待った。やがて十数分した後に引き戸を開けて少年が姿を現すと、皆の目が一様に彼に向いた。重苦しい沈黙の中、光太郎が意を決して口を開く。
「神仏に祈念して審神をした結果、健太君を連れ去った犯人は己が作り上げた魔界に閉じこもっていることが判明しました。どうやらこの世に不満を持つ子供の嘆きに反応して瞬時に彼方へと連れ去ってしまうようです。これを解決するには直接向こう側に赴くしかありませんが、それには問題があります。僕一人では相手が灯士を怖がって連れて行ってはくれないのです」
光太郎はおもむろに松本姉妹の長女である望の前に膝をついた。じっと少女の目を見る。
「望ちゃん、健太君や他の連れ去られた子供達を取り戻すには君の力が必要なんだ、望ちゃんのことは必ず守る、だから僕と一緒に来てくれないかい?」
「え、それって」
「うん、敵の本拠地に乗り込むってことだよ」
「へー面白そう! 華も行くー!」
「あんたはダメ! ……お兄ちゃん、私、行くよ。だって健太のことも放っておけないし、おばさんが可哀想なんだもん」
「望ちゃん……」
「大丈夫だよおばさん、健太はちゃんと連れて帰ってくるから心配しないで待ってて! 光太郎お兄ちゃんは最強なんだから!」
努めて朗らかに笑う望を良枝は涙ながらに抱きしめた。光太郎は電話を借りて市役所に勤める叔母の松子に連絡をする。包み隠さずに状況を話すと電話越しに悲鳴が聞こえた、周囲に集まった大人達は皆心境がわかるだけに鎮痛に押し黙り、成り行きを見守るしかない。
十分、二十分と説得の時間が過ぎて行く。松子は職場から受けている電話であるにも関わらず、時折声を荒げて光太郎の話に耳を貸そうとはしなかった、これにじれた望は、光太郎の手から受話器を奪い取る。
「お母さん、望だけど! 私お兄ちゃんと行くからね! お父さんも言ってたでしょ! 誰かがやらなきゃいけないから自分が行くんだって!」
「それは……」
松子は言葉を飲み込んだ。望が口にしたのは、亡くなった夫であり灯士で警察官でもあった宗大が生前によく言っていた言葉であった。責任感が強かった宗太は身を案じる妻の声には決まってこう言っては笑ったものであった。
「おばさん、望ちゃんは僕が責任を持って必ず連れ帰ります。だから安心して下さい」
「……違うでしょ、光太郎君もよ。連れていかれた子供達も、光太郎君も望も福ちゃんも、全員無事に元気で帰ってくるの、いいわね」
「はい、ありがとうございます。では行って参ります」
光太郎は電話の向こうにいる松子へと最敬礼をして受話器を置いた。振り返ると望は決意に満ちた表情で頷いており、華は加代にあやされながらもふてくされていた。光太郎は望と打ち合わせをすると彼女を後ろから抱える形で気配を殺した。周囲の面々も事態を固唾を飲んで見守った。
「あ……あ~あ、こんな世の中じゃ生きていても仕方ないし、私もどこか遠くへ行きたいな~」
しんとした店内に少女の独白が響くが、変化はない。不安そうに光太郎を見る望を少年は励ました。
「その調子だよ、続けて望ちゃん」
「ニャ」
「うん。もう家も学校も嫌になっちゃった、誰かいいとこに連れて行ってくれないかなー」
徐々に不穏な雰囲気が満ちてくるが、まだあの怪異が再び訪れる気配はない。望はなおも根気強く続けようとするが、そこで急に華が飛び出してきた。
「そんなんじゃだめだよお姉ちゃん、こうやるの! えーんえーん! もうお母さんもお姉ちゃんも嫌ーい! 誰か助けてー!」
華が見事な噓泣きをきめた瞬間ギギギギと空間が軋みを立てて歪み、そこから大きな手が現れ出でた。驚いた光太郎だが瞬時に左手を伸ばして華を掴むと、その直後に巨大な手は三人と一匹もろとも異空間へと引きずり込んだのであった。
後のことを任されていた康夫は口をあんぐり開けて唖然とした後、一気に顔面蒼白となった。
「なんてこった……華ちゃんまで行っちゃうなんて。松本さんになんて言えばいいんだ」