50 五誓願
「私は子供の頃から何度も世界の終わりを夢に見てきました、未来はなにをやっても変わらない、だからもうすっかり諦めてしまったんです」
「……」
「この世に妖魔があふれ出し、人間の営みはもうじき終わるでしょう。破滅に向けてなんら事態は好転せず、人類はその場をしのいでいるだけ。救世主が現れるという父祖伝来の口伝も眉唾ものです。それならば、この生に一体何の意味があるというのでしょうか? 強敵を幾度か打倒してやれ新宿最強だのなんだのと言われても、いずれ来る未来を思えばむなしいだけではないですか」
「やめて」
「私は一生懸命でした、ですがもう情熱がありません。頼りの神仏はなにも言わず黙するのみです。それもそうでしょう、積み上げた業が重すぎて人類は滅びる定めにあるのですから。一介の灯士であるこの身になにができましょう、かつてお釈迦様が滅び去る故郷を見つめて嘆息したように破滅への道のりを見守ることしかできません」
「やめろって言ってるでしょ」
「未来を見通す力など欲しいと思ったことはありません、不幸な未来を変えられないなら、この力になんの意味があるのでしょう。私は一生懸命でした、そう、かつての私は一生懸命でした」
「やめろ!!」
鬼気迫る怒声がこだまして周囲の様相が一変する、異様な香の様子に見物客の空気が凍り付き子供達がぐずりだす。
「君なんぞになにが分かる! これまで私は努力をしてきたんだ! 不幸な人類の結末を変えるためにね! 日々祈念を欠かさずに神仏に問いかけ、妖魔を倒し続けたさ! だがなにも変わらない! 人類が積んだ業は減るどころか民衆は残されたわずかな利権に群がり、裏切り搾取しては現状に居直る! 負債を返上するどころかより積み上げる始末だ! たとえ君が奇跡を起こして人類の業を一掃したとしても本質はなにも変わらない! 人々の考え方や行動が根本的に変わらねば意味がないんだ! だが改心するには遅すぎる、もう遅すぎるんだよ!」
憤りを込めた凄まじい強撃が放たれて光太郎はなんとか両手で愛灯を支えこらえきる、福はヒヤリとして鳴き声を上げるが光太郎はおくびにも恐れを見せず激情と共に連打される猛攻に耐え続ける。
「なぜ今になってのこのこ現れたんだよ笛吹童子! いたずらに希望を与えられても余計に絶望が深まるだけじゃないか!」
蓮佛香の慟哭に事情の分からぬ聴衆達は混乱し、動揺し、眉をひそめ徐々に遠ざかった。光太郎はうっすらと目を開けて言葉を紡いだ。
「あなたは勘違いをしていらっしゃる」
「なにっ?」
「まず人生とは仮の宿だと知ることです。本来人間の魂は宇宙に存在しており、玉石混交の世にあって精進努力をするために記憶をなくして地球に生まれ変わるのです、人生の本義とはこれ御魂磨きに他なりません。未来がどうあれど大事なのは今なのです。第二にまだ人類が滅ぶと決まったわけではありません、僕も神様から大枠では教えられていますが、いついかなる時にどういった形で滅びが訪れるかは誰にもわからないのです。であるのならば、神仏に少しでも多くの罪をお許しいただき、徳を積んで人々の救済にあたるのが誠の道ではないでしょうか。その道半ばで倒れたとしても誰が我らを笑いましょうか、むしろ霊界に行けばよくやったと諸天善神が言祝いでくれるでしょう。大事なのは結果よりも過程です、この世は修行の場なのですから。そして本当の功は人間の尺度で測れるものではありません、あなたの今までの苦衷、嘆き、献身、その全てを神仏はご存じでいらっしゃいますよ。あぁ、気持ちのいい風が吹いて来た」
光太郎がそう言うと爽やかな風が吹いて来た、初夏の蒸し暑さを拭い去るような霊気をまとった神仏のなせる技だ。怒気にあふれていた場が瞬時に清められ、人々の顔つきも次第に穏やかになる。香の頬を温かい一筋の涙が流れた。
「うん、心から納得したからその境地を称えて風が吹いて来たんですね。……運命を導く北極星の神様が誓いを新たにしなさいとおっしゃっておられます、いかがですか?」
「ええ」
香は促されて自ら跪くと拱手をして首を垂れた、そして五つの誓願を唱える。
「乞い願わくば真諦を得さしめ給え 乞い願わくば上乗に至らせ給え 乞い願わくば功侯を積ましめ給え 乞い願わくば衆生を済度なさしめ給え 乞い願わくば神の御用に使わしめ給え」
誓願とは神仏に対する誓いで、この時香が述べた誓願こそ北極神界から降ろされた修方(修行者、弟子)が志すべき五つの指針である五誓願である。
要約すると、神仏に対して真実を得られますように、霊位霊格霊層が上がりますように、徳を積めますように、人々を救済させていただけますように、神々様の御用に使っていただけますように。といった意味となり、仏教では同様のものに四弘誓願がある。
周囲はしんと静まり返り、一転した静粛な雰囲気に息を飲み、歴史ある王族の戴冠式のような光景を見守っていた。