48 新宿最強の女
報われぬ口裂け女の霊を見送ってから三日経った日の午後、光太郎の姿は福と共に西荻窪は善福寺公園にあった。
あの後散々高姫に質問攻めにされた挙句次におかしなことをする時は必ず連絡するように言われてしまったが、光太郎としてもわざわざもめごとに遭遇しようとは思っておらず、どうしたものかと苦笑いするのであった。
善福寺公園は源頼朝にゆかりのある地で、大小の二つの池の周りに春には桜が満開になり、駅前からのアクセスが良好とは言えないものの、付近の家族連れや散歩愛好者などで割と賑わっている。
相変わらず謹慎中なのでまだ登校も許されていないが、灯青校生は常に帯灯が義務付けられている関係上、私服と似合わないので学生服を好んで着て出歩く者も多い。そもそも光太郎にはお洒落着などなかったりするのだが、本人は気にしていないようだ。
白猫の福が先を歩いてはくむくむと草花の匂いを嗅ぎ、ちらりと後ろを振り返る。先程からこれをずっと繰り返している。
「心配しなくてもちゃんと付いてきてますよ」
「ニャア、ニャアニャア」
「信用無いなぁ」
過保護な愛猫にやれやれと思っていると、前方から颯爽とした男性が現れた。いや近づいてよく見ると女性のようだ。
きれいに整った面差しは男女の差が分からぬくらいに中性的であり、スラックスに白いシャツ、肩にかけたサマーコートがよく似合っている。
池の周りの遊歩道は幅が狭いところがあり、軽く頭を下げて横を通り過ぎようと思ったところで不意に声をかけられた。
「君かい? 笛吹童子というのは」
「はい?」
不可思議な問いかけに光太郎が小首をかしげると、猛烈な勢いで何かが頭部めがけて飛来した。とっさに光太郎は幽導灯を抜いて衝突を食い止め正体を見定めると、迫り来た物体のもまた幽導灯なのであった。
いきなりの襲撃に福が威嚇する。
「フシャー!」
「待って福ちゃん、どうやら僕に用事があるみたいだから」
抜き身の幽導灯同士がお互いの眼前で十字を描く。眩い紫の光に照らされて美しき不審者は不敵に笑った。
「ふぅん、わざわざ田舎から出てきただけあって、なかなかやるじゃない」
「それはどうも、しかし要領を得ないのですが、都会ではこういった挨拶が常識なのですか?」
「さぁ……それはどうだろうね!」
続けざまに放たれる連撃にかろうじて対応する。そしてお互い睨み合ったまま広場の方へと移動すると、再び灯戟合戦が始まった。
光太郎の青に対して向こうは紫。どちらも澄んだ神聖色を湛えており、邪な気配はどこにもない。周辺にはいつの間にか見物の人だかりができ始めており、小さい子の歓声も飛び交っている。
そして少し離れた所でこの騒ぎに気が付いた女学生がいた。
彼女の名前は桜井 咲、学年は本科三年で新宿灯青校においては光太郎の一年先輩にあたる。
この少女は学内における少女灯歌劇隊、いわゆる学灯アイドルのセンターとして活躍しており、その名は広く全国に知れ渡るほどだ。
今日は久しぶりのオフではあるけれど、顔を見られると騒ぎになるために変装して善福寺公園を訪れていた。ちなみに彼女は広い上の池ではなく狭い下の池を好んでおり、そこを散歩していたのでこの騒ぎに気が付くのが遅れてしまった。
咲も校則を守り休暇といえども帯灯しており、いつでも抜けるように構えながら走り出す。ここは駅から離れており、もし昼間堂々と邪鬼が現れたのならば相手になれるのは自分しかいない。そういった使命感からの臨場であったが、現場に到着してすぐに驚き、かつ呆れてしまった。
どうやら戦っているのは灯士同士であるからだ。
本来は管理されている決灯場以外での決灯は違法行為でご法度である。しかし年若く血気盛んな学生灯士などは自分の力を示したいがためにしばしば野良試合を試みているし、灯士以下の見習いや民間の青年団に関しては管理しきれないのが現状だ。
それにしても日中公共の場で大立ち回りをするのは迷惑千万である。灯士の評判を損なわないためにも自分が二人を諫めないといけない。
「お互い幽導灯を納めなさい! 野良試合は禁止されていますよ!」
咲は叫んで二人の顔を見た。そして絶句して戦慄に全身を慄かせる。
一人は見知らぬ少年であった。学生服を着ていることから新宿灯青校生であることは疑いようもないが、半端ではない気配の幽導灯を携えており、かなりの腕前であることが推察される。しかし彼女の脳裏には思い当たる人物がいない。もしや最近噂の転校生なのだろうか。
だがもう一人の女性には見覚えがあった。いや、一度目にしたら忘れようのない存在であった。
彼女自身が美形なのはもちろんだが、特筆すべきはその強さだ。咲は一度だけ彼女が悪鬼と戦う姿を偶然目にしたことがある。
以前新宿ダンジョンが異常をきたし、凶悪な悪鬼羅刹が大量に市街に解き放たれたことがあった。
その時教師や生徒が三十余人、寄ってたかっても歯がたたなかった大鬼をたった一振りで灯滅し、残る軍勢もたやすく退治してしまったのだ。
しかしこれは彼女の伝説の一頁にすぎずその全貌は誰も知らない。それというのも彼女は学生でありながら教職の言うことも聞かず、卒業もせずに延々と留年を繰り返し、登校することもなければおいそれと人前に姿を現すこともないからだ。
だが咲の見立てに間違いはない。紫色に光る最上大業物の幽導灯に宿る圧倒的霊圧、男装の麗人よろしく涼しい顔をして愛灯を少年に突きつけ、獰猛にほほ笑む姿はあの時となんら遜色ない。
咲は思わず独り言ちた。
「まさか、新宿最強の女……蓮佛 香さん?」