47口裂け女の怪 5 幽界
「さぁさどうぞどうぞ、こっちに寿司もステーキもありますしお酒もケーキもありますよ、どうですか?」
「あのーこれはなんの集まりなんかね?」
「私らもお邪魔していいの?」
「いいですよ、今日は麗子さんの晴れの日ですからね。みんなでお祝いして楽しく過ごしましょう」
「あらあんたべっぴんさんやねおめでとう、ご相伴にあずかっとります」
「うふふ、ありがとう」
華やかな空気が一変して、今度はがやがやと居酒屋のような雰囲気となった。いつの間にか流れる音楽はジャズになって、ウェイターが増設されたテーブルを回ってはそつなくサーブしていく。
方々から褒められてご機嫌な麗子とは対照的に高姫の機嫌は悪くなり、光太郎を睨みつける。
「なんなのよこれは、亡者共が厚かましいったらありゃしない。せっかくちょっと良い雰囲気だったのが台無しじゃないのよ、この始末どうつけるのかしら? 事と次第によっては許さないわよ」
一連のもてなしは高姫のためになされたものではないが、稀代の鬼女に理屈は通用しない。凄んで見せる彼女をまあまあとたしなめながらも、少年は口を開いた。
「さぁお集りの皆様方、本日はよくお越しくださいました。今日の佳き日をたる日とみそなはせたまいて、どうぞお話を聞いて下さいね。そもそも皆様方はご自身がすでにお亡くなりになっていることにお気付きですか?」
「ええ? 俺達がもう死んでるって? 嘘だろ」
「ではあなた、肉体がありますか?」
「そんなの当たり前だろ! って、ない! 俺肉体ないぞ!」
「ははは、あんた自分が死んでるのにも気が付かないなんて馬鹿だね」
「そう言うお前さんも死んでるんだって」
「えぇ? 本当?」
戸惑う諸々霊に向けて光太郎は優しく語り続けた。いつしか周囲は彼の話を聞くために静まり返っており、楽隊も姿を消していた。
「そもそも人というものは、死んで終われるものならず。死んで生まれてまた死んで、生まれて死んでまた生まれます。あの世とこの世は近しき世界で死すればあの世がありまする。再び生まれるそのために、あの世に行かねばなりません」
「はぁ、そりゃおたくさんの言うこともわかるけど、なんでわざわざそんな所にいかにゃならんのかね? わしゃ生まれ育ったここがいいんじゃ!」
「そうおっしゃいますが、ではおじいさん、あなたがこの大地を創造して日本をお造りになったんですか?」
「い、いやそんなことはない。しかし先祖代々の土地が!」
「その先祖代々もみな霊界に帰っておりますよ、ほら、ご先祖様が迎えに来られた」
「こらお前! いい年こいて地縛霊なんぞになりおってみっともない!」
「あっひい爺様だ! 痛い! 殴らないで!」
「でもねぇ学生さん、私は息子が心配で心配で離れがたいんですよ」
「その息子さんは何歳ですか?」
「今年五十六になりました。妻と子供もおりますが、この妻というのもひどい嫁でねぇ私が守ってあげないと」
「おばあさん、息子さんはもう大人なので心配いりませんよ。それにこの世にあって人を守護できるのは神様から認可を受けた守護霊団だけなのです。寂しいからと言って人に憑依すると天の法に違反してあの世で刑期が増えますよ」
「刑期が増えるって、それ地獄のことですか?」
「そうですよ、人は亡くなるとまず幽界へと参ります。そこはこの世とあの世の狭間の世界で、有名な三途の川なんかもここにあります。幽界でおよそ三十年間過ごして現世の垢を落とした後に、地獄、中有霊界、天国のそれぞれに適した霊界へと参ります。死して後この世に留まることが一つの罪、生きてる人間に憑いて困らせるのも一つの罪、霊界へ行ったにもかかわらずこの世に戻ってきてしまうのもまた一つの罪になります」
「それじゃあここでこうしてちゃいかんじゃんか!」
「実はそうなんです」
「でもどうやったらその幽界? って所にいけるのかな」
「それはですね……」
光太郎はおもむろに月を指さしてほほ笑んだ。
「幽界は月の神霊界に存在します、今から皆さんを乗せて運ぶ船を呼びましょう」
そう言うと光太郎は右手で輪っかを作って口に咥え、高らかに指笛を奏でながら心中深く神仏に祈った。すると満月からまばゆく輝く船団がしずしずと降りて来るではないか。
船の中にはにこにこと笑う仏様達が乗っていて、下船しては一人一人集まった霊を船に誘っていく。
「さぁ皆さん怖がらずに乗ってくださいね。あの世はこの世と似た世界で見守ってくれていた守護霊様も一緒だから心配いりませんよ」
「あのーそれなら亡くなった両親に会いたいんですけど」
「向こうに行ったら観音様や弥勒菩薩様にそうお願いしてください。霊層が違うと修行のレベルが違うのでずっと一緒にはいられないと思いますが、真摯に祈れば便宜を図ってくれますよ」
「あ、お……かっ?」
「あぁ自殺して首を吊ったからしゃべれないんですね? じゃあ首枷を外しましょう、はい、もういいですよ」
「おお話せる! 苦しくないぞ、やった!」
「薬師如来様、何卒ここに集まる全ての霊の痛みと苦しみを取り去りたまえ。事故で傷を負った人はそこを癒し、病で死んだ人は患部を治して心身共に壮健たる人とならしめたまえ」
光太郎が幽導灯を振ると霊達はオレンジ色の光輝に包まれて痛みがなくなり、穏やかな顔となる。
「ああいい気持ちだ。食い物もうまいし酒もあるし、もう何が不満でここに居るのかわからんくなったな」
「土地家屋に執着してもわしら実体ないから意味ないやんな、あの世とやらに行かせてもらいましょ」
「そうだそうだ」
「でもあの世に行ってからが心配だわ、もしかしたら地獄かもしれないし」
「人間はなんのために生まれ変わり死に変わりするかと言うと、御霊磨きのためです。御霊磨きとは魂の進歩向上発展を意味しており、肉体がある時はあるなりに、ない時はないなりの修行の眼目があるものです。真善美の観点から目標を定めるべきですが、わからなくなったり行き詰ったら、とにかく神様ー! と祈る癖をつけることです。どうしたらいいですかと聞くことです。そうすれば打開するヒントを教えてくれたり、ぱっと目の前の景色が変わるでしょう。そして目標を持ち神仏に誓うことです。これを発願と言います。発願して足らないながらも行動していると、早い遅いの差はあれどきっと状況はよくなりますよ。一番良くないのはいつまでも同じところに居て暗く恨んで嫉妬していることです。反対に軽くて明るく楽天的な心となれば、あの世は天国極楽ですよ。善行と悪行の差の他に、心の境地がそのまま現れるのが霊界です。ですからいつまでもほがらかに、神仏や人々、環境への感謝の気持ちを忘れないでいて下さいね。例え一時地獄に落ちてもこれらのことを忘れなければ上へと上がって行けますよ。さぁどうぞどうぞ、全員もれなく乗れますから焦らなくていいですよ」
滔々と淀みなく語る光太郎の口上に高姫らや麗子はもちろん、全ての霊が聞惚れていた。そして一人また一人と地蔵菩薩に誘われて船に乗ると、最後に麗子が残った。晴れやかな顔で彼女は少年と向き合う。
「ありがとう光太郎君。でもなんでこんなに良くしてくれるの?」
「それは神仏のお導きもさることながら、あなたの守護霊様が強く訴えて来たからですよ。この子を救ってやってくれと」
「え?」
「天地の法則がありこの世で力が及ばなくても、守護霊団の皆様はずっと担当する子孫を見守って下さります。それは死後も変わりません。ほら、お迎えが来ましたよ」
麗子が振り返るとそこには彼女の面影がある尼僧姿の守護霊が優しそうな面差しで佇んでいた。麗子は歩み寄る途中で振り返って決意を告げた。
「……光太郎君、あたし頑張るよ、頑張って生まれ変わったら、今度はもっとましな人生を送るんだ。そしたら君みたいに誰かの役に立ちたいな。いつになるかわからないけどさ」
「できますよ、きっとね。さぁ旅立ちの時が来ました。皆々様心を残すことなく素晴らしき霊界修行の日々を送られますように。ひとふたみよ、いつむゆななや、ここのたり、ふるべゆら、ふるべゆらゆら~ーー」
光太郎が天の数歌を謡い始めると、ふわりと船団が浮かび上がって満月へと吸い込まれて行く。
「ありがとー! ほんとにありがとー! さようならー!」
満天の月夜に遠ざかる船団からずっと麗子や救われる諸々霊達の感謝の声が響いていた。光太郎は見えなくなってもしばらく一行の幸せを祈っていたのだった。