46 口裂け女の怪 4
高姫と黒姫という想定外の乱入者があったものの、その後は割と話も弾み時間はゆっくりと過ぎていった。
最初は遠慮していた麗子も途中からは光太郎の出した飲食物を楽しみながら過ごしていたが、不意に空を見上げてひとりごちる。
「あーなんか楽しいな、こんな気分になるのはいつ以来だろう。ありがとね光太郎君、いろいろ気を遣わせちゃって。君が来た本当の理由はわかるよ、私を成仏させたいんでしょ? でも……ごめんね、まだそんな気持ちにはなれないんだ」
「麗子さん」
「あのクソ男が死んでからは大してこの世に未練なんてないはずなんだけどさ、ただこのままあの世に行くのもね、なんだかなーと思っててさ」
神妙な口裂け女の告白を、一同は黙って聞いていた。
「最後に好きな男に裏切られて死んだじゃない? そりゃあんな奴に入れ込んだ自分が馬鹿だったのはもちろんなんだけどさ、私の人生なんだったのかなーとか思うのよ。なんのために生まれてきてみじめに死んだのかなって。あの世に行ってもさ、いつか生まれ変わるんでしょ? それでまたこんなこと繰り返すんなら、もういいかなーって思っちゃってさ……あーあ、思い返せばなぁーんも良いことなかったな。ほんと良いことなかった。でもそれで死んでまで人に迷惑かけてれば世話ないよね……ごめんね、馬鹿な女で、ごめんなさい」
嗚咽を漏らしさめざめと泣く麗子の涙を月明かりが照らし、浜風に長い髪がそよいだ。
「ーーまだ間に合いますよ」
「え?」
「論語には、過ちては改むるに憚ること勿れと説かれています。誰しもが過ちをおかすものだけれど、その過ちに気が付いたらすぐに改めるべきだという教えです。よしんば楽しい人生を歩んでいても臨終の間際が絶望だったなら、死後もその余韻を引きずるものです。だからこそ宣り直しましょう」
「……え? つまりどういうこと?」
「これから楽しい思い出を作りましょう、ということですよ」
「これからって、え? 今から?」
「はい」
光太郎は爽やかに笑うと福を椅子の上に置いてやおら席を立ち、シリウスのように青く輝く幽導灯を抜き放って舞い踊る。
光太郎が祈りながら手に持つ佩灯の海王丸を振り続けると、きらびやかな星屑のような輝きが軌跡を描き、とても幻想的な景色に思わず麗子の口からため息が漏れた。
「すごい、とてもきれい……ありがとう光太郎君」
「なんのなんの、お礼を言うのはまだ早いかと」
「え?」
「ひとふたみよ、いつむゆななや、ここのたり、ふるべゆら、ふるべゆらゆら~ーー」
「わぁ!」
天の数歌が高らかに奏上されると同時に、いきなり麗子の服装がきらびやかなドレスに変わった。彼女が驚いていると、いつの間にか周りにはきらびやかで豪華な霊空間が出現しており、楽隊が音楽を奏でて着飾った人達が楽しそうに踊りを踊っている。
「すてき、まるでどこかの宮殿みたい。でもこれは一体……」
「まぁすてきなドレスね、あなたに似合っているわ。後はメイクかしら」
「私は爪ね、座って座って!」
「ジュエリーと香水もいるわよね」
いつの間にか麗子は三人の美女達に囲まれて、あれよあれよという間にお姫様のようないでたちとなった。差し出された姿見の鏡を見てみると。
「これが、あたし? 嘘でしょ、信じられない」
その時戸惑う麗子の前に進み出るタキシード姿の紳士が居た。
「お嬢さん、是非私と一曲踊っていただけませんか?」
にこりとほほ笑むその男性はどうやら麗子のタイプそのものだったようで、思わず差し出された手を取って、その後から慌てた。
「ええ喜んで……あっ! でも私踊ったことなんてなくて!」
「構いませんよ、お任せください。さぁ」
ちらりと光太郎を見ると彼もにこやかに頷いたので、恥じらいながらも意を決して口を開く。
「お、お願いします!」
両手を相手に預けると、一瞬賑やかな空間が静まり返り、ゆっくりと静かなワルツが流れ出して、皆が一様に踊りだした。麗子も紳士のリードに合わせてたどたどしくもステップを踏んだ。
「これは……またなんということなのかしら、驚くやらなにやらで呆れて言葉にならないわね。黒姫、あなたはどう思って?」
「およそあの女のためにしたことなんでしょうが、コメントし難いですわお姉さま」
「そうよね。妾も灯士がこのような奇跡を起こすのは初めて見たわ……少し腹立たしいけれど、良い雰囲気じゃない」
「ええ」
やがて曲が終わる時、麗子がダンスの最後に照れながら会釈をすると、周囲から万雷の拍手が鳴り響いた。そこで自然と彼女の目から涙が流れ出る。
「ありがとう、皆さん、光太郎君。私なんかのためにこんなに良くしてくれて、本当にありがとう」
麗子が感動して泣いていると、どこからかじっとこちらを見つめる視線があった。それも数十、いやもっとだ。敏感にそれを感じた福が胡乱げに鳴く。
「ニャア」
「おうおうこれは大層な数の浮遊霊が出てきおったわ。まぁこれだけ派手にやれば目立ちもするかの、さてどうするのだ?」
すると光太郎はこれを見て慌てるどころか、逆に参加を促した。
「やぁどうも皆さんお揃いで。良ければご一緒に踊りませんか? 美味しいお酒もお料理もありますよ。さぁ遠慮なくいらして下さい。どうぞこちらへ」
「はぁぁぁぁぁ? なんじゃそれは! おい、放っておいて良いのかあれは!」
あまりの衝撃に思わず福に確認をする高姫だったが、彼女はどうにもならんという風に軽く鳴いて丸くなった。
一人歩み寄ればまた一人と浮遊霊が近づいて、付近はさながら盆踊り会場のようになったのだった。