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幽導灯火伝  作者: 惟霊
45/82

45 口裂け女の怪 3




 口裂け女は恐怖に怯えて夜の街を駆けた。空を飛んで川を越え、鳥よりも早いスピードで満月に照らされる街をひた走った。


 妖魔に身を落として口裂け女と呼ばれるようになって以降、このような恐怖を感じるのは初めてのことであった。


 自分自身幽鬼となり果てて久しくこの世に大した未練などなく、この先どうなってもよいと(うそぶ)いている身の上ではあるが、いざ得体の知れない脅威にさらされると衝動的に逃げ出してしまったのだ。


 都心から遠く離れて海の見える工業地帯まで来た時に工場の屋上に降り立って周りを見渡し、ようやく彼女は安堵した。


 だがしばらくすると自らを照らす月が陰り、なにごとかと思い顔を上げると、そこには例の少年の姿があったのだ。


「夜風が気持ちいいですね、飛天(ひてん)の術は得意なんですよ」


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ! また出たぁぁぁぁぁ!」


 飛天の術とはあたかも天女が舞う如くに空を駆ける灯技であり、灯士界隈ではこれが使えないことには一人前とはみなされないのが常識だ。


 追いつかれて狼狽しつつも再び逃げ出そうとする口裂け女だが、そうはさせじと福が回り込んで威嚇する。その眼には神気が宿っており、彼女が立ちすくむには十分だった。


 へなへなと座り込む口裂け女に光太郎が畳みかける。


「驚かせてしまってすいません、でも本当に危害を加えるつもりはないんです。信じてはもらえないでしょうか」


「ひぃぃぃぃ! そんなの嘘よぉ! 来ないで! 私に近づかないでぇぇ!」


 あまりの剣幕に光太郎が困ったなと思っていると、虚空から扇子が飛来してぺしんと頭を打った。


「あ痛た」


「こら光太郎、お前はなにをしているのよ!」


「これは高姫様に黒姫様、こんばんは」


「こんばんはではないわ! なにやら外が騒がしいと思って来てみれば、一体どういうことなのよ、説明しなさい!」


 突如として夜の闇間を切り裂いて現れたのは高姫黒姫の二人であった。よほど怖かったのか口裂け女は腰を抜かして黒姫に抱き付いている。


 面倒くさいことになったと思う福だったが意外にも高姫が真っ当だったので、静観を決め込むことにしてあくびをする。


 光太郎は正直に新聞記事を見ていたらピンときて会わなければいけないなと思ったと語り、場の一同を閉口させた。やがて高姫が呆れながらも解説する。


「いいかしら光太郎。そもそもこ奴のような怪異に遭遇したら大男でも腰を抜かして驚くのが普通であって、意に介さず笑いながら追跡してくれば鬼でもビビるのが必定(ひつじょう)よ。わかってるの?」


「お言葉ですが高姫様、僕は生まれてこの方可愛いと言われたことはあれど、怖いなどと言われたことなど一度もございませんが」


「ございませんが! ではないわ!」


「あ痛た」


「現に見なさい、この子は腰を抜かして震えているじゃない。化生(けしょう)といえども女は女なのよ、可哀想にねぇ怖かったでしょう?」


「ふぇぇぇぇぇん! はい! 助けて下さってありがとうございまふ!」


 なおも黒姫に縋り付きながら泣く口裂け女だったがようやく落ち着いてきたので、高姫が間に立ってこれまでの事情を聞くことになった。


 曰く口裂け女の本名は鹿野島  麗子(かのしま れいこ)と言い、生前は良家の子女で婚約者が居たそうだ。


 だがその婚約者というのがとんだ食わせ者で、散々暴力を振るって貢がせたあげくに彼女を風俗業者に売り飛ばした。麗子は辛い生活に耐えかねて逃げ出した先で不幸にも交通事故に遭って死亡したらしい。


 当然のように彼女は浮かばれぬ(たた)り霊となってこの世に留まったのだが拍子抜けなことに、呪い殺したいほど憎んだ元婚約者はすでに愛人によって刺殺されており、霊魂もすぐ地獄に行ったのか見当たらなかったという。


 目標を失った麗子は、しかし成仏できぬまま何年もこの世を漂った。やがて街角に佇む自分を霊感のある者が見て驚くのが快感になって、徐々に形成される自らの都市伝説に乗っかる形で白いコートを着こんだりハサミや包丁を用意して楽しんでいたそうだ。


 最近のお気に入りはやはり若い灯士をからかうことで、特に威張っている男子や学生同士の恋人達を見つけて執拗に追いかけるのが生きがいだそうだ。


「だって灯青校では恋愛は禁止されているんでしょ? だからこれは愛の鞭なのよ。血も涙もない妖怪変化と戦わなきゃいけないのに色恋にかまけているなんて許されるわけないじゃない? それに……」


 ようやく調子を取り戻してきた麗子だが、まだ鬼女二人の間からは出てこない。光太郎は神妙な面持ちで時折うなずきながらも話を聞いていた。


 麗子の身の上話が終わりそうになったところで今度は高姫が取って代わり、これは長引きそうだと思った光太郎は自在布からテーブルセットを取り出して皆に着席を促した。


 優雅にお茶を入れて茶菓子を山盛りに出すと、高姫は遠慮せずにどら焼きをバクバク食べながらも滔々と語りだす。やはり灯士の活動については一家言(いっかげん)あるようだ。


「正しい規則というのはね、守らんがためにあるものではないのよ。ちゃんと守るべき理由があるものなの。なぜ学生灯士の恋愛が禁止されているかと言うと、それは神仏への感応力が落ちるからに他ならないわ。人間にはわからなくても妾の目から見れば一目瞭然よ。惚れた腫れたに(うつつ)を抜かすと神様-! という気持ちが相手の方に行くもんだからまぁ灯技は衰えるし神仏の守護も弱くなるしで最悪よ。それでダメになった灯士をこれまで何人も見たわ。学校の方でも禁止はしているけれど、こういうのはいつの間にか出来上がっているものだし、引き離しても心が残っている限り灯士としての活躍は難しいでしょ? 無理して戦っても死ぬだけよ。かくして真面目に頑張っている生徒ばかりが前線に行って世の中を支え、ドロップアウトした中途半端な者達がのうのうと生き残る。これには長年鬼女と呼ばれる妾も嘆息せざるを得ないわね、はぁ」


「そうそう、そうなんですよね! 話がわかるなぁさすが高姫様! お姉様と呼ばせて下さい!」


「調子に乗るな小娘」


「ひいっ!」


 次第に遠慮がなくなってきた口裂け女こと麗子だが、隣に座る黒姫にギロっと睨まれると身を竦ませて縮こまった。


「わかっているのかしら? 光太郎、これはお前に聞かせているのよ?」


「ええ、承知いたしております。でも僕は大丈夫ですよ、ちゃんと頼りになるお目付け役もここにおりますし」


「ニャア」


 当然だと言わんばかりに福は光太郎の膝の上で鳴き、少年はその背中を優しく撫でた。


 先程までの慌ただしさとは打って変わり、月明かりの下で穏やかな一時が続く。

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