42 帰還
光太郎が放った光の一閃は膨大なエネルギーの塊となって南雲を襲った。
圧倒的な聖なる質量に消し飛ばされそうになりながらも、彼にはこの期に及んで自分に落ち度があるのかどうかさえ分らなかった。
「な、なぜだ! なぜ俺様がこんな目に合わなければいけない! あれは借金ののかたに貰ってやった女だぞ! どうしようがどうなろうが、全て俺の勝手なはずなのに! それなのにぃー! なぜだぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔の雄たけびを上げた南雲は、そのまま漲る神気の前に跡形もなく吹き飛ばされた。わずかに存在していた禍々しさもすっかりと失われており、まもなくこの霊空間も消え去るのであろうことが予見できた。
ふと加代が気が付くと、光太郎が召喚したであろう大黒龍王が十人の閻魔大王へと変化して、一人また一人と次元の彼方へ姿を消していくのが見て取れた。いつの間にかあの不可思議な観音様も神将らの姿もなくなっている。
これに慌てた加代は急ぎ前へ進み出て平伏して言った。
「お、お待ち下さい閻魔大王様!」
十大王が最後の一人となった時、かのご神霊は荘厳な衣をひらめかせ、ゆっくりと振り返った。
「娘よ、なにか言いたいことがあるようだな」
「私も、どうかこの私も冥府へとお連れ下さいませ!」
「ふむ、なにゆえだ。訳を申せ」
「はい。私はやむを得ないとはいえ、とても人の身にあっては許されないことをしてまいりました。罪無き人の命をすすって生きながらえてきました。このままおめおめと生けてはゆけません。どうか、冥府にてお裁き下さいませ」
「な、なにを言っているんだ加代さん! だからそれは仕方のないことだったんだよ! 他になにができたって言うのさ!」
「ありがとう康夫さん。でもあなたにはわかりません。さっきまで生きていた人を犠牲にしてきた私の気持ちは! 中にはいたんですよ! 弟より若い年端も行かない子供達も! ……それを考えると私は――」
今まで見せたことのない形相で康夫を睨む加代。その必死さに彼女を深く愛している康夫であっても何も言えず、立ち尽くしてしまう。だがここで厳かに閻魔大王が口を開いた。
「娘よ、確かにお前はこの世の地獄を見てきたのだろう、それがゆえに己を責め続けるのもよくわかる。だがしかしお前はたぐいまれなることにこの度神縁あって人としての命をながらえた。それはこの場にいる者だけの力ではない。そなたの守護神、守護霊、背後霊団、直系傍系の尊き先祖霊らの決死の導きによって、九死に一生を得たのだ。死を望む娘よ、これをどう思うのか」
「そ、それは……」
「この世にはこの世の法則があり、あの世にはあの世の法則がある。神仏は全ての人々を救いたいと日夜願っているが、法則ゆえに歯がゆい思いをするのがほとんどだ。しかし時より我ら神仏と一体になり神を行ずる仕織人が現れる。娘よ。過ぎた日の禍事や業は無くなるわけではないが、これからの人生で善行を積むことはできる。なにも難しく考える事はない。この世の第一人者は自分自身である。真実自分を幸せにできる者は自分をおいて他はなく、愛する者を幸せにできるかどうかもまた、自分次第なのだ。わかるな? ならば生きるが良い。その命が尽きるまで」
「……はい、大王様」
箴言に深く胸を打たれた加代は涙を流し、深々と頭を下げた。大王は満足げに頷くと、最後に光太郎へと向き直った。
「見違えたぞ光太郎、また一段と頼もしくなったな。此度の取次、実に見事であったぞ」
「はい、ありがとうございます」
「うむ」
光太郎はひざまずいて頭を垂れた。すると穏やかな光に包まれてやがて忌まわしい霊空間はもろともに泡沫の夢が如く消え去り、皆の意識も遠のいて行くのであった――
光太郎が差し込む日の光に気が付くと、どうやら元の現実空間である駄菓子屋の二階に戻ってこれたようだ。外の様子を見るに昨夜の嵐はおさまり、気持ちのいい朝を迎えている。
光太郎がぼんやりと光る幽導灯をゆっくり納灯して周りを見れば、すでに目を覚ました康夫が加代の手を取って見つめていた。
彼女は衰弱しているようだが鬼人化の気配はすっかり消え去っており、目には希望の光が見て取れた。
そこで光太郎が起きたことに気が付いた康夫の祖母、千代が涙ながらに声をかける。
「学生さん、全部あんたさんのお陰だよ。正直なところあたしゃもうだめだとばかり思っていたけれど、この娘は人間に戻れたんだ。こんなに嬉しいことはないよ」
「神仏が救ってくださいました、お役に立てて光栄です」
光太郎は努めて笑顔でそう答えた。実際は霊空間での戦いで己の霊体はズタズタになっており、例えるならば極度の全身筋肉痛に苛まれている状態だったが、それを微塵も感じさせない少年であった。
「加代さん、加代さん、本当によかった……」
「康夫さん、ご迷惑おかけしました」
「迷惑なんかじゃないよ、これからはずっと一緒だよ」
「はい、嬉しいです。よろしくお願いしますね」
「うん、へへへへ」
お互いの無事を確かめ合い喜ぶ二人は、付き合いたてのカップルのように照れくさそうに笑った。
やっと訪れた甘いひと時。だがそこへ青天の霹靂が如くに康夫の頭上にげんこつが下る。
「あだっ! なにするんだよ婆ちゃん!」
「なにもへちまもないよ! 命の恩人がもう帰るって時になにをボサボサしてんだい! あぁ加代ちゃんはいいんだよ、そのままゆっくりしておいで。康夫! あんたはさっさと立つんだよ!」
「うえぇぇぇぇ! まだちゃんとお礼も言ってないんだし、もうちょっと引き止めといてよ!」
急いで立ち上がりどたばたとあちこちに体をぶつけながらも裸足で外へ飛び出すと、なんとか康夫は帰途に就く光太郎の背中に追いついた。
「こ、光太郎君、もう帰っちゃうのかい? よかったら朝食でも一緒にどうかと思うんだけど」
「お気持ちだけありがたく頂戴します。でも叔母さん達がだいぶ心配していると思うのでここで失礼します」
「あ、あぁ、そうなんだ。ありがとう、助かったよ」
「では」
「……光太郎君!」
踵を返して立ち去ろうとする光太郎を康夫は不意に呼び止めた。そうするつもりはなかったのだが、なぜか呼び止めてしまった。
「一つ教えて欲しいんだ、なぜ君は見ず知らずの僕達を助けてくれたんだい? 命をかける理由なんて、君にはないのに」
「それは単純な理由ですよ」
こともなげに少年は語る。
「初めてお会いした時、康夫さんの後ろに観音様が立たれてこうおっしゃったんです。どうかこの者らを助けてあげて欲しい、と」
弾かれるようにして康夫は光太郎の顔を見た。灯士と言えども神仏の姿を見て声が聞こえる者はまれだ。しかし光太郎が嘘を付いているようには思えない。
実際に行き詰っているところを助けられたのもそうだし、なによりも少年の笑顔そのものが観音の笑みに見えて仕方がなかった。
とっくに尽きたと思った涙が再び止めどなくあふれ出し、康夫の頬を伝い落ちる。思わず彼は深々と腰を曲げ、合掌して拝んだ。
「加代さんが鬼人化しかけていたのは相手の術もさることながら、自分を責める念がそれに拍車をかけていたんです。しかし康夫さんが側にいればもう安心でしょう。これからもおばあさん共々仲良く幸せにお過ごし下さい」
光太郎は、くっと学生帽の端を掴んでそう言うと、颯爽と目覚め始めた初夏の街並みへと消えていった。
爽やかな風が吹き抜ける中、康夫は同じ台詞を何度も口ずさんでいた。
「ありがとう……本当にありがとう」
遠く姿が見えなくなった後もしばらく彼はそうしていた。
加代と康夫、二人を取り巻く闇が長い夜を経てようやく晴れた瞬間であった。
「ただいま戻りました」
「あ、やっと帰って来た!」
「おかえりなさい!」
フラフラになりながらなんとか叔母の家の玄関扉を開けて上がり框の上に腰掛けると、さっそく中から姦しい声が聞こえてきた。
光太郎は最近上京してきたのにも関わらず、どこか懐かしい思いに浸っていると、胸元めがけて猛然と飛びかかって来る影があった。
「ニャニャニャーン!」
「うわぁ福ちゃん! いきなりどうしたの!」
「ニャニャニャ! ニャニャニャニャー! フカー!」
「わーごめん、ごめんって!」
置いてけぼりにされて怒り心頭に来ていた白猫福は猛烈に猫パンチを繰り出すと、何度も体をこすりつけるように激しい頭突きを繰り出した。
「あー福ちゃんお兄ちゃんと遊んでるよ!」
「あたしもあたしもー!」
幼い姉妹まで騒ぎに便乗してくっつきに来ると、光太郎は楽しいながらも疲労困憊だ。
「こらあんた達! 光太郎君はお勤めで疲れてるんだから後にしなさい!」
「はーい!」
家長の松子が現れて怒るとやっと喧騒がおさまり、二人と一匹はぴゅっと居間へ戻っていった。
「すいません叔母さん、思ったより長引きました。ご心配おかけしました」
「いいのよ、いいの。無事に帰ってきてくれたらそれだけでね。おかえりなさい、光太郎君」
「はい、ただいまです」
恐らくですが徐々に最初から見直して光太郎の口調や舞台設定なども変更する予定です
大きくストーリーは変わらないので、宜しくお願いします