4 鬼人
「お、お、お前! なんなんだ!」
「怪異ある所に灯士あり。見たところあなたは鬼人化してまだ日が浅いのではないでしょうか、今ならやり直せます、投降して下さい」
「あ、はは、はははは! だあっれがそんなことするかよ! 俺は今なあ、最っ高の気分なんだ! これからは誰にも馬鹿にさせねぇんだ! それをよう、それをお前のようなガキに邪魔されてたまるかあああああぁぁ!」
目を血走らせて突進してくる男の鬼人。頭部の角もあり正しく鬼の形相と成り果てた姿を見ても光太郎は慌てず騒がす幽導灯を前に掲げるとスッと弧を描いた。
残像は清涼で澄み切った青空や大海原のよう。これに一瞬臆した鬼人だったが、怯まずがむしゃらに殴りつけてきた。
対して光太郎はどうしたかと言えば、攻撃に対してさっと幽導灯を当てただけだ。ちょんと身体に触れただけ、こんなものは防いでいるとも言えやしない。しかし結果はどうだ。
バチンと大きな音を立てて弾かれた手を抱えて鬼人が叫ぶ。
「ぐぎゃああああああああ! いでえ! 手がいでえよぉ゛ぉ゛ぉ゛! お゛ま゛え゛! お゛ま゛え゛なにをした!」
「これで力の差がお分かりか、あなたでは僕に勝てません。大人しくすれば痛い思いも少なくじきに人へと戻れます」
「く、来るな! こっち来るなぁ! ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛!」
腰の引けた鬼人に気にもせず、一歩また一歩と冷静に詰め寄る光太郎。
「なんだってお前みたいなガキがこの上野に……強い奴等はみんな他所に行ってるんじゃなかったのかよぉ! こんなはずじゃなかったのにーー俺はまた、クソみたいな奴らに馬鹿にされる生活に逆戻りなのか?」
男の脳裏に辛かった思い出が走馬燈のようによぎる、それらは会社や家庭、人生において二度と思い出したくもないような出来事の数々であった。
「嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁぁぁ! もうあんな惨めな思いをするのは嫌だぁぁぁぁ!」
鬼の目にも涙と言うが、これは我欲の涙だ。我一人良ければどうでも良いという思いから流される涙など美しいはずもない。
醜い嗚咽を聞きながらも至って光太郎は平静だった。この位の年頃の男子と比べても例を見ない程に落ち着いている。
対して鬼人と成り果てた男の慌てようはどうだ、醜い鬼であることに執着してなんとか逃げおおせないかを考えあえいでいる。
いかに外なる要因があるとは言え、満ち足りた人生を歩む人が人外魔道に落ちることは無い。この男にしてもなんらかの同情される余地があってこそ魔に付け入れられる隙があったのは間違いないだろう。
しかしだからといって見ず知らずの人々に勝手気ままに乱暴狼藉を働いて良いことなどないのだ。光太郎はその当たりのことを重々承知の上で神聖なる灯火を手にしている。
「なにか、なにかないか? こいつの手から逃れられるなにか!」
鬼人と化した男は見苦しく地に這いつくばり頭を巡らせる。対して光太郎は幽導灯を下げて努めて冷静に降伏を勧めていた。
「あれぇ、ここどこ? お母さんどこいったの?」
ちょうどその時、間の悪いことに道に迷った少女が一人で人垣の向こうから現れた。周囲の大人達が危ないと叫んだが時は既に遅く、瞬く間に鬼人の腕に捕らわれてしまった。
鬼は人の肉を喰らい月日が経つと怪しげな術を使うようになる、これを称して鬼術と言う。
危機的状況から逃れたい思いが土壇場で獲得させた能力である見えざる不可視の腕が年端もいかないいたいけな少女をむんずと鷲づかむと、そのまま自分の側まで引き寄せたのだ。
幼子の首元に伸びた爪を差し向けて、先程まで死に体だった鬼が笑う。
「うははははどうだ上手くいったぞ! これで形勢は逆転だ! このガキの命が惜しくばその幽導灯を向こうへ捨てろ!」
「うええええん怖いよう! おじちゃんだれ!?」
「泣くな! 黙ってろクソガキ! でなけりゃもっとひどい目に遭わせるぞ!」
「ひぐ……」
幼いながらも自らの置かれた状況を鑑みて、少女は押し黙った。しかし小さい身体は恐怖でガタガタと震え、目に涙をいっぱい溜めている。光太郎は動揺することなくその様子を見て優しく少女に語りかけた。
「大丈夫、ほら、僕だよ。さっき電車で会ったよね」
「あ、お手玉拾ってくれたお兄ちゃん!」
「そうだよ、心配ないからそこでもう少しだけ大人しくしてて欲しいんだ、すぐにお母さんも迎えに来てくれるからね」
「う、うん、わかった」
「ありがとう、いい子だね」
そして静寂がこの場を支配した。遠く離れて観ている人々も、鬼人も、その腕の中の少女も皆一様に音をたてない。しばらく沈黙していた光太郎だが、やがて意を決してゆっくりと愛灯をアスファルトの上に置いて転がした。
「ひゃはははは! 学生らしく素直で良いじゃねぇか! そのままそこで突っ立ってろよ! 今お礼してやるからよ!」
鬼人は大笑すると覚え立ての見えない拳で光太郎を散々打ち据えた。
佩灯を失えばいかに屈強な灯士と言えどただの人。次々に襲いくる遠慮の無い猛打に頬は晴れ上がり骨は軋み、全身に無数の打撲傷ができていく。並みの少年ならば耐えきれず悲鳴を上げて逃げ出しているであろう。
しかし光太郎はくじけない。急所を両腕で守りつつも懸命に心中深く神仏に祈りを捧げていた。
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