34 康夫の独白
康夫は言いにくそうにしていたが、それでもとつとつと話し始める。
彼は二年前に民間灯士として最前線である青森沿岸に派遣された。
民間の灯士は普段は自由に活動できるが、様々な優遇がある一方で国に対する奉仕義務があり、敵地である北海道から国土防衛するために現代版の防人制度が採用されている。
しかしここ最近は目立った動きがないので、康夫の勤務そのものは平和そのものであった。
頼りなさげな印象の康夫だが、実は灯青校の卒業生でもあり、光太郎の先輩にも当たる。
だが自身の卒業に際しては軍閥や企業に就職するのを拒否して実家の駄菓子屋を継いだ変わり者だ。
それと言うのも昔から小説家になるのを夢見ているからであり、集団行動も苦手で暇があれば本を読んでいたいタイプの人間であるから、元々灯士としての名誉栄達など興味がないのである。
それでも最低限の義務を果たさねば世間的にもまずいがために、不承不承ながらも青森に赴いたのであったが、思いのほか安穏な日々が続き、のどかな風景を見ながらブラブラと沿岸を警備する気楽な毎日を過ごしていた。
やがて敵地の目の前にいるという危機感も消え失せて、もうじき東京へも帰れそうになった頃、いつものように一人で海岸線を警邏していたところ、不自然に浜辺に打ち上げられた小舟を見つけた。
船の中を見ると薄汚れたシートと年代物の旅行鞄があり、どこからか流れ着いたような雰囲気だ。
驚きつつも異常な事態におののきながら、一応の任務は警備巡回であることから見て見ぬ振りなどできるはずがない。
任務不履行は国家への背信行為でもあり神仏への不敬でもあるので、腐っても灯士である己の運命を呪いつつ、康夫はゆっくりとシートに手をかけた。
幽導灯を手にしながら迷いを振り切るように一気にそれを引っ張ると、中から現れたのは意外にも魑魅魍魎の類ではなく、それどころか見目麗しい妙齢の女性であった。彼女は体調が悪いのか、横になり震えていた。
「もしもしお嬢さん、どうされましたか?」
緊張に上ずる声でそう問いかけると、彼女は静かに顔を上げた。
したたる汗と浜風に濡れた肌は病的に白く透き通っており、目鼻立ちも美しくあって胸や腰回りはやつれてはいても豊かさと魅力を兼ね備えていた。
康夫は衝撃を受けた。目の前にいるのは銀幕のスターもかくやというような美女であり、うるんだ瞳で自分を見ているのだ。
まともな大人なら即座に訳ありと判断できるし当然北海道との関係を疑ってかかるべき状況であるが、そこは物書きが趣味である康夫なので、脳内には突如としてお花畑な妄想が広がっていた。
彼は物語の騎士が姫を救い出すといったコテコテなヒロイックファンタジーが好きであり、この現状は奇しくもその条件にピタリと当てはまってしまったのだ。
怯えながらも自分に助けを求めてくる美女に、康夫がそれを断れるだろうか、いや、断れない。断るはずもない。
国と神への忠誠心はどこへやら、自分が彼女を助けなければという謎の使命感と興味を独占したいというゲスな下心から、康夫は使われていない船小屋に案内してうまく周囲の目から彼女を隠し続けた。
幸運にも恵まれて特に何事もなく任期を満了した康夫は、その帰りに当然のように小舟の美女を連れ立って満面の笑みで帰郷した。
それと言うのも、曰く和泉加代と名乗った彼女は天涯孤独の身であり、他に頼る親族も知人もないと聞かされたからである。
加代は東京に来た当初は体調も良くなっており、徐々にではあるが明るくはつらつとした性格を取り戻していた。
共に過ごしてみると、彼女は容姿だけではなく気立ても良く人に愛される性格をしていたので、気難しい康夫の祖母である千代ともすぐに馬が合い、店番や家事などを任せるにまでなっていた。
だが同棲生活をするようになっても、加代は自分の過去を語ることはなかったし、康夫も努めてそこには触れないようにしていた。
康夫に異性との交際経験がなかったこともあるが、鬼人となった者どもの食料として飼われていた所から命からがら逃げ出して来たのだから、暫くは人間性を取り戻すのに専念して欲しいとの思いからであった。
このまま穏やかな日々が永遠に続くかとも思ったが、様子が変わってきたのはここ三か月のことだった。
ある日を境に加代は徐々に食が細くなり、そのうち日の光を避けるようになった。爪は獣のように伸びて口には牙が目立つようになった。
極めつけは頭部に見える二本の角である。もはやここまで来れば人目に隠しおおせるものではなくなっていた。
仕方なく康夫と祖母の千代は、実家兼駄菓子屋の二階の奥深く、日の差さぬ暗室に彼女を閉じ込めておくことしかできなかった。
「加代さんの具合は日に日に悪くなる一方だったけど、大っぴらに神職さんに相談するわけにもいかないでしょ、だからこっそり伝手を頼って手に入れた官製の薬を服用したり祈祷をしてもらったり考えられる全ての手を尽くして来たんだ」
「それで、どうでしたか?」
「どうなったかだって? 君が見た通りだよ! 全部無駄だった! 少し体調が良くなったかと思えば、それをあざ笑うようにまた鬼人化が進むんだ! 原因も全くわからないんだよ! もうこれ以上、どうすれば……」
康夫の目からはらりと涙が流れ落ちた、その時目を覚ました加代が、そっと康夫の手に触れた。
「康夫さん、悲しまないでください。あなたはなんの縁もゆかりもない私にもう充分過ぎるほどに尽くしてくれました。おばあさん、正気を失っていたとは言え、先ほどは申し訳ありません。今まで本当にありがとうございました。お二人になにもご恩返しができないのが唯一の心残りです」
「加代ちゃんなに言ってんだい! そんな遺言みたいなこと、あたしゃ聞きたくないよ!」
康夫の祖母である千代も涙にくれていた、加代はなんとか体を起こすと、気丈にも青白い顔で光太郎に微笑んだ。
「灯士さん、あなたのお陰でお二人にちゃんとお別れが言えました。私の鬼人化は止まらず、すぐそのうちに人を殺すようになるでしょう。どうかその前に警察に連れて行ってくれませんか? これ以上お二人に迷惑をかけるわけにはいきません。どうかよろしくお願いします」
憔悴しつつも悟りきったすっきりした顔をして、穏やかに加代は頭を下げた。光太郎は瞑目して聞いていたが、意を決して口を開く。
「加代さん、結論を出すのはまだ早いと言えます。幸い結界も効いていますし容態も安定しておられるようだ。だから今のうちにお聞かせ願えませんか、あなたが呪われている理由を」
「の、呪いだって! それは本当かい?」
驚く康夫に光太郎が黙って頷く。
「間違いありません。鬼人化するにはなんらかの方法で多くの瘴気を霊身肉に取り込む必要があります。それと共に心に潜んでいた悪の部分が肥大化し、まさに身も心も悪鬼となり果てるわけですが、加代さんはそうではない、必死に鬼人化に抗っている。そういう状態で適切な治療を受ければ普通、全快とはいかずとも進行を止めることができるはずなのです」
康夫と千代は滔々と自論を語る光太郎の台詞に聞き入っていたが、ただ一人加代だけが後ろ暗いところがあるのか顔をそむける。
「体調が復活したかと思えばまたぶり返したかのように状況が悪化する、その原因は絶えず加代さんの中に邪気が補給されているからと考えれば納得がいきます。加代さん、あなたは自分を呪っているその人物に心当たりがあるのではないですか?」
納戸を打ち付ける風が激しくなってきたかと思えば、どうやら暴風雨が到来しているようだ。
揺れる裸電球が加代の影を一層濃く映し出す。
思いつめた末に意を決した彼女が口を開こうとしたその時、にわかに全身が震えだして次第に頭を激しく上下させた。
暴れる彼女を慌てて康夫が布団の上に抑え込もうとするが、とても女性とは思えない力で跳ね返される。
「うわっ!」
「加代ちゃん、どうしたんだい!」
康夫と千代が心配するのをよそに加代は、いや、加代と思しきなにかは悠々と立ち上がり、野太い声で呵々と大笑して言い放つ。
「ははははは! さかしらぶった小僧めが、探偵めいた真似をしやがる」
「あなたが加代さんに呪いをかけたんですね?」
「そうだと言ったら、どうなんだ?」
にやりと笑うその顔に、雷鳴が応えてこだまする。六畳一間の空間に張り詰めた緊張が漲った。
今年もぼちぼちと投稿してまいりますので、よろしくお願いします