31 奇妙なお茶会
「お二人とも紅茶でいいですか?」
「……ええいただくわ」
高姫の言葉に黒姫もこくりと頷く。キャンプなどで使う折り畳み式アウトドアテーブルの上には一式のティーセットがそろえられており、バスケットの中にはぎっしりとつまったサンドイッチ、そして道すがら買ってきたと思われるソーセージなども所せましと並んでいる。
「簡単にですが以前手ほどきを受けまして、いい茶葉をその時に譲っていただいたんですよ。それでこれはという日に使おうと思いそのままになっていました。お口に合えばいいんですが」
不思議にもあらかじめお湯が沸いている魔法瓶から茶葉の入ったティーポットへとくとくと白湯が注がれると、ふわりとかぐわしい香りが周囲に満ちた。軽くて甘く心地いいフレグランスだ。
やがて流れるように給仕されたティーカップを高姫は手に取り、静かに口に含む。
「これは、どこのお茶なのかしら」
「世界最大の紅茶生産地アッサムの茶葉をベースに、チョコレートとアーモンドの香りを加えたオリジナルフレーバーだと聞いています」
高姫が黒姫を見てあなたも飲んでみなさいと促す。そして彼女も口をつけたわけだが、常に無表情であった黒姫の表情筋がわずかに動いた。
「あなたはこれ、どう思うかしら。意見を聞かせて」
「……率直に申しますと、美味しいかと。とても香りが高くて深みのあるコクが特徴と言えます。高級ホテルでもおいそれとは出てこない逸品かと」
「あらそう、それだけ?」
「お姉さま、とおっしゃいますと?」
「妾はね、世界一美味い紅茶だと思ったわ。少なくとも生きてきて一番ね。あなたもそうでしょう」
「はい」
どこか疎ましさをにじませると、黒姫はティーカップを置いた。
「お兄ちゃん、このきれいなお姉さん達は誰?」
「うーんとね、まだ知り合ったばかりなんだけど……」
「妾は紅葉、こっちはそうね。黒苺とでも呼んでちょうだい」
「うんわかった、華は松本華だよー!」
「あ、姉の望です、初めまして、よろしくお願いします」
「ふふ、ええよろしくね。ところでそこにどうしても仲良くしたくはなさそうなのがいるけどいいのかしら?」
「ニ゛ャアア?」
「どちたの福ちゃん、こっちにおいでぇ」
「ニ、ニャアアァ……」
子猫とは思えないくらいのすごみのある面構えで二人の鬼女を睨み続ける福だったが、あえなく華にだっこされて毒気を抜かれてしまった。
二人は偽名を名乗っているが、それも幼い姉妹に配慮してくれてのことだろう。そう思えば存外話の通じる相手なのかもしれないと思われる。
光太郎は如才なくきびきびと動いてテーブルいっぱいに料理を並べると、一つ一つ説明をした。
「これは吉祥寺のダイヤ街にあるさとうで買った元祖丸メンチです。オーナーさんが自分で選んだ高級和牛を使ってるんで美味しいんですよ、並んで買いました。こっちはいせや総本店のミックス焼き鳥四本セットですね、いっぱいあるんでお好きな串を温かいうちにどうぞ。そっちは本場ドイツでの受賞経験もあるケーニッヒの手作りソーセージとハムですね。切ってあるソーセージにケチャップ、カレーソース、カレー粉がかかってるのはカレーヴルストっていうんですが、結構いけますよ、試してみて下さい。あ、せっかくだから飲み物もワインがいいですかね、僕は飲めないんですがボジョレーを持ってますので開けましょう。望ちゃんと華ちゃんにはジュースがあるから待っててね」
「はーい!」
幼い姉妹にも気を配りつつそつなく給仕をすると、高姫が無言でメンチカツに手を付けた。ナイフとフォークで切り分けてから口に含むと、ゆっくりと咀嚼する。
「お姉様、なにもそんな下品な肉の塊を召し上がらなくてもよいのでは」
「いいえーーこれはなかなかの美味だわ、今までこういった庶民的なものは貧乏くさくて嫌いだったけど、なかなかいけるわね。こっちはどうかしら、ふむふむ」
「お、お姉様?」
「うるさいわね、ほら、せっかくのもてなしなんだしあなたも食べなさいな。品があろうがなかろうが、美味いものは美味い、まずいものはますいのよ、今日それがはっきりわかったわ」
「さすがは紅葉様、ささ、ワインをおつぎしましょう」
「あら気が利くわね。でも男のくせにできすぎよ、いったいなにを企んでるわけ?」
高姫の鋭い瞳が鋭く少年を射抜くが、彼は自嘲気味に笑うだけだ。
「企むなどとは恐れ多いことです。あなた方はお一人でこの地をどうとでもできる力をお持ちなのですから。ですからこれはあくまでお願いです」
「なに?」
「もうすでにご存じのように、救国革命軍とやらが怪しい動きをしております。近く東京が騒乱に巻き込まれるかも知れません。もしそうなった際はなるべく力なき人のために便宜を図っていただけたらばこれに勝る喜びはございません」
「ほう、妾らを懐柔しようと言うのか。しかしそれはできない相談ね。昔から妾は好き勝手にやってきたの、今さら小僧の指図なんて受けないわ」
高姫は突如として取り出した派手な扇子を手に持って鷹揚に自分を扇ぐと、ギロリと光太郎を睨む。
「指図などではございません、しかし考えてみて下さい。例えば今お食事された品々です、これらはみなここで暮らす人々が丹精込めて作り上げたものばかりです、ですが一度大きな混乱が起きるとこのような食文化は滅び去り、焼いたものに塩を振るしかなくなるでしょう」
「む」
「女性が好む服飾品などは不要不急の最たるものとされ、毎年の流行などはもってのほかで布地の供給さえ行われないでしょう。そうなれば最早オシャレを楽しむ余裕などありません」
「むむ」
「大勢人々の命が脅かされればそれだけ今ある文化的恩恵も遠ざかり、再興するまでには多くの年月を要するに違いありません。ご興味のある灯士達もみな命をとして戦い、その多くはいなくなるでしょう。後に残るのは焦土と化した街並みと妖魔鬼人が跋扈するさびれた東京です」
「むむむ!」
「むろんお二人は無事でしょう。しかしそのような無粋な世界で数年、いや数十年も生きていかねばならないのです。ご想像できますでしょうか」
「むむむむむ! それは……その通りよね」
「お姉様、こやつの口車に乗ってはなりませんよ」
「わかっているわ、しかし言ってることはもっともよ。あなたも手芸の材料や本が全く手に入らなくなるのは嫌ではなくて?」
「それは、そうですが」
「ほれみなさい、舞台演劇なども自粛はおろか、今後二度と行われないかも知れない、ああ、なんて退屈なの! 考えるだけで眩暈がするわーー」
「お姉様、お気を確かに」
「なにも矢面に立っていただきたいわけではないのです、できうる範囲で構いません、力なき街の人々を守っていただけはしないでしょうか、どうかよろしくお願い致します」
高姫はふわりと扇で自分を扇ぐと思案顔で言った。
「……なるほどわかったわ、一考する価値はある話ね」
「お姉様!」
「しかしな光太郎! この国で名を知らぬ者がない妾が上京したてのお前のような青二才の口車に乗ってしゃあしゃあとほだされるなど我慢ならないわ! こればかりは理屈じゃないのよ!」
立ち上がって端正な顔をすごませ、口元から文字通り牙を覗かせながら威嚇する様はさながら鬼面夜叉そのものであった。しかし光太郎は柳に風と受け流して頭を下げる。
「これは失礼をいたしました。ではお心を騒がせたお詫びといたしまして、今から灯舞をご披露致したく存じますが、いかがでしょうか?」
「え? な、なに? 灯舞ですって? 妾のために?」
「ええ、あなた様のために」
「……ままま、まぁ? 是非に、と言われるならば、妾も否はないぞ?」
「ありがたき幸せに存じます」
「お姉様、お顔がにやついておりますよ」
「だまらっしゃい」
いそいそと座りなおした高姫は少女のような面持ちでその時を待つ。松本姉妹も光太郎の舞に興味津々だ。福は依然として華に抱きかかえられモフモフされている。
「南無観自在菩薩」
ひざまずいて祈る光太郎を見て衆目も集中する中、やおら腰の幽導灯を抜き放つと陽光の中にあってなお冴えわたる澄み切った青色が姿を現した。
それはかつて見せた妖魔に対する圧倒的な威圧を控えた艶のある光で、一瞬にして鬼女の目を喜ばせた。これには先ほどまで否定的だった黒姫もうなる。
「あれはーー破邪の聖光をあえてうまく抑えているのですね、存外に器用なまねをします」
次に光太郎が両手に幽導灯を持ち恭しく頭上に掲げると、ありえないことに左右に鼓を持った童女と横笛を携えた童子が現れた。これには高姫も虚を突かれたようで、あんぐりと口を開けて驚いている。
「なっ! ……これは、いったい」
「わーすごいすごい! 楽器を持った人が出てきたよー福ちゃん!」
「ニ、ニャアァ」
福はそんなこといいから放してくれと言いたげに鳴いたが、どうやら華には伝わらなかったようだ。
興奮する一同となにごとかと集まってきた聴衆を鎮めるように童女が美しい透き通った掛け声を上げて鼓を打つ。
するとにわかに騒がしくなっていた周囲が静かになった。続いて清涼な笛の音が響き渡ると静かに光太郎は海王丸を構えて立ち上がり、ゆっくりと舞い始める。
それは日舞や能のようでもあり、京劇やバレエ、既存の灯舞の型のようでもあったが、その実は全くの即興で行われた舞であった。
だがあらかじめ長い年月訓練し、申し合わせたかのように歌舞音曲は見事に一致しており、後半になるにつれ激しくなるにしたがって、ますます人々の目と心を捉えて離さない。
優雅に日の光を浴びて回転する光太郎の姿を見て、紅潮した高姫の口から艶っぽいため息がこぼれる。
するとどうしたことか、新緑に萌える木々が次々と色づき、やがて満開の桜が姿を現したではないか。
周囲の一同は驚きのあまり声も上げることすらできず優美な舞を見守ると、旋回する幽導灯の軌跡に従って無数の花弁がゆらり宙を舞い、かぐわしき芳香を漂わせてあたかもここが桃源郷であるかのような錯覚をもたらす。
その時高姫の頬に一筋の涙が伝った。彼女は思い出していたのだ。在りし日の愛しき者が少年と同様に桜の下で舞を見せてくれたことを。
やがて凛々しい笛と鼓の音が止むと、光太郎は歌舞伎のように見得を切ったポーズでぴたりと動きを止め、後に恭しく礼をした。満開だった桜はいつの間にか元の緑に戻っており、童子達の姿も忽然となくなっていた。
しばらくの間誰も声を出せないほど感極まっていたが、やがて高姫がすっと立ち上がりぽつりとつぶやいた。
「見事じゃ」
高姫の声の後、周囲からも万雷の拍手と称賛の声が降り注ぐ。照れ笑いをする光太郎はゆっくりと幽導灯を鞘に納めた。
その場にいた人々は思いがけず出会った灯士の舞を堪能し、大いに満足したという。
だが溢れる喝采を背に密かにこの場から姿を消した鬼女が流した涙の意味を知る者は誰もいなかった。
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