30 井の頭公園
一夜経ち、光太郎の姿は東京都は吉祥寺駅の近く、井の頭公園の中にあった。
周りは土曜日ということもあってか、多くの家族連れでにぎわっていた。今日は居候先の姉妹、華と望にねだられてここに遊びに来ているのであった。猫の福も一緒で鞄を担いだ光太郎の肩に乗っかっている。
今日も梅雨時期だというのに天気が良く、左右それぞれの手に姉妹の手を握って遊歩道をそぞろ歩く。
「ここね、全部桜の木なの。満開になるとすっごい綺麗なんだよ!」
「へーそれは見てみたいな」
「ナァン」
「望もお父さんと見たよ! 高い高いしてくれたの!」
「ふふ、よかったね」
「うん!」
「あ、華もわかるよ! お家にある写真の人でしょ! お母さんいつも見てるよ!」
「そうだね、華ちゃんは賢いね」
「ん!」
得意げに胸をそらす子の頭を優しく撫でてやると、華は猫のように嬉しそうに目を細めた。この幼い少女はまだ亡くなった自分の父親のことを理解できていないようだ。光太郎は娘がかわいい盛りにこの世を旅立たなければならなかった父親の無念を思いやった。
光太郎が感傷に浸っているとそれでも子供達は元気なもので、木漏れ日の下で福と追いかけっこを始めた。少年はベンチに腰掛けてそれを微笑ましく眺める。
「まてー福ちゃ~ん!」
「ニャオーン」
白猫は姉妹に捕まりそうで捕まらず、ヒラリヒラリと身をかわす。福も二人と楽しんで遊んでいるようだ。
光太郎は井の頭公園の池を眺めた。
白いスワンボートに乗っているカップルが楽しそうにペダルをこいでいる。ほかにも数隻のボートが悠々と湖面を滑り、きらめく水面をかき分けて進んでいる。
さわやかな風が吹き抜けて森の香りが鼻をくすぐった時、意を決して光太郎は口を開く。
「今日はよい日和ですね、せっかくだからこちらに来て座りませんか? 姫様方」
彼のつぶやきは虚空に消えるかとも思われたが、しばらくすると陽炎のように近くの空気が揺らいでそこから美しい二人の女が進み出た。
派手ないでたちの一人がすっと光太郎の前に立つともう一人、メイド服を着た浅黒い肌の少女が日傘を差して日陰を作る。
突如として現れた二人に対して光太郎の心は乱れることがない。それどころか立ち上がりにこやかに話しかけるのであった。
「こうしてお話するのは初めてになりますか。改めて自己紹介をいたします、僕はーー」
「暁光太郎でしょ、知っているわそれくらい。妾のことも知ってるんでしょ?」
「はい高姫様、そちらは黒姫様でらっしゃいますよね」
「そうよ、野田の坊やから聞いたのね」
「はい」
黒姫はチラリと光太郎を見たが、それきり興味を失ったようで傘を高姫に掲げたまま黙って立っている。高姫は優雅に腕を組むと口角を釣り上げた。
「ふ、それでよく妾達のことがわかったわね、完全に気配は消していたはずだけど」
「それでございますよ」
「なに?」
「見られている予感はするのに、人の気配がまるでしない。普通どんな人間にも徳と業があるものです。そしてどれほど清廉潔白な人物であってもなんらかの邪気を帯びているもの、しかしお二人には不自然なまでにそれらを感じない。つまり新品の人形のように隠形が完璧すぎるのです」
「……ふふふ、あーっはっはっはっは! そ、それは、気が付かなかったわね! くはははははは!」
一拍間をおいて美女が笑う、気でも触れたかのように。しかしすぐに取り繕うと、にこりと妖艶な笑みを湛えて科を作る。
「それで? なぜお前は妾を呼んだのかしら? この私がどこの誰かもわかっているというのに」
それは紛れもない恫喝であった。光太郎にのみ向いた指向性のある威圧であるが、常人であれば発狂はもとより気死するであろう質のものだ。しかし少年は臆した様子も見せずに和やかに対応する。
「上京時分からなにやら目をかけていただいておりますので、ご挨拶がてらお茶などいかがかと思いまして。こういうこともあるかと思いまして準備はしてあるんですよ」
「……なんですって? お茶?」
「はい、少々お待ちを」
光太郎は鞄の中から紫色のたたまれた敷布を取り出すと地面にそっと置いて広げ、右手人差し指と中指で手刀を作り、くるくると宙をかき混ぜて祈った。
「かけまくもあやにかしこき、八百万の神々よ。乞い願わくば自在の敷布に宿りし霊威をあらわし給え。ひとふたみよ、いつむゆななや、ここのたりももちよろーずー、ひとふたみよ……」
光太郎が祈る言葉に連動して金色の神代文字で書かれた魔法陣が浮かび上がり、あたたかな光を放った。光太郎はやおらその中央に手をかざすと、ポンポンとテーブルや机、バスケット、魔法瓶、ティーカップなど、多種多様な品々を取り出すので、高姫も目も丸くして見守らざるをえなかった。
恭しく一拝して敷布をたたむと、テーブルと椅子を設営して光太郎は笑いかけた。
「さあどうぞおかけください。望ちゃん、華ちゃん、福ちゃんもおいで、みんなでお昼にしようよ」
鬼女二人は思わずお互いの顔を見た。だが誘われて嫌ではなかったのか、しずしずと高姫が椅子に座ると、促された黒姫も隣に座った。
こうして世にも稀で奇妙なお茶会が始まったのだった。
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