3 少年灯士 挿絵有り
「ああ……なんて気持ちいいんだぁ、さっきまでの暗い気分が嘘のようだ」
「と、止まれ! 手を上げろ! お前は完全に抱囲されている! 大人しく投降しろ!」
「さっきから蠅がうるさい、今日はこんなに良い天気なのに」
フラフラと青白い顔をした男性が周りを挑発するように薄ら笑いを浮かべている。その額には真っ黒な角が生えており、口の周りにはべっとりと赤い血が張り付いている。
「お前達はいつも怯えている、月々の支払いに会社の上司、怪我に病気、老いに魑魅魍魎……理由をあげ出せば切りがない。せせこましい人生を送っていて楽しいのか? なあお前、どうなんだ?」
「うるさい黙れ!」
「まともに奴の話を聞くんじゃない、引き込まれるぞ!」
「くくくく! 俺は最近まで暗闇の中に居た、どいつもこいつも俺のことを馬鹿にしくさって無視しやがる! 俺は優秀な人間なんだ! ……いや、だったかな、はははは! だがそれも既にどうでもいい! ようやくわかったのさ、世界の真実にな!」
鬼と成り果てた男を囲んで駅前の大通りにはぽっかりと大きな空間が空いている。人々は不安げに状況を見守っていた。
「弱肉強食って言うだろ? まさにこの世は食うか食われるかなんだよぉ!」
「ぎゃああああ!」
「小林ぃ! ちくしょうこの野郎!」
「いかん輪を乱すな!」
「がああああ!」
ブルブルと降魔灯をかざす手が震えている若手警官の首元に瞬く間に接近して噛みつくと、血をむさぼった鬼人は次に打ちかかってきた同僚の攻撃を難なく躱して、二の腕にかぶり付いた。
吹き上がる血潮が男の喉を潤して歓喜の声が上がった。
「ああ、美味い、こんなに美味いものだったのか、人間って。知らなかったなぁ、ひひ、ひひひひひ! まだあそこにも、あそこにも、あそこにもいるぞぉ! 食べ放題だ!」
怖いもの見たさに様子を眺めていた町人達も目をつり上げて不敵に笑う男に恐れをなし、徐々に後退りして逃走を始める。そこで混乱し始めた周囲を落ち着けるために巡査長が立ちふさがった。
「そうはさせんぞ化け物め! 我が灯技を喰らえ!」
水平になぎ払われた赤金に燃える降魔灯を見て鬼人は少し後ろに下がった。だが口元の笑みは消えないままだ。
続けざまに巡査長が攻撃を繰り出すも、身体能力が並外れている鬼人の前には容易く避けられて、あまつさえ灯身を掴まれてしまう。
降魔灯を掴んだ手はジュウと焼けただれたようになるが、鬼人は少し顔をしかめたものの不敵な笑みを崩さない。
「なんだ、こんなものか。くくくくく! やはり警察の安物棒使いが何人来ようがものの数ではないな!」
「ぐあっ!」
「巡査長!」
あざけりと共に放たれた右拳が唸りを上げて、巡査長の身体が吹き飛ぶ。
奇しくもそれは後輩の警官に受け止められたものの激しい殴打の傷は深く、もはや自立できる状態ではない。
それでも彼は職務への使命感から懸命に立ち上がろうとしていた。
「巡査長、もうそのお体では無理です!」
「俺のことは構わん、周りの避難を優先させろ、時間を稼ぐのだ」
「しかし!」
「いいから行け! ここは任せて決して振り返るな!」
傷を負った巡査長が鬼気迫る様子でふらりと立ち上がると、部下達は泣く泣く負傷した者を集めて避難を開始した。
混乱に拍車がかかり、人々は我先だって逃げていく。
「ああ、ああああ餌が、俺の餌が逃げていく! なんてことだ!」
慌てた鬼人が追いかけようとするも、懸命に瀕死の巡査長が立ちふさがった。
「させん! 貴様の相手は俺だ!」
目の焦点も合っておらず息も絶え絶えの様子だが、それでも彼は命がけの足止めを試みたのだ。
「……いいだろう、まずはお前の血肉を、魂を喰らってやるよう!」
がぱりと開いた大口にぎざぎざな歯が並び、鋼鉄をも切り裂くと言われる爪が伸びる。対して巡査長の灯火が弱くなった降魔灯は明滅して薄くなっており、持つ手も震えて心許ない。
それでも彼は最後に一撃、痛恨の致命傷を鬼人に喰らわせてやるつもりだった。いや、だったのだ。
なぜならば敵はすぐ目の前に現れたのだから。
今まさにあっけなく命が刈り取られようとしたその時、背後から巡査長の身体をすり抜けて、目映い青色の光閃が鬼人を襲った。
そして異変に気がつき慌てて飛び退いた鬼人の伸びた爪が四本、ぽとりと落ちた。
「うおおおおおう!」
「なんだ今のは、俺の身体は! ……な、なんともない」
一瞬呆気に取られた巡査長だったが、慌てて自分の身体をまさぐると、胴体がついていることに安心して息をついた。
そして同時に気が付いた。いつの間にか目の前に立っている少年がいることを。
彼は上下黒の学生服に身を包み、頭には学生帽を被っていた。
背負っていたであろうズタ袋はアスファルトに置かれており、腰の鞘から抜かれた青色に輝く幽導灯を右手に構えている。
その輝きこそ見間違うことなどない、先程巡査長を救った光だった。
巡査長はゆっくり振り返り、張り付いた喉を必死に動かして問うた。
「き、君は?」
「国認護法灯士、暁光太郎です。ここは僕にお任せを」
静かに佇む少年の曇り無き瞳が鬼を捕らえる。