29 偶然さん
「彼に会ったんだね」
「はい、今から三か月しない内に東京を地獄に変えると言っていました」
「そうか……まずは命があったことを喜ぼう、よく無事だったね」
「僕は戦おうとしたんですが、幸か不幸か水入りになりまして」
「ええっ! ちょっと涼しい顔でなに言ってるの! うわおじさん怖いわー若い子の感性怖い! あれを前にしてよくそんなこと言えるねぇ!」
「人々をみな鬼人に変えて適性のない者は家畜として飼いならすそうです、見逃せるわけがありません」
「そりゃあまぁそうだけど、よくも悪の張本人に向かって啖呵を切れたね」
「秘灯技も放ちましたよ」
「え!」
「えらく怒ってました」
「えええええ! 嘘でしょほんとなの! よく今生きてるよね!」
「お蔭様でなんとか」
「もう今の話聞くだけで五年はおじさんの寿命縮まったよ、はー心臓に悪い」
スーツの男はとっさにベンチの上で正座して青い顔をする。
「ははは、偶然さんは大げさだなあ」
「いや全然笑いごとじゃないからね? 次から本当に気をつけようね? あー喉が渇く」
「はは、それで今日お見えになったのはなぜですか?」
「そうだね、順序立てて話そうか。まず君が上京早々にぶち当たった鬼人の男については意識が戻ったよ。ただ聞き取りをしようにも精神が不安定でね、そのまま入院生活を送ることになるだろう。今朝運び込まれた二人も似たような経過を辿ると思う」
「そうですか……」
「それで今回の事件なんだが、これは完全に極秘事項なんだけどね、君達を襲った鬼人の横田、丑沢、安座間の三人は公的にはすでに死んでいる人間だったんだ」
「え? しかし現に」
「ああそうだ、鬼人となって君達を襲った。もとはと言えばそれぞれ罪状は違えど奴らは死刑囚でね、書類上は死刑執行が行われたことにして、実は秘密裏に北へと送られたのさ」
「北と言うと、北海道ですか」
渋い顔の優男はこくりと頷き、両足を下ろして胸元からタバコとライターを取り出した。シガレットに火をつけると思いつめた表情で煙を吸い込み、吐き出す。
「救国革命軍の成り立ちはもう知ってるかい?」
「ええ、ご丁寧に教えてくれました。元軍人だそうですね」
「ああ認めたくはないがその通りだ、知っての通り当時の政府も大いに問題を抱えていてね、北海道を割譲しさらにある条件を加えることでお目こぼしをしてもらおうと思ったわけだ。それでその条件ってのが……」
「人身御供ですか」
「ーーその通り」
うなだれた男が力なく呟いた。
「とても国民からの同意を得られん話だが、過去の政府は必死だった。灯士が現れたとは言え、降って湧いて来た妖魔に翻弄された上、ダンジョンまで各地に出現したんだからね、とても北海道までは手が回らなかった、そこで重犯罪者の他にも浮浪者や身寄りのない子供なんかが政府関係者の手によって北に送られてきたのさ、つい最近までね。皆を守るためとは言え、しかし到底許されるような話ではない」
静かに拳を握り絞め声を震わせて話す男の独白を、光太郎は黙って聞いていた。
「けれども政府と救国革命軍の蜜月は崩壊したんですね、なぜでしょうか」
「急に連中が普段の倍の生贄を要求するようになったからさ。今までのように犯罪者であったり氏素性のわからぬ者が消える分にはまだ誤魔化しも効くのだけれど、それ以上の数となるとさすがに市民の目は欺けない。それに奴らとの関係はもともとシーソーゲームなんだよ」
「利益を与え続けると相手側の準備が整い、いずれは戦争になってしまうということですか」
「ああそうだ、革命軍の理念は鬼人による世界制覇だからね、妥協点を探ることすら難しい。遅かれ早かれぶつかる運命ではあったのさ」
「……なるほど。しかしそれならば堂々と北海道から南下してこればいいではないですか、なぜコソコソと東京に現れて騒動を起こすのでしょうか、灯士を襲うにしてもここでなければならない理由はありません」
「そのあたりは本当にわからない、謎だ。首都の防御機能を試しているのか、他に目的があるのか。うちとしても最大限の力を行使して調べていくつもりだよ、なにかわかればまた報告しよう」
「及ばずながら僕も力になります」
「ありがとう光太郎君、でもまずここは我々に任せてくれないかな。これはまかりなりにも今までこの国を運営してきた人間達にとっての因縁なんだ。大人の汚れ仕事を若者の手に委ねたくはないんだよ」
「偶然さん……」
「悪いね。じゃあもう僕は行くよ、それ、冷めちゃったけど食べてね」
「はい」
「じゃあ、また」
携帯用灰皿に無理やりタバコを収めた男は、ぎこちない作り笑いを浮かべて背を向けた。
「偶然さん!」
「ん、どうしたの?」
少年はやおら立ち上がって腰の幽導灯を抜き、堂々と胸の前に掲げた。これは抜灯時の敬礼である。
「ご健闘をお祈りしております!」
広場全体に響き渡るような声で光太郎がエールを送ると、男は不意に涙ぐみ、袖で顔を拭った。
「ああ、ありがとう」
光太郎はそのまま彼の姿が見えなくなるまで見送った。
不意に風が吹き、渦が木の葉を巻き上げる。
大いなる力に翻弄され自らの力で着地すらできぬ樹葉のはかなさに、困難な前途を思う光太郎であった。