25 秘灯妙技 挿絵有り
「本当にお前、かよこなのか? でもなんでこんな所に……身体の具合はもういいのか?」
「ちょっと、せっかく私が逢いに来てあげたのになによその言い草は、嬉しくないの?」
「いや、悪かったよ、嬉しい、嬉しいよ……」
すっかり凶相を収めた男の顔は憑き物が落ちたかのようにさっぱりとしたものになっていた。しかしどうしたわけかせっかく会えた思い人を前にしても安座真は不意に目をそらし、くるりと背を向けてしまった。
「どうしたの剛、顔を見せて」
「……俺を、俺を見ないでくれ。俺はお前に会いたいばっかりに奴等の口車に乗せられて刑務所を脱獄したが、気がつけばこんな化け物になっちまったんだ。こんなつもりじゃ、なかったのに……」
ボロボロと鬼の両目から涙が止めどなく溢れてくる。かよこはそんな男の背中に優しく寄り添い抱きしめた。
「お、お前俺が怖くないのか?」
「怖いわけないでしょ、自分の好きな人なんだから。大丈夫だよ、私、全部分かってるから。昔から無茶してばっかりだけど、人に言えないようなこといっぱいしてきたんだよね、でもこれからは私が側に居るから」
「ずっと会いたかった、会いたかったんだ……」
巨大な背をかがめて優しく彼女を抱きしめ返す鬼であったが、この様子を怪訝な目で見る二人組があった。件の大佐と副官だ。
「おい、これはどうしたことだ」
「わ、わかりません。博士から聞いた話しの中では確認されていない事象です。一度理性が失われた鬼人の復活は今までまったく成功していません。理解不能です。これはまるで……」
言いよどむ補佐官に大佐は続きを促す。
「まるでなんだ、憶測で構わん、言ってみろ」
「……はい、恐れながら、神仏のなせる奇跡かと」
「ふっ奇跡か、実に下らん。だがこれも一応の実験結果になるだろ、あのイカレた男に報告しておけ」
「はい」
大佐は吐き捨てるように言うと忌々しげに眼前の光景を注視した。
かよこと呼ばれる女性は超然とした光を放っており、ふわりと宙に浮かんでいる。そのことを差し示す事実は、すでにこの世の者ではないということだ。
「剛、私もついていくから一緒に行こうよ」
「行くって、どこにだ?」
「この世界の向こう側。私も謝ってあげるから、ね?」
「……あぁそうだな、この先地獄に落ちてもお前がいればなんとかなりそうだ。でもどうやって」
「大丈夫、あの子が呼んだ観音様が導いてくれるよ」
加代子が指し示した所には光太郎が淡い光に包まれてゆっくりと幽導灯を回していた。
清らかな水辺を思わせる清涼な風が吹き始め、二人の心身を穏やかにしていく。
光太郎は舞い始める。儚げに明滅する幽導灯は時に強く時に繊細に光を放ち、見る者を魅了する。
灯士の舞は称してそのまま灯舞と呼ばれている。灯士が祈りを込めて舞ったならば、即ちそこは神います神域であり、極まり具合に応じて神仏が顕現する斎庭となるのだ。
灯派によっては舞の型などが決まっていたりするが、厳密には関係ない。ようはいかに神仏に感応するかが肝心なのだ。故に今光太郎が踊っている舞も即興であり、とくに決まった型ではない。心の赴くままに神仏を慶し、二人の幸せを祈りながら独楽のように回転する。
「きれいね」
「ああ、本当だ」
光太郎の舞が勢いを増すにつれて聖気が渦巻き、次第にそれは色とりどりの花びらとなって周囲一面に舞い散った。
「わぁ素敵」
かよこは少女のように笑った。安座真は黙ってその横顔を見つめていた。
キラキラと光を放つ花びらが舞い散る中、忽然と光太郎の背後に大きく輝かしい御影が現れた。それは白衣観音のように頭からベールをかぶった観世音菩薩の御姿だが、決定的に違うのは左手に持った三本の鍵束だ。
依子は思わず痛む身体を起こして見上げた。それはとても神秘的光景だった。
(あの御仏は観世音菩薩に違いないわ、頭に衣をかぶっているけど白衣観音じゃない。シャリンシャリンとしてたのはあの鍵束の音だったんだ。でも千手観音の持物の中にも鍵なんてないはず……だとすれば仏典にも載っていないあの観音様の正体はーー?)
驚愕に目を見開く依子をよそに観音は大きく両手を広げるとやおら左手の鍵束を鳴らし続けた。シャリンという音が一際大きく響き渡ると、光太郎の灯舞もクライマックスを迎える。少年はそっと呟いた。
「請し奉る秘鍵観世音菩薩、願わくば迷える魂を安らかにかの地へと導き給えーー秘灯妙技 彼岸善導散花楽」
軽やかに幽導灯を水平に振り抜いた時、加代子と安座真の前にさっと降り積もった花びらの道が現れた。清められた道の向こうには門が開いてそびえ立ち、その中に覗く景色は美しき大河である。
「さぁ、行こ」
「あぁ」
かよこが手を差し出すと、なんと鬼の身体からするりと安座真本人の霊体が抜け出したではないか。薄く透き通り儚げな存在ではあるが、かよこの手を取ると安心を得て二人は微笑みながら並んで門までの道を歩き、振り返ることなくやがてその奥へと姿を消していった。
シャリンと再び音がすると、門扉が厳かに閉まり全ては夢幻の如く夜の闇に消えていった。
後に残されたのは聖なる香りと静寂だ。
霊魂が抜けて灰色の抜け殻になった鬼人の骸が指先からサラサラと砂のように風解していく。あれほど強く猛威を振るっていた怪異であるが今は跡形もなく消えようとしていた。
光太郎は旅立った二人の成仏を願い、片手で拝んだ。するとパチパチと所在なさげな拍手の音が聞こえてきた。その主は例の軍人だ。
「見事だ、実に面白い、まるで奇術師だな小僧。灯士なんて辞めてその道で食っていけばどうだ? ん?」
口元は緩んでいるが今だ眼光は鋭く光太郎を射抜いている。しかし少年は微塵も臆すことなくにらみ返すのであった。