24 邂逅
「ああアアアァ……トウしぃ、こ、コロす、コロス! 灯士こぉロスぅぅぅ!」
時間と共に精神状態が不安定になっていく安座真が引き替えに手に入れた怪力で、手当たり次第に周囲の構造物を破壊していく。
電柱や塀、門扉などが紙でできたかのように容易くひしゃげ、崩壊し、周囲の光景を変える。
「くっ、どこ攻撃してる! 私はここだ!」
「どこダァ! トウしぃ! コロスころす殺すゥ!」
遠方から秘灯技である金翅鳥の衝撃波を放ちながら安座真の注意を引こうとするが、混乱しているためか依子を視認することができず、鬼は手当たり次第に街を壊していく。
(まずい、このままでは民間人に犠牲者が出てしまう)
彼女の悪い予想は早々に的中した。家の塀を壊された家主と思われるパジャマ姿の中高年男性が、悲壮な表情でバットを持って現れたからだ。彼が震える声で訴える。
「よよ、よくも家の玄関先を壊してくれたな! どうしてくれるんだ! まだローンが残ってるんだぞ!」
「お父さん止めて、危ないでしょ!」
「お前はいいから黙ってろ! ここは俺が汗水垂らしてやっと立てた家なんだ! 例え鬼人だろうがなんだろうが、壊されてたた、たまるかぁ!」
「お父さん!」
両手に持つバットがブルブルと震えているが、妻と思しき者の声に応えて引く気はないようだ。
すると運が悪いことに鬼の瞳とぴたり焦点が合った。動きを止めた鬼人の口元がニタリと歪み、鉄杭を振り下ろすような拳が頭上から降り注ぐ。
「ミツケたぁぁぁ! ドウし、ゴロすぅぅぅぅ!」
「させるかぁぁぁ!」
間一髪身体を割り込ませた依子は、鬼人の左拳を全身全霊の幽導灯で受け止める。
「ひっひぃぃぃぃぃぃぃ!」
「旦那さん! 命あっての物種です! 奥さんと避難を!」
「で、でも……」
「早ぁく!」
「は、はいぃ!」
「お父さん立って! ほら、逃げるのよ!」
勇ましく鬼人に立ち向かったは良いものの、腰を抜かしてしまった男性は妻に手を引かれて這々の体で逃げ出した。
「があアアあぁ見つケタぞォォォっ! トウしぃぃ!」
「ちぃ!」
鬼はようやく探し当てた灯士に向けて豪腕を振るう。たとえ武器を持たぬ攻撃だとしても、変わり果てた異形の怪力は常人に抗しえるものではない。それは神仏の加護を得た灯士としても同様である。
光と闇は相反する存在であるが、一方の勢いが優ればもう一方は悉く駆逐される。そして欲にまみれたこの現実世界では邪気の方が圧倒的に強いのだ。悪気は良気を駆逐して邪気は聖気を駆逐する。ことさら大きな悪に対しうるには中途半端な光ではだめなのだ、天を覆うほどの圧倒的な神気でなくば瞬く間に覆されてしまう。
依子は懸命に数合拳をいなしたものの、圧倒的腕力により幽導灯を持つ腕ごと攻撃を弾かれてしまう。そして安座真は獣めいた猛速で依子の首を捕らえると、空高く掲げてギリギリと絞めあげた。
「しまっ! ぐぅぅ……!」
「げぇハアハはぁ! ツカマエタ! とうシ、ツカマエタあぁぁ!」
片手とは言え凄まじい拘束力を誇る鬼の手は、苦し紛れに幽導灯で何度叩いてもびくともしない。そのうち段々依子の意識は薄れていき、幽導灯を持つ手もだらりと垂れ下がる。
(ああこれまでか、でも悪くはない。あの子達は無事逃げられたんだから……)
あっけないと言えばその通りだが人生の終わりが近づいて、不思議と依子の口元が緩んだ。思えばよくここまで生きてこられたものだと思う。
学校の意向で前線を退いて後進の育成に励むのは嫌なことではなかったが、常に後ろめたい感情を抱えていたのは事実だ。
毎年笑って送り出した卒業生達が骸も存在しない死亡報告だけの記録となって帰ってくるのをただ黙って追悼するしかなかった。だがそんな日々ももう終わろうとしている。
(こんなことになるなら一度くらいお見合いして結婚してみるのも良かったかな、ごめんねおばさん、我が儘な姪っ子で。あの世に行ったら先に死んでいったみんなは迎えに来てくれるかな)
残していく親類や一緒に戦場を駆け抜けて亡くなっていった友、生徒達を思う。
いつか来るとは思っていたがそれが今日になるとは思わなかった。だがいつ死んでも良いように遺言はしたためてあるし、後のことは学園が対処してくれるだろう。
伴侶もいない依子の最後の心残りと言えばやはりこの鬼のことである。灯士の命を喰らった鬼は更に強くなると言う。ただでさえ通常の灯士では歯が立たない鬼が強化されるのであるから、犠牲が大きくなるのは必至だ。自らを喰らった鬼がさらに強くなり生徒を襲うのであれば、死んでも死にきれない。
依子は薄れ行く意識の中で守護を頼んでいる不動明王に祈った。願わくばこの鬼によってこれ以上犠牲者がでることがありませんように。願わくば十三班の皆や生徒達の未来が輝かしいものでありますように。
自然と涙がつうと頬を伝った時、ふわりと鼻孔をかぐわしい清涼な香りがくすぐり身体が軽くなった。どこからかシャリンシャリンという金属が擦れる小気味良い音が聞こえてくる。
それで依子もとうとうお迎えが来たかと思ったがさにあらず、反対に突然五体は重力に従ってどさりとアスファルトの上に落ちた。依子は突如として苦しみから解放されたことと落下の痛みでむせかえった。
「かはっ! ーーっごほごほっ! ……いったい、なにが」
混乱した頭をもたげながら必死に目を見開く。するともう自分のことになど興味を失ったのか、鬼人が魅入られたかのようにフラフラと射し込む青光の方に歩いて行くではないか。
疑問に思いながらも消耗した依子の身体は動くことを拒否しており、その場でことの推移を見つめるしかできない。
そこで彼女がよくよく目を懲らして鬼の進む先を注目すると、忽然として二十代前半の女性が立っているではないか。震え戸惑う鬼の様子からどうやら彼の知り合いであるようだ。
「……か、かよこ、お前、かよこなのか?」
とうに理性を失っていると思われた安座真が万感こめて呟いた。眼前の女性は嫋やかに微笑んで肯定する。
「やあねぇ当たり前じゃない剛、久しぶりすぎて自分の彼女のこと忘れたの? ひどいなぁ」
夜も深まる深夜四時半、不可思議な邂逅が始まった。
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