2 上野駅
「さすが東京、人が多いなぁ」
田舎から出て来たこともあって、人混みというものに慣れていない光太郎であった。
駅構内の改札を出て目的地まで行くために書き留めておいたメモ紙を必死に見ていると、なにやら通りの向こうからどよめきが聞こえて来る。
「鬼だ、鬼人が出た!」
「なに! どこに出たんだ!」
「え、駅前の通りだ! 今警官が囲んでる! 解決するまでみんなここを動いちゃ駄目だ!」
口々に不安を述べて立ち止まる人々、しかしそんな中で光太郎は違った。意を決して背嚢を背負い直すと、出口に向けて歩き出した。
「あ、おい君、外は危ないぞ!」
「僕は灯士です、通ります!」
「おお学生灯士さんか!」
「出て来たのは一人だそうだが無茶するんじゃないぞ」
「はい、行って来ます!」
あうんの呼吸で光太郎の前に道は開かれる。前傾姿勢で駆け出していく彼の姿を皆は一様に期待のこもった視線で見送ったのだった。
光太郎が声援を受けて飛び出したちょうどその頃、駅前では大勢の警官が鬼人を相手にして攻めあぐねていた。
「巡査長、あらかた避難は終わりました。被害者は病院に搬送中です」
「本庁の灯士隊はまだか!」
「そちらは臨場まで三十分ほどかかるとのこと、現場の判断で持ちこたえて欲しいとの通達です」
「くそ、近場の所轄からありったけの灯士をかき集めてこい! 数で包囲するんだ!」
「了解しました!」
「聞いたかお前達! 無理に取り押さえようとする必要は無い! 今はこの場の被害を最小限に押しとどめることだけを考えろ!」
「はい!」
一人の鬼人を囲み五人の警官達が幽導灯の廉価版である降魔灯を手にして対峙している。
人数の上では圧倒的に官憲側が有利だというのに、巡査達は緊張をぬぐえずにいる。それもそのはずで、曰く鬼人とは人を超えた存在であり、妖魔との間に存在しえる形を纏った負の結晶である。
頭部に角を持つのが特徴だが、曰く高位の者は隠せると伝えられており魔人とも呼ばれている。
心に闇を宿した者が身体を乗っ取られ、或いは呼び込んで一体となった姿を鬼人化と言い、姿形のない幽鬼と同様に通常の物理攻撃では倒せない。
刀で切ってもすぐに繋がり、銃弾を見舞っても傷は直ちに塞がっていく。例え身体を全て失っても怨霊となった魂が次の宿主を探して復活を果たすと言われている。
魑魅魍魎との長い戦いの中で、これらの知識は当然のように国民に理解されていた。だが実際に鬼人と相対した者はそう多くない。
山間部ならばいざいらず都市部には呪術的な結界が施されているし、そもそも昼日中に鬼人が自然発生すること事態がごく希なのである。本来ならば。
これにはあるからくりがあるのだが、その理由をここに知る者はいない。
そしてあらゆる思惑から離れた所で、遠くビルの屋上で斜に構えた遠眼鏡ごしに事態を見つめている美女と側仕えの女が二人、駅前の騒動を楽しそうに覗いていた。
「あらあらなんて仰々しい、たった一人の雑魚相手にこの有様なんて花のお江戸の格も落ちたものね、そうは思わないかしらぁ? 黒姫」
「はいお姉様、その通りでございます、しかしもうこの地は東京でございますよ」
「ああそうね、時が経つのも早いものだわ。それであれが暴れてからもうどれくらいかしら?」
黒姫と呼ばれた美女が懐中時計を見る。
「二十七分と少々ですわ、お姉様」
「あら、そんなに時間がかかってまだ対処できないだなんてやっぱりたるんでるわね。自分達がまだ籠の鳥にすぎないって自覚がないのかしら? それとも束の間の平安でそんなことも忘れてしまったのかしらねぇ」
「人間は自分に都合の良い夢だけを見る生きものですもの、昨日までの生活が今日も続いて行くと信じているのですわ」
「あはは! 本当にそうねぇ! ーーあら、あれはなにかしら? 誰か駅から出て来たわ」
「学生服を着た少年のようですね、灯士でしょうか」
「ええ間違いないわ……ふむ、腰のものは上等ね、少なくと数打ち物ではなさそうよ。顔立ちは幼いけれど将来は良い男になりそうだわ、ちと身長が足りないのが玉に傷かしらね」
目も眩むような絶世の美女が二人、屋上の巨大看板に腰掛けて騒動を見物しているが、眼下の人々が彼女達を見咎めることなどない。
この2人は長きに渡り人の血肉を喰らったかつて人であった者のなれの果て、言わば鬼人の元祖とも呼べる存在が彼女らの正体である。
姉と呼ばれる方が高姫、従者のように控える方が黒姫と言い、共に古今に名高い鬼女である。
長き時を生きている彼女らにとっては平凡に過ぎゆく時間とは拷問に過ぎないのだ。それ故こうしてたまに起きる騒動を目ざとく見つけては面白可笑しく見聞するのである。
「妖魔は夜に出るものと相場は決まっているけれど、人の心に闇があるように日中に影が差しもする、最近都会の片隅でコソコソしてるのがいるようだけれど、退屈しのぎにはちょうど良い。さぁあの子がどう出るか、見物だわぁ」
長い髪を風にたなびかせて嫋やかに笑う姿こそ妖艶なり。
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