1 上京 挿絵有り
暗闇に爆ぜる赤。大火は静寂の港町を飲み込んで死と絶望を照らし出す。
カンカンカンと乱雑に打ち鳴らされる半鐘。逃げ惑う人々。それを追う魑魅魍魎ら異形どもの群。
「火事だ! 家が燃えている!」
「なんだこいつら! どこから湧いて出た! ぎゃああああ!」
喧騒と炎によって昼間のようになった町を必死に姉と弟が駆け抜ける。少年は病を患っている足取りの重い姉の手を引いて懸命に走る。
「はぁ、はぁ、姉ちゃん早く!」
「もうだめよ光太郎、私のことは放っておいてあなただけでも逃げなさい」
「そんなことできるわけないじゃないか!」
少年はその小さな背に姉をおぶさって町を駆けた。しかし懸命に生き延びようとする姉弟の前にどこからともなくこの世ならざる者達が立ちはだかる。
口元を鮮血で塗らす邪鬼の壁、それはおそらく今し方襲った人々の血なのだろう。その数は数十を超えている。ギラギラと瞳を輝かせて見つめるのは餌としての姉と弟。
「ミロ、ガキトオンナダ、ウマソウダ」
「アア、ウマソウダ、ウマソウダ」
「静まれ貴様ら!」
口々に不穏なことを口走る邪鬼達であったが、しかし鬼気迫る怒声によりやがてその声は止み、群の中から異様な風体の大男が進み出た。
彼は青黒い体色をして額に角を持つ偉丈夫であった。発する邪気が周囲の大気を歪めるほどに禍々しい。
このひなびた地方都市を瞬く間に阿鼻叫喚の地獄に染め上げた張本人である鬼の頭目が、姉の方を睨んで鷹揚に口を開く。
「ようやくだ、とうとう探し当てたぞ、女」
絶望が形をなしたらこのようであろうかという風な男が神妙に呟くと、恐る恐る姉が応えた。
「探していた? 私を?」
「その通りだ、お前こそ我らが神の器にふさわしい。積年の悲願達成には貴様の力が必要だ、同道してもらうぞ」
「この身はどうなっても構いません、ですがその代わりに弟を、光太郎をお助け下さい! それが叶わぬのなら私はここで自害します!」
「姉ちゃん!」
少年の姉は震える手でナイフを取りだし自身の胸元にあてた。
「ふん、大人しくついて来るのならそいつは見逃そう」
沈黙の後、血に餓えた妖魔邪鬼に囲まれる中で姉はゆっくり振り返ると、優しく弟の頭を抱いた。
「光太郎、良く聞きなさい。もう私のことは忘れるのよーー今まで世話になったわね、ありがとう。最後までだめなお姉ちゃんで、ごめんね」
「なに言ってるんだよ、そんなことないよ」
おりしも季節は十二月の末、いつしかしんしんと降り始めた粉雪が白々と闇夜に降り積もる。
弟は立ち上がり離れ行く姉の背中に追いすがろうにも、邪鬼達に防がれて動けない。一歩、また一歩と遠ざかる姉の後ろ姿に向けて、渾身の力で叫ぶことしかできなかった。
「姉ちゃん! 行っちゃだめだ! 姉ちゃん!」
さようなら、どうかあなたは幸せになって。
最後にそう言い残すと血と怨嗟で彩られた鬼火の花道を姉は進んで行く。自らの命も定かではないというのに弟は叫ばずにはおられなかった。
それも無理からぬことである、すでに両親を失った少年にとって彼女は残されたたった一人の家族なのだからーー
ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン
「わあっ!」
「ほら、もー止めなさいって言ったでしょ? うちの子がすいません」
「……あ、いえ、平気です。はいこれ」
「お兄ちゃんありがとう!」
浅い夢から目覚めると、そこは長距離列車の車内であった。
穏やかな陽光に誘われて、どうやら少年は在りし日の出来事を追憶していたようだ。
向かい合った座席の少女に笑顔で足下に転がっていたお手玉を渡すと、花の咲いたような可愛らしい笑顔を返してくれた。
程なくして車内にアナウンスが流れる。
「まもなく終点上野~上野です。お降りになる際にはお忘れ物がなきようお気を付け下さい」
一斉に開くドアを認めると、大きな背嚢を抱えて彼は立ち上がった。先程の少女と母親に軽く頭を下げ別れを告げると、車外へ足を踏み出す。
振り返ると去りゆく親子の後ろ姿が思い出の中の自分と姉のようで、しばらく少年は見送らずにはいられなかった。
ふと駅の構内から覗く空を見上げると、気持ちよく晴れ渡っている。本日は快晴だ。
「東京に着いたよ、姉ちゃん」
誰に言うでもなくそう独りごちる。すると背中の鞄がゴソゴソと動いた。
「大丈夫だよ福ちゃん。さ、行こうか」
少年は動く鞄をポンポンと優しく叩いて再び歩き出す。
時は西暦二千??年の霊和三年六月。世界は第二次世界大戦中に突如として起きた怪異の被害に今もって苦しんでいた。
世界中を巻き込んだ戦争が大陸中の怨霊や魑魅魍魎を同時に目覚めさせたからだ。
進撃する天魔外道に対する術もなく人類はそのまま滅亡するかに見えて、やがて一つの光明を見いだした。それが幽導灯を操る灯士の存在である。
幽導灯とは交通誘導に使われる赤色灯に似ているが、その実は秘匿された技法で神奈火を封じ込めた神籬であり対妖魔殲滅用の準神器である。
祈りながら振ることで神仏と交信し、奇跡の力を顕すのだ。
今日では灯士達の活躍により人心が落ち着いたことで鎖国状態にあった社会も部分的に解消し、怪異をも研究し利用した先進的科学技術が発展してようやく日本は大きな傷跡から立ち直りつつあった。
そして今まさに上京した少年の腰にあるのは銘灯である海王丸であり、連れ去られた行方知れずの姉を助け出すために灯士となった十五才少年の名前こそは暁 光太郎。
この物語の主人公である。