樋本桜、気付く
よろしくお願いします!
昼にもかかわらず薄暗い、ぼろ小屋の中。
私は縄で胴と手を一緒にぐるぐると巻き上げられ、埃だらけの床に座らされていた。
ぽっかりと穴の開いた屋根から、一筋の光が差し、無数の埃らしきものが煌めきながら漂う。
少し離れた床の上には、二人の男が倒れている。
小太りの男と、がりがりの男。この二人が私をここへ連れてきた犯人だった。
そして、私の正面には一人の女性が仁王立ちして、こちらを見ている。
サラサラの黒髪にぴょこぴょこと動く同色の耳。暗闇で瞳孔の大きく開いた吊り上がった猫目が私をじっと見つめている。
アッシュさんの同僚のプラム・マーチさんだ。
美人の真顔はとても怖い。
ああ、なんでこんなことになったんだろう?
私は、ここに連れてこられるまでの経緯を、ぼんやりと思い出していた。
事の起こりは昨日。
アッシュさんの同僚の皆さんと出会い、グラドシア連合兵団の建物へ行ったところから始まる。
私はそこで様々な戦闘訓練を見せてもらった。
アッシュさんの普段の仕事が危険と隣り合わせのものであることを知った。
普段平和な世界に住んでいる私にとっては、剣と魔法が飛び交うこの世界は少々刺激が強い。
アッシュさんにとっては兵団で働くこと、僻地へ防衛に行くこと、いざという時、戦いに出ることは当たり前みたいだった。
アッシュさんがいなくなったらどうしようなんて、不安になる。
試合を見ていた私の頭にそんな不安がよぎる中。
「……貴女はアッシュのことが好きなの?」
アッシュさんの同僚であるプラム・マーチさんが私に話しかけてきた。
「えっと、その、分からないんです……」
それは本心だった。
けれど、今まで何度もアッシュさんの行動にドキドキしたことがあって。
そんなことを思いながら、アッシュさんが手ずからつけてくれた、手首に輝く【首輪】にそっと触れる。
「どれがいい?」と聞かれたとき、咄嗟にアッシュさんを見ながら選んだ深い赤のグラデーション。金具のシルバーは、彼の髪を連想させる。
これを着けてくれた時のアッシュさんの顔を思い出すと、勝手に胸がぽかぽかして、顔が熱くなっていく。
「……自分の世界に入らないでくれる?」
「あ、すみません……」
ジトっとした猫目でマーチさんが私を睨む。
「……そんな顔してて分からないとか言うの。信じられない」
「あ、の」
ぼそりと小さな声で呟かれた言葉は、刃のような鋭さだ。
彼女の眉間に深いしわが刻まれる。
私を睨んでいた彼女が、深いため息をついて、まぁいいわ、と言った。
「アッシュについて良いこと教えてあげる。アッシュはね……女遊びが激しいのよ?」
「おんな、あそび?」
私はそこで初めてアッシュさんの過去の所業、女遊びが激しかったことを聞いた。
心にどんと鉛が落ちてきたような気分。
正直実は薄々気付いていた。というか、大学の校門前で囲まれてた時からモテるんだろうなとは思っていた。
そもそもイケメンだし。
そしてその日の夜の飲み会で、鼠の奥様に同じようなことを言われたときはあんまり驚かなかった。
どうやらアッシュさんの女癖については、兵団内ではとても有名だったらしい。
私が知ってますと伝えたら、副団長の奥様は丸い大きな目をさらに見開いて驚いた後、なんだか優しさで溢れたような笑みを浮かべて言った。
「そうなのね。知ってたのね……もし、辛くなったら家へおいでね」
「ありがとう、ございます……」
奥様の話で何だか泣きたくなって、それから。
アッシュさんの実家へ帰って、アッシュさんのお母さんから女癖について、狼人族の性質であることを聞いた。
「アッシュの父もだったけれど、狼人族の男はそうなの。でも番を見つけると、その人しか見えなくなるのよ。……サクラさんは過去のこと、気になるわよね?」
そう問われて、私はうまく答えられなかった。
そんな私でもお義母様は、優しく笑ってくれた。
「辛かったらすぐに言うのよ? 私は貴女の事、娘みたいに思ってるの」
そう。
三人の女性に言われて、アッシュさんの事は知っていた。
でも、実際に関係のあった人たちを見て、悲しくなって苦しくなって、頼っていいと言ってくれた副団長の奥様を尋ねようとして——
その途中で……私は誘拐された。
誘拐犯たちはどうやらとても変な人たちのようだった。
何故かスケスケのレースで目隠ししてきたり、手の拘束は緩かったりして。
おかげで犯人が二人と分かって、目印に【首輪】を落とす余裕ができた。
ちぎってしまった【首輪】に悲しくなったが、これで彼が助けに来てくれると信じることにした。
小屋に着いてから手足をロープで拘束される。
怯える私に誘拐犯たちがニヤリと笑って取り出したのは、何故か木の棒だった。
「ひひひ、お嬢さん悪く思わないでくだせぇよ。おいら達は資金欲しさに雇われただけで、お嬢さんに恨みは全くありやせん」
「だがよぉ、仕事だでな~。ドロボウネコのお嬢さんには、ここで酔ってもらうで」
「あ、あの、意味が分かりません」
「分からないなら分からせてやりやしょう! どんな猫人族もあっという間に言いなりですぜ! この最高級マタタビで!!!」
「はっ?」
高笑いする誘拐犯に、意味が分からなくて混乱する。
もしかして、あのアッシュさんの関係してた女の人が雇った?
あの時の女の人、泥棒猫って言ってたし。
まさか、この人たち【泥棒猫】を猫人族の猫の種類だと思ってる?
私の事、猫だと思って、マタタビで懐柔できると思って高笑いしてるの!?
その推理に行きついた私は、衝撃で腰が抜けそうになった。
馬鹿馬鹿しくてどうしたらここから脱出できるか方法を考え始めた刹那。
バキッという大きな音がして、屋根の板材と一緒に、誰かが上から降りてきた。
暗がりにグリーンの煌めく両岸が浮かび上がる。
マーチさんだった。
彼女は華麗に着地し、キラキラと埃が舞う中こう言った。
「馬鹿じゃないですか? ターゲットがホントに猫人族なのか確認ぐらいしてから計画立てなさいよ」
そして、彼女はあっという間に犯人をやっつけ、今に至る。
ジッと真顔で私を見ているマーチさんは、何も話さない。
どれくらい時間が流れたか分からないけれど、ただただ見つめられ、いや、睨まれていただけだと思う。
彼女は初めて話した時のように深いため息を吐いてから言った。
「あーあ、【首輪】ちぎって……で、貴女、答えは見つかったの?」
「あ、助けてくれてありがとうございます」
「仕事なんだから当然でしょ。ていうか、そんな話してないわよ。……たく、時間切れみたいね。貴女の騎士様が来たみたいよ」
「え?」
「サクラっ!!!!」
「アッシュさん!?」
ドアを蹴破ってアッシュさんが突入して来た。後ろから何人かが武器を持って入ってくる。
入口で状況を把握したアッシュさんは、すぐさま私の拘束を解いて、そのまま抱きしめた。
「サクラっ! 無事でよかった!!」
ギュッと抱きしめられて、苦しいぐらいで、胸も何だか苦しくて。
だけど、温かいアッシュさんの体温とか、匂いとか、抱きしめられているこの状況に全身が熱くもなって。
安心するってこういうことなんだ。そう思ったら涙が零れた。
ああ、私この人が好きだって気付いた————
読んでいただきありがとうございました!!




